2010年6月14日月曜日

ゲン@ 劇場:『NINE』

ゲンです。
ジメーッとした陽気になってきましたね・・・嫌な季節です・・・

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『NINE』
@TOHOシネマズ 西新井(3/21鑑賞)

※先に観た梅太くんの感想はコチラ


『シカゴ』のロブ・マーシャル監督がメガホンを取り、『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラ監督が脚本を手掛け、トニー賞受賞の同名ブロードウェイ・ミュージカルをオールスター・キャストで映画化。
主人公に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・デイ=ルイス、彼を取り巻く女たちにマリオン・コティヤールやニコール・キッドマンらアカデミー賞受賞者がきらびやかに華を添える。

企画の話を聞いた一昨年から、ずっと公開を楽しみにしてた作品が遂に公開!
ここ数年はミュージカル外れナシ伝説なので、とても期待してました♪

ゴージャス!!! 映画は男と女と愛と歌で出来ている!!!

あーもー素晴らしかったー!
これほどまでに「ゴージャス」という言葉がハマる作品は他にないでしょうw

もうOPの数分だけで、1800円置いて帰ってきてもいいくらいに震えました!


ストーリーはというと、新作の撮影を控えたかつての巨匠、今はスランプ中の映画監督が、妻やら愛人やら女優やらスタッフやら、撮影に臨むまでに出会う様々な女性と繰り広げる妄想劇って感じですかね?

スランプ中の監督が新作のストーリーを悩み続けるのが「ストーリー」なので、映画としての脚本と考えるとちょっと苦しいお話w
ただその分、女性に対する想いをすべて妄想の中に入れ込んでしまってるってのは、潔くて個人的には好きですが。

そのおかげで、ミュージカルシーンが現実世界とは離れているので、ゴージャスでより際立って演出されてるのは素晴らしい!
それにより会話の途中から急に歌い出すっていうミュージカル特有の演出が少なく、そこが苦手な人でも入りやすい作品なのかも。

別に僕は、急に歌い出すのがダメな人じゃないですが、ミュージカルパートをガッチリ囲ってしまう戦法も、これはこれでありなのかもと納得できましたね。


ただこの作品の魅力は、やはり豪華な顔ぶれでしょう!

まず主人公の映画監督:グイドを演じるダニエル・デイ=ルイス!
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の渋ーいでオスカーを獲得しておりますが、今回はその渋さに加えて中年男のありえない色気が存分に放たれ、ホントに惚れ惚れしました!
巨匠のクセに自分一人じゃ何も決められない、大勢の女に目移りしてて愛想を尽かされる、とダメダメ男なんだけどドコか憎めないキャラクタのおかげで人脈には恵まれまくってるのが羨ましいw
つーか、美女にモテまくりだわよーなんだよー! キーッ!



そして、これでもかと集めに集めた美女達!

彼の妻を演じるマリオン・コティヤール!
『エディット・ピアフ』でアカデミー主演女優賞を獲得した彼女ですが、ダラしない夫をひたむきに支える姿が、奥ゆかしくて清楚なイメージが今回の役にピッタリ!
彼の愛人を演じるペネロペ・クルス!
もーペネロペ姐さん、フェロモン出過ぎ!
ドコまでサービスしてくれるのさ、あーた!
ご立派なお身体もですが、スペインなまりの彼女の口調は、いつ聞いても気持ち良いですね♪
ホント、ご馳走様でしたーw
彼を取材する記者を演じるケイト・ハドソン!
出演シーンは少ないながら、存在感は一番あったんじゃないでしょうか?
予告編でも使われてる「Cinema Italiano」の盛り上がりは異常ですよ!
あのパートはエンドレスで観てられるわー♪


彼の映画に出演する女優を演じるニコール・キッドマン!
いつ出て来るんだろうと思ったら、出演シーンが結構後半でヤキモキしてたけど、スポットが当たった瞬間のオーラが違いますねw
もーあっという間に掻っ攫ってくよー♪

彼が幼い頃に出会った娼婦を演じるファーギー!
「Be Italian」で魅せるあのギッツギツで露骨にエロい感じは何だろ、拷問に近いよw
砂とタンバリンであんなに興奮したのは初めてだしw

ダメダメな彼を優しい眼差しで支える衣装係を演じるジュディ・デンチ!
007シリーズのM役でも感じるけど、この人の恰幅のいいシャレた母性はホントに救われますね。
ただ印象には残っても華やかな役をあんまり観てこなかったので、今回のミュージカルの鮮やかさには涙モノでした!



ストーリー的には弱め、というかありそうで無い感じなので、そこまで評価できないけど、ありえない豪華な顔ぶれとゴージャスなミュージカルパートのおかげで、早くも今年4本目の満点作品になりました!

劇場で観れたことと、男に生まれたことを感謝せざるをえない素晴らしい作品!

極上エロ満足♪

2010年6月12日土曜日

梅太@ 劇場:『告白』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

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●映画に全てを否定された絶望と喜び:『告白
監督は、中島哲也。
出演に、松たか子と32人の生徒達、他。


 本作は、間違うことなきエンターテインメトである。
 「笑っていいのかわからない」
 劇場を出ようとした女性客がポロっと言った感想は、以下に記す僕の感想の何倍もこの作品をよくよく表している。

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ストーリーは。

 舞台は中学。1年生の終業式の日に幕を開ける。
 春休み突入へあと一歩と浮かれた生徒達に、先生が”告白”する。

 「わたしの娘は、このクラスの生徒に殺されたんです」

 その一言は、彼らの胸に刻まれる。
 そして先生は辞職し、学校を去る。

 春休みが明ける。
 学校が始まる。
 生徒達の、生徒の母の、告白が始まる・・・

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 「告白」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
 愛の告白?
 罪の告白?

 「告白」とはなんだろうか。
 それは、他者の視点をスッパ抜いて、自分の思いを、価値観をぶつけることだと思う。
 これを知ってほしい、あれを知ってほしい・・・・と言うように。
 愛の告白であれば、あなたをどれだけ愛しているか。
 罪の懺悔であれば、わたしがどれだけ悔いているか。

 しかし自分の価値観と言うものは、他の視点で観ると、穴だらけであったりする。
 その穴を否定するか肯定するかは、人それぞれであったりする。

 僕は映画が大好きだ。
 本ブログで、僕は鑑賞した一つ一つの作品に「告白」をしているのだと思う。
 勿論ながら僕の勝手な、主観的な作品評であるから、穴だらけであることは自覚している。
 一度感想を書き上げ、その後様々な価値観に触れ、後日落ち着いて読み返してみると、「ばかばかしい」と感じてしまうこともあったりする。
 なぜ、書いているときにその「ばかばかしさ」に気付かなかったのだろうか。

 では、ある一つの「告白」をするときに、色々な視点を考慮する必要があるのだろうか。
 または、冷静に考慮することが出来るのだろうか。

 恐らくは、否であろう。
 出来たとしても、それには限界があるし、”様々な”視点を吸収したとしても、練り上げられた答えはやはり”一つ”になってしまう。
 何よりそんなことを考え始めたら、何も言えなくなる。
 やはり何かを語ろうとするとき、捨てなければいけない価値観がある事に気付く。

 全”知”全能という言葉が、人間にとって程遠いことを思い知る。

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 本作の主人公:悠子は、先生である。
 先生は、自分の受け持った生徒達を導いていかねばならない。
 生徒は複数人。価値観も複数ある。
 その価値観全てを、先生は、把握しなければいけないのだろうか。
 また、その価値観全てを、受け入れ、客観的に見つめ、良いことは褒め、悪いことは罰しなければいけないのだろうか。

 先生といっても、一人の人間である。
 やはり限界はある。

 本作で題材とされる”事件”は、命の重みを生徒達に考えさせるには絶好の機会であった。
 しかしその事件で被害にあった人物が、自分の身内であったなら?
 それでも冷静に、「命の重さを考えなさい?」と言えるのだろうか。

 「あなたたちの中に、犯人がいます」

 この一言をきっかけに、様々な人の価値観、様々な人の告白が交差する。
 僕達はその、一つ一つの告白を観て、考えさせられる。

・この事件は、許せないほど悲惨である。
・しかしこの犯人にも、犯行に至るまでの過去がある。理由がある。
・でも他の人から見れば、どんな過去を持っていようが、犯罪はいけないことである、と認識する。

 はてさて、観客は、このうやむやを何処へぶつければいいのだろうか。
 いくら探しても、僕には見つけられなかった。
 ぶつけるべき対象が見つからないのだ。

 恐らくは、娘を殺された先生も、同じであったのだと思う。

 いくら自分の身内を殺されたとて、「あなたは完璧に悪人です」と、言い切れなかったのではないだろうか。
 ”先生”が持つべき”多面的な”視点、”人間”としてどうしても手放せない”一つ”の視点。
 その間で、 悠子も揺れ動いていたのではないだろうか。

 黒板にわざわざ大きく書いた「命」の文字を、黒板消しで消してしまうその姿に、僕は戦慄を覚えた。

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 作品を隅から隅まで知っている人、それは作り手である。
 いわば作品の神である。

 映画の場合は監督である。
 本作は、人の数だけ物の見方があることを把握し、様々な人の告白を並べ立てる。
 そんな多面的な視点を操りつつも、監督の出した答えは”一つ”で、やはり本作も、一人の人間の主観的な「告白」なのだと思う。

