2010年2月28日日曜日

梅太@ 劇場:『恋するベーカリー』

この記事は パン食べたい・・・・と思う 梅太 の名の下にお送りいたします

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●恋はいつだってcomplicated:『恋するベーカリー
監督はナンシー・マイヤーズ。
出演は、底の知れない女優No.1のメリル・ストリープと、最近離婚した役多くないか?と思うアレック・ボールドウィン。

 原題は『It's Complicated』。
 ”複雑”という意味です。
 これを念頭において2時間を過ごすと、より一層、作品を楽しめると思います。

 僕はといえば、10分に一回「ハハ、複雑~♪」と笑っておりました。

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 ストーリーは。

 10年前。
 ジェーン(メリル・ストリープ)とジェイク(アレック・ボールドウィン)は離婚した。
 10年という歳月を経て、ジェーンの心は落ち着き、新居やベーカリー経営など、充実した日々を送っていた。
 ジェイクはといえば、若い女性と再婚をし、新たな生活をスタートさせていた。

 NYでの息子の大学卒業式。
 ジェーンとジェイクは偶然にも、同じホテルに宿泊した。
 そしてバーで語らい、一夜を共にする。

 以来、ジェイクの心には火がついてしまった。
 ジェーンも同じだが、この関係には疑問を感じている。

 自分の心の赴くままに生きればいいのか?
 それとも道徳を重んじるべきか。
 悩むジェーンの前に、新たな男:アダムも現れて・・・

 さて、ジェーンのとる選択は。

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 人生における、そして恋におけるComplicatedな場面を余すことなく集約した作品。

 オープニング。
 友人夫婦の結婚30周年記念パーティーに揃って出席していたジェーンとジェイク。
 この映画について何も知らされていない観客にとっては、仲睦まじい夫婦に見えたに違いない。
 そこに、二人に接近してくる若い女性をスローモーションで映す。
 その後に、意味ありげに、メリル・ストリープのアップを映す。
 この2ショットで、全てを把握させてしまう構成の美事さ。
 さすが、ナンシー・マイヤーズ。

 それ以外にも、この作品は言葉を用いない一瞬のシーン、一瞬の表情で、場の雰囲気を伝えるという手法が多いように思いました。
 離婚した夫婦、分かれた家族というもののもつ複雑(Complicated!)さを出すには、やはり言葉で言うより、”雰囲気”であらわした方が、見ている側が汲み取ってくれるのではないか。

 きっと、そういう思惑があったのではないかなと思います。

 そしてそれが、見ている側にしっかりと伝わったのは、監督の力もありますが、役者陣や、ナンシー作品ではおなじみとなったハンス・ジマーの綺麗な音楽にもよるところもあります。
 
 役者陣では、メリル・ストリープは言うまでもないですが、今回注目したいのが、彼女の子供役の3人。
 あまりにも素晴らしかったのでここでしっかり名前を挙げておきますが、長女ローレンにケイトリン・フィッツジェラルド 、次女ギャビーにゾーイ・カザン、長男ルーク(フォースは使いません)にハンター・パリッシュ。
 出演シーンが多くないにもかかわらず、とても印象に残りました。

 なぜなら。

 一度は離婚した夫と関係をもつ。
 聞いただけでは、人によっては理解に苦しむ設定ではありますが、その過程を誰もが共感をもてる要素を入れ込み、軽快にサラリと描いているので、物語が進むにつれて段々と引き込まれてしまいます。
 次の展開はどうなるのだろう・・・
 熟年の恋愛を描いているのに、何だか10代の恋愛を見ているように、ハラハラドキドキしてしまいます。

 それも絶頂を迎えようとする最中、この二人の関係は、3人の子供たちにバレてしまいます。

 眼に涙を溜め、長女はこう言います。
 「あなたたちはいつも身勝手なのよ。」

 この言葉は、二人の心に刺さったに違いありませんが、見ている側もドキっとさせられる一言。

 「恋は理屈ではない。」
 「愛してしまったのだからしょうがない。」
 「彼女の青い瞳、笑い声、細い膝、ハート型のアザ、話し始める前に唇を舐める仕草、全部好きだ。」

 これらは、恋愛映画では、度々聞かされる言葉です。
 しかしそれは、”誰と誰の”恋愛なのかによっては、そうはいかなくなります。

 特に今回描かれる恋愛は、熟年の恋愛。
 しかも、元夫婦。
 彼らには、いくら全員が成人になったとはいえ、”子供”という責任があるのです。
 もう手放しで色々なことをしていられる立場ではない。
 この作品に出てくる子供たちは、浮かれていた二人を、そして観客を、現実にスっと引き戻してくれます。(しかもシコリを残さずに!)

 そして子供たちのおかげで現実に戻ったからこそ取り得る二人の選択というのが、この作品をより一層、面白くしてくれるわけです。

 この他、「久々に家族で揃った食事会」のシーンなど、子供役の面々が、この作品において本当に良い立ち位置にいて、本当に良い雰囲気を作ってくれています。
 大物俳優達を目の前にしても霞むことのないの無い存在感、素晴らしかったです。


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 10代を描いた恋愛映画は、数多くあります。
 それは、誰もが通ってきた道だから、共感を得やすいという面もあるでしょう。

 その点、ナンシーが描く恋愛というのは、24歳厄年の僕は勿論経験したことが無く、年を重ねた人でも経験したことがある人なんて極僅かというようなものです。
 しかしそんな人たちにも、しっかりと物語に引き込んでしまう手腕に、改めて拍手を送りたい。

 そして、ジェーンとアダムの背中を映すラスト。
 二人はこの先、友達のままなのか、恋人になりえるのか。
 そういうことを想像する楽しさを残してくれたのも、とても良かった。

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 恋がしたくなる!というよりは、クロワッサンが無性に食べたくなる映画です。
 朝一で見て、お昼はパン屋へ行く、というのが良い選択だと思います。

 僕はといえば、レイトショーで観たので・・・そういうことです。

2010年2月21日日曜日

梅太@ 劇場:『ヴィクトリア女王 世紀の愛』

この記事は 偉人もやはり”人間”だよね・・・と思う 梅太 の名の下にお送りいたします

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●ヴィクトリア女王が生涯愛した夫との出会いを描く:『ヴィクトリア女王 世紀の愛
監督はジャン=マルク・ヴァレ。
出演は、プラダを着ながらハウス・クリーニングをし、休日にはジェーン・オースティンを読んでいる、僕の大好きエミリー・ブラントがヴィクトリア女王を演じる。夫アルバート公には注目の英俳優ルパート・フレンド。

 昨年の暮れに公開されましたが、観にいけてませんでした。
 エミリー・ブラントのファンとしてはあるまじき行為でありました。ここでお詫びしておきます。
 Bunkamuraの良いところは、一作品の上映期間が長いところです。
 公開から2ヶ月経ちそうですが、まだまだやっておりました。
 Bunkamura様々です。
 作品チョイスも良いですしね。
 ビバBunkamura。
 ・・・いえ、別にBunkamuraから幾らか貰っているとかそういうわけではありませんよ。

 イギリスを最強の帝国にのし上げたヴィクトリア女王と、彼女が生涯愛した夫との出会いを描きます。
  とても良い作品でした。

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 ストーリーは。

 生まれたときから女王になることを運命付けられていたヴィクトリア。
 ”いずれ女王になる”という立場から、周りの保護が厚く、自由なことは何一つできなかった。

 成長し、現イギリス国王が亡くなった。
 彼女は女王となった。
 しかし待っていたのは、周りの陰謀であった。
 ヴィクトリアを手中に収めようと多くの輩が画策する。
 しかし周りのあの手この手も空しく、彼女は一人の真っ直ぐな青年と真実の愛を育み結婚をする。
 それは彼女が始めて、本当の意味で自立した時でもあった。

 結婚しても、止む事の無い困難の嵐。
 しかし夫の機転と彼女の強い心で、やがてイギリスは最強の王国となっていく。

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 思えば近年の”女王様系”映画は、これでもか!というくらい僕の好きな女優を起用している。
 ”女王様系”というと、何だか別の意味に聞こえなくも無いですが。

 『エリザベス』シリーズでは偉大なるケイト・ブランシェット。
 『マリー・アントワネット』は、僕の中では殿堂入り女優キルスティン・ダンスト。
 『ある公爵夫人の生涯』は、美しきキーラ・ナイトレイ。(これは女王様ではないけれど)
 そして本作ではエミリー・ブラント。

 いえ、僕の好きな女優を唯列挙しているわけではなくて。
 配役が巧いなと、いつも思うのです。

 一人の人間の生涯を映画にするとしても、”どの期間”を描くかによって、配役というのは全然違ってくると思います。
 同じヴィクトリア女王を描くにしても、本作のように、まだ女王に成り立ての期間を描くか、後年を描いていくか(ジュディ・デンチを起用した『Queen Victoria 至上の恋』 )で、配役は変わってきます。
 それは勿論、年齢という問題はありますが、それ以上に、その女優の持っている雰囲気が大きいのではないでしょうか。


 そんな中、本作ではエミリー・ブラントが起用されました。

 ヴィクトリアは、いずれは女王になる運命。だから、周りが異様に過保護になる。
 一番の良い例が、「階段の上り下りは、誰かと手を繋いで行わなければならない」という規則だ。
 厚い保護の理由は彼女自身にもわかります。
 しかし子供の持つエネルギーというのは、抑えられるものではありません。
 でも爆発させることができないこの環境。
 そこで彼女が行う少しの反抗が、「最後の一段を、ジャンプして降りる」という行動。
 とてもチャーミングな反抗です。 (僕にとっては”犯行”でもありました。カワイすぎる。)


 そんなチャーミングな一面を残しつつも、自分の意思は曲げない強い面、悪く言ってしまえば子供っぽい意地を見せるところもある。
 まさに原題の『YOUNG VICTORIA』の通り、まだ若々しく威厳が備わってない、女王になりたての一人の女性を演じるにあたっては、このエミリー・ブラントは抜群に適任であったと思います。



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 演出という面では、とにかく良い撮り方をするのだ、この映画。 


 ファーストシーンから素晴らしかった。
 一列に並ぶ兵隊を、手前から奥に、徐々にピントを合わせて映していく。
 ”列”にはこんな撮り方があるのか!と興奮してしまった。

 また特に圧巻なのがヴィクトリアの載冠式。
 ひしめく人々が彼女に注ぐ視線を、ヴィクトリアはたった二つの眼球で受け取る。
 舞台の、そして事の大きさを巧く映しこんでいて、ヴィクトリアが味わっていた緊張感を本当に体感しているようでした。
 (顧問会議の入場シーンも素晴らしかった)

 あと細かい演出ですが、母と娘の捉え方も美事でした。
 ヴィクトリアの父:ケント公爵が亡くなったあとは、ケンジントン宮殿を仕切っていたのは、母と公爵の従者であったコンロイでしたが、この二人はヴィクトリアを支配しようし、ヴィクトリアと度々衝突をします。
 ですので、母と娘の仲は、決していいものではありません。
 序盤、二人が部屋で会話をするシーンがあるのですが、二人は直接眼を合わせることはしません。
 ここでは、お互い、”鏡越しに”目線を合わせる。
 ギスギスした二人の関係を、美事に画面に映しこんでいました。



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 さて、僕が劇中、一番見事だと思ったシーンは、ヴィクトリアとアルバートがチェスをするシーンである。
 ただチェスをしているのではない。
 チェスを、自分達の人生に例えて会話をしているのだ。

 「あなたは、自分がこの駒のように、誰かに支配されてると感じたことは無い?」
 と聞くヴィクトリアに、アルバートはこう答える。
 「ならばゲームの攻略法を見つけ、勝てば良い」
 つまり、自分の置かれたその環境を、壊すのではなく巧く利用し、打破すれば良い、ということだ。

 生まれながらにして”こういう”環境で育ってきたヴィクトリアにとっては、かなり効果覿面なアドバイスであったに違いないし、その後の彼女にかなり大きな影響を与えたはずである。

 アルバートのこういう機転は、プリンスとなった後も、彼女を支えていったと思う。
 (実際こういうやりとりがあったかは別としても)
 イギリスを最強の帝国へのし上げたヴィクトリアの背後には、こんな人物がいたのか。

 上に挙げた作品群で、王様が活躍しているという作品はあまり観られなかったけれど、このヴィクトリア女王と言う人物は、夫と本当に二人三脚で、国を支えていったのですね。


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 エミリー・ブラントを褒め称えた感じの記事に仕上がりました。

 しかしそれくらい配役が美事で、特にヴィクトリアとアルバートという夫婦の前向きな姿勢が作品全体に漂い、観ていて気持ちよかった。

2010年2月14日日曜日

梅太@ 劇場:『かいじゅうたちのいるところ』

この記事は 昔はかいじゅうだった 梅太 の名の下にお送りいたします

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●かつて”かいじゅう”だったすべての大人たちへ:『かいじゅうたちのいるところ
監督はスパイク・ジョーンズ。
主演はマックス・レコーズと、かいじゅうたち。


