2008年11月7日金曜日

梅太@ DVD:『I'm not there』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 『I'm not there』は08年春に公開された作品。
 伝記映画ととれなくもないし、ボブ・ディランという人物をまったくもって知らない人には、単なるオムニバス作品ととられてもおかしくはないのかな。

 この作品はボブ・ディランという人物を、6人の俳優が演じるというスタイル。
 その6人の俳優と言うのがまた豪華なのです。

 放浪者:マーカス・カール・フランクリン
 詩人:ベン・ウィショー
 革命家:クリスチャン・ベール
 映画スター:ヒースレジャー
 ロックスター:ケイト・ブランシェット
 無法者:リチャード・ギア
 
 いろいろな側面を持つ掴みどころのないボブ・ディランを表現しようとしたのですね。

 さて、僕はボブ・ディランという人物をあまり知りません。
 ではなぜこの作品を観ようかと思ったか。

 予告編のケイト・ブランシェットがあまりにもカッコよかったからさ!!
 そしてこの作品を通してボブ・ディランを知ろうと思ったわけでもなく、正直ケイト・ブランシェットの演技が見れれば良かった。

 でも、良いインスピレーションを与えてくれたと思う。

 ボブ・ディランは確かに、いろいろな側面を持っていると思う。
 でもそれは、僕たちにもいえることなのではないだろうか。

 大学へ行く僕。
 実家での僕。
 中学の友達と会っている時の僕。
 高専の友達と会っている時の僕。
 高専のサークルの人たちと会っている時の僕。
 そしてこうして今、ネット上でこの記事を書いている僕。

 果たして、どれが本当の僕かと聞かれて、答えられるのか。
 どれも自分であり、どれも自分でない(I'm not there)かもしれない。

 また、革命家時代までは野心的な印象を受けるが、ロックスター以降というのは、わりと世間に対して無関心な面も見せる。
 それは恐らく革命家として奮闘し、そして革命が起こっても変わらない世の中・・・というのを経験したからかもしれません。
 では果たして、どれが本当のボブ・ディランなのかと言われると、どうなんでしょう。
 彼は有名な人物ではあるけれど、転がる石のように、世間の流れに任せて生きようとした、一人の男ということに変わりはないのかな・・・と感じた。
 (ここでいう世間の流れというのは、音楽的なものもあるし、アメリカが辿ってきた歴史というものも含む)


 さて、映画の終盤、ケイト・ブランシェット演じるロックスターは、車中でインタビューに答えている。
 そこでこんな一言を放ちます。

 「歌詞の無意味さこそ崇高なのに」


 僕は歌手ではないので、歌手の人がどのように詩を作るのかわからない。
 ものすごく重要な意味を含ませている歌詞もあるかもしれない。
 でもその意味というのは、人によって捕らえ方が違ってくる。
 100人いれば100通りの解釈がある。
 ではどれが本当の意味なのかというのは、結局はわからない。

 ここでいう無意味とは、本当の意味を追求することなんて無意味なんだと、そういうことを言っているのではないだろうか。
 100通りの解釈ができる。人によっていろいろな見方ができる。それこそ、崇高なことなのではないか。

 実態をつかめないボブ・ディランという人物を表現した、見事な言い回しであると思いました。


---------------------------------------------------------------------------


 最後は、わかったようなわからないようなことを書いてしまいましたが、今回僕が言いたいことは結局これ。


 ケイト・ブランシェットがカッコよかった!!


 "カッコイイ"という言葉がこれだけ似合う女優もそういないだろうな。
 ということでケイト・ブランシェットのカッコよさ満載の予告編は↓↓

 

0 件のコメント: