この記事は 男泣きしてしまった 梅太 の名の下にお送りいたします
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初日にいけなかったのが残念・・・
●自分の生き場所と、そして死に場所とは・・・・:『レスラー』
監督はダーレン・アロノフスキー。
主演にミッキー・ローク。
さて、女優に眼が行ってしまう僕としては、脇を固めるマリサ・トメイや、『アクロス・ザ・ユニバース』でも熱をあげていたエヴァン・レイチェル・ウッドをご紹介しなければいけないところ。
しかし。
この作品は、なんと言ってもミッキー・ロークに尽きる。
ファーストショット、退廃的な元ヒーローの背中を写した、このシーンの見事さといったらなかった。
なんでか、涙がでてしまった。早すぎだろうとは思うけれど。
またこの1ショットだけで、これがどういった作品かということが、恐らく前知識の無い人でも容易に汲み取れる。それだけの情報量と、説得力がある。素晴らしい。
ラストシーン。
ゾワっとする。何だろう、あの感覚。
そしてタイトルロールで掛かる主題歌の歌詞、「安息の地には留まれない」というところに差し掛かったとき、眼から汗が出た。この作品で描きたかったのはこういうことだったのか。
心臓発作で倒れ、レスラーとしての活動は出来ないと宣言されるランディ(ミッキー・ローク)。
しかし、彼には生きようと思えば、いくらでも道がある。
娘の元、意中の女性、我慢さえすれば安定した収入が得られるパートの仕事。
これらを”安息の地”と捕らえるならば、やはり彼の居場所はそこではない。
彼が求めたのは、死を覚悟してでも舞い戻るべき舞台(リング)であったのだ。
ここで、”死を覚悟して”という言い方をすると、少し違うのかもしれない。そここそが、彼の”生きる”場所であったのだから。
ここで一つ。
今たまたま、シェイクスピアの『ハムレット』を読んでいて、ある台詞が、なんだかこの作品にマッチしているような気がしたので、紹介しておきます。有名な台詞です。
”生か、死か、それが疑問だ。どちらが男らしい生き方か、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を耐え忍ぶのと、それとも剣をとって、押し寄せる苦難に立ち向かい、止めを刺すまで後には引かぬのと、いったいどちらが。いっそ死んでしまったほうが。死は眠りに過ぎぬ、それだけのことではないか。眠りに落ちればその瞬間、一切が消えてなくなる、胸を痛める憂いも、肉体に付きまとう数々の苦しみも。願っても無い幸というもの。死んで眠って、ただそれだけなら。眠って、いや、眠れば夢もみよう。それがいやだ。この生の形骸から脱して、永遠の眠りにつちえ、ああ、それからどんな夢に悩まされるか、誰もそれを思うと、いつまでも執着がのこる、こんな惨めな人生にも。さもなければ、誰が世のとげとげしい非難の鞭に堪え、権力者の横暴や驕れるものの蔑みを、黙ってしのんでいるものか。不実な恋の悩み、誠意のない裁判のまどろこしさ、小役人の横柄な人あしあらい、総じて相手の寛容をいいことに、のさばりかえる小人輩の傲慢無礼、おお、誰が、好き好んでやつらのいいなりになっているものか。その気になれば、短剣の一突きで、いつでもこの世におさらばできるではないか。それでも、このつらい人生の坂道を、不平たらたら、汗水たらしてのぼっていくのも、なんのことはない、ただ死後に一抹の不安が残ればこそ。旅立ちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るのも当然、観たことも無い他国で知らぬ苦労をするよりは、慣れたこの世の煩いに、こづかれていたほうがまだましという気にもなろう。こうして反省というやつが、いつも人を臆病にしてしまう。決意の生き生きとして血の色が、憂鬱の青白い顔料で硬く塗りつぶされてしまうのが。”
・・・・打ち込んでいたら、疲れました。
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あぁ・・・良い。
確認したいことがあるから、もう一度みたい。
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