2009年12月20日日曜日

梅太@ 劇場:『カールじいさんの空飛ぶ家』

この記事は ”人生”そのものが、冒険だな・・・と思う 梅太 の名の下にお送りいたします

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●”夢”で膨らませた風船で、いざ、冒険へ:『カールじいさんの空飛ぶ家』
監督はピート・ドクター
声の出演は、エドワード・アズナー他。

 実は、ゲンさんと一緒に東京国際映画祭(TIFF)ですでに観賞済。
 ゲンさんの感想はコチラ
 今月5日に公開され、パンフを買いにいったとき、すごく良いタイミングで入場を開始していたので、2回目を観てしまった。

 大好きな作品だ。

 いや、TIFFのあと、カレーうどんを食べながら、ゲンさんが感想で書いているようなことを、「あれが、あぁでこうで・・・」というカンジで話したのは事実だ。発言したことを否定はしない。
 でもそれら要素を抜いても含めても、やっぱり僕は好きな作品なんだ。
”好きさ加減”で言ったら、最高傑作と謳われている『ウォーリー』(いや、これはまったくもって否定はしないけれど)より、僕はこっちの方が好きかもしれない。


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 僕は、SFとか、アドベンチャーが大好きだ。
 この世はでっかい宝島だと思っている。

 SF小説で言えば、ジュール・ベルヌとかが大好きだ。
 科学的な証明よりも、人間の空想力が勝っていた時代の作品が、特に好きだ。

 だから、この作品の特報で、風船で浮き上がる家を観た時、「これはイイ!」と思った。
 風船で空を飛ぶなんて、絶対に無理なんだけれど、それがSFだろう?と。それがアドベンチャーだろう?と。
 ヘリウムでなくて、夢が一杯詰まっているんだ。あの風船には。 

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 この作品は、オープニングから僕の心を掴んで話さない。
 主人公カールが、風船を持ち、散歩をしているシーンだ。
 ここのナレーションでは、冒頭で上映されていたニュース映画のナレーションが響く。
 カールは、谷を超え、山を越え・・・
 しかし、谷は、単なる道路のヒビ割れだし、山は小さな切り株だ。
 でも、思い出して欲しい。
 僕らが小さな頃にやっていた冒険ごっことは、そういうものではないだろうか。

 例えば、横断歩道の白線から落ちると溺れるとか。
 商店街の道路の変な模様の、赤い部分だけ踏まないといけないとか。

 子供の頃って、なんでもかんでも自分なりにルール(設定)をつけて、冒険していなかっただろうか。

 なんか、そういうことを思い出してしまった。あの5分もないシーンで。
 年取ったか?僕は。


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 散歩の最中、カールはエリーと出会う。
 恐らく、観た人の誰もが落涙したシークエンスが、ここから始まる。

 このシークエンスが終わると、いよいよ本編・・・といった雰囲気になる。

 エリーに先立たれたカールの置かれた現状は、良いとはいえない。
 都市開発の為、周囲が開拓されていく中、カールは一人、「この家は渡さない」と抵抗する。
 ここはエリーとの思い出の場所。
 彼女と、冒険について語り合った時間が、詰まっている場所。
 譲るわけには行かない。

 しかし、ちょっとした傷害事件がキッカケで、立ち退きを余儀なくされる。

 そこでカールじいさんが取った行動が・・・

 そう、風船を家に取り付けて、飛び立ってしまおうという作戦だ。
 行き先は南アメリカ。(アメリカといっても、南なんだ!)
 そこは、カールとエリーが出会った日、エリーがいつか行ってみたいとつぶやいた場所。
 そして、「キミがつれてって!」と誓わされた場所。

 カールじいさんの冒険が始まる。



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 カールの冒険は、思うようには進まない。
 最大の要因は、飛び立つときに何故か家の玄関にいた、ラッセルの存在だ。
 彼はいわばジュニア・リーダーみたいな集団に所属していて、お年寄りを助ける為に、最近カールに付きまとっていた。
 今日も、おじいさんを助けよう!・・・とカールの家に来てみたら、一緒に飛び立ってしまった、という感じだ。

