ラベル 劇場 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 劇場 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年11月20日日曜日

梅太@劇場 一日ってなんだろう〜life in a day〜

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします。

---------------------------------------


 11月3日は、今から約50年前に、スプートニク2号が打ち上げられ、人間よりも一足早く、犬が宇宙へと旅だった。その事実を知ったのは、村上春樹の小説「スプートニクの恋人」を読んだ時だった。勤労感謝の日とか、秋分の日とか、それが何月何日かはパッと言えないけれど、物語の内容も相まって、11月3日という日は、僕の記憶に残ることになった。手帳にも、チェックをつけた。
 来る11月3日。手帳を広げてその日が何の日か思い出して、改めて「スプートニクの恋人」を読み始めた。世界の内、数人かは、きっとスプートニク号のことを思い出したのだろうか、それはもちろん分からない。

 映画や小説を読んでいると、作者は物語の中で、何故この日を舞台にしたのだろうと思う時がある。「500日のサマー」では、主人公とヒロインが出会うのは1月8日であるし、「アメリ」では、アメリが生まれたのは9月3日ということだ。スプートニク号については、完成時期とか天候とかそういうのが重なって11月3日に打ち上げたということなのだろうが、物語の場合は、作者は自由に日にちを選ぶことができる。一年は365日あるわけだし、年号については、紀元後は2000幾通りの選び方がある。そんな中、ある一日を選ぶというのはなかなか難しい作業のような気がする。
 選ばれたその日には、何か意味があるようで、実際はそんなに意味はないかもしれなくて。
 
 ここで、ある一日に焦点を当ててみる。2010年の7月24日。
 僕は何をしていただろう。

 夏の盛りのこの日は、土曜日であったそうだ。天気は晴れ、最高気温は35℃、最低気温27℃。暑い暑い一日だったのだろう。曜日は昨年のカレンダーを見ればいいし、天候はインターネットで簡単に調べられる。

 では、その日、僕は具体的に何をしていたのだろう。

 多分、昨年の手帳を見ればすぐに分かるはずだ。しかしパッとは思い出せない。ということは、ありふれた一日だったのかもしれない。では特別な日であったら覚えていたか・・・と考えてみても、余程のことでなければ覚えていないだろう。

 では、一日ってなんだろう。
 
 「LIFE IN A DAY」という作品は、2010年7月24日の出来事を描く。僕はこの日、何かをしていて、でも他の人は、その人の一日を送っていた。それを意識することは多分できない。僕はその人ではないから。しかしこの作品は、沢山の国の、沢山の人の、この2010年7月24日という日の生活を見せてくれる。僕が僕である以上、絶対に覗けなかった他の人の一日の生活。

 この日もいつも通り、日が上る前の一番暗い時間があった。日が昇り、傾き、沈んだ。
 この日が始まりになった人もいた。
 この日が終わりになった人もいた。
 何かを成し遂げた人もいた。
 何かに感謝を捧げた人もいた。
 人が聞いたら眉をひそめそうな差別的な発言をする人もいたし、自分を肯定してくれる人がいることを再認識した人もいた。
 良いことをし、悪いことをし、人が傷つき、死ぬこともあった。そういう世俗とはまったく無関係(無関心)の人もいた。
 たった24時間の間でも沢山の(ちんけな言葉かも知れないけど、本当に沢山の)出来事があって、当たり前かもしれないけれど、綺麗事だけでは済まされないそんな沢山の出来事を、すべて把握しきれるほど、一人の人間の容量というのは大きなものではない。
 そう、一人の人間に出来ることは決して大きくない、ということを、また自分が人に意見できる立場にあるのかどうかということを、私たちはたまに忘れてしまうことがある。特にこの映画の様に、様々な人の意見を聞いていると、自分の価値観にあわないものも当然あって、「それは違うんじゃないか」なんて言いたくなる時もある。
 でも最近思うのは、僕はそういった”自分の絶対的な意見”というのをあまり持っていないかなとも思い始めている。先日、とある先輩から言われた一言がきっかけで考え始めたのだけれど(そのおかげで、最近我武者羅なのだけれど)、そういうものを持ってない自分が、相手の意見が違うということを、はっきりと言えるのだろうか、そんな風に思い始めている。
 そして一人の人間に出来ることの大きさ、という事に関して言えば、この映画では様々な人の生活が除けて、余分な映像処理をしていない分、確かな手触りをもってそこに映し出されて、今そこで起こっているような、そんな生々しさを伴っているのだけれど、でも冷静になってみると、その世界には手は届かないことに気付く。スクリーンの向こう側で困っている人がいても、手を差し述べることはできない。

