2009年8月15日土曜日

梅太@ 劇場:『縞模様のパジャマの少年』

この記事は 何ていったらいいんだ・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします

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●彼は何故、パジャマを着てるの?:『縞模様のパジャマの少年
 監督はマーク・ハーマン。
 出演に、エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン。

 実を言うと、特に観る気はなかった。
 何故観に行ったかというと、時間が合ったというのが、正直な理由か。
 おかげで、特に前情報もなく、観に行ったわけであるが。

 ・・・・今年はどうして、こう、僕を打ちのめすような作品が出てくるんだ。

 『チェンジリング』を観た時、今年はこれ以上、打ちのめされることは無いと思った。
 (それ以上に評価が高い『グラン・トリノ』は、来月見る予定)

 こういう作品が出てきたことは、素直に、うれしいと思う。
 映画ファンをやっていて、良かったとも、思う。


 ストーリーは。
 第二次大戦下のドイツ。
 ベルリンで過ごす少年:ブルーノは、将校である父の任務により、郊外へ引っ越すこととなる。
 最初は退屈な毎日であったが、親の目を盗み、家の裏の森へと足を踏み入れる。
 森の先には、フェンスに囲まれた敷地の中で、沢山の人が働いていた。
 そこで知り合った同齢の少年:シュムールと、友情を深める。
 「何故彼らは、同じパジャマを着ているのだろう。何故ここは、フェンスで囲まれてるんだろう」
 その真実を、少しずつ知り、しかし仲良くなったシュムールとの関係を壊すことは出来ない。
 そんな無垢な少年に待ち受ける結末とは・・・・


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 ”友情”と、先には書いた。
 しかしこの映画で描かれるのは、もっと、もっと、幼いものである。
 ”仲良し”と書いたほうが、この二人の少年の関係性を、うまく表していると思う。

 何故そう思うかというと、彼らは”友情”とか”絆”とか、そういう言葉を覚える前の、まだ世間に毒されていない、純粋無垢な少年達であるからである。

 でも僕は、世間に毒された大人であるから、友情という言葉を、ここでは使わせてもらう。

 映画の出だしは、ジョン・ベチェマンの句の引用から始まる。
 「子供時代とは分別という暗い世界を知る前に、音と匂いと自分の目で事物を確かめる時代である」

 ブルーノは、「何故彼らは、同じパジャマを着ているのだろう。何故ここは、フェンスで囲まれてるんだろう」ということについて、少しずつ理解していく。分別を得ていく。
 しかしそれは、およそ8歳の少年に理解されるものではない。
 彼は、自分の目で見、耳で聞き、匂いで察知したシュムールとの友情と、得た分別の間で揺れ動く。
 それは、フェンスの中にいるシュムールも同じである。
 彼は、何故自分が働かされているかの、本当の理由を、まだ知らないでいる。

 8歳の少年達に、それを強要せざるを得ない、戦争というものの悲惨さ。


 ・・・・悲惨さ、と書いたけれど、これも違う。
 なんだろう。この作品のラストを形容するうまい言葉が見当たらない。


 ”友情”というものの輝きと、ラストの救いの無さの対比が、僕の心を締め付けて離さない。
 日差しが強ければ強いほど、影が濃く、黒く、くっきりと映るような。


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 ホロコーストを題材としているから、ものすごく現実的なお話ではあるのだが、どこか寓話的なものも感じさせられるのは、やはり主演の子役2人の無垢さと、背景や衣装の配色の、戦争を感じさせない綺麗さからくるのかもしれない。 

 特に意識していなかったが、これを、8/15、つまり終戦記念日に観たというのは、何かの巡り会わせなのかもしれない。

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