2009年9月5日土曜日

梅太@ 劇場:名画座日記-8

この記事は 映画は娯楽だ、やはりそう思う 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 名画座日記-8

 今回は目黒シネマにて、『グラン・トリノ』を鑑賞。
 やっとこさ鑑賞。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
目黒シネマ

 目黒駅西口を出て、右に見える交差点のところにあります。
 映画を観るぞ!という感じの映画館で、現在上映中の作品の書評なんかを入り口まで堪能できます。
 また待合所には、映画関連の書籍が多数おいてあり。
 もう、映画のことしか考えて無いな、この映画館。

 びっくりしたのは、入場してきた客の順番を把握していることで、早めに来た人を優先的に劇場内に入れてくれたりします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、『グラン・トリノ』。
 先日みた『チェンジリング』(感想はコチラ)があまりにも素晴らしい作品でして、僕はそれ以上は望まないと思っていたのですが、なんだか世間は、『チェンジリング』以上の作品だ!と騒いでいますし。

 意気込んでみてみると・・・・

 軽いな。

 ただただ、そう思った。
 いや、つまらないと言っている訳ではない。
 むしろ最高に面白かった。
 
 これは、笑って楽しむ、紛れも無い娯楽作品である。
 そしてイーストウッドは、俳優業のフィナーレを、何故これで飾ったのか。

 映画と言うのは、娯楽だからだ。

 長い映画人生で、行き着いたものがそこだったのだ・・・・僕はなんとなく、そう受け取った。

▼▼▼▼▼▼

 この映画は、コワルスキー(イーストウッド)先生による、ありがたい授業である。
 時間割は以下の通り。

●ホームルーム
 議題:妻の死と、ヘソピアスと、新米牧師
 講義内容:おめ~ら妻の死をなんだと思って嫌がるんだ

●1限目:
 議題:生とは何か、死とはなにか
 講義内容:マニュアルどおりの新米牧師に、生と死というものを教えてやるのさ

●2限目:
 議題:男とは何か
 講義内容:女をつれて、カッコイイ車でデートし、床屋に入ったら「よかったら髪を切っていただけませんかイカレ野郎」と挨拶する。それが、男ってもんだ。

●3限目:
 議題:救いとは何か
 講義内容:キリスト教の教えでは、死は魂の救済であるとかなんとかいってるが、本当にそうかどうか、自分でしっかり考えて見やがれ。


 講義は時間厳守。遅れないように。

▼▼▼▼▼▼
 
 コワルスキー(イーストウッド)は、過去の戦争の悪夢を抱えて生きてきた。
 そして妻を亡くし、家族から嫌われ、残りの人生を惰性のようにすごしてきた。

 死が魂の救済なら、いっそのこと・・・・

 しかし、隣人であり、友となったモン族のタオと関るうち、色々なものから、彼は救われたのだと思う。
 そこで、コワルスキーは気付いたのだ。

 救いは、死ではなく、生の中にこそ生まれるものだ。

 ラスト。

 彼は、タオだけでなく、タオをつけ回していたギャング達をも、救っていたのだと思う。

 ギャングたちを完膚なきまでに叩きのめすのは簡単だ。
 しかしそこに、救いは無い。
 負の連鎖に、タオが、そしてギャングたちも巻き込まれるだけだ。

 ギャングたちが、タオとその家族にしたことは、許されることではない。
 そして、一時的な感情のままにやってしまったギャングたちには、恐らく年をとってから、なんて事をしたのだ・・・という、後悔の念が、きっと生まれるはずだ。
 その念にさいなまれ、死を選んでしまう人も、いるかもしれない。

 だが、戦争という消えないの傷を抱え生きてきた自分には、「タオとの関係」という救いがあった。
 ギャングたちにも、生きていればそういう救いがあるはずなのだ。

 だから、コワルスキーは態度で示すのだ。
 生きろと。

 あの場でコワルスキーは、タオのみならず、沢山の人に救いの道を示したのだと思う。



------------------------------------

 色々書いたけれど、僕はこの作品は、笑って楽しめばそれで良いのだと思う。
 あぁ、面白かった。

0 件のコメント: