2010年3月22日月曜日

梅太@ 劇場:映画祭『桃まつり presents うそ』 - 弐のうそ の感想

この記事は 勉強させていただきました!・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします

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 3/18に、現在渋谷ユーロスペースにて開催中の『桃まつり』(弐のうそ)にいってきました。
 桃まつりといっても、どこぞの国の祭みたいに、街中でトマトをぶつけ合うようなものではありません。


 コチラの記事で紹介していますが、再度簡単に説明をしますと、「女性監督にもっと活躍の場を!」をコンセプトに、若手女性監督が自身の短編を持ち寄り、数週間にわたって上映するというものです。



 このお祭りは、個々の作品の毛色は全然違いますが、作品のコンセプトは受け手にしっかり伝わってきます。
 そして一見バラバラな11作品を、お祭りの表題「うそ」の2文字が、巧く繋げているようにも感じました。

 それに基づき、以下、僕が鑑賞した3作品を、僕なりのコンセプトに沿って纏めたいと思います。


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●『きみをよんでるよ』 - 映像に詩を乗せる

 幕開けから、今日は来てよかったなと思いました。

 本作のヒロインと不倫相手のちょっとしたラブシーン(?)からこの作品は始まりますが、その艶かしさに惚れてしまった。
 皮膚がこすれあう音、舌使いの音等、音の録り方が素晴らしかった。

 舞台挨拶で監督は「しっとりとしたものを撮りたかった」と言っていましたが、その有言実行具合に拍手を送りたかった。

 ヒロインと不倫相手の男、どちらがどのような嘘をついているのか、物語が進むにつれて徐々に明かされていく運び方も良かったですが、”はっきりと言葉にしない”のも、良かったと思います。

 「目は口ほどにモノを言う」ではないですが、ヒロインの表情、男の表情、そして作品全体を包むしっとりとした雰囲気が、二人の関係性、それぞれが持つ葛藤を「台詞」というもの以上に雄弁に語っていたと思います。
 そのあたり、ソフィア・コッポラの作品に似ているようにも感じました。

 言えばいい・・・というものでもない。
 「映画」というものならではの語り方であったと思います。

 また、第三の登場人物である言語障害の青年の存在も素晴らしかったと思います。
彼は、時に男から、時にヒロインから、それぞれの胸の内を聞かされます。
 しかし言葉を発せないので、助言するわけでなく、非難するわけで無く、唯聞くだけ。
 彼の存在は、スクリーンの中で起こっていることに一切介入できない、映画を観に来ている”観客”に似ていると思います。

 それでもやはり、彼はスクリーンの中の存在。
 彼は、主人公達に「何か」をすることができる。

 「あなたは私たち観客の代わりに、彼らに何をしてあげるの?」

 カップルの行く末と、青年の行動。
 最後までドキドキできた作品でした。


●『FALLING』 - 映画は”編集”の芸術

 多分、『僕らのミライへ逆回転』の劇中で、主人公達が撮影していた自主制作映画は、こういう作品であっただろうなぁと思います。
 監督のやりたい事が伝わってくる作品は、僕は大好きです。

 あとヴァンパイアとか好きですので。

 ヴァンパイアっぽい要素である月、血、十字架は勿論、細かいところで犬の鳴き声をしっかり登場させたり、本屋でオカルトブックを漁るシーンは笑いを誘いました。
(しかしあの本で、どんな知識を得たのか、ぜひとも知りたいところではありますね)
 中でも一番良かったのは、ベッドの上を鎖が這うシーン。
 「あぁ、こういうのやりたかったのだろうなぁ」というのが、わかりすぎるくらい伝わってきました。


 ラスト、「子供は死なないだろう」という最近のジンクスを破ってきたあたりもいいです。
 ボリス・カーロフの『フランケンシュタイン』みたいで。 
 「いいです」とは、若干人間性を疑われる発言かもしれませんが。

 でも”怪物”の前では、子供も大人も関係ない。
 当たり前かもしれませんが、そんなことに気付かされました。 

 この作品で一番拍手を送りたくなったシーンは、ヴァンパイア化したアベコが、歩道橋から飛び降りるシーンでした。

 歩道橋から飛び降りようとするモーションを捉え、
 落下中のポーズを捉え、
 着地した足を捉える。

 実際に飛び降りているわけではありませんが、これらの3カットをうまくつなげると、本当に飛び降りているように見えてしまう。
 映画が編集の芸術と言われるのはそういうところで、”工夫”次第で、監督の意図する映像をいくらでも撮ることができる。CGに頼らなくても。

 『弐のうそ』で上映された三作品の中では、ヴァンパイアを題材としているだけにかなり異色な作品であったとは思いますが、限られた条件の中で、自分のやりたい事をやるにはどうしたらいいのか・・・という監督の工夫が随所に見られ、とても好感が持てました。
 映画作りとは、全てはそこから始まるのだと思います。
 多分。
 自分で作ったことは無いけれど。多分そう。

 1,2世代くらい前の作品を観ているようで、それも楽しめました。
 意図したのかしていないのか・・・?


 ●『愚か者は誰だ』 - 要素と構成の美事さ

 野村宏伸の呆けた表情の後に『愚か者は誰だ』と、バーンと登場させるラストは、昨年公開された『スペル』を彷彿とさせました。
 これまで語ってきた約30分が、この一瞬で全て繋がる様は快感でした。

 この作品で描きたいことは何か。
 どうやってオトせば、絶大なインパクトをもって、それを観客に伝えられるか。
 そしてそれを、”映画として”どうやって表現するか。
 きっと試行錯誤したのだろうと思います。

 またそのオチを裏付ける役者さんも美事でした。

 「出演各人に様々な人間の性質を浮き彫りにする」
 と舞台挨拶で言っておられましたが、ズバリなキャスティングで、特にヒロインが絶妙でした。
 特別美人というわけではないですが(かなり失礼)、男を虜にしてしまう女性、いますよね。
 あんな状況に立たされたら、抗えるかなぁ、僕。
 動くと魅力的に見える、これぞ女優。という感じで、良かったです。

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 以下、映画祭の総括。
 といっても全作品を観たわけではありませんが、そこはご了承ください。
  

 男の作品と女性の作品は、ストーリー云々より前に、人物像の描き方がやはり違うと思いました。

 ロマンス映画なんてその最たるもので、男性が描くロマンスは”ロマンティック”という言葉がよく似合います。ある意味女性を神聖化している面もあるかもしれません。
 しかし女性監督のロマンスに登場するヒロインは、等身大な人物に見えてきます。

 また、『愚か者は誰だ』で出てくる「一人の男に一人の女って、誰が決めたのよ?」という台詞は、女性監督でないと出てこないと思います。
 男と言うのは、独占欲が強い生き物ですからね。


 さて、この映画祭に顔を出すのは初めてとなるわけですが、若手”女性”監督の作品を集めるというのは面白い試みだと思います。


 最近は、僕の大好きなソフィア・コッポラ、素敵な時間を提供してくれるナンシー・マイヤーズ、そしてアカデミー賞で史上初の女性監督賞受賞を果たした『ハート・ロッカー』のキャスリン・ビグロー等、女性監督の活躍も目が離せないものとなってきましたしね。

 この映画祭に作品を寄せた監督(もちろんスタッフも)の、今後の活躍には目が離せません!


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 終わりに。

 『Bar NOI』で加藤監督に誘われるまで存在を知らなかったこの映画祭ですが、誘われるまま恐る恐る行って見ると、他の映画祭では味わえないであろう体験をさせてもらえました。

 感謝感謝です。
 加藤監督、ありがとうございます。

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