この記事は 昔はかいじゅうだった 梅太 の名の下にお送りいたします
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●かつて”かいじゅう”だったすべての大人たちへ:『かいじゅうたちのいるところ』
監督はスパイク・ジョーンズ。
主演はマックス・レコーズと、かいじゅうたち。
この映画からもらったインスピレーションがありすぎて、どれをどうまとめていいか困って、公開二日目に観にいったのに今更ながらの更新です。
たまに、こういう映画が出てくるのです。
だから映画ファンはやめられない。
まとめる方針が決まったのは、相方であるゲンさんの感想と、うちのちびっ子達の反応をつい先程聞いたおかげである。
感謝したい。
僕は、”絵本”という観点からまとめることにした。
以前、「童話や御伽噺とは何だろう」ということを真剣に考えたことがあった。
考えた末、
・第一ポイント:ただ楽しむという感覚
・第二ポイント:”何か”を”漠然とした感覚”として提供してくれる
という結論が僕の中で出た。
以下、それと併せて書いていこうと思う。
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先日、ティム・バートンへのインタビューをまとめた『バートン・オン・バートン』という本を読んだ。
この中でバートンは、
「僕は御伽噺はあまり好きではないが、御伽噺の”精神”は好きだ」
この一言が、僕に「童話や御伽噺とは何だろう」ということを考えるきっかけを与えてくれた。
日本で言えば『桃太郎』『浦島太郎』等の太郎シリーズ、ドイツ(だっけ?)で言うと『グリム童話』が有名どころだと思う。
子供の頃、こういうものを読んで、あるいは読んでもらって真っ先に思うのが、「楽しい」という感覚であったかと思う。中には「怖い」というものもあったかもしれない。
(僕は『やまんば』が未だにトラウマだ)
では読んでもらって、唯「楽しい」と思ってもらえることが、御伽噺の精神だろうか。
答えは、ズバリ、それで正解であると思う。これが「童話・御伽噺の精神」の第一ポイント。
けれど、もう一歩深く踏み込むと・・・
以前友人が教えてくれたことがある。
「自分が表現したいことを形にするのが芸術家なんだ。」
恐らく何かを創造する人は、自分が作り上げた作品に、自分が伝えたいことを込めている。
”しっかり思いを込めて作った作品”は、作者の思いが、作者の思ったとおりに伝わらなくても、見ている側にきっと、何かしらのインスピレーションを与えてくれる。
そして僕が思うに、この”何かしら”が重要なのではないかと思う。
”漠然とした感覚”とでも言おうか。
フェリーニの作品を観たとき、僕はこの感覚に触れる。
何かすごく伝えたいことがあることはわかるのだけれど、それが何なのか具体的に言葉で形に出来ない感覚。
彼が伝えたいことは何だったのか。フェリーニはもうこの世にいないから、その答えを知る由もない。
でも正直に言えば、知りたくも無い。
「フェリーニが伝えたいことはなんだったのかなぁ。あれかなぁ。これかなぁ。」と想像する時間が何より楽しいし、”自分なりの形”を見つけたときの感覚はかけがえの無いものだ。
思い返せばこの感覚は、僕が幼少の頃、童話や御伽噺を読んでもらったときの感覚に似ている。
「楽しい」は「楽しい」けれど、「もう一回読んで!」と何度もせがむくらい夢中になる”何か”が、それらにはあったような気がする。
その”何か”は、これまで色々な経験を積み、色々な価値観に触れることで、24歳厄年になった今、僕の中で形となっていると思う。
以上のことから、僕が推測する「童話・御伽噺の精神」第二ポイントは、「作者が伝えたいことを、読み手に”漠然とした感覚”として提示すること」だと思う。
そして作者は「あとは自分で想像してね」と、後ろでニヤニヤしているに違いない。
自分で想像して形にしていくことが、個性を育むことであると、僕は思う。
大人になったからこそ考えられる、主に第二ポイントの話でした。
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さて、ここからは、子供だからこそ感じられる点。
主に第一ポイントに関する話題。
ぼくはちびっこ2人に、お年玉と称して、この作品の前売り券を渡した。
前売り券は、子供用は800円ですから、×2で・・・
いや、安いお年玉ですいません。
それをプレゼントした理由としては、彼らはこの原作を読んでいて、しかもとっても好きだから・・ということを聞いていたからである。
そして、先程感想を聞いたわけであるが・・・
「メチャクチャ楽しかった!」らしい。
特に下の子の反応はハンパでなかったらしく、「かいじゅう踊り」のシーンではゲラゲラ笑いながら鑑賞していたらしい。
そうそう、僕の欲しかった反応はこれなのだ。
24歳厄年の僕が失いかけている、童話をただ「楽しむ」という感覚。
うちのちびっこ達は、この作品を観て、そういう感覚を存分に味わってくれたみたいだ。
そしてゲンさんの感想(いつかアップしてくれるはず)に書いてあったが、この作品は裏に潜んだメッセージがしっかりしている。
僕もそれをしっかり受け止められたと思う。
でも子供達がしっかり形に出来るほど簡単ではないと思う。如何せん、経験が足りないからだ。
しかし僕はそれでいいと思う。
多分、「楽しさ」と同時に、「漠然とした感覚」を、彼らは味わってくれたと思うから。
今回の鑑賞では感じられなくても、恐らく何度か観ていくうちに、もしくは何度か思い返していくうちに、何かを感じてくれるはずだ。
この作品はそれくらいの力を持っているから。
そして僕はちびっこ達がいつかこの作品を振り返って、何かを考えて、そしてその何かを自分なりの形にしてくれればいいなと期待している。
だからこの作品に関しては、僕達大人が
「これ、かいじゅうが怖いから、子供達には見せられない」
とか、
「何が言いたいのかわからないから、子供が退屈しそう」
とか、そういう理由で鑑賞の機会を奪うことはしてはいけないと思う。
そもそも子供は怖いの大好きだし、何が言いたいかを貪欲に受け取ろうと思って鑑賞はしないと思う。
彼らにとっては、童話は理屈ではないのだ。
少なくとも、今の時点では。
理屈に芽生える日がいつか来るのだから、今くらいは・・・
「かいじゅう踊りのシーンで、ゲラゲラ笑っていた。」
これだけで、いいではないか。
この一言が、僕にとってどれだけ嬉しかったことか。
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大人は大人で、内に潜むメッセージを読み取る楽しさ。
子供は「かいじゅう踊り」でゲラゲラ笑うという楽しさ。
大人には大人の、子供には子供の楽しみ方がある。
これこそ、絵本の本質ではあるまいか。
そして、そんな絵本の本質を汲み取って映像化したスパイク・ジョーンズの手腕には拍手を送りたい。
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僕としてもまだ纏めきれてない部分があるので、この記事に関してはちょくちょく推敲を行う予定である。
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