2011年1月16日日曜日

梅太@ コラボでシネマ:サッポロ一番カサブランカ ~不朽の名作~

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

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 僕の勤めている会社は、定時終了後から、いわゆる残業時間開始の間に少し休憩時間がある。
 定時後は、やはりみんな小腹がすく時間であり、そんなとき、カップラーメンの臭いなんて漂わされたからには、ちょっと敵わないところもある。

 そんなときに上司と話した話題:
 インスタントラーメンで何が好きか。

 僕は食べるとしたら日清のカップヌードルが多い。ほかと比べ安いし、スープを吸って量が増えてお得感があるし、またそうなってもおいしさを保っていられる。過去、僕の周りでは圧倒的にシーフード人気だったけれど、僕は断然カレー派だ。次点は醤油。

 上司は、サッポロ一番が大好きらしい。
 不朽の名作!とすら言っていた。やっぱ味噌がいいんだよ、という部分は、かなり共感する。なんせ僕も味噌ラーメンが大好きだからだ。
 九州に住んでいたとき、味噌ラーメンが置いてある店がないというのは、かなりのカルチャーショックであったことを記憶している。そういえば改めてカップめんのラインナップを観てみると、最近豚骨系が異様に多い気がする。

 ・・・この会話の何が面白かったかと言えば、ことインスタントラーメンというジャンルにおいても、”不朽の名作”という言葉が使われるものなのかということだった。
 だから今晩は、インスタントラーメンの不朽の名作と、映画界における不朽の名作を、コラボさせてみようと思った。

 というわけで、「カサブランカ」を観ながら「サッポロ一番」を食べるという、およそ日本でしかできないことをやってみたわけである。

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 「カサブランカ」については、記憶にある限り、全編をしっかり観るのは初めてだと思う。

 「君の瞳に乾杯」など、多くの粋な台詞で彩られる男女の恋愛模様。なんて素晴らしい映画なんだろう。
 なのでラーメンの味はあまり覚えていない。おいしかったとは思う。

 年末にサイレント映画を初めて観たとき、以前文献で読んだ一文「トーキーに入る前に映画の表現形態は完成していた」というのを思いだし、確かにそうなのかもしれないと思ってしまった。つまりそこに、声があるのかないのかという差しかなく、逆に台詞という物がないからこそ、サイレント映画は雄弁に物を語れる(観客に想像させる)ことに長けているのかもしれないと。
 もちろん言葉は、物語を補足する役目もあるだろうけれど、サイレント映画でも物語はしっかり伝わってくるということを知った今、それはやはり”補足”でしかないのではないかと思えてくる。

 そんなことを思っていた矢先、この映画に出会う。
 声が出るようになった最大の利点は何だろう。
 それは人々が憧れるような、口にしてみたいと夢見るような、その台詞にあるのではなかろうか。そんなことを思わせてくれた。

 もちろん、言い方もある。
 主人公を演じるハンフリー・ボガードの、クールな言い回しがまた良いのだね。あぁ僕も言ってみたいよ。あんなこと。


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 最近、昔の映画をよくよく観るようになって気付いたことと言えば、今なんかよりもっと、出演者:スターが主体であって、この人たちをいかに美しく・カッコ良く演出するかというのを、おそらく全力で考えていた時代だったのだと思う。
 だからこそただの言葉が素敵な言葉に響くわけで。
 ただの俯きが、素敵な動作に見えるわけで。

 ヒロインを演じるイングリッド・バーグマンが、バーで「time goes by」を聞きながら、昔へ思いを馳せ、顔を俯かせる。そのときキラと光イヤリング。
 このシーンのなんと素晴らしいことだろう。
 現実でもありそうな場面ではあるけれど、カメラというものの力というか、ある一点をクロースアップすることで、現実世界での脇役(物、人、動作)を、一気に主役に昇華させてしまう。
 もうドキドキする程好きなシーンで、思わず悶えた。




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 恐らくこの時代の映画は、もうゴールデンタイムのTVプログラムには登場しないだろうし、いや登場したら番組スタッフを尊敬するけれど、そんなこんなで見れる機会はなかなかないだろうし、TSUTAYAに行っても余程興味がなければ借りないだろう。
 でも、たとえば僕がサッポロ一番とカサブランカを無理矢理関連づけたみたいに、何かの機会に、ちょっとお手にとってはいかがでしょうか。

 ・・・当時、この作品を作ったスタッフたち、そして君の瞳に乾杯をしたボガードは、よもやこんな使われ方をされるとは思っていなかったろう。
 ちょっとごめんなさい。

 本当はシャンパンカクテルを作って、「Here's looking at you, kid(君の瞳に乾杯)」という台詞で締めたかったのですが、流石にシャンパンには手が出なかったです。

