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●ミュージカル映画の醍醐味:『NINE』
監督はロブ・マーシャル。
出演はダニエル・デイ=ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ケイト・ハドソン、ファーギー、ニコール・キッドマン、ジュディ・デンチ、ソフィア・ローレン。
「映画史上最もゴージャス&ファッショナブル」
これは日本のキャッチコピーであるが、肝心なことを一つ忘れている。
ミュージカル映画史上、最もエロティック。
変態と呼ばれようが構わない。
僕はこの作品が大好きだ。
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ストーリーは。
数々の名作の中で、イタリア人の生活スタイルを作り出したと言っても過言では無い名監督:グイド(ダニエル・デイ=ルイス)。
しかし彼は悩んでいた。
巨額の制作費が費やされる次回作のインスピレーションが、一つも沸いてこない。
焦るグイドの思いもむなしく、何一つ形に出来ないまま、クランク・インは刻一刻と迫っていき・・・
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”ミュージカル映画における”ミュージカル作りにあたって、このロブ・マーシャルに勝てる人は、現在いないのではないかと思う。
そう思う僕は、まず本作のミュージカルシーンについて語っていこうかと思う。
●『Overture Delle Donne』
まずこの作品は、オープニングで絶頂を迎える。
悩むグイドの前にクラウディア(ニコール・キッドマン)が現れキスをする。それを始まりとし、本作に登場する女達が一堂に揃っていくこの豪華絢爛な数分間は、恐らく二度と観られないだろうと思う。
ここで絶頂を迎えていいかはわからないが、とにかく迎えてしまう。
感極まって、いきなり泣いてしまった。
これはどう転んでも傑作だと確信した。
ここで「釣りはいらねぇ」と、2000円置いて帰っても良かった。
●『Be Italian』 - サラギーナ(ファーギー)
オープニングを抜かしたとして、本作で一番見ごたえのあるミュージカルシーンは、ファーギー扮するサラギーナの歌うこの『Be Italian』であると思う。サラギーナの元へ向かうグイド(幼少)一向の画の撮り方は、本家『8 1/2』を意識したであろう撮り方で、それだけで嬉しかった。
サラギーナのセクシーダンスに徐々にミュージカルシーンを被せていき、こちらの興奮を高めていく。
そして画面は白黒から、攻撃的で情熱的な赤へと一転する。
最初はスローテンポで、カメラもゆっくり動いていき、セットの素晴らしさに陶酔させられる。
また、これでもかと配置された大人数が一糸乱れず同じ動きをする様は、この人たちシンクロにでたら金メダル取れるだろうなとバカな考えを起こす余地を与えず、ただただ美事というしかない。
タンバリンを取り出し、曲調がテンポアップしたところから、更にテンションは上がる。
このままいくと高血圧で死ぬのではないかと思わせる。
最高潮を迎えるのが、横一列に並ぶ一同を引きで捉えるダイナミックな画。
このときばかりは流石に、叫ぶかと思った。
圧巻だ。
そして曲締め。
我を忘れ拍手しそうになったが、ちょっとこらえた。雰囲気がそうさせない。
ここが日本の映画館の良くないところだ。
ロブ・マーシャル、あなた一体何者だ。
もしかして生活の半分は、スクリーンでいかにミュージカルを魅せるかを考えているのではないのか?
ここでも「釣りはいらねぇ」と、2000円置いて帰っても良かった。
●『Cinema Italiano』 - ステファニー(ケイト・ハドソン)
海外評価の一部では、「PVじゃん」と一蹴されてしまった本パート。そういわれると、そうなんだ。
(見方を変えると、こんなPVがあったら最高レベルだと思うが)
しかし、僕は大好きだった。
確かに『Be Italian』の迫力に比べれば数段落ちてしまうが、ケイト・ハドソンがその表情・動きに一点の曇りも見せずノリノリで踊る様は、観ていてとても気持ちが良い。
それだけでいいではないか。
●『Take It All』 - ルイザ(マリオン・コティヤール)
このパートは、マリオン・コティヤールがひたすら脱いでいくというパートだ。ゾクゾクした。
そのエロティック加減に・・・ではない。
先のケイト・ハドソンと言う事は被るのだが、マリオンがこれを、物怖じせず真剣にやっている・・・ということにである。
エロさを通り越して、もはやかっこいい。
マリオンが観客を足蹴にするその様。素晴らしかった。
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さて、映画としてみた時。
この作品は、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』を原作としている。
正確に言うとその舞台版『NINE』の映画化である。
『8 1/2』は、映画製作に対する監督の苦悩を静寂と共に描いていく。
こちらは「あれが難しい、これが難しい」と言葉にするでなく、フワフワとした抽象的なイメージを観客に見せていく。
対して本作は、その苦悩をはっきりと言葉にし、歌という叫びにして提供する。
なので、原作よりもかなり”分かり易い”作品になっていると思った。
はっきりしすぎている感じも受けるが、映画と言うものに対してグイドの発する一言一言は、こちらをハッとさせるものがあった。
(特にクラウディアとの会話のくだり。日本映画に言えることが多かったなぁ)
弱点が無いわけでもない。
冒頭で紹介したとおり、本作はメイン・キャストが多い。
各人のミュージカルシーンは素晴らしいのだが、使い捨てっぷりが目立つ。
出てきて歌って、出てきて歌って。ある意味贅沢だけれど。
思い返せば、ミュージカルシーンを除いて考えるとしっかりと筋の通った物語なのだけれど、『シカゴ』の時に魅せた、ミュージカルシーンと本編との絶妙な絡ませ方というのが発揮されず、散漫になってしまった感は否めない。
また、ラストが弱かった。
あのオールキャストは、オープニングで観てしまった為、どうしてもインパクトにかける。
原作が原作だけに、ド派手に終わらせるということは無理なのかもしれないが、『シカゴ』でロブ・マーシャルのポテンシャルを見ているだけに、そういうことが出来そうな気がしてならないのだ。
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が。
やはり総じて、大好きな作品だ。
確かに弱点はあるが、僕は、ある一つのことに特化した・・・というより、ある一つのことに全力を注いだ作品が大好きだ。
そういう作品はやはり、印象に残るし、後々見返したくなる。
先にも書いたように、”ミュージカル映画における”ミュージカル作りにあたって、このロブ・マーシャルに勝てる人は、現在いないのではないかと思う。
もちろんこれは、僕の勝手な思い込みである。
彼のミュージカルパートの作り方として好きなところは、あくまでも”ステージ”に拘ること。
昨年公開された『マンマミーア!』がいまいちノリきれなかったとき、ミュージカルの何が人々を興奮させるか・・・ということを考えた。
今のところ落ち着いている結論として。
ミュージカルは、あの小さなステージ、制限された空間の中に、今にも爆発しそうな、抑え切れない出演者達のエネルギーが滾っていいる。
そして逃げ場を失ったエネルギーは、客席へと伝わっていく。
それが観客の拍手を誘う。
これが屋外だと、そうは行かないと思う。エネルギーの逃げ場があるからだ。
『マンマミーア』は綺麗な島国の風景と共に楽曲を提供するが、終盤のメリル・ストリープのバラードで若干注意散漫になったのは、そういう理由があるからではないかと思う。
やはり屋内の、限られた空間と言うものが、ミュージカルには不可欠なのだと。
その点、例え本編との繋ぎ方が無理やりであろうがどうだろうが、、ロブ・マーシャルは舞台に拘る。
その結果、本物のミュージカルに劣らないエネルギッシュなパートが生まれているように感じる。
『Be Italian』の、一同が横一列にズラっと並ぶ画の、視界に”収まりきらない”感じは、「これぞミュージカルだ!」と言える。
そこに、映画の特権であるカメラワークを加え、これでもか!と魅せる。
ボブ・フォッシーを永遠の師匠に持つロブ・マーシャルにしかできない芸当だと思う。
また、繰り返すようだが、この作品は観ていてとても気持ちがいい。
ロブ・マーシャルの「俺はこういうミュージカルシーンが撮りたいんだ!」という要求に対し、女優が恥ずかしげもなく物怖じもせず全力投球する。
これらが混ざり合い、極上のシーンが生まれる。
確かに、ペネロペのパートを始め、本作のミュージカルシーンはかなりエロティックではある。
これを大絶賛するようなら、一部の女子から反感を買うこと請け合いである。
しかし僕は、エロさを感じる前にまずカッコイイと思った。
監督、スタッフ、キャストが全力で打ち込んでる様は、やはりカッコイイ。
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ペネロペ・クルスがエロくて。
ジュディ・デンチのノリノリ具合が楽しくて。
ケイト・ハドソンの踊りが潔くて。
ファーギーの歌声に圧倒され。
ニコール・キッドマンの美しさを再認識し。
年をとってもまだまだ元気そうなソフィア・ローレンを拝むことができ。
マリオン・コティヤールの演技にゾクゾクして。
やさぐれたダニエル・デイ=ルイスは最高にシブくてカッコよかった。
そしてそれらを引き出したロブ・マーシャル。
これ以上何を望みますか?
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長いですね、今回の記事も。
本編見るより疲れました。
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