 この映画からもらったインスピレーションがありすぎて、どれをどうまとめていいか困って、公開二日目に観にいったのに今更ながらの更新です。

 たまに、こういう映画が出てくるのです。
 だから映画ファンはやめられない。

 まとめる方針が決まったのは、相方であるゲンさんの感想と、うちのちびっ子達の反応をつい先程聞いたおかげである。
 感謝したい。


 僕は、”絵本”という観点からまとめることにした。
 以前、「童話や御伽噺とは何だろう」ということを真剣に考えたことがあった。
 考えた末、

・第一ポイント:ただ楽しむという感覚
・第二ポイント:”何か”を”漠然とした感覚”として提供してくれる

 という結論が僕の中で出た。
 以下、それと併せて書いていこうと思う。

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 先日、ティム・バートンへのインタビューをまとめた『バートン・オン・バートン』という本を読んだ。
 この中でバートンは、

 「僕は御伽噺はあまり好きではないが、御伽噺の”精神”は好きだ」

 この一言が、僕に「童話や御伽噺とは何だろう」ということを考えるきっかけを与えてくれた。

 日本で言えば『桃太郎』『浦島太郎』等の太郎シリーズ、ドイツ(だっけ?)で言うと『グリム童話』が有名どころだと思う。
 子供の頃、こういうものを読んで、あるいは読んでもらって真っ先に思うのが、「楽しい」という感覚であったかと思う。中には「怖い」というものもあったかもしれない。
(僕は『やまんば』が未だにトラウマだ)

 では読んでもらって、唯「楽しい」と思ってもらえることが、御伽噺の精神だろうか。
 答えは、ズバリ、それで正解であると思う。これが「童話・御伽噺の精神」の第一ポイント。


 けれど、もう一歩深く踏み込むと・・・


 以前友人が教えてくれたことがある。
 「自分が表現したいことを形にするのが芸術家なんだ。」

 恐らく何かを創造する人は、自分が作り上げた作品に、自分が伝えたいことを込めている。
 ”しっかり思いを込めて作った作品”は、作者の思いが、作者の思ったとおりに伝わらなくても、見ている側にきっと、何かしらのインスピレーションを与えてくれる。

 そして僕が思うに、この”何かしら”が重要なのではないかと思う。
 ”漠然とした感覚”とでも言おうか。
 フェリーニの作品を観たとき、僕はこの感覚に触れる。
 何かすごく伝えたいことがあることはわかるのだけれど、それが何なのか具体的に言葉で形に出来ない感覚。
 彼が伝えたいことは何だったのか。フェリーニはもうこの世にいないから、その答えを知る由もない。
 でも正直に言えば、知りたくも無い。
 「フェリーニが伝えたいことはなんだったのかなぁ。あれかなぁ。これかなぁ。」と想像する時間が何より楽しいし、”自分なりの形”を見つけたときの感覚はかけがえの無いものだ。

 思い返せばこの感覚は、僕が幼少の頃、童話や御伽噺を読んでもらったときの感覚に似ている。
 「楽しい」は「楽しい」けれど、「もう一回読んで!」と何度もせがむくらい夢中になる”何か”が、それらにはあったような気がする。
 その”何か”は、これまで色々な経験を積み、色々な価値観に触れることで、24歳厄年になった今、僕の中で形となっていると思う。

 以上のことから、僕が推測する「童話・御伽噺の精神」第二ポイントは、「作者が伝えたいことを、読み手に”漠然とした感覚”として提示すること」だと思う。
 そして作者は「あとは自分で想像してね」と、後ろでニヤニヤしているに違いない。
 自分で想像して形にしていくことが、個性を育むことであると、僕は思う。



 大人になったからこそ考えられる、主に第二ポイントの話でした。

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 さて、ここからは、子供だからこそ感じられる点。
 主に第一ポイントに関する話題。

 ぼくはちびっこ2人に、お年玉と称して、この作品の前売り券を渡した。
 前売り券は、子供用は800円ですから、×2で・・・
 いや、安いお年玉ですいません。

 それをプレゼントした理由としては、彼らはこの原作を読んでいて、しかもとっても好きだから・・ということを聞いていたからである。

 そして、先程感想を聞いたわけであるが・・・

 「メチャクチャ楽しかった!」らしい。

 特に下の子の反応はハンパでなかったらしく、「かいじゅう踊り」のシーンではゲラゲラ笑いながら鑑賞していたらしい。

 そうそう、僕の欲しかった反応はこれなのだ。

 24歳厄年の僕が失いかけている、童話をただ「楽しむ」という感覚。
 うちのちびっこ達は、この作品を観て、そういう感覚を存分に味わってくれたみたいだ。

 そしてゲンさんの感想(いつかアップしてくれるはず)に書いてあったが、この作品は裏に潜んだメッセージがしっかりしている。
 僕もそれをしっかり受け止められたと思う。
 でも子供達がしっかり形に出来るほど簡単ではないと思う。如何せん、経験が足りないからだ。
 しかし僕はそれでいいと思う。
 多分、「楽しさ」と同時に、「漠然とした感覚」を、彼らは味わってくれたと思うから。
 今回の鑑賞では感じられなくても、恐らく何度か観ていくうちに、もしくは何度か思い返していくうちに、何かを感じてくれるはずだ。
 この作品はそれくらいの力を持っているから。
 そして僕はちびっこ達がいつかこの作品を振り返って、何かを考えて、そしてその何かを自分なりの形にしてくれればいいなと期待している。


 だからこの作品に関しては、僕達大人が
 「これ、かいじゅうが怖いから、子供達には見せられない」
 とか、
 「何が言いたいのかわからないから、子供が退屈しそう」
 とか、そういう理由で鑑賞の機会を奪うことはしてはいけないと思う。
 そもそも子供は怖いの大好きだし、何が言いたいかを貪欲に受け取ろうと思って鑑賞はしないと思う。
 彼らにとっては、童話は理屈ではないのだ。
 少なくとも、今の時点では。
 理屈に芽生える日がいつか来るのだから、今くらいは・・・


 「かいじゅう踊りのシーンで、ゲラゲラ笑っていた。」
 これだけで、いいではないか。
 この一言が、僕にとってどれだけ嬉しかったことか。


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 大人は大人で、内に潜むメッセージを読み取る楽しさ。
 子供は「かいじゅう踊り」でゲラゲラ笑うという楽しさ。