 2010年7月24日が、全く持って普通の日であったという女の子の言葉が残響の様に頭に響きながら、エンドロールを迎えるのだが、そこで出てくる「Mind your own bussiness」という言葉。字幕では「他人の事に口出しするな」と、散々他人の生活を見せてきて、最後に突き放された様な感覚に陥るわけだけれど、これは実は、とても優しい言葉なのだと後で思った。
 自分の限界を超えた何かをしようとすると、もちろんそれは自分の成長に繋がる部分もあるわけだけれど、事が大きすぎて、仕上げが雑になって、かえって人に迷惑をかけてしまうこともある。先に述べたとおり、一人に出来る事は限られていて、一人が把握できる世界(人)なんて、全人口からしたらたかがしれている。だからまずは、自を固めてみること、自分の持っている世界の中で、何が出来て何が出来ないかを把握すること、そして人の手を借りれば、更にこれくらいのことが出来るということ、外部の手を借りればもっと...そういうものを、しっかりと固めていきたいと最近思い始めている。

 さて僕は、かなりの頻度で自分の容量というものを忘れてしまう。人から頼まれ事をされると、詳細を聞く前にまず「はい」という。やってみると思わぬ深みにはまってしまう場合もあるが、でも新しい経験が出来るから、僕は特に気にしていなかったし、ありがとうと言ってもらえるのはやはり嬉しい。しかし今年にこれまでに、僕の身に起こった様々な出来事と、先日とある人に言われた一言によって、ちょっと(こういう言い方はしたくはないのだけれど)人に気を使っている場合ではないなと感じ始め、今そこを必死に、何とかしようとしている最中である。何とかなるかは今のところわからない。でもこれは必要な作業なのだと、考えた末の行動である。それでも、人に声をかけられたら、まず話を聞くという姿勢は、絶対に絶対に、忘れないけれど、でも今の自分に無理だと感じたら、もしかしたら断ってしまうかも知れない。そこは許してほしい。かも。

 さて、先に書いた「では、一日ってなんだろう」という問いかけに対して、僕が思うに、大切な一日、特別な一日というのは確かにあって、でも過ぎ去ったその一日を、四六時中覚えているわけでもない。だから、その一日だけで、人生に何か意味が成されるということは無いのだと思う。劇中でも登場するが、プロポーズをしたその日、めでたく受諾されたとして、でもその本当の意味は、その後の生活によって形成されていく。
 この作品は、ある一日を切り取ったものだ。物事が意味を成していく、その過程の中の一日を組み合わせてみても、それは結局過程の寄り集めでしかなく、だから明確な結論がつけられずに締めくくられる。しかし明確な結論がないからこそ、各々の「一日」の考え方が生まれていく。この映画をきっかけにして、自分の中で「一日」がどういうものか、考えてみるのもいいかも知れない。もしかしたら、これからの過ごし方が、少し変わっていくかも知れない。

2011年6月24日金曜日

梅太@ 劇場:スーパー8 ~危険を冒すこと、それが冒険~

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・



 子供の頃は、通いなれたエリアでさえ、知らない場所は沢山あった。
 あの角の先には何があるのだろう。この狭い路地を抜けると何があるんだろう。自分の住む7丁目から出るのも、ちょっとした緊張を伴った。その緊張は少しの怖さに変わり、その怖さはワクワクに変わった。好奇心、探求心。それに抗える子供なんて、なかなかいない。
 知らない場所で得られる物は、新しい景色、勝手の知らない道。そして無事に帰れるかどうか、という不安。しかし次に訪れる時は、そこは見知った町並み。精神的に安全なエリアとなる。
 いくつかの恐怖と、「ここまでは行動しても安全だ」という加減の見極め、それを自然と繰り返しながら、私たちは年をとっていく。