 だから、穴もある。
 この作品を観た多くの人の中に、「ばかばかしい」と感じる人もいると思う。
 だけれど、肯定否定何でもいいから、僕はこの作品を観た人に考えて欲しい。

 登場人物が「告白」したこと、その思いを。
 監督が「告白」したこと、その思いを。
 「告白」することで、何をどうしたかったのかを。

 「笑っていいかわからなかった」
 観客の一人が口にしたこの言葉。
 なるほど、と思った。

 泣くとか、笑うとか、そういう安易な感動を押し売りし、エンターテインメント面している作品が如何に多いかを改めて認識した。

 色々な意味で、今、最も観るべき映画である。

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 スタッフロールが終わる。
 劇場が明るくなる。

 今見ている全ての世界。
 積み上げてきた全ての現実。
 今関わっている全ての責任。
 そして映画感。 

 「ばかばかしい・・・・」と思った。

 全てを否定されたような気がした。
 全てを投げ出したくなった。
 全てを一度リセットしたくなった。

 全てを、「どっか~ん!」と壊された。
 別に直接的に否定されたわけではないから、正確には”そんな様な気がした”。

 立つのがやっと。

 フラフラ歩いて喫茶店に入り、アイスコーヒーを頼む。

 コーヒーの黒い色を目で見て。
 氷がぶつかる音を耳で聞き。
 冷たいグラスを手で触り。
 香りを鼻で嗅ぎ。
 苦味を舌で味わう。

 五感全てを刺激して、今僕が、”現実”の中にあることを認識した。

 が、やはりまだまだ引きずっている。
 立ち直るまで、少々時間が必要かもしれない。

 しかし壊されたのなら、構成し直せば良い。
 自分の映画感が間違っていたと思うなら、正せば良い。

 それを認識すること、そこから「更正」の第一歩が始まるのです。






・・・・・・・・・なぁんてね。

ゲン@ 劇場:『運命のボタン』

ゲンです。
W杯の中継を見ようと思ったのですが、「ブーン」って音が不快で見ていられず・・・
南アフリカ特有の応援だそうですが、他の試合でもある様なら全部見れないなぁ・・・

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『運命のボタン』
@TOHOシネマズ 錦糸町(5/13鑑賞)

ボタンを押せば大金が手に入るが、代わりに見知らぬ誰かが死ぬという究極の選択を迫られた夫婦の運命を描くスリラー。
監督は『ドニー・ダーコ』のリチャード・ケリー。
出演はキャメロン・ディアス、ジェームス・マースデン。

不条理スリラーであんまり評判良くなかったですが、『ドニー・ダーコ』の監督なのと、好きな主演二人が共演ってことで劇場まで観に行って来ました。

古典スリラー+古典SF要素で映像的にもなかなか!

ホントに評判が良くなかったのでハードルを限界まで下げていきましたが、なかなか面白かったです。

ストーリーはというと、ある日突然自宅に「押すと100万ドルが手に入るが、見知らぬ誰かが死ぬ」という謎のボタンが届けられた夫婦が、段々と追いつめられていく様子を描いているのですが、スリラーとSFを融合して描く破滅的な閉塞感がタマらなかったです。

決して軽い気持ちで押したワケじゃないけど、その結果が段々と重く圧し掛かっていく様子は、米国中流家庭の悪循環ドラマのようなイヤーな空気が漂ってて、個人的には好きな展開。
最終的に迫られる「究極の決断」も、道徳的な流れで納得。


キャストですが、キャメロン・ディアス『私の中のあなた』に続いて今回も母親役。
『メリーに首ったけ』とか『チャーリーズ・エンジェル』とかキャピキャピしてた頃からファンですが、一時期は低迷してたので、また最近盛り返してきたので嬉しいですね。
元々表現力は素晴らしい女優だったけど、それが存分に活かせる役がこれからも続くといいなぁー

その夫を演じるジェームス・マースデンは、『X-MEN』のサイクロプスや『ヘアスプレー』のコーニー・コリンズ、『魔法にかけられて』のエドワード王子など、妙に印象に残る役が多い彼ですが、今回は作品が作品なだけに素敵な笑顔があまり観れなかったのはちょっと残念だったかも・・・
ですが、父親役という新しいジャンルを観れたのは良かったです。


『ドニー・ダーコ』の監督なので、映像的にも独特な雰囲気があって面白かったです。
古典スリラー特有の冷たく物静かな映像は、どこか恐怖感と不安感を煽られてドキドキしました。


大人版『ドニー・ダーコ』と言ってしまってもいいくらい、不思議な魅力を持った作品でした。

が、『運命のボタン』という邦題はちょっと的外れ・・・

原題の『THE BOX』の方が、色んな意味を含められて的確だと感じました。