 大人には大人の、子供には子供の楽しみ方がある。
 これこそ、絵本の本質ではあるまいか。

 そして、そんな絵本の本質を汲み取って映像化したスパイク・ジョーンズの手腕には拍手を送りたい。



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 僕としてもまだ纏めきれてない部分があるので、この記事に関してはちょくちょく推敲を行う予定である。

Blogtitle更新:コラボ - 『I wanna hold your hand』

 

 タイトル部画像、更新しました。

 本日2/14から来月の3/14までは、バレンタインデー~ホワイトデーの時期であり、1年の中で最も『愛』というワードが使われる1ヶ月かと思います。

 という事で我がブログも、『愛』をテーマにしたタイトル画像を作成いたしました。

 題して、『I wanna hold your hand』。
 パクリ?
 勿論です。

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 愛情表現には、様々な形態があります。
 映画で出てくる表現も沢山です。
 見つめあったり。キスがあったり。ハグがあったり。
 「君の瞳に乾杯」なんて、カッコイイ台詞を決めてみたり。

 その中でも今回は、「手を握る」ということに注目してみました。

 伝えたい思いがある・・・
 言葉では恥ずかしい。
 そんな時、人は手をちょっと握る。
 ほんわか相手の気持ちが伝わってくる。

 そういう感覚を味わって頂ければなと思い、作成しました。


 ではこの1ヶ月間、皆さんそれぞれの方法で、愛を伝えてください。

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 今回の画像は、色々な映画の中から、手を握るシーンを集めてみました。
 2/14,3/14という日にちにちなみ、14作品から選びました。

 しかし如何せん、画像が小さいと思うので、大きい画像を以下に挙げておきます。

『Wall - E(ウォーリー)』


 背景画像に選んだのは、恐らく0年代で、完成度・評価ともにNo.1のラブストーリー、ピクサーが送る『ウォーリー』です。
 ウォーリーは言葉を発しませんが、だからこそ「手を握る」という描写がより活きてきます。
 ・・・思い出しただけで泣けてきた。


『コープスブライド』
 よもやティム・バートンがこんな極上のラブストーリーを作るとは・・・
 しかしバートンにしか描けないラブストーリーであったと思います。
 手違いにより、死体に求婚してしまったビクターに、死体の花嫁:エミリーが指輪を返す、ラストの場面です。


『ラースとその彼女』


 実は背景画像にしようか最後まで迷った作品、『ラースとその彼女』。
 主人公ラースは過去のトラウマから、人と触れ合うと体にピリピリと痛みが走ってしまうという症状をもっています。
 しかし意中の女の子との別れ際、その痛みに耐えてまでも握手がしたかった・・・という、とても素晴らしいシーンです。

『ラブ・アクチュアリー』


 ワーキング・タイトルが送るラブストーリーですが、その中から男女間の思いではなく、父子の繋がりが感じられるシーンを挙げさせてもらいました。
 実は血が繋がっていないこの二人ですが、”ある一つの目標”に向かって、親子の絆ががっちり結ばれた・・・というこのシーンはとても好きです。
 握手は何も男女間の特権ではありません。


『キミに逢えたら』
 男女間の特権ではありません・・とか言っておきながら、やはり男女の手を握るシーンは画になります。
 この作中で、元カノと本作のヒロインの間で揺れ動く主人公に、友人はこう言います。

「彼らはセックスより痛みより、歌うべきものを知っていた。
 『抱きしめたい(I wanna hold your hand)』だ。これってすごくないか?
 手を握れ。24時間絶倫とか、100年続く結婚なんて必要ない。やさしく手を握れば十分さ」

 この台詞を元に、今回のタイトル画像を作成しました。 

『キャスパー』 
 
 握手は何も、男女間、親子間の特権と言うわけではありません。
 幽霊と親交を深めるのにも用いられます。
 しかし相手は実態を持っていないから、触れ合えないというこの切なさ・・・

『ペネロピ』 

 
 主人公ペネロピは、豚の鼻を持って生まれてしまった女の子。
 彼女を100%受け入れてくれる結婚相手を見つけることが、呪いを説く方法でした。
 しかし姿を見られると、お見合いどころではありません。
 ガラス越しのお見合いが続く日々。
 しかし「この人は受け入れてくれるかもしれない・・・」という人が現れました。
 勇気を振り絞り、彼の前に姿を見せます。
 ・・・というシーン。


 ちなみに一つ前に挙げた『キャスパー』とこの『ペネロピ』、両方ともクリスティーナ・リッチ主演です。
 今回のタイトル画像の為に、良い仕事してくれました。 

『スラムドッグ・ミリオネア』
 幼い頃に分かれてしまった主人公とヒロイン。
 もう一度彼女に再会するため、彼はクイズ番組へ出場します。
 この時分かれてしまった道は、再び交わることができるのでしょうか。
 あえて”握っていない”手を入れてみるのもアリかと思って、挙げさせてもらいました。

『ウォッチメン』
 
 自分でも意外な選定とは思いましたが、これも面白いなと思って入れてみました。
 正義とは多用な形を持っているということを伝えてくれる、良い作品です。

『君が僕を見つけた日』

 

 時空を超えた愛もある。
 主人公はタイムトラベラー。将来結ばれることとなるヒロインとは、実は子供時代に出会っていたのです。
 しかし時間を移動していられる時間(変な言葉だな)はわずかしかない。
 元の時間へ戻る直前に交わした握手です。

『プライドと偏見』
 

 この画像は、馬車へ乗る際のエスコートとして、手を貸してあげるというシーンです。


 19世紀イギリス、形式が重んじられた時代、未婚の異性の肌が触れ合う機会はとても少なかったそうです。
 このシーンのあと、ダーシーの手がアップで写るシーンは、触れ合えたという些細な喜びを巧く表現しています。

『フローズン・タイム』
 ラスト、主人公がヒロインを連れて、新たな恋へ踏み出すシーン。
 この二人以外の時間が止まっているという映像は、とても綺麗です。
 今回挙げさせてもらった作品の中では、知名度としてはかなり低いかと思いますが、一見の価値あり。


『(500)日のサマー』
 
 この作品を挙げないわけがない。
 0年代が終わり、新たな10年がスタートした今年一本目のラブストーリーは、我がブログの管理人二人にとって消えない傷・・・失礼、忘れることの出来ない素晴らしい作品として心に刻まれました。

 今回、いつもとは趣向を変え、ちょっとロマンチックなタイトル画像を作らせてもらいましたが、そういうロマンスを求めるのは、男子特有のものかもしれない・・・ということを、『(500)日のサマー』は痛いくらい教えてくれます。



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 「あれ、13作品しかない」と気付いた方、気付いてくれてありがとうございます。


 あえて13作品で留めておいた理由は、ちゃんとあります。

 今回、「what's your story?」と一言書き添えさせて頂きました。これは、
 「14作品目は、是非、このタイトル画像を見た貴方達の物語を紡いでください」
 という思いがあります。

(本当は、良い画像が見つからなかっただけなのですが・・・)

 楽しんで頂けましたでしょうか。
 では、よいバレンタイン&ホワイトデーを。

2010年2月11日木曜日

梅太@ Blu-ray:『Pride and Prejudice』(US輸入盤、邦題:『プライドと偏見』)

この記事は Blu-rayの醍醐味を味わった気がする 梅太 の名の下にお送りいたします

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 日本では'06年に公開された、ジョー・ライト監督の長編処女作:『プライドと偏見』。
 この作品は、ロマンス部門では僕の中の一位です。
 (『(500日)のサマー』に抜かされそうな・・・イーブンかな)

 Blu-rayというと、近年のアクションやSF等、CGをバリバリに使った作品を味わうのに適してると思われます。
 しかしジョー・ライトのように、画や音を美しく撮る(録る)監督の作品は、綺麗さがより際立ち、お家鑑賞での感動を増してくれます。
 もっとも、劇場鑑賞にはやはり勝てませんけれど。

 しかし日本ではBlu-ray盤が販売される気配が無いので、ちょっと輸入盤を買ってみました。

 以下、内容にも触れていきますが、映像や音のグレードアップについての文が多くなるかもしれません。

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 とりあえず、『UNIVERSAL』のロゴが綺麗過ぎました。
 いや、それはいいか。

 この作品は日の出のシーンから始まります。
 静かな田園に、日の光が差し込んでくる。
 バックに流れるピアノの旋律と、鳥の囀りが重なり、溜息が出るほど美しいシーンです。
 劇場で観たときも綺麗だと思いましたし、DVDでも十分綺麗でしたが、Blu-rayはザラザラ感が無くなり、鮮明になっていたように思います。特に音が。


 夜のシーン。
 お家での鑑賞だと、TVの発色によるところもありますが、どうしても暗くなりがちです。
 19世紀を舞台にした作品というのもあります。電灯のような照明がありませんので。
 しかしAQUOSとPS3をHDMIという運命の糸(ケーブル)で繋ぐと、わずかな明かりで浮かび上がるキーラ・ナイトレイの顔立ちの、なんとも美しいことか。

 昼のシーン。
 太陽の明かりを、これほど活かしきった作品も近年無いだろうと思います。
 暖かみを存分に感じられます。
 衣装の白や薄い青などがよく映えます。

 さて、輸入盤Blu-rayを買ってまで是非とも観たかったシーン。
 恐らく観た人みんなの脳裏に焼きつくシーンだと思われます。

↓↓↓コチラ↓↓↓

 


 作品中盤、エリザベスが叔父家族と一緒にダービシャーへ旅行する。
 その道中の高原で、エリザベスが切り立った崖に佇むシーンです。

 このシーンの綺麗さ。『タッチ』の主題歌ではありませんが、思わず息をするのを忘れました。
 すぐにDVD版に入れ替えて比較してみましたが、全然違います。
 大げさに言うと、草の一本一本まで鮮明に写されていますし、岩の傷一つ一つがくっきりしています。
 控えめに言うと、ザラつきが無くなり、発色も綺麗になり、草の一本一本・・・いや、同じこと言うのはやめましょう。
 また影がはっきりしたおかげで奥行きが感じられ、ものすごく迫力のある映像となっていました。
 劇場で大スクリーンに映し出されたときの感動には敵いませんが、これはこれでまた違った迫力があります。

 ちなみに舞台は、ピーク・ディストリクトという広大な高原地帯だそうです。
 実写です実写。
 ごめんなさい、正直言って、『アバター』はこれの足元に及ばないと思います。僕は。
 2Dで、実写でこんな画が取れるなら3Dはいらないのでは?
 そう感じさせるほど迫力のあるシーンです。

 またジョー・ライトのニクい演出が、このシーンに移行する直前は、ナイトレイの超クロースアップという、とても窮屈な画が写されるのですよね。
 窮屈から一気に開放されることで、この高原の広大さがより引き立っています。

 このシーンをこういった形で観れたというだけでも、わざわざ輸入盤を買った価値はあると感じさせてくれました。
 読み込みが若干遅いのが玉に傷ですけれど。

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 さて、上記シーンを主軸にして、作品解説を少々させて頂きたいと思います。



 この作品は、19世紀の女流作家:ジェーン・オースティンの長編小説を映画化したもの。
 一目見たときからなんとなく気にはなっていたものの、上流階級の男の持つ自負、片田舎に住む女の誤解・偏見が、二人の恋の障害となっていくという作品です。

 作品中盤に向かうにつれて、エリザベス(キーラ・ナイトレイ)とダーシー(マシュー・マクファディン)の関係は拗れていきます。
 それはエリザベスの家族に対するダーシーの行いが誤解されたり、周りの人から聞いた悪い噂によるものです。
 しかしダーシーが渡した一通の手紙には、それらが全て間違っていたことが告白されてしまいます。
 だがいきなり全ての真実を知らされたエリザベスは、何を信じていいのか困惑してしまう。
 
 上記シーンへは、そんなエリザベスを外に連れ出そうと叔父家族が旅行を提案したところから繋がっていきます。

 作品を観ていると、このシーンを境にして、エリザベスの心境が変化します。
 旅行中、ダーシーの屋敷へ訪問をすることになるのですが、そこでのダーシーとの会話は、ぎこちなくはありますがこれまでの毒は抜けているように思います。

 このシーンを読み取る鍵として、俵万智の短歌を挙げさせていただきます。
 「今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海」

 自然の持つ広大さ、力強さを目の前にすると、僕達はなんてちっぽけなんだ・・・と思うことがあります。
 世界はこんなに広いのに、こんな小さなことで悩むなんて・・・

 広大な景色を目にすることで、エリザベスは「人に対する偏見なんて、何てバカらしいんだ」と、そう感じたのではないでしょうか。
 このシーンの直前の超クロースアップ(凝り固まった偏見の念)から高原へ一気に開放される(偏見なんてバカらしい)という流れは、そういった意味合いがあるのではないかと感じます。