 子供の頃は、知らないことが沢山あった。
 学校で勉強すること、それも含まれるけれど、例えば友人との付き合いにおいても、好きな人苦手な人、様々な人がいて、その感情をストレートに出してしまうが故に、相手を傷つけてしまう場合もある。また人との関係には、出会いもあれば別れもあって、初めて体験するそれらは、ただ過ぎていくイベントであるけれど、別れる事に寂しさを覚え始めると、人との体験を何より大切にするようになるり、出会いの楽しさを覚えれば、いつでもそれを求めるようになる。家族関係においても、親の言うことを聞かず、ダダをこねて困らせてしまったり。ふとした瞬間に、親の優しさを知ってしまったり。
 「どうしたら相手に不快な思いをさせずに済むんだろう」「どうしたら相手に喜んでもらえるんだろう」という自問自答を自然に繰り返しながら、私たちは年をとっていく。

 思えば大人になると言うことは、その加減を知っていく事なのだと思う。それが全てというわけでなく、一つの側面として。
 しかしいつしか、加減を知りすぎて、そのエリアから外を見なくなる人もいる。もちろんそれは悪いことではない。危険なことはやはり危険だから。危険を冒して身を滅ぼすならば、自分のエリアにいた方が安心できるから。

 「スーパー8」で描かれる主人公は、自分のエリアを忠実に守る少年であると感じた。理解してもらえる幼なじみがいて、優しくしてくれる近所のおじさん達がいて。趣味を共にする仲間がいて。母を失い、その悲しみが時に自分に陰を落としても誰も文句は言わない。そして自分を肯定してくれる女の子との出会いがあって、このまま世界が進んでいくかの様に思えた。そんな中、突如舞い込んだ異分子。正体不明のその存在に、自分の生活は次第に脅かされていく。心の寄り処であった母の面影も、そのドタバタの中では時に忘れてしまうこともある。

 それは肉体的にも精神的にも、今まで過ごしていた自分のエリアの、確かに外の出来事だ。その体験を通じ、友に頼るだけが生きる道でなく、悲しみに浸るだけが、母を想うことではないと悟る。外に出ることで、危険を冒すことで、彼は外の世界を知り、解決への道が一辺倒でないことを知る。

 冒険というのは、どんな種類の物であれ、いつの時代のものであれ、無事にそれを終えられたとき、その人を一回り成長させる物なのだ。どう成長したかは、もう少し大人に成ってみないとわからないけれど。

2011年5月22日日曜日

梅太@ 劇場:メアリー&マックス

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 「アフターダーク」という村上春樹の小説は、主人公の女の子が渋谷のファミレスで深夜に読書をしていると、ある男がいきなり相席してきて、その男と関わったが故に多少のいざこざに巻き込まれるのだけれど、結果的にはとりとめて何も起こらず夜が明けるという作品。
 筋書きだけ読んでも特に興味は惹かれないかもしれないし、内容としても大きなスペクタクルがあるわけでもないけれど、不思議とこの作品は僕の心に引っかかる。

 この物語の中で描かれる出会いは、主人公の女の子と相席した男を別にすると、ほとんどが一過性のものになる。ラブホの店長、暴力を振るわれた少女、コンビニに落ちていた鳴り続ける携帯電話。それぞれの視点に立てば、各々それなりの結末を迎えるのだが、主人公目線に立つと、実は何も解決はしていない。ふとしたきっかけで出会って、通り過ぎるだけのものである。
 ただこの物語を自分の生活に置き換えてみたとき、僕の普段の生活も、気付かぬ内に出会いと別れを繰り返しているということに思い至った。
 例えば電車に乗っていて、自分の隣に座った人がいる。その人にはその人の世界があって、でもたまたま何かのご縁で、とあるタイミングで僕の隣に座る。一瞬、世界が交わる。しかし何もなく、それぞれの道へ向かって歩き始め、世界は離れていく。人でなくても良い。花でも食べ物でも景色でもゴミでも、生きている内は何かに出会い、そして分かれる。

