2010年1月9日土曜日

梅太@ 劇場:『(500日)のサマー』

この記事は 今年が厄年なんてウソ!・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします

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●デシャネルに恋しないなんて無理:『(500)日のサマー』
監督はマーク・ウェブ。
主演にジョセフ・ゴードン=レビット、So CuteでLovelyなズーイー・デシャネル。

 僕は今年は厄年みたいです。
 が。
 年明けからこんな素晴らしい映画に(デシャネルに) 出会えるなんて・・・少なくとも、映画的には厄年ではないみたいです。

 マーク・ウェブ監督が、僕を本気で殺すために(萌え死にさせるために)作ったこの映画。
 この先10回でも100回でも観させて頂きます。



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 ストーリーは。
 男は、運命の愛を信じていた。
 女は、運命の愛なんて無いと思っていた。
 そんな二人が職場で出会った。
 運命だと信じる男、恋なんて・・・と思う女。
 そんな二人が過ごした500日の物語。

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 冒頭で爆発してしまって申し訳ありません。
 デシャネルが素晴らしいのは言うまでも無いですが、それを抜いても(・・・いや、抜いたらダメか、それは置いておいて)、これは作品自体がものすごくよく出来ていました。

 二人が恋する500日は、時系列をバラバラにして語られます。
 まるでタランティーノ的な演出は、この作品を素晴らしいものに仕立て上げるのに一役買っています。

 「なんでバラバラに語るの?」と思われる方は、自分の過去を思い返してみて欲しい。
 例えば「高校生活」を振り返ってみる。
 あなたは入学式から順番に思い返しますか?
 いやいや、やはり楽しかった思い出が、真っ先に思い返されるはずです。
 そして、恥ずかしかったこと、つらかったこと。それらは必ずしも、順番に起こっているわけではない。
 しかし行き着く先は最終日、「卒業式」のはず。
 恐らくは都合の良い出来事を沢山思い返すとは思うが、人間なんてそんなもの。

 そう、これは、サマー(ズーイー・デシャネル)に未練タラタラなトム(ジョセフ・ゴードン=レビット)が、あの500日を思い返しているのだ・・・と思えば、とても理解しやすいはず。

 しかも内容が全て男目線なので、男としては、共感せざるを得ない部分が多い。
 ロマンス映画は、なんとなく女性のものという風潮があるが、男の為のロマンス映画の金字塔として、今後語り継がれることだろう。


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 さて、デシャネル爆発タイム。
(僕のデシャネル溺愛ぶりは、ココとかココとかココとか特にココでご覧いただけます)

1:
 とにかくデシャネルが良いんだ。最高なんだ。
 エレベーターでいきなり、ヘッドホン越しに「アタシもスミスが好きよ」とか言われたら、誰だって恋するだろ。間違いないだろ。

2:
 実際にはその会話シーンは出てきていないのだが、トム曰く「『バナナフィッシュ』の話で20分盛り上がった」らしい。
 『バナナフィッシュ』とは、もちろん『バナナフィッシュにうってつけの日』のことだ。
 J・D・サリンジャーの、グラース家の生活を描いた「グラース・サーガ」の一編である。
 ちなみにズーイー・デシャネルのズーイーは、このグラース家の末娘の名前からつけられたというのは有名な話。
 これは偶然の一致というよりは、監督ないし脚本家の確信犯的な行動と見受けられる。
 そんなことはどうでもよくて、僕も『バナナフィッシュ』で20分盛り上がれるような女友達が欲しいです。

3:
 いや、もうとにかく全部

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 さて、ちょっと真面目に。

 この作品は男目線のものだということは先にも書いたけれど、終始筋が通っていて面白かった点としては、「結局、サマーの本心はどうなの?」というところが、トムやトムの周囲の人、ひいては観客と、誰一人として分からない点だ。
 思い返してみれば、サマーの方からは決して「Love you」なんて言っていなかった気がする。
 彼女は出会ったときから分かれるまで「Like you」だったはずだ。

 思えば、他人の本心なんてものは、わからないものである。
 心を覗ける能力が無い限り。

 だから僕達は、”Like”というサマーの言動、そして表情や行動から、本心を推測するしかない。
 しかしそこで生じる勘違いと、それによって生じるすれ違いは、人と関わっていく上でつきものである。
 またその本心とかいうものも、その日の気分、もしかしたら分単位、秒単位で変わってくるものである。


 この作品の特報で、ナレーションはこういっている。
 「This is not love story, It's a story about "LOVE"」
 そう、これはラブストーリーではない。
 ”愛”というものがもたらす様々な局面と、人間がいつまでたっても定義できない”愛”の不定形さを描いているのだ。
 劇中、職場会議で爆発してしまったトムの発する「愛ってなんだ」という長台詞は、グっとくるものがあった。

 また、オープニングも実に美事であった。
 画面の左側にトムの生い立ち、右側にサマーの生い立ちを写すこのオープニングは、「出会いというのは偶然である」ということをことさら強調しているように思える。
 まったく違う場所、違う時間に生まれた二人。
 まったく違う幼少時代、学生時代を過ごし、いまこの職場で出会う。
 それは偶然であるけれど、「運命」だと思ってしまっても、間違いではないかもしれない。
 トムとサマーの出会いも、「運命」なのではないか?・・・と感じさせるオープニングと、488日目のサマーの言動。
 この2つの対比。お美事すぎます。


 そして迎えるラストは、そんな「運命」に懲り懲りしたはずのトムが、またもや「運命」を感じてしまうという、なんとも皮肉った、なんともパンチの効いたものとなっていて、このおかげで、もう本当に愛すべき作品へと昇華されていた。
 男はなんてバカなんだ。

 

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 L.A.タイムズは、この映画をこう称している。

 「ズーイー・デシャネルに恋しないなんて無理」

 僕のこの長い長い記事よりも、数千倍、この作品の魅力を表現している。

 運命?
 運命じゃない?
 それでも恋するデシャネルに。
 あ、これはまた別の映画のタイトルでした。

 デシャネルが素敵というのは前提条件ではあるけれど、作品として素晴らしすぎて新年早々涙してしまった。

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