 しかしラッセルの存在は、カールが忘れていたものを、徐々に取り戻していくキッカケとなる。
 そしてカールが知らなかったことを、気付かせてくれることとなる。

 道中、ラッセルが、彼の家族との思い出をカールに話す中、ポツリとつぶやく。
 「僕の話は面白くないかもしれないけれど、つまらないことばかり思い出すんだ・・・」

 人生において、本当に大きな出来事って、いくつあるだろう。
 恐らく、両手で数えてもお釣が来るのではなかろうか。

 あとは細かい出来事の積みかさねではなかろうか。


 自分の人生を振り返ったり、人に、過去の出来事を話したりする機会がある。
 話してる時は夢中になって話すけれど、ふと俯瞰してみると、なんだかすごくちっちゃいことを話してるのではないかと思うことがある。

 でもそれは、本当にとりとめのないことだけれど、そういうものこそ、実はかけがえのないものだったりするのではないか。

 旅の道中、カールは、『ADVENTURE BOOK』を開く。
 これは、エリーが小さいときからつけていた、冒険の記録だ。
 あこがれていた冒険家:チャールズ・マンツの活躍の記事を貼り付けたり、自分が探してきた宝物を貼り付けたり、メモしたり。
 しかし、その本は、途中で終わっていた。
 「ここから先は、南アフリカに行ってから付け足していくんだ!」
 エリーはそういっていた。
 だから、私の冒険は、まだまだ白紙で一杯だ。

 ・・・・そう思っていた。

 しかしエリーの死後からは初めて開いた『ADVENTURE BOOK』には、続きがあった。
 それは、エリーがこっそり記録していた、冒険の記録だ。

 その”冒険”とは、カールと過ごした”日々”そのものだった。

 『ADVENTURE BOOK』に貼られた、沢山の写真。
 車に乗った二人、山頂で座る二人、掃除をする二人。
 それらは、南アフリカの冒険とは、似ても似つかぬちっぽけなものだった。

 しかしそういうちっぽけなものは、エリーにとってはすべて冒険だった。
 そう、なんていったって、人生で初めて経験することばかりだったから。
 これを冒険といわずして、なんと言うであろう。

 最後のページには、エリーのメッセージがあった。

 「ありがとう。新しい冒険を見つけて」

 私の冒険に付き合ってくれて、どうもありがとう。
 ここからは、あなたの好きなように冒険して。

 そう言っている様に、僕は思った。

 そして死ぬ間際、伴侶に「ありがとう」と言える人生って、素敵だなと思った。

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 過去の冒険(南アメリカへの憧れ)に決着をつけ、カールが見つけた新しい冒険、それは、ラッセルとの関わりだった。

 エンドロール前半は、そんな二人の冒険の様子を垣間見れるとても楽しいものであった。
 (一番笑ったのは、『STAR WARS』を二人で観にいっている写真)

 エンドロール後半も、画面の余白部分に大冒険が展開されていた。
 キリンの絵を描き「彼はどうやって水を飲むの?」というカワイイ疑問。
 道で拾ってきた名も無い花を貼り付けたり。

 毎日、「これって発見だ!」と思って過ごす人生って、すごく楽しいよね。
 そんなことを思わせる、とても素晴らしいエンドロールであった。




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 確かに、ゲンさんと話したときのように、ツッコミどころはあるにはある。
 恐らく70を超えてるであろうじいさんが、はしごで宙ぶらりんできるのかどうか・・・とか。
 「カールとエリーの二人揃った写真って、誰が撮影してたの?」とか。

 まぁそこはとりあえず置いておこう。

 この作品はやっぱり、最初から最後まで、冒険に、そして楽しさに満ち溢れた宝物のような作品であった。

 大好きだ。


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 どこかのTV番組で「ピクサー初の人間が主人公の作品」と言っていたけれど、僕の大好きな『Mr.インクレディブル』は、含まれていないのかな?
 あれは人間ではなくて、超人だからか?

 とりあえず、ピクサー作品をBlue-rayで揃えたい今日この頃。

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