2009年11月8日日曜日

梅太@ [勝手に映画コラボcocktail] 感想と作品解説

この記事は 最近お酒が楽しくなってきた 梅太 の名の下にお送りいたします

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 先月宣伝させてもらった、『BAR NOI』さんとの企画
 企画者として、最終日11/5に、NOIさんへ行ってきました。

 その感想を書きたいと思います。

 あと、奇跡的にこの企画に興味を持ってくれて、奇跡的に「あ、この作品どういうのだろう?」とか思ってくれた人の為に、僕がチョイスした『パリ、ジュテーム』『イル・ポスティーノ』のちょっとした作品解説をしたいと思います。

---------------感想-----------------

 昨日11/5で最終日を迎えた本企画。
 僕がチョイスした『イル・ポスティーノ』が上映されていました。

 注文したお酒は、この作品に合わせてマスターが考えた『リーバリーバ』というカクテル。
 チナールという名の“アーティチョーク”のイタリア産ハーブリキュールを用いたものだそうです。
 柑橘系の爽やかな酸味と苦味が、口当たりがよく、とても飲みやすかったです。
 マスターが、ソフトに作ってくれたというのもあるのですけれど。
 (僕はいつも、アルコール少なめのものを注文するので) 


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 映画を見るときは、映画館へ行くか家で見るかの2択であった僕にとって、「飲みながらチラチラと見る」というのはかなり新鮮な体験でした。
 一応、そういうコンセプトで作品を選んではいたのですが、やはり実際に体験してみないとわからないですね。

 そして、自分で言うのもなんですが、このチョイスは素晴らしかった。

 特にストーリーを追わなくても、雰囲気を楽しめる作品。
 イタリアの孤島の素敵な風景と、まったり流れる時間。
 なんだかすごくいい気分でしたよ。
  

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 一応、この企画は終了となります。
 でも機会があったら、またやりたいです。

 この企画の為に、9月は映画漬けで少し大変ではありました。
 「誰かに作品をオススメする」ということの難しさを改めて感じましたが、相手の求めるものをキチンと提供できたときの嬉しさも、改めて感じました。

 企画がこうやって形になってみると、やってよかったなと思っています。



 ・・・えと、誤解しないで頂きたいのが、というよりだれも誤解してないと思いますが、大変ではありましたが苦では無かったですね。
 そして「9月は映画漬け」とか書いていますが、だいたいいつも映画漬けです。


 企画は終了ですが、NOIさんはいつでも営業中(そりゃそうだ)。
 今後もちょくちょく訪れますので、暇が合えば、どなたかご一緒しましょう。

 『BAR NOI』 http://www.bar-noi.com/



---------------作品解説-----------------

 解説と言うほどのことでもないですが、ちょこっとだけ紹介したいと思います。
 宣伝用に書いた文句も、合わせてご紹介。

●『パリ、ジュテーム

宣伝用文句:
様々なパリの顔、様々なパリの人。
幾多とある都市の中でこれほどまでに世界中の人々を惹きつけるパリの魅力とは。
その答えが少しだけわかるかもしれない。

解説:
 この作品は、各国の映画監督が「パリ」を題材に数分の短編を取り、それを持ち寄ったオムニバス作品となっています。
 観光地として知られる有名な場所、日常的な風景、様々なパリの姿を堪能できます。

 町で起こったちょっとしたラブストーリーを切り取ったり、ヴァンパイアが出てくるファンタジックなものもあり。
 収録作はかなり多いですが(確か18くらい)、テーマも様々で、あっというまに2時間が過ぎてしまいます。

 僕が特に気に入っているのは、最後から2番目の『カルチェタラン』という短編。
 離婚した老人が、パリのレストランで久々に会うという設定。
 最初はお互いの近況報告なんかをしているのですが、そのうちに、過去の情熱が蘇ってきます。

 「また、駆け落ちしないか?」

 という、おじいさんの台詞がたまらなく好き。
 年をとってもこういうことをさらりと言えるようになりたいなと、心底思いますね。

 全部の作品を一気に観るも良し、一作品ずつ分けてゆっくり見るもよし。
 お好きな楽しみ方でどうぞ。


●『イル・ポスティーノ

宣伝用文句:
イタリアの小さな島に訪れた詩人と青年の交流を描く。
詩とは何だろう。詩を書くとは何だろう。
言葉一つで世界は美しく見えるということを教えてくれる作品。

解説:
 僕は最近、言葉の持つ有限性と無限性というものについて考えていたりいなかったり。
 スティーブン・キングやサリンジャーは、言葉の限界を謳っています。

 寺田寅彦の『柿の種』には、こういう記述があります。

 「恋の句を書くという事は、恋をするということ」

 何の体験も無く、詩を書くという事は不可能である。
 また、自分にとってかけがえの無い体験であったとしても、その重要性のすべてを読んだ人に伝えることは難しい。

 だから詩というのは、直接的に書くのではなく、隠喩を用いて読む人に想像させるのだと思う。

 しかしそれでも、恋をしたことが無い人は、恋の句のすべてを理解することは不可能なのだと思う。
 詩から想像したものを、自分の恋愛に結びつけることで初めて、作者の言葉の裏にある気持ちを読み取ることができるのだと思う。

 詩を理解する過程で、国語の授業みたいに解析することは、確かに必要な作業かもしれない。
 しかし解析をした後は、言葉の裏にある何かを想像してほしい。

 作中登場する、フェリーニのこんな言葉がある。

 「話すことをやめて、静寂に身をゆだねれば、私達は何か、理解できるかもしれない」

 情報化社会と言われる昨今、色々な情報を入手することは必要である。
 でも手に入れたら、それをちょっと吟味して、その裏にある真実を見つけることが大切なのかなと思います。



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 以上、感想と作品解説でした。

 

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