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 まともな映画紹介と言うより、少し視点を変えて。
 書いてて楽しいし、何より無意味で無理矢理な関連付けは得意なほうなので、今後もコラボ記事は続けていく予定です。


●この記事で紹介したもの
 ・日清カップヌードル
 ・サッポロ一番
 ・映画『カサブランカ

2011年1月8日土曜日

梅太@ 2010まとめ:『劇場鑑賞作品』編

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

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 さて、2010年の映画を振り返る第二弾。
 この記事では、10年に劇場で観た作品について振り返ってみたいと思います。
 以下、観た順に軽く感想を書き、最後にTOP5を書いておきます。

 昨年と比べ、もちろん当社比ですが、少し長めなのです。
 というのも特に下半期はあまり感想を纏める時間が無く、このまとめ記事を書くにあたり、こりゃ良い機会だ!とエイヤっと書いてしまえというわけでして、そんないい加減な本性も見せつつ書きました。

 そんなこんなでやっぱり長めなので、お暇があるときに読んで頂ければ幸いです。


 では一挙にどうぞ!

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●(500)日のサマー
 ヒロインが季節の名前というところに鍵がある。
 季節が巡るように、出会いや恋路も巡っていく。
 来年また夏がきても、それは今年とは別の夏。
 過去を思い返せば、一日一日が掛け替えのないものだと思え、楽しくても辛くても、その一日は今の自分の糧になっているはずだし、その一日が欠けていては、今の自分はないともいえる。
 だからこれからも、出会ったチャンスには向き合おう。
 ポジティブになれる、大好きな一本。

●Dr.パルナサスの鏡
 悪魔の誘惑。
 危険だからこそ、それはまた甘美な響きに聞こえる。
 欲に身を任せると、必ず隣人に影響する。
 そんな誘惑と、人間は古くから戦ってきたのだ。
 ”誰にも出来ない表現”を追求していくテリー・ギリアムの姿勢が、最近妙に好きになってきた。

●ラブリー・ボーン
 娘が殺された。
 残された家族に対する救済とはなんだろう。
 事件の真相を暴くこと。犯人に謝罪させること。
 どれも正しいとは思うけど、この作品で提示された”忘れること”という救済の道は、とても悲しいけれど、同時に優しくもあると感じた。
 徐々に霧が晴れていく作品でした。

●ヴィクトリア女王 世紀の愛
 生まれた時から女王となる運命であった少女。
 周りに対する小さな反抗は可愛らしく、また大人になるにつれ女王という身分を自覚していく過程には、ある男性との恋があった。
 男と女が世にある以上、歴史を動かすのは愛なのだろうな。ちんけに響くかもしれないけど、単純にそう思った。

●コララインとボタンの魔女
 完璧である、ということほど、怖い物は無いのだと感じた。
 例えば均整のとれた能面、鏡に映した様にそっくりな双子、じっくり眺めていると、その完璧さに心寒さを覚えてしまうこともある。それは、人と接する態度も然り。余りに完璧な対応をされると、これは現実かと疑ってしまう。
 そんな世界は、実はこの世界とパラレルに存在しているのかもしれない。入り口は実は、すぐそこに存在しているのかもしれない。それを思わせるラストシーンの余韻が、僕は大好きであった。

●恋するベーカーリー
 子供の恋と、大人の恋。
 どこに違いがあるのだろう。
 大人になると、ましてや自分の子が出来てしまうと、そこには”責任”という二文字がつきまとう。
 だから子供の恋は純粋と扱われ、大人の恋は複雑であると言われてしまうのであると、この作品を見て思った。
 「あなたたちはいつも身勝手なのよ」
 長女が放った一言が、甘い恋の雰囲気をサッと吹き消した瞬間が、僕は大好きであった。

●ハート・ロッカー
 緊張感というのは、同時に快感も生んでしまう。
 爆弾処理という極度の緊張、死と隣り合わせという環境は、危険でありながらも主人公の心を掴んで離さない。
 そんな男が迎える結末は・・・納得のラストであったように思う。
 冷静に話しているけれど、実は手ぶれで揺れる画面に、結構参っていたのも事実。劇場を出た後、酔い止め(後飲みで効く奴)を買った。

●ニンジャ・アサシン
 この壁の向こうには、自由がある。
 暗殺者として育てられ、己の意志も抑圧される。
 主人公が思い描いた自由とはなんだろう。
 それを画として見せるラストが印象的だった。

