2010年7月18日日曜日

梅太@ 劇場:『借りぐらしのアリエッティ』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

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●あの夏に置いてきた、小さな”わすれもの”:『借りぐらしのアリエッティ
監督:米村宏昌
出演:志田未来、神木隆之介


 青春、という言葉から思い出される季節は、圧倒的に夏が多い様な気がする。
 それはなぜだろうか。
 着ている服が薄くなるように、心もどこか、開放的になるからだろうか。

 何にせよ、「夏」というのは、その言葉だけでドキドキしてしまう。
 「夏の出逢い」というものに、憧れてしまう。

 そしてできることなら、この作品の様な出逢いがあったなら、いいな、と思う。
 いやもしくは自分が忘れているだけで、もしかしたら子供時代は、こんな出逢いをしていたのかも・・・


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 ストーリーは。
 心臓の手術を控えた少年:翔は、母が出張中に、親戚の家で一週間を過ごす。
 親戚の家を訪れた初日、翔は庭で、小さな小さな女の子を見かける。

 彼女の名はアリエッティ。”借りぐらし”をする、小人族の一人であった。

 翔は、小人の世界を知る。
 アリエッティは、人間の世界を知る。

 二人の出逢いは、互いの”世界”の見方を変えていく。

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 『借りぐらし』のアリエッティは、小人のお話である。
 人間の住む家のちょっとした隙間から入り込み、必要最低限のものを”借り”て、生活している。
 彼らの住まいは、僕達の家の下。
 普段は気にもしない、暗闇の中。

 さて。

 ファンタジーとは、非現実的な物事を描く。
 しかしそれを紡ぐ作者は、現実に生きる人たちである。

 だから、彼らが紡いでいる物語には、現実世界の中に着想があるはずで・・・

 最近、そういう事を考える。
 素晴らしいファンタジーを観るとなお一層考えてしまう。
 「この人たちはいったいどこからヒントを得ているのだろう・・・」

 そう考える時間、思いを馳せる一時が楽しい。
 この作品の着想の一つとして、僕が考えるのはこれだ。

 家の中で、モノをなくす。
 探しても探しても見つからない。
 しかし、しばらく時間がたったころ、それはあっさりと見つかってしまう。

 「なんでこんな目立つところにあったのに、見つからなかったのだろう」

 作者は考えたのだと思う。

 「きっと誰かがそれを、一時的に”借り”ていたのではないだろうか。」

 誰が?
 それは例えば、小さな小さな人間が。
 でもそこは自分の狭い部屋。
 いくら小人だからって、いつもいる場所だし、一目くらいは見ていてもおかしくない。
 彼らは一体、何処に住んでいるのだろう。

 「そうか、きっと彼らは、家具や床下の狭い狭い隙間に住んでいるんだ、そうに違いない。」

 そうやって人間は、不可思議な出来事に遭遇すると、想像で埋めようとする。
 特に、”ハッキリ”としないものは、想像の宝庫である。
 ”ハッキリ”と見渡せない暗闇の中に、何かいるのではないか。
 ”ハッキリ”と分からない事象には、何が絡んでいるのだろうか。

 そうやって想像することで、人生を楽しくしている。
 そしてその想像を言葉で表すと、本になる。

 作者が想像した創造物が、人の手に渡り、また新たな想像を生み。
 そしてまた、何かが創造される。

 人が想像することをやめない限り、魅力的なファンタジーは、止まることなく生み出される。
 それは僕にとって、とても嬉しい連鎖であると思う。

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 以上のようなことを考えながら、翔とアリエッティの出逢いを見つめる。

 翔にとって当たり前だと思っていた世界の中に、突如としてイレギュラーが入り込む。
 自分の知らない世界があったことを知る。
 現実と、ファンタジーが出会う瞬間だ。

 涙しか出てこなかった。
 想像力の勝利である。

 二人の出逢い以降、僕の想像力は様々な方向へ飛翔していく。

 ただ、風が吹くだけで。
 ただ、草木が揺れるだけで。
 ただ、窓に小石がぶつかるだけで。
 ただ、床が軋むだけで。
 そして。
 ただ、そこに自然と言うものがあるだけで。

 そこには”何か”が潜んでいるのではないか、と思ってしまう。
 そうやって”想像する”だけで楽しくなってしまう。

 それは「夏」という言葉を聞くだけで、”何故か”それだけでドキドキしてしまう感覚に良く似ている。
 この夏、これから起こるであろう出来事を”想像”するだけでワクワクしてしまう。

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 物語は大きなスペクタクルがあるわけでもなく。
 ポニョのような、ド派手な水走りがあるわけでもない。
 ラピュタのようなバルスもない。

 ただ夏が来て。
 ただ二人が出会った。

 それだけの話だ。

 しかし、自然の中でゆっくりと過ぎていく中で、小さな楽しみを見つけ出す。
 その小さな楽しみを、想像力によって、大きな楽しみへと昇華させる。

 そんな夏を、久しく過ごしていなかった様な気がする。

 小さな紙切れに、翔が書いた「わすれもの」の一言。
 僕はあの頃の夏に、ただ想像するだけの楽しさを、忘れてしまったかもしれない。

 それは今からでも、とりにいけるだろうか。


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 この夏は、ワクワクする日々を過ごしたい。

 そんなあなたにオススメの一本。
 いや、必見の一本。

 是非是非、劇場で。

 大好きな作品です。

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