 「メアリー&マックス」という作品は、オーストラリアに住む内公的な少女が郵便局で親を待つ間、暇を持て余して住所録を眺め、「そうだ、この人に手紙を送ってみよう」と思い立ち、行動に移す。その手紙はニューヨークの、これまた余り外向的とは言えない中年男性の元に届き、二人の文通が始まって・・・というものだ。
 この二人の出会いは全て、ふとした思い立ちの積み重ねで成り立っている。
 親と一緒に郵便局に行く。暇を持て余して住所録を読む。ニューヨークって不思議な名前の人が多いねと思う。そうだ、手紙を送ろうとなる。少女の道が、見知らぬ誰かの道と交わろうと、行く先をじわりじわりと変えている。 相手先の中年男性が、「なんだこの手紙は!?」と突っぱねてしまえば、道は交わることはなかった。だが手紙の内容が男の琴線に触れ、少女の好奇心に答えようと、お返事を返す。二つの道は交差を始めた。

 出会ったものに興味を持ち始めると、自分と相手の世界は交差を始め、自分にとって知らなかった道が見えてくる。その交わった道について、進んでいる内はその出会いが自分たちにもたらした大きな影響には気付けないけれど、ふと立ち止まり振り返ってみると、出会う前に歩んでいた道の延長線を歩いているだけでは一生気付けなかったことを教えてくれたりする。全部が良い影響とも限らない。悪いことばかりでもない。また、与えてくれた影響を見落としてしまうこともままある。それでも出会いというのはそれほどに大きなものであって、「へぇ」と一瞥して過ぎ去って行かせるには、余りにも惜しいことなのだ。

 見えるもの・出会うもの全てと付き合うことは、一人の人間のキャパシティとしては難しいことだけれど、でも興味を持ったものとは出来るだけ、付き合いを深めていきたいと思うし、また相手にも、自分に対して興味を少しでも持ってくれたなら、それはとても嬉しいことだと思う。

---------------------

 「メアリー&マックス」について、その内容にはほとんど触れておらず、また鑑賞された皆様方においては、全く違った印象を与えられていると思う。
 これは事実を元にした作品で、しかしクレイアニメーションで描かれているが故に、どこか寓話的な雰囲気が流れている。欠点を受け入れて生きていくこと、そんなメッセージを伝える上で、アニメを用いてダイレクトさをグッとと抑えることで、かえって想像の幅は広がっていった。思いを伝えるための表現手法の選定というのはとても難しいと思うが、本作の様にガチっと合ってしまうと、その物語の人に及ぼす影響の可能性は、無限に広がる様に思う。僕にとってこの作品は、交わる二つの道というのを見つめるのに、とても良い影響を与えてくれた。

 良い出会いでした。

2011年5月5日木曜日

梅太@ 劇場:『スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 エドガー・ライト監督最新作『スコット・ピルグリムvs.邪悪な元カレ軍団
 ラモーナ風に訂正するなら邪悪な元”恋人”軍団。 

 ストーリーは。
 バンドのベースを担当する青年:スコット・ピルグリムは、ある日出会った赤毛の女の子:ラモーナに恋をする。彼女をゲットしたい・・・猛烈にアタックを続けるスコットには、しかし大きな壁が立ちふさがる。
 「わたしと付き合いたければ、7人の元カレを倒さなければいけないの」
 スコットは元カレを倒し、ラモーナをゲットする事ができるのか。


---------------------------------


 オマージュ作品とは?

 『魔法にかけられて』というディズニーの映画を見てから、オマージュ作品というジャンルの立ち位置を考えることが多くなった。
 そういう作品を作る人というのは、元となる映画(に限らずだけど)が好きで好きでたまらない!という人で、その思いは、元ネタを知らない・興味がない人をも巻き込み、その良さを伝えてくれることがある。
 『魔法にかけられて』は、ディズニーの世界の住人が、現代のNYに放り込まれたとき、いかにとんちな行動を起こすのか・・・というコンセプトが面白く、しかし確実に異なる二つの世界:現実世界と理想郷を比較することで、ディズニーが昔から作り上げたかった世界とは何だったのかを教えてくれ、ディズニー・プリンセスというジャンルに特に興味の無かった22歳の男性が、劇場でボロボロ泣くという事態に陥ったわけである。

 さて、この『スコット・ピルグリム』という作品は随所にTVゲームをオマージュしたシーンが見受けられる。
 本作を見た後、僕はTVゲームとは一体何なのだろうかというのを考えた。
 今回はRPGに焦点を絞ることにする。