 『高慢と偏見』とは巧く言ったもので、人と関わっていく上でこの二つは必ず付いて回ります。
 気をつけよう気をつけようと思っても、無意識のうちにそういった考えは生まれてしまうものです。
 そんなときは、エリザベスがそうしたように、外に目を向けてみましょう。
 何も、わざわざイギリスへ行けというわけではありません。
 いつでも僕達の頭上に広がっている空を眺めてみてもいい。
 ちょっと海へ行ってみてもいい、山へ行ってみてもいい。
 島国に生まれた日本人は幸せで、ちょっと移動すればそれがある。
 内に生まれてしまった思いに悩まされたら、外へ外へ。

 そうするとある日突然、苦手だった相手の、良い所が見えてくるかもしれません。

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 さて、僕のロマンス部門No.1の作品にもかかわらず、ロマンスなお話は一つも出てこなかった今回の記事。
 それはまたの機会にいたしましょう。

 Blu-ray買ってよかったです。

2010年2月9日火曜日

梅太@ 劇場:『ラブリー・ボーン』

この記事は あぁ、PJだったなぁ・・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします

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●少女の死による、その家族の崩壊と再生:『ラブリー・ボーン
監督はPJことピーター・ジャクソン。
出演は、青い瞳が忘れられないシアーシャ・ローナン、変態を演じきった素晴らしきスタンリー・トゥッチ、スーザン・サランドン、レイチェル・ワイズ、マーク・ウォールバーグ。

 ピーター・ジャクソン最新作は、近作『LOTR』や『キング・コング』とはガラリと雰囲気の違う作品となっていた。

 僕としては、シアーシャ・ローナンが、日本でやっと日の目を見ることが出来たみたいで嬉しい。
 ジョー・ライト監督の(現段階で)最高傑作である『つぐない』で鮮烈なデビューを果たしたローナンであったが、その後の作品は、日本では全てDVDスルー。
 今回久々に、スクリーンであの青い瞳を堪能することが出来た。


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 ストーリーとしては。
 サーモン家長女のスーザンは、いたって普通の女の子。
 しかしその普通の女の子に目を付ける隣人がいた。
 
 ある日、学校帰り、スーザンは隣人のハーヴィーに声をかけられる。
 彼が作った秘密基地(みたいなもの)に、一番最初に入れてあげようというのだ。
 誘いに乗るスーザン・・・しかし彼女が、そこから生きて出てくることは無かった。

 サーモン一家は、警察に捜索を要請。
 父は自らも探し始めるが、手がかりはつかめず。
 各自の重いが纏まらず、一家は崩壊の一途を辿る。

 スーザンは死んだのだ。
 しかし彼女の霊魂(?)がいる場所は、天国とこの世の間の部分。
 まだ現実世界と、少し繋がっていることがわかり、何とかコンタクトをとろうと苦心する。

 彼女が願うのは、残された家族の幸せ。
 「お願い、私の思い、届いて」


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 この作品は、後味が甘美でなく辛くも無く、どっちとも取れない感じが、何だかたまらなく好きだ。

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 冒頭は、シアーシャ・ローナン演じるスーザンのナレーションから始まる。
 「私はスージー・サーモン、お魚みたいな名前でしょ?私は14歳の時に・・・殺された」

 僕達観客は、いきなりこれを言われる。
 彼女の行く先は死である事を、否応なく知らされる。

 場面は、家族の団欒のシーン、好きな男の子との交流シーンへと移行していく。
 普通の女の子が普通に生きていれば普通に迎えることが出来る局面を並べているだけに、彼女がこの後迎えてしまう死というものが、何とも悲しい。

 そして、彼女の死の場面。

 ここで出てくるトゥッチの強烈な変態っぷりは、正直に言おう、逆に気持ちが良かった。
 ローナンには悪いが、あの場面はトゥッチの圧勝である。
 ズレる眼鏡を直す仕草が妙に合っていた。絵に書いたような変態だ。こんな男には近づきたくない。
 そんなシリアスなシーンに関わらず、僕の頭の中には「♪男は狼なのよ、年頃になったら気をつけなさい」とか、何とも懐かしい歌詞が過ぎった。


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 冗談はさておき。

 スーザンの死後、やはり印象に残るのは”この世とあの世の境目”の描写であろうか。
 バリバリにCGを用いたシーンになるわけであるが、PJが近作で鍛えてきた映像力が遺憾なく発揮されていたように思う。
 特に「ボトルシップ」のシーンは圧巻であった。
 現実世界で、父がコレクションのボトルシップを叩き割ると、”境目”の世界の海に浮いているボトルも割れる。これをロングショットで捉える。
 こんなダイナミックな映像は、日本の大作映画では決して観られないであろうと思う。
 このシーンだけでも観にいく価値はある。

 同時進行で、現実世界では家族の崩壊が描かれる。
 スーザンの妹が事件の真相を追う様など、一見するとサスペンスな雰囲気が漂う後半であるが、実のところ、それは作品にエッセンスとして1,2滴垂らしているに過ぎない。

 この作品はあくまでも、”家族”と”スーザン”の救済を描いているところが、僕がこの作品を好きなポイントである。
 スーザンが天国へ行く前に”やり残したこと”。見た直後は「え、そっち?」と思ったけれど、一夜明けてみると妙に納得してしまう。
 何故かと言えば彼女はまだ”14歳の少女”であったわけである。
 この世への未練といえば、あれしかないだろうし、何ともかわいらしいではないか(それがシアーシャ・ローナンとあっては、更にカワイさは増す)。

 また家族サイドは、夫婦の交流、妹の妊娠など、微笑ましい光景でお別れする。

 ここで面白いと思ったのは、僕達観客は事件の真相を知っているが、家族は結局、真相を知らぬまま時を過ごしていった・・・ということだ。(妹がとあるアイテムを発見しハーヴィーへ捜査が回るが、彼がスージーを殺したという決定的な証拠はつかめていない)
 「時が癒してくれる」ではないが、家族は家族なりに、この事件に決着をつけたのだと思う。
 どう決着をつけたのかはっきりとは分からないが、僕が思うに、それは”忘れる”ことだったのだと思う。

 そこで思い出されるのが、『エターナル・サンシャイン』でも引用されたアレクサンダー・ホープの詩の一節「忘却は許すこと」である。
 いくら最愛の娘を誰かに奪われたからと言って、その犯人をずっと恨み続けるのは、家族にとっても大きな負担となる。そして負のエネルギーとは恐ろしいもので、スーザンに罪は無いものの、いつの間にか負の矛先が”スーザン自体”に向けられてしまうこともあるかもしれない。「なんであなたは死んだのよ!」みたいに。
 いつまでも思い続ける。これは思われる方も、そして思う方にも、ある種の呪いとして降りかかる。

 だから、悲しいけれど、”忘れる”のである。
 事件のことを、犯人のことを、思い出さないようにする。
 それは犯人に対する”許し”というよりは、自分達に対する”許し”(救済)になる。

 そういう事を考えると劇中、スーザンの「そろそろ解放してあげなきゃ」という台詞はとても優しく聞こえてくるが、とても悲しくも響く。

 そうやってみんな、救済される道を見つけ出し、この物語は終わる。

 「私の名前はスーザン・サーモン、お魚みたいな名前でしょ。私は14歳の時、殺された」


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 実は観終わってすぐはそうでもなかったのだけれど、夜寝て起きてみると、何だか色々と糸が繋がっていった。
 そういうことってあるよね。
 ある朝目覚めると、「あ、この人とは無理だな」と思う事だってあるよね。あ、これは『(500)日のサマー』でした。 


 とっても良い作品であった。

2010年2月6日土曜日

梅太@ 劇場:『Dr.パルナサスの鏡』

この記事は あぁ、ギリアムだったなぁ・・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします

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●Let's Dance with Devil :『Dr.パルナサスの鏡』
監督はテリー・ギリアム。
主人公トニー役に、ダブルキャストならぬクオドラプルキャストで、ヒース・レジャー、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル。他、クリストファー・プラマーや、お人形のようなリリー・コール等。

 未だギリアムにハマったことのない僕が、また懲りずにギリアム映画を観にいきました。
 今回は意外や意外、終盤「おっ!?」と思わせてくれる(つまり、若干ハマってしまった)作品で、良い気分で劇場を去りました。


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 ストーリーとしては。
 今時馬車を引きながら、移動巡業するDr.パルナサスの一家。
 彼らのショーの内容は、セット上に用意した鏡に人を入れること。
 その鏡の中では、入った人の願望が形となって目の前に広がるという、魅力的なもの。

 しかし舞台外装がチープなので、今や誰の関心も引かない。

 ある晩、移動中に、一家はある男の命を救う。
 彼は自分の名前も、職業も、何も覚えていないという。
 そんな彼に不信を抱きつつも、彼の持っている”何か”に引き寄せられ、巡業の手伝いをさせる。

 しかし彼は知らない。
 この一家が、何故このような巡業を続けるのか。
 それは、パルナサスの過去に起こった、悲しい出来事に由来していて・・・


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 鏡の中には、自分の願望が形となって広がっている。
 それを幻想的なCGで観せるのが、本作の一番のウリであるように思う。
 (いや、一番のウリは”作品そのもの”より、ヒース・レジャーの遺作というところかな? )

 しかし、そこは如何せんギリアムのCG映像だから、ハマらない人はハマらない。

 作中、ジョニー・デップやジュード・ロウのパートを観ているときは「あぁ・・・またかギリアム」と思った。

 ギリアムの映像(というか頭の中?)は、『グリム童話』の世界観に、『不思議の国のアリス』の荒唐無稽な部分だけ抽出して、それらを混ぜ合わせた感じだ。
 つまり、起こっていること全てに突っ込んでいたら、キリがないということ。
 仏像の頭が回転しながら飛び去るし、女は浮いている。ミニスカートをはいたおっさんが踊るし、天に届く棒で竹馬もやる。手は話すし、宇宙に海月が浮いている。
 (ギリアムっぽいといえば、そうであるけど)

 ギリアムにCGというオモチャを与えると、荒唐無稽さだけが目立つ。
 つまり何でも再現できる故、メチャクチャになる。

 『ローズ・イン・タイドランド』の時は、このメチャクチャさが、僕をゲンナリさせた。

 しかし今回、オープニングの”馬車の荷台が舞台になる”という映像は僕を興奮させたし、舞台上で繰り広げられる、あくまでも”チープなショー”は、僕のツボにはまった。
 ガンガンにCGを使わなくても、ギリアムはいいものを持っているのに・・・と思った。
 鏡の中の世界も、この良い意味でのチープさをもってすれば、すごく良い絵になったと思うのだけれど。

 それが中盤、ジョニー・デップとジュード・ロウの・・・というのは、さっき話しましたね。

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 しかし今回秀逸だったのは、「悪魔との対決」という要素を入れ込んできているところだ。
 『ローズ・イン・タイドランド』の時とは違い、ストーリーがグっと面白くなっていた。

 何より、僕がそういった「悪魔との対決」という題材が好きだからというのもある。

 悪魔は怖い。
 何が怖いというと、彼らは人を誘惑してくる。
 僕らに安易で楽な選択をさせ、破滅に導く。
 それを嬉々としてやってくる。
 怖い怖い。
 でも彼らの誘いは、とっても魅惑的なのだ。

 Dr.パルナサスも、過去に悪魔に魅惑された人物だ。
 惚れた女性に近づきたい。でも自分は年をとり過ぎている。
 そこへ悪魔がやってくる。
 「お前に若さと、永遠の命を与えてやるよ。見返り?いやいやそんなもの・・・俺達は友達じゃないか。」
 幸せを手に入れたパルナサス。数年後にまた、悪魔が彼の元へやってくる。
 「いやぁ、幸せそうだね。そうそう、見返りの話だけれど、いずれ生まれてくる君の娘を俺にくれよ。嫌だって?じゃあ賭けをしよう。いやいやとっても簡単な勝負だから、君が勝つとは思うけどね」

 そんなことはない。すべて計算されているんだ。
 でも目の前の誘惑に、人間は勝てない。

 本作の物語の核を成すのが、娘:ヴァレンティナを賭けた、パルナサスと悪魔の対決だ。
 パルナサス優位かと思いきや、やはり悪魔の手のひらで踊らされてて、パルナサスは大切なものを、少しずつ、しかし確実に奪われていく。
 この絶望へ一直線な感じが、僕をゾクゾクさせた。