●プリンセスと魔法のキス
 夢見る乙女じゃいられない。
 時流によって、プリンセス観というのも変わってきたところに面白味を感じた。
 また仲間の死を描くというのも新たな試みであった気がする。
 変わっていくべきなのかどうなのかはひとまず置いておいて。今後、プリンセスの新たな描き方がどう発展していくのか見届けたい。・・・が、それは叶わぬ夢に終わりそう・・・ちょっと残念。

●NINE
 この作品を、劇中の台詞を、この2010年の映画界に放ったことは、ものすごく大きなことなのではないかと思う。
 映画は夢である。夢とは憧れである。
 語られるお話、演技、撮影、音楽、そして編集と、それらには全て夢が詰まっていなければならず、観るものの憧れでなくてはならない。
 映画とは何だろうと数年前から考えていて、解決(は多分しないのだろうけど)への糸口を、また一つ与えてくれた、素晴らしい作品。大好きな作品。

●映画祭:桃まつり 弐のうそ
 ベテランの人が作った映画からしたら荒削りなのかもしれないけれど、余計な装飾がされていない分、”やりたいこと”がダイレクトに伝わってきた気がする。
 そのダイレクトさに直面したとき、”映画を作る上での大前提は、まずやりたいことを明確にすること”という、当たり前だけれど、観客は特に気にしなくて良いかもしれないのだけれど、そういう部分に気づけて、以降の映画鑑賞の仕方に大きな影響を与えてくれました。
 加藤監督、お誘いいただいて感謝しております。

●シャーロック・ホームズ
 黒魔術。
 取り扱った事件が、ホームズの推理観を問う題材であったことに拍手したい。
 「どんなに不可能と思えるような事実でも、あらゆる可能性を考慮し、排除して、最後に残ったのならそれこそが真実」

●ニューヨーク、アイ・ラブ・ユー
 街があり、人がいて、出愛(出会い)がある。
 「パリ、ジュテーム」よりも、知らない人との出会い、始まる恋、終わる恋というのを強調しているように感じた。

●ジュリー&ジュリア(再映)
 「何もうまくいかなかった日でも、家に帰ってチョコと砂糖とミルクと卵黄を混ぜると、確実にクリームになってくれて、ほっとするの」
 そう語るジュリー・パウエルは、ジュリア・チャイルドのレシピを完全再現しようというプロジェクトを立ち上げる。
 今まで見たことのない食材、調理法、写真(完成見本)のないレシピ本。成功する日もあれば、失敗する日もある。100%を与えたとしても、全てが帰ってくるわけではないのだと、いつしか彼女は、料理も人間関係と同じであることに気づいたのだと思う。
 妥協しろと言っているのではない。大事なのは、やりきること。
 料理を通じ、映画を通じ、そこに気付かせてくれた。
 万人に観てもらいたい作品。
 オールタイムベストの仲間入りです。

●月に囚われた男
 故郷に帰りたいと願う気持ち、真実を知ってしまい苦悩する姿。SFであり、仮想的な物語であるからこそ、そこを”想像”してしまった時の苦しさが辛い。
 月に着陸してから数十年、あそこはまだ、人間の想像力でいくらでも物語が展開できる場所であるのだということを、秘かにうれしく思っている。

●第9地区
 ロマンなのだ、これは。
 ラストシーンで感じたどうしようもない高揚感。
 僕は今後忘れることは無い。

●ソラニン
 詩を書いた人が、そこに込めた思い。
 聞いた人が、そこに感じた思い。
 ここには必ず差がある。
 そして”人生のどのタイミングで聞くか”によって感じ方にも差が生まれる。
 そういう差や、誰かの歌詞に自分の思いを乗せ、”自分の歌”として作り上げることが出来るという事は、僕はとても面白いことだと思う。

●アリス・イン・ワンダーランド
 ”大人”になったアリスは、もうワンダーランドへ訪れることはないのかな。

●オーケストラ!
 協奏とはなんだろうか。
 音を合わせ、一つにすること。そこには曲自体を理解することも必要だけれど、しかしその前提には、”人と”協調することが必要であると言える。
 あの人はどんな音を出すのか。そもそもあの人はどんな思いで舞台に立っているのか。
 オケに入り、自分の周りの沢山の音を知っていくように、隣の人を、舞台の上の友を理解して、初めて協奏は成立する。
 オーケストラは一つの社会である。主人公のこの言葉は興味深い。協奏の意味合いを考えさせられ、それが全て、ラストのヴァイオリン協奏曲で纏まる。素晴らしい作品。
 今年必見の一本。