 RPG:ロールプレイングゲームは、ゲーム内で割り当てられたキャラクターを操作し、町の人と接したり敵を倒して経験値を積み上げながら、与えられた課題をクリアしていく。課題をクリアすることでまた経験値を得、ラスボスを倒して終局を迎える。
 すでにそれが体系化されすぎて、ゲームとはそういう物だと割り切ってしまいがちであるけれど、ゲームとはそもそも、現実に起こる出来事の可視化によって生まれた物なのではないか・・ちょっと考えてみる。
 
 現実で、僕は誰かと出会う。話す。
 仕事をして、知識を得る。技術を得る。
 でも「これをして得た経験」とは、具体的な数値として与えられるわけではない。それを可視化したものが、ゲームで言うところの経験値というものだ。
 強い敵であればあるほど、得られる経験値が高い。
 現実に置き換えれば、大変なプロジェクトを達成させたとき、その人はとても大きな経験をしたことになる。それらの経験は、僕たちを次へのステップへ押し上げてくれる。これがレベルアップというやつだ。
 ゲームの要素を一つ一つ紐解くと、実は現実世界と密接に関係している物だと言うことが見えてくる。
 (他人の家のタンスの中から10ギル出てくる・・というのは、どう考えるべきか悩むところだけど)

 もちろん、可視化する事で行為が頭の中で単純化されてしまうという部分もある。
 現実世界はゲームとは違うのよ!と、よくよく親に怒られたりもするが、それはそういうことで。様々な出来事を通じて、少なからず経験値を得てはいるのだけれど、それが具体的に報酬として見えてこないことにイラだってしまう人もいる。

 本作では7人の元カレを倒すことで経験値を得、スコットはレベルアップしていく。いかにもゲーム的。
 けれど現実では、段階こそ明確には見えないけれど、実際何かを達成させるまでには知らないうちに僕たちは段階を踏み、一つ一つを経験して、成長していく。
 現実で起こる出来事:意中の女性をゲットするまでという道のりを、ゲームと絡め合わせることで、ゲームという物が現実世界ではどういう立ち位置にあるのかということを考えさせてくれた。
 
 小さな経験:”何か”を見逃さないこと。

 僕がこの作品で一番見事だと思ったのは終盤、ラスボスにやられてしまい、死の世界(?)で自分を振り返るシーンだ。
 実力としてはラスボスと対等に渡り合える程の力を得ているスコット。ラスボスと戦っている最中に、スコットの元カノが現れ、ラモーナに対しケンカをふっかける。この泥棒ネコ!と。そして女性二人のキャットファイトが始まるのだが、このときラモーナは事情(実は自分と二股をかけられていた)を知らない。ケンカの仲裁に入り真相を打ち明けるスコットは、同時に二人の信頼を失い、戸惑い、一瞬の隙を突かれ、ラスボスの前に倒れる。
 そして場面は代わり、死の世界で、スコットは自分の行動を振り返り、こう言う。

 「あ、何かを学んだ気がする。あ~、生きてればやりなおせるのにな~」

 と。
 僕がこの言葉のどこに惹かれたかと言えば、”何か”という非常に曖昧な表現だ。
 その”何か”具体化させることが、人間が成長していく過程であると思うし、それを具体化させ、自分のものとする行為を積むことで、大人へ近づいていく。
 この”何か”という表現は、どこか子供の持つ曖昧さを感じさせたけれど、形作られていないふわふわした考えを見逃さず、自分の中で形にしていくことが、人間の成長過程では大切なものなのではないかと思う。


▼▼▼▼▼▼

 以前『平成ガメラ三部作』のオールナイト上映での舞台挨拶で特技監督の樋口さんが『ダークナイト』と本作を比較していた。すごく意外な比較であって、でもその時僕の中には引っかかるものがあって、以来色々と考えていた。
 どこまでもリアルに描くことに徹する『ダークナイト』。
 どこまでもリアルを無視する『スコピル』。
 メッセージの重量感が評価された『ダークナイト』は、後の映画に確かに影響を与えた。物事を真面目に語ること。ただその真面目さ・リアルさ・完璧さ故に、僕の中では実は、今一歩両手を広げて最高の作品といえない作品であったわけで。
 そんな作品からすると、かなり軽いノリで見れてしまう『スコピル』は、ちょっと軽視されてしまう部分もあるかもしれないが、軽いノリの中で何か重要なものが潜んでいる。絵本の世界とか、そういうのに近い。