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 僕がたまらなく好きだったシーンを紹介しようと思う。

 パルナサスが奪われたものの一つに、”娘の信頼”がある。
 実は自分は賭けの商品だと知らされたヴァレンティナは自暴自棄になる。

 そこへ悪魔がやってくる。

 「さぁ、踊ろう」

 このシーンは、溜息が出るくらい素晴らしかった。
 赤いドレスのヴァレンティナ、黒いタキシードの悪魔、砕け散った鏡・・・と、映像的にも素晴らしかったし、掛かる曲も素晴らしかった。
 しかし何より、その行為自体に興奮させられた。
 ”悪魔と踊っている”のだ。
 こんなに幻想的で魅惑的なダンス、この世に他にあるだろうか。
  (あ、”この世”ではないか)

 悔しいけれど、このシーンばかりは、ギリアムにやられた。
 やるなギリアム・・・僕の負けだ。



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 欲を言えば、僕はこの作品は、絶望一直線のまま終わってくれた方が良かった。
 中にはそんなファンタジーがあったって、良いではないか。

 でもラスト、待ち行く女性にリンゴを与える悪魔に、ニヤリとさせられた。

 そう、僕達人間は、始祖の代から、悪魔には勝てなかったのだ・・・・


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 全然期待してなかったから、思わぬ収穫でありました。

2010年2月4日木曜日

梅太@ 予告編:『Kick-Ass』その2

この記事は 公開されなかったら泣く・・・ 梅太 の名の下にお送りいたします

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 前回コチラで、大熱狂しながら紹介させてもらった『Kick-Ass』ですが、新しい予告編が公開されたので、再度ご紹介させて頂きます。

 まずはこちら。




 今回注目すべきは、マクラビンことクリストファー・ミンツ=ブラッセ演じるレッドミストのキャラクター。


「よう!キック・アス!」
「おう、レッドミスト!」
 
かっこつけて飛び降りるけど・・・
 
「あ、足捻った」

 ・・・・完璧です!
 さすがブラッセ!
 


 これまであまり目立ってなかった、大根ケイジことニコラス・ケイジ演じるビッグ・ダディも登場するこの予告編は、ストーリーに触れた予告編っぽい予告編。
 やっと全貌が見えてきた感じです。

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 さて、次に紹介するのが、昨日公開された一番新しい予告編。
 特に目新しいものはないですが、一応ご紹介。



 やはり、クロエ・モレッツ演じるヒット・ガールの銃撃シーンは素晴らしい。
 特に、このシーン。

 
「カード残高が、不足です」(西東京バス音声風)→マガジン捨てる
  
あ、胸にマガジンあるじゃん
  
ポーイと前に放って・・・
  
そのまま挿入
 
「チャージが完了しました」(Suica風)
  
さぁ、思う存分撃つが良い・・・


 これはもう、映画のバレット・ヒストリーに名を刻みますよ・・・


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 そんな、おバカ満載、アクション満載の本作は、アメリカで2010年4月に公開。
 本国イギリスではもうちょっと早くお目見えのよう。
 日本で公開されなかったら、僕泣きます。

梅太@ 雑記:The Curious Case of ”Region Free Player”

この記事は あぁ、これでやっと・・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします

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 僕にとって、DVDソフトのリージョンの壁というものは、かつてのベルリンの壁並に強固なものであった。

 ・・・といったら過言である。

 まったくね、時を遡れば、バベルの塔なんて建てようとするからダメなのですよ。
 あそこでね、神様の逆鱗に触れなければ、今こんな問題は起こってないわけです。

 ・・・といったら過言である。

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 さて本題。

 念願の「リージョン・フリーBlu-ray/DVDプレイヤー」を購入した。

 これに合わせて、通販で輸入盤のDVDを数枚買っておいた。
 レパートリーは、最後にご紹介します。

 で、早速再生してみた。

 一応確認の為、今回買ったDVDを全て再生してみたのですが、途中、フリーズした。
 再起動してもディスクトレーが開かないという状態が10分ほど続いた。
 4回くらい再起動して、やっと正常になった。

 むぅ・・・もしかして、リージョンを破るって、結構無理させてるのかなぁ。

 問い合わせたところ、これは紛れも無い初期不良だそうです。
 交換を要求しましたが、もうこの商品の換えが無いそうです。

 返品しか道は無い・・・全額返してくれるそうなので、とりあえず一安心。 


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 と、いうのが先週の話。
 やはり輸入盤DVDを買ってしまった以上、後には引けないので、今度は入念にチェックして新しいプレイヤーを購入した。

 Pioneer製。
 一応海外品ではあるのですが、レビュー等を見る限り良さそうなので購入した。
 (そうか、前回は客評とかよく読まなかったからいけなかったのだなぁ)

 前回同様、輸入盤DVDを再生してみましたが、順調順調♪
 HDMIケーブルでつないでいます。
 ディスクを入れて数回、度々映像調整が入るのが若干ストレスかと思いますが、他はいたって問題なし。
 音に関しても、前回の機種と比べると力強さが違いました。


 今回の機種はBlu-rayは観れませんので、PS3との併用になっていくかと思います。

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 さて、購入したレパートリーのご紹介。
 輸入盤DVDは、基本的には日本語字幕は入っておりません。
 最近は、日本語字幕が入っているタイプも増えてきているようですが。

 しかし、この日の為に英語の勉強をしてきたといっても、過言ではない。
 成果が発揮できるか否か・・・


『Son of Rambow』


 ずっと、ずっと観たかった作品。
 07年にサンダンス映画祭で上映され、本国イギリスでは08年春に公開された『Son of Rambow』。
 今最も旬な女優:ズーイー・デシャネルが出演している『銀河ヒッチハイクガイド』(05)の監督:ガース・ジェニングス最新作であります。

 小学生のやんちゃな二人組みが映画を作るというのがコンセプト。

『How to lose friends and alienate people』





 僕の中での殿堂入り女優:キルスティン・ダンストの最新作は、日本ではDVDスルーすらされず。
 もう輸入盤買ってしまえ!ということで買いました。

 最近ヒット作の多いサイモン・ペッグ主演で、セクシーさもロボットには勝てなかったミーガン・フォックス等が共演しています。


 ・『Accepted』


 実は以前、一度見たことがあるのですが、面白かったのでこの際購入。
 『映画好きの二人』では度々話題に上るジャスティン・ロング主演のスクールコメディ。


『Lars and the real girl』


 僕が09度々話題にしていた・・・というより09年のNo.1作品。

 実を言うと、聞き取りたいけれどあと一歩で聞き取れない台詞を、英語字幕で確認したかったという理由のみで購入しました。
 日本版は英語字幕ついてないし・・・



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 よし、この週末はやっと、購入したDVDが観れる・・・