●タイタンの戦い
 全知全能の神と、人間の違い。
 神はすでに完成させられたもので、人間はそれより数段劣るけれど、人間には”可能性”という武器がある。
 色々な話で語られる設定だけれど、そういう考え方は好きである。
 だからこそその”可能性”を利用しようとする悪魔がいて・・・あ、これは作品が違ってしまった。

●アメリ(再映)
 自分が今こうしている間にも、世界のどこかでは、全く知らない誰かが何かをしている。世界は常に回っている。そこを感じさせてくれるオープニングとラストが大好きだ。ヴォネガットもさくらももこも、国籍は違えど似たようなことを言っている事実にも、面白味を感じてしまった。

●9~9番目の奇妙な人形~
 目覚めたとき、世界は終わっていた。
 主人公たちはラストで少し希望を得たのかもしれない。でも”その先”を想像すると、やはり彼らには孤独が待っている気がして、とても寂しくなってしまった。良い作品。でも寂しい。

●処刑人2
 兄弟二人は、より過酷な戦いへと引きずり込まれていく。その展開は熱くさせられるものがあるが、前作で印象的であった「悪人ならば殺してもいいのか」という問いは、何だか薄れてしまった気がして、残念なようにも感じてしまう。

●ローラーガールズダイヤリー
 青春映画が、何故僕の目に眩しく映るのか。
 わかってきたような気がする。
 ”何を差し置いても、私はこれに賭ける”という姿勢を描くこのジャンルは、その主人公を観ながら自分の青春時代と重ね合わせているものと思っていたが、そういう生き方をしてこなかった僕は、憧れの目線で観ていたのだなと、最近思っている。
 それは置いておいたとして、ものすごく元気になれる作品。青春まっただ中のガールズ達に送るエンドロールのメッセージは、バリモアからの最高のプレゼント。
 僕、男だけど。
 浮気した彼氏に平手うちして立ち去るエレン・ペイジの姿は、最高にカッコいい。

●ブライトスター
 演技も映像も音も。思わず詩として表現したくなるほど美しい。
 やはり詩を理解するには、その場所に身を置くことが一番である・・・ということを、恐らくではあるが監督は理解していて、観客があたかもそこの空気を吸っているかのような情景を作り上げることに、全力を注いでいたのではないかと思う。
 「ヴィクトリア女王~」と重なるけれど、この作品で描かれたキーツという詩人の、その言葉の原動力も、やはり愛であったのかと。愛は偉大である

●告白
 何かをしようと思っても、人間には理性というブレーキがついている。
 ブレーキの使い方を知らない中学生、そんな彼らに娘を殺された女教師。
 女はブレーキをかけることをやめたのか、いややはりそこには、教師として、大人としてのブレーキをかけていたのではないだろうか。徹底的に精神をどん底に叩きつけているような印象を与えつつも、実は仄かに否を漂わせているのではないか。あの結末を、僕はそう解釈した。
 「笑っていいかわからなかった」
 ある観客のこの一言を引き出せたというだけでも、ものすごく価値ある一作品である。
 なぁんてね。

●アイアンマン2
 物語としても展開としても、アベンジャーズプロジェクトを意識しすぎたせいか、単品としての面白さに欠けてしまっている気がした。面白くするファクターは盛り沢山なのに、もったいない。
 ・・・が、ガチョガチョ動くマシーンに、やはり男子は燃えてしまうわけだ。

●ヒーローショー
 暴力の連鎖は止まらない。とても痛い作品であるが、僕が何より痛かったのは”自分の意見”を持たずに何となく生きてきた奴が、最後に生き残ってしまったこと。では自分の意見を持ち、主張する事っていったい何なのだろう、考えてしまう。

●アウトレイジ
 映画として観るザ・ヤクザという要素を盛り込んだ、ある意味楽しすぎる作品。ただそれだけを描いている姿勢が好きでした。
 大きなお世話だよバカ野郎。

●ハングオーバー
 笑ってしまう要素と、「あ、なるほど」と謎が繋がっていくストーリー展開が混じり合う、ちょっと異質なコメディ。とにかく楽しかった。

●借り暮らしのアリエッティ
 ファンタジーの要素は、実は身の回りにあったりする。草の根、床の下、頬を撫でる風。見えないところ、見えないものというは、人間の想像力を刺激する。
 子供の頃は、想像にあふれてた。あの時代に置き忘れた「わすれもの」を思い出させてくれる、良い作品でした。

●トイ・ストーリー3
 こういう考え方はあまり好きではないのだけれど、大人になる過程で、少年は何かを失っていく。子供の頃誰もが触れた”おもちゃ”を題材に、3部を通してそれを伝えきった。
 ただそれを、今この時代に、”ディズニーの足下”でやりのけたという事実は、すこし考えてしまう。