 しかし何か表現したい思いというのはそれぞれあって、それをどう形にするか、という違いでしかない。
 どちらが正しくてという問題ではなくて、ただ、どちらも一つの表現であるということ、同じ土台で比較しても、何ら問題のないこと、ということを、樋口さんは言いたかったのではないかと、過大解釈をしている。

 映画ってこれでいいんだ。
 ということを『スコピル』を見て感じる。

▼▼▼▼▼▼


 予告編を観たときからずっと、どんな作品になるのだろうか・・・というのが気になって気になって仕方なかった。
 同監督の前2作『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ホット・ファズ』は、全編に散りばめられた幾多の映画へのオマージュに彩られ、使い古されたネタも、加工次第でこんなにも面白くなるのかとただただ笑わせてもらったけれど、それ以上でもなければそれ以下ではなかった。
 いやそれは悪い意味で言っているわけでなく、”純コメディ””純パロディ”としての立ち位置を追求していく監督の姿勢はとても好きで、それこそ映画だろう、と胸が熱くなるシーンが沢山あった。

 本作も、同じである。
 が、ぶっとび過ぎてもはや制御不能な中に、ものすごくうまい部分があったように思う。それはマイケル・セラのキャラクター性と、全国のマイケル・セラ・・いや、全国の青年が迎える恋の場面と、エドガー・ライトの語り口が、絶妙にマッチして生まれたように思う。
 でもエドガー・ライトはどこまで意識してこれを作っているかは分からない。ただハチャメチャにこういうのが作りたかった・・・というのが、実のところなのだと思う。

 その純粋な思いに、本作でもまた胸を熱くし、泣いてしまった。


---------------------

 長々と書いてしまい、なんだか重苦しい雰囲気な映画ととられてしまうかもしれないけれど、以下に掲載した予告編の様に、実際のところハチャメチャな映画ですので、劇場で見て、みんなでガハガハ笑ってほしい、この春最高にオススメしたい作品です。

 本年一位も嘘でないかも。


 ↓↓予告編↓↓

2010年9月12日日曜日

梅太@ 劇場:名画座日記-9

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

名画座日記-9

 早稲田松竹にて、『CHICAGO』と『NINE』、ロブ・マーシャル監督2連作を観て来ました。
 今日はとりあえず、『CHICAGO』のみについて書きます。
 が、内容と言うよりは、思い出話・・・

 率直な感想は、最初の5行を読んで頂ければ十分です。

---------------------

●『CHICAGO』

 もう、一生ものの思い出です。
 どんな宝石よりも煌びやかに光る一日。
 この日を忘れることは、生涯無いだろうと思います。
 この気持ち、お墓までもって行きます。・・・これは意味が違うかな。

 再映にこぎつけてくれた全ての人に感謝。

▼▼▼▼▼


 僕が映画を沢山観始めたのは、2004年から。
 その年から、劇場に多く足を運び、そしてこれまで見逃していた作品を観るため、レンタルショップにも多く足を運びました。
 (学生の頃は今みたいに、「DVD1000円だし、買っちゃえ」とはならなかった)

 思えばこの頃がむしゃらに、ジャンルを選ばず沢山の作品を観たことは、今の自分の基盤になっていると思います。

 さて。

 劇場公開を逃して惜しい思いをした作品は数多くありましたが、本気で悔しいと思った作品が一つあった。
 自宅でDVDにて鑑賞し、その素晴らしさに驚喜したと同時に、歯がゆい思いをしたのを今でも覚えています。
 これを劇場で観れたなら、僕の映画人生の、ある一つのパートが完結すると言っても過言ではないくらいの作品。

 That's "CHICAGO"・・・それが、『CHICAGO』でした。
 
 それがこの度、劇場で観れるというではないですか。
 どんな予定をも差し置いて、この日を空け、待ちました。
 (実際のところ、何の予定も無かったのですが)

 作品の素晴らしさも勿論ですが、取り巻く環境(劇場や観客の状況etc)の、その全てが宝物のような気がしました。


▼▼▼▼▼▼

 さて、幕が上がる。

 大写しになる瞳。
 カウントアップで始まる『All That Jazz』で、まず驚喜。
 『Cell Block Tango』、こんなにも力強かったのかと思い知らされる。

