この記事は 映画は娯楽だ、やはりそう思う 梅太 の名の下にお送りいたします
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名画座日記-8
今回は目黒シネマにて、『グラン・トリノ』を鑑賞。
やっとこさ鑑賞。
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目黒シネマ
目黒駅西口を出て、右に見える交差点のところにあります。
映画を観るぞ!という感じの映画館で、現在上映中の作品の書評なんかを入り口まで堪能できます。
また待合所には、映画関連の書籍が多数おいてあり。
もう、映画のことしか考えて無いな、この映画館。
びっくりしたのは、入場してきた客の順番を把握していることで、早めに来た人を優先的に劇場内に入れてくれたりします。
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さて、『グラン・トリノ』。
先日みた『チェンジリング』(感想はコチラ)があまりにも素晴らしい作品でして、僕はそれ以上は望まないと思っていたのですが、なんだか世間は、『チェンジリング』以上の作品だ!と騒いでいますし。
意気込んでみてみると・・・・
軽いな。
ただただ、そう思った。
いや、つまらないと言っている訳ではない。
むしろ最高に面白かった。
これは、笑って楽しむ、紛れも無い娯楽作品である。
そしてイーストウッドは、俳優業のフィナーレを、何故これで飾ったのか。
映画と言うのは、娯楽だからだ。
長い映画人生で、行き着いたものがそこだったのだ・・・・僕はなんとなく、そう受け取った。
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この映画は、コワルスキー(イーストウッド)先生による、ありがたい授業である。
時間割は以下の通り。
●ホームルーム
議題:妻の死と、ヘソピアスと、新米牧師
講義内容:おめ~ら妻の死をなんだと思って嫌がるんだ
●1限目:
議題:生とは何か、死とはなにか
講義内容:マニュアルどおりの新米牧師に、生と死というものを教えてやるのさ
●2限目:
議題:男とは何か
講義内容:女をつれて、カッコイイ車でデートし、床屋に入ったら「よかったら髪を切っていただけませんかイカレ野郎」と挨拶する。それが、男ってもんだ。
●3限目:
議題:救いとは何か
講義内容:キリスト教の教えでは、死は魂の救済であるとかなんとかいってるが、本当にそうかどうか、自分でしっかり考えて見やがれ。
講義は時間厳守。遅れないように。
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コワルスキー(イーストウッド)は、過去の戦争の悪夢を抱えて生きてきた。
そして妻を亡くし、家族から嫌われ、残りの人生を惰性のようにすごしてきた。
死が魂の救済なら、いっそのこと・・・・
しかし、隣人であり、友となったモン族のタオと関るうち、色々なものから、彼は救われたのだと思う。
そこで、コワルスキーは気付いたのだ。
救いは、死ではなく、生の中にこそ生まれるものだ。
ラスト。
彼は、タオだけでなく、タオをつけ回していたギャング達をも、救っていたのだと思う。
ギャングたちを完膚なきまでに叩きのめすのは簡単だ。
しかしそこに、救いは無い。
負の連鎖に、タオが、そしてギャングたちも巻き込まれるだけだ。
ギャングたちが、タオとその家族にしたことは、許されることではない。
そして、一時的な感情のままにやってしまったギャングたちには、恐らく年をとってから、なんて事をしたのだ・・・という、後悔の念が、きっと生まれるはずだ。
その念にさいなまれ、死を選んでしまう人も、いるかもしれない。
だが、戦争という消えないの傷を抱え生きてきた自分には、「タオとの関係」という救いがあった。
ギャングたちにも、生きていればそういう救いがあるはずなのだ。
だから、コワルスキーは態度で示すのだ。
生きろと。
あの場でコワルスキーは、タオのみならず、沢山の人に救いの道を示したのだと思う。
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色々書いたけれど、僕はこの作品は、笑って楽しめばそれで良いのだと思う。
あぁ、面白かった。
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