●インセプション
 寝ている間に見た夢というものが、余りに具体的に感じられ起きても記憶に留まっている時、たまに、これは現実かどうかを疑ってしまう場合がある。
 人間の感覚を司っているのは脳であり、夢を見るのもまた脳がある故だからだ。
 何を現実と捉えるか、ひとえに本人の選択次第、そこを感じさせるラストが印象的。

●ゾンビランド
 自分のルールに忠実な青年は、人と関わる上でも一枚壁を置いてしまう。
 またルールを守ってさえいれば、ゾンビに殺される事はないということも心得ている。
 しかしそれでは先に進めない、枠の外へ踏み出さなければ、それ以上の関係は望めない。
 ヒーローになれ。
 青年が一歩踏み出した瞬間の、なんと勇ましいことか。
 ゾンビが繁殖した世界と、殻をかぶってしまった現代人をリンクさせたこの作品は、その発想があったか!と、ただただ興奮させれた。
 必見の一本。

●ジェニファーズ・ボディ
 最低のことしかやっていないのだけれど、何だか目が離せなくなる、いや、くだらないことはくだらないけれど、良い映画。

●ガールフレンド・エクスペリエンス
 性とは、心を生かすと書く。
 「セックス・ボランティア」という本で知った言葉。肉体だけでなく、精神的に満たされてこそ性なのだろう。
 魅力的な女性を前に、すぐに体にいくでなく、自分の話したいことをとことん話し、それを聞いてくれる相手を欲している男性たちの姿が印象的であった。
 先に挙げた本を読んだ後、たまたま知った作品で、とても嬉しい出会いであった。

●仮面ライダーW 運命のガイアメモリ
 平成仮面ライダーを10年観てきて、いよいよ到達した答えがある。
 恐らく、平成ライダーの物語の中に、今の僕が求めるものはないのだろうな。
 卒業とまではいかなくとも、暫くこのシリーズとは距離を置こうと思っている。時がたてば、また何か発見があるかもしれない。

●ネコを探して
 人の観念は時代や環境と共に移りゆくもので、今の時代の観念を他の時代へぶつけ、比較することは難しいけれど、今も昔も変わらぬ客観的な目(ネコの視点)から見つめると、見えてくるものは沢山あった。外からの目は、僕たちを肯定も否定もせず、ただただ事実のみを突きつける。
 この作品を多くの人が見て、何かを感じ取って欲しいなと思った。
 必見の一本。

●ミックマック
 暴力の連鎖を描いた「ヒーローショー」とは対照的に、この作品はその連鎖を断ち切って解決していこうとする人たちを描いている。
 世界が平和でありますように。
 平和とはなんだろう・・・という問いかけでなく、それを作り上げていく一つのヒントを与えてくれる作品。
 ラスト、ドレスが舞うシーンで感じた、何ともいえない幸せな気持ちに、思わず涙がでてきてしまった。

●CHICAGO(再映)
 公開当時、僕は劇場でこの作品を見ていなかった。
 後にDVDで観たときに、本気でそれを悔やんだ。
 この7年間、いつかこの作品を劇場で・・・そう望んでやっと訪れたこの機会。
 作品自体の素晴らしさに、7年分の思いを添えて。
 もう感無量です。
 僕の映画人生に、一つのピリオドが打たれました。
 いや、終わりって意味でなくてね。

●ナイト・トーキョーデイ
 凛ちゃんがしゃべった!ということ以外、あまり覚えていない。

●キック・アス
 スーパーヒーローに憧れた青年は、全身タイツとマスクを被り、突如ヒーローとして街に繰り出す。
 彼が最初にした仕事は、迷子のネコを探すこと。そして、暴力を受けている人を助けようとして、結局自分もボロボロになってしまう姿は、決してカッコいいとはいえない。そんな極限の状態で彼は言う。
 「こうやって苦しんでいる人を、知らん顔で見つめている奴が許せないんだ」

 They can't fly "but" they can kick your ass.(予告編から引用) 
 ヒーローの条件とは何だろう。強靱な肉体を持っていること?超能力を持っていること?
 まず大事なのは、誰かの役に立とうとする、その姿勢なのだと思う。
 目の前に困った人がいる。僕はそれに対処できる力を持っているわけじゃないから、「これはできません」と言ってしまうのは簡単だけど、「”でも”、これならできます」と言える姿勢、どんなに小さなことでもいいから実行しようとする心構えを持とう。
 But
 というたった三文字で繋げた文章、紡いだメッセージに、僕はとても感銘を受けた。ヒーロー作品を多く引用し、描きたいことはそこだったのだ、と、僕は確信している。
 超必見の一本。

