2008年11月13日木曜日

梅太@ DVD:『君に読む物語』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

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 今日は04年に公開された恋愛映画『君に読む物語』について。
 映画自体は以前に見たことがあったのですが、先日この原作となったニコラス・スパークス著の同名小説をBookoffで発見し、購入。
 読み終えた後、もう一度レンタルして見直してみました。

 主演はライアン・ゴズリングレイチェル・マクアダムス
 
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ストーリー:
 ある夏の出来事。
 都会から来ているお嬢様アリー(レイチェル・マクアダムス)に一目惚れをしてしまったノア(ライアン・ゴズリング)。
 まさに燃えるような恋をした二人であったが、将来歩む道のすれ違いから破局を迎える。
 時が過ぎ、アリーは婚約。ノアはあの夏を思いながら、自分で購入したボロ家の改装を達成する。
 改装された家は新聞に載り、アリーは偶然、その記事を目にする。
 過去との決別をつけるため、ノアのもとへ訪れるアリーであったが・・・

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 まず一言いわせてもらうと。
 原作小説があまりにも素晴らしすぎる

 原作のお話は、映画版の後半部分から始まります。
 つまり、燃えるような恋から幾年が過ぎ、アリーとノアが再会するところから。
 映画での前半部分であるノアとアリーの出会い、共に過ごした夏の思い出というのは、原作では合間に少しずつ語られる程度。
 確かに、原作は二人の出会いについて細かく語っているわけではない。そこを知りたいと思うのが人の常でありまして。
 映画版はそこを細かく・・・という姿勢は、評価できる部分だと思います。

 しかし原作では、その出会い、燃えるような恋をした夏をはっきり描かない分、成長した二人の台詞・行動の節々に込められるあの頃の思いというのが、なんとも言えない切なさを含んでいるのですね。

 文章表現も見事。
 映画も小説も、ストーリーが基軸なのは変わらないですが、ストーリーが面白いだけでは観客は惹きつけられないわけです。
 やはりそこには、演出というものが存在する。
 映画であればカメラアングルや編集の仕方、音楽、もちろん俳優の演技etc...
 小説で言えば、文章表現がそれにあたるわけですね。

 田舎の田園や湖といった風景の描写もさることながら、二人の内面の描き方が素晴らしい。
 特にノアのアリーに対するとてつもなく大きな愛情。この表現の仕方は、読んでいる僕も思わず切なくなってしまいました。
 僕は映画でも小説でも、愛の肉体表現というのを見ている(読んでいる)のがどうにも苦手でして、こういう内面的な愛の表現が見事な作品に出会えたことは喜ばしいことです。

 さて、原作を読み終え改めて映画版を見てみると、前半部分がなんとも陳腐な印象を受けてしまった。
 前半部分と言うのは、ティーンエイジャーの頃のノアとアリーの思い出というパートです。
 初めて映画を見たときは中々良いように映ったのですけれど、なんでしょうね。
 猛烈に愛し合ってます!というのは、それだけ見せられればわかりますよ!と言い返したくなるくらい。


 多分、原作を知らなければ、いい印象のまま僕の心に刻まれた作品だったのですが。
 僕は映画の原作小説は、興味を持った作品は読むようにしているのですが、読んでもお互いの(映画版と原作の)印象が悪くなるというのはないのですよね。
 こういう経験は初めてですね。
 僕のモノの見方が変わったせいもあるかもしれないですけどね。

 ただ、インスピレーションを与えてくれた劇中の台詞が一つ。

 「僕も、ヤツ(婚約者)も親も関係ない。君が何をしたいかだ!」

 これは、アリーがノアを選ぶか、世間体もろもろ含め、婚約者の方を選ぶかで迷っていたときに、ノアにいわれた一言。
 ここでアリーは「どれを選ぶにしても、誰かが傷つくわ」ということを言います。

 そうなのですよね。”選択”と言うのは難しいもので、バタフライ・エフェクトみたいなことを言えば、誰かのほんの小さな行動でも、周りの誰かに影響を与えているのかもしれません。
 人には親切にね・・・ほとんどの人がそう言われて育ってきていると思いますが、目に映る範囲の人でさえ傷つけてしまう恐れがあるのに、もっと沢山の人のことを考えるには、人間一人というのははあまりにも小さすぎる。

 そこは、傷つける人を最小限に抑えるか、誰かが傷つくことは関係ないと割り切るか、悩んで悩んでそのままにするか。
 僕は優柔不断なタイプの人間ですので、この一言に対し、なんとなくそういうことを考えてしまった。



 本日のまとめとしましては、ニコラス・スパークスの原作があまりにも素晴らしすぎた。
 ただ前述しましたが、原作では深く語られなかったノアとアリーの出会いというのを描こうとした姿勢は評価できます。
 しかし改めて見ると、ややしつこい印象を受けました。でもラストは良くできているので、帳消しかな。


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 レイチェル・マクアダムス関連で。
 エリック・バナとの共演で、『Timetraveler's wife』という恋愛小説を映画化します。著者はオードリー・ニフェガーという人です。
 日本では最近、『きみがぼくを見つけた日』と改題して出版されています。
 題名に惹かれたので先日購入し、読んでみました。
 設定が非常に面白く、筋書きも素晴らしいです。途中、ややテンポダウンする印象も受けますが、かなり良作です。
 映画版ではこのテンポダウンする中盤を、うまい具合に調整してくれることを祈っています。

 一応、08年全米公開のはずですが、未だにメディアに宣伝はされていませんね。(劇中スナップショットが数点のみ)
 来年に延期かなぁ。

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