●特攻野郎Aチーム
 お金を使って大きなアクション映画作るなら、これくらいやってくれないと!
 爽快な気分にさせてくれる素晴らしい映画。

●恋人を家に送って歩く歩道
●シンガポール珍道中
 名画座にて。
 「恋人を~」
 昔のミュージカル映画に触れる機会が多くなってきた昨今、ミュージカル映画はストーリーよりなによりまず、出演者のパフォーマンスありきなのだと気付かされる日々が続く。
脚本がどうとか・・・と、観客が口うるさくなってきたのって、やはり最近のことなのかな。
 「シンガポール~」
 は寝てしまっていたのであまり覚えてない。

●ユリシーズの瞳
●霧の中の風景
 名画座にて。
 この二つの作品を観たことは、僕に大きな影響を与えた。
 映画館というものは、今ある現実を遮断した独特の空間で、そこに流れる時間は、スクリーンに映し出されている映画に依存する。
 その作品に流れている時間に身を任せることが、真に映画を観る(感じる)ということなのではないだろうか。
 この作品を見てからと言うもの、劇場へ入り席に着いたとき、僕は腕時計ははずすようにしている。

●ブロンド少女は過激に美しく
 偶像崇拝というものについて考えているときに、この作品に出会った。
 テレビ、スクリーンの向こう側にいる人を身近に感じたいという憧れ。
 その一線を越えることは、果たして良いことなのか悪いことなのか。憧れの人物の本性を観てしまったとき、思い描いていた姿との差を、自分は許容できるのだろうか。
 ラストシーンのヒロインの姿、ほんの一瞬のシーンだけれど、それで作中に散りばめられた要素を全て回収し、同じベクトルへ繋げてしまうストーリーテリングに、僕はゾクゾクしてしまった。
 必見の一本。

●REDLINE
 アニメというものの表現力の豊かさ、可能性を感じられた作品。
 CGが主流となった21世紀では、2Dアニメを制作すると「今の時代、あえて2Dで作ることで・・・」という前置きがついてきてしまうところが僕はあまり好きでなく、こういった優れた作品があるのだから、過去の技術どうこう言うのでなく、「これは一つの手法だ!」と、認知して欲しいなと願っている。

●ナイト&デイ
 いきなり現れた敏腕スパイと、それに翻弄されながら自身を変えていく女性の物語。二人の立場がラストで反転した時、knightとnight、題名の二重の意味に気付かされた。

●リトル・ランボーズ
 映画における編集という作業は、単にシーンを繋げるということでなく、”思い”(表現したい事柄)のピースを繋げていき、一つの物へと構築していく作業であることに改めて気付かされる。
 良くできた物語は、その世界に対する憧れを生み、人を異様なまでの高揚へ誘うことがある。思わず走りたくなるくらいの気持ちにさせられる。それくらいの力があるのだ。物語というのは。
 必見の一本。

●おまえうまそうだな
 「おとなになればわかるよ」
 恐らく誰もが、親に一度は言われたことのある台詞であろう。少し強がって、わかっているフリをしてみても、その真意はやはり掴めない。
 それがわかる瞬間は、その人と同じ立場になった時である。
 親の視点に立つ、あのとき親がもっていた責任というものを感じる。それが感じられて初めて、人は大人になれるのだろうと思う。
 視点と、責任の物語。これは「路上のソリスト」や「かいじゅうたちのいるところ」にも通ずるところがある。見比べてみても、面白いのでは?
 必見の一本。

●マチェーテ
 この手のジャンル物のツボをふんだんに盛り込んだ、ジューシーすぎる作品。
 とにかく笑わせてもらった。


●カモメ
●バーニャ伯父さん
●犬をつれた貴婦人
●6号室
 ロシア映画祭にて。
 時代によって国によって、映画のテンポが全然違うということはとても興味深い。
 お国柄、時代柄というものを考察する上で、社会科の教科書よりも勉強になる気がする。
 殆ど寝てたといえばそうなのだけれど、その中でも拾える物は拾って帰れたと思う。
 それにしても、ロシアの女性はまぁぁぁぁぁ綺麗ですよ。

●裏面
 ポーランド映画祭にて。
 時代がそうでなかったら、ヒロインはこんな殺人を犯したりしなかったろう。この殺人は、憎しみとはまた別のところに理由がある。
 何年経っても、必ず殺してしまった相手の墓(?)参りをする姿から、人がとる行動は、例えば表面を観れば憎しみに溢れていそうなものだとしても、裏面、つまり心理としては、必ずしも表と同じとは限らないわけで。

●メトロポリス
 名画座にて。
 未来都市を題材にした、サイレントムービー。
 トーキー以前の作品について、文献などで見聞きしていて、いつか観たい・・・と思っていた矢先、この2010に劇場で見れるという幸運な機会に恵まれた。
 人によって、トーキー以前で映画手法のその殆どは確立されたと論じる人もいるけれど、実際観てみると、わかる気がしてくる。


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▼5位:ウルフマン▼
 人の内に秘めた凶暴な衝動、よそ者を受け入れない”村”という集団。
 そういうものを”狼男”という存在に置き換えて語る。
 台詞、演技、映像、そして「連鎖していく呪い」という結末を迎える物語は、美しい悲劇を作り上げ、僕の心に響いた。

 悩んだ末の5位昇格。
 悲劇の面白さってなんだろう・・・という方に観て欲しい一本。

▼▼4位:マイレージ、マイライフ▼▼
 この作品は人との繋がりを描く。
 繋がりを描くだけで、それが大切かそうでないか、という断定はしない。まさに「up in the air(宙ぶらり)」な結末を迎える。
 人によって、コネクションというものの捉え方は違うが、生きていく過程で、必ずそれは必要になってくる。しかしコネクションを作るのが不得手な人もいる。
 そんな人の為に、この作品はあるのだと思う。
 この作品をきっかけに、誰かと人間関係について話してみようと思えば、もうそこにコネクションが生まれる。
 作品の物語として人間関係を語り、その作り方から、コネクションを生もうとする。
 そういう意図があったように、僕は勝手に思っている。

 すんなり決まった4位。
 観て考えて、行動に移して欲しい一本。

▼▼▼3位:ぼくのエリ、200歳の少女▼▼▼
 人は生きていく課程で、様々な自分に出会う。
 ポジティブ思考の人間と思っていたが実は打たれ弱い面を持っていたり。
 新しい環境に放り込まれたとき、人見知りである自分を知ったり。
 実はものすごく凶暴な感情を持っていたり。
 しかしそれらは自分を形成するパーツであり、否定すべきものではない。一生付き合うべきものである。
 大事なのは受け入れ、制御すること。それが成長と言うものだ。
 まるで自分の感情を具現化したような少女に出会った少年は、ラストで大きな成長を遂げる。
 ヴァンパイア=怪物というものをうまく使い、少年からの成長を描いた、素晴らしい作品。

 即座に決まった3位。
 ジャンル物好きに限らず、観て汲み取って欲しい一本。


▼▼▼▼2位:17歳の肖像▼▼▼▼
 一つは17歳の少女の青春の物語として。
 そしてもう一つは、彼女の周りを取り囲む大人たちを主軸においた、”教育とは?”という問いかけの物語として見れる作品。
 キャリアの道を押し進める教育者、親。
 そんな道を進まなくても、しっかり生きてる”外”の人たち。外の人たちにも、教養が無いわけではない。学校で得られる教養は無いにしても、”自立して生きていく術”を持っている。
 学校の内の人、外の人。将来への疑問を持ち始める多感な時期に、両方を一度に眺めてしまい、では何が正しいのか、少女は悩み始める。そんな彼女を観て、周りの大人たちも気付きはじめる。
 子供は自分の意志で一つの道("AN" EDUCATION)選択することを、大人たちは頑なにならず見守ること・導いてあげることを、それぞれ心がけて、教育というものに望むべきなのでは無いだろうか。

 泣く泣く降格の2位。
 是非、少女の視点だけで終わらず、もう少し広げて観て欲しい一本。

▼▼▼▼▼1位:かいじゅうたちのいるところ▼▼▼▼▼
 人は、何をきっかけに成長するのだろう。
 一つ挙げられることは、「自分を相手の立場に置き換えて考えられる」ということであると思う。
 子供の時。自分が全ての中心で、自分のことしか頭に無かったとき。誰かの言いつけに素直になれなかったとき。
 相手の立場に立ってみる、実際に立ってみなくても、よく考えてみる。そうすると、その言動の裏に潜む真意に気付く。それが第一歩。
 気付くだけでなく、間違いを認め、正すことができる。そこでもう一歩。
 文章にしてみると、一歩一歩のステップが明確になるけれど、実際これまで生きてきた過程で、それを意識したことはまず無いはず。だがそれを知っているのとそうでないのとでは、恐らく生き方が違ってくると思う。自分の子供ができたとき、その接し方も違ってくると思う。
 この作品は、その一歩のステップを寓話として形作り、言葉でなく”かいじゅう”という存在に託し、物語る。
 言葉として直接言ってしまうのは簡単だが、人から与えられた物は、簡単に流れていってしまう。メッセージを映像に漂わせ、気付かせる。自分で気付いた物は、新しい自分を形作る要素となる。
 絵本というものの持つ力を壊さず、さらに飛躍させ作り上げた素晴らしい作品。

 ここ数年で一番悩んだ末の1位。
 多くの人に観て、自分なりの何かを感じ取り、形作っていって欲しい。そんな思いで選びました。


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 ここで総評といきたいところなのですが、実を言うと2010年の真の1位は、とある未公開作品であるため、そちらのまとめ記事をupしてからにします。

梅太@ 2010まとめ:『予告編』編

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

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 さて、2010年の映画を振り返る第一弾。
 今年も予告編ランキングを付けたいと思います。
 基準は以下の通り。

 ・今年日本国内で上映された作品
 ・洋画の場合、国内版・海外版の違いも考慮に入れる
 ・インターネットやTVCM、つまり”映像媒体”の宣伝は含む

 例年通り、気に留まった予告編を、それなりに冷静にピックアップしていき、最後の今年の大賞を、まぁまぁの熱をこめてご紹介したいと思います。

 では、スタートです。

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●(500)日のサマー teaser trailer(特報)
 何よりナレーションがキモでした。
 「This is not love story, this is a story about love」(これはラブストーリーではなく、愛についての物語である)
 はて、ラブストーリーと、愛についてのお話とどんな違いがあるのだろう・・・?
 台詞も一切無く、あるのは期待を高まらせるナレーションだけと言うのもオツです。
 観ている側の掴み方がうまく、是非観てみたい!という気にさせてくれる、予告編のお手本のような作りです。

 

●かいじゅうたちのいるところ 1st trailer
 「wake up」の、元気が出るけれどどこか切ない印象も受ける曲調に合わせ、作品の世界観を伝えていく。
 特に中盤、走るマックス君を背中から写すショットをポンポン繋ぐところ、かいじゅうたちがただただ暴れているショットを繋ぐところ、子供の持つ爆発しそうなエネルギーをいうのを見事に表現していて、グっときます。



●NINE 1st trailer
 ミュージカル映画の予告編は、基本的に卑怯なくらい良くできていますが、この予告編は台詞を一切入れず、歌に合わせて劇中のミュージカルシーンをもったいぶって短くカットを変えていき、あぁ、これは絶対に観なきゃだめだなぁと思わせます。
 2nd trailerの「cinema italiano」もいいのですが、最初に出てきて衝撃的な印象を与えた1stが、やはり勝ち。

 


●キックアス I am Hit Girl
 これが予告編の第何弾かは忘れてしまいましたが、主人公キックアスを差し置いての単独フィーチャリングなこの予告編は、ヒットガールの魅力を存分に押し込み、アクションシーンも惜しげもなく魅せています。
 ただ惜しいのは、実際作品を見てみると、予告編で魅せすぎたのでは?と、ちょっと思いました。



●マチェーテ

 

 ・・・あ、間違えました。

 こっちがホンモノです。




 豪華な出演人がバカをやる映画の、その予告編ですから、バカさ加減炸裂なのですけれど、そんなところを笑ってあげられる人は、この予告編だけでもお腹いっぱいになると思います。
フェイク予告編の方が、実は好き。


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 さて、栄えある・・・かどうかは置いておきまして、今年の大賞は・・・


 
●マイレージ、マイライフ 2nd trailer





 なぜこの予告編を一位にしたか。
 予告編だけで楽しめる具合からしたら、上気した作品群の方が上なのですが、これは実際の作品鑑賞も通してウマいと思わせる予告編だったからです。

 この予告編を観る限り、とてもハートウォーミングな作品に思えますが、蓋をあけてみると、実はそう一筋縄では行かない作品でして、そういう作品とは思わなかった~と、良い意味で先入観を打ち破ってくれました。

 メディアが発達してきている現代では、いろいろなところで映画の情報を目にすることができ、TV何かを流していると、特に気にしなくても自然と情報が入ってきてしまう時代です。
 劇場へ行くまでに、何の先入観も持たずに・・・というのは、なかなか難しい時代なのかもしれません。
 だったらそれを利用してやるよ!
 あえて先入観を植え付けておいて、裏切る。
 そういう手法だったのかな、と、何となく思うのです。
 褒めすぎかな?勘違いかしら?
 何にせよ予告編での先入観があったからこそ、もっと面白く見れた作品であったことに違いありません。

 堂々の第一位!



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 そんな、2010年の予告編事情でした。
 下半期はあまり予告編をチェックしておらず、僕らしくない感じでありましたが、来年も期待作が多く、ノンビリはしていられません。
 今日から早速、予告編巡りです。