 ロブ・マーシャルのミュージカル映画の、そのミュージカルシーンに登場する女性達は、ほぼセクシーな格好をしている。
 これは尊敬するボブ・フォッシーの影響も大であることは、『オール・ザット・ジャズ』(これは映画ね)を観た後だとわかる。
 肉体本来の持つ力強さ・迫力というのは、エロさを超えてカッコイイとさえ思うし、やはりそこに官能さが加わり、ドキドキワクワクが収まらない。
 ・・・女性はどう見るのかわからないけれど。

 さて本編に話を戻す。

 『We Both Reached For The Gun』、リチャード・ギアのナンバー。
 マリオネットを取り入れたコミカルなパート。
 後半で糸を操っているギアの姿が映され、記者を話術で煙に巻き、自分の手の内で踊らせている・・・という状況とマッチしていて、ここもとても大好きなシーン。

 『Roxie』、鏡を用いた幻想的なステージ効果に陶酔する。
 これは”映画”でしか表現できないだろう、どこまでも”ミュージカル映画”を楽しませようとするマーシャルの工夫に拍手。

 ジョン・C・ラリーの『Mister Cellophane』は、劇中最も静かで目立たないところが、曲のタイトルに重なっていて笑いを誘う。
 でも哀愁漂っていて、何故か頭に残り、見逃せないナンバー。

 さてさて、Ladies and Gentlemen.
 世にも珍しい、元囚人の二人組みが贈ります、お待ちかねのこのナンバー。

 『Nowadays』から緩やかに始まり、テンポアップで魅せる、キャサリン・ゼタ=ジョーンズとレニー・ゼルヴィガーの怒涛のパフォーマンス。

 唇と、そして幸福を噛み締め、ただひたすらに画面に喰いつく。
 そう、このシーンの為に、僕は滅多に座らない一番前の座席に座ったのです。
 僕とスクリーンの間を隔てるものは何も無く。
 ダイレクト伝わってくる映画の感動。
 もう涙が止まらない。
 I can't stop the BEAT !!・・・あ、これは違う映画だ。

 もうホント、この場に立ち会えて、この時間ばかりは、僕は世界で一番の幸せモノだと思っていた。
 そしてこの時ばかりは、映画はこれ以外何もいらないとすら思ってしまった。

 もう最高だ、人生ハッピーだ。

------------------

 冷静に見つめてみると・・・いいや、その話はまた今度にしよう。

 恐らく今後も、何度かDVD(帰りにBlu-ray買っとけば良かった)を見返すことになるかと思いますし、10月に企画されている『おすぎチョイス』にも足を運ぼうと思ってますが、今日と言う日には勝てそうに無い。

 何度も言ってしまっているようで、若干言葉の効力を失いつつありますが。
 締めとしてもう一度言わせてください。

 一生ものの宝物です。

2010年8月15日日曜日

梅太@ 劇場:『ネコを探して』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

●変わらない仕草、移ろい行く意味:『ネコを探して
監督:ミリアム・トネロット
主演:世界中のネコと、その周りのヒト

 世界の猫を巡るドキュメンタリー。
 しかしその実、追っているのは人間の歴史や文化であって。
 人間ではない「外の目線」、第三者の視点から見たとき、ヒトはどう写るのか。
 そこがとても興味深かったです。

------------------------

 飼っていた黒猫:クロが、突如としていなくなった。
 飼い主は場所を超え、時空を超え、クロを探す。
 クロを追う度、飼い主は様々なネコ、様々なヒトにで会う。
 その出逢いが飼い主の、ネコを観る眼と、そして世界を見る眼を変えていく。

 設定こそファンタジックだけれど、これはネコとヒトを追ったドキュメンタリー映画。
 フランスの女性ジャーナリストがメガホンを取った。

 ここ近年『ヒトとケモノの関わり方、ヒトがケモノに対して持つ思い』というものを考えていた僕にとって、この映画は解決へのヒントを少し、与えてくれたように思います。

▼▼▼▼▼▼

 例えば。

 今も昔も、本能に基づいて生きているケモノにとって、その行動と言うのはまず変わらない。
 食べたければ食べる。
 寝たければ寝る。
 子孫を残し、死んでいく。
 ただ、それだけのこと。
 それだけのことを遠い昔から変わらずやってきたわけである。

 これは考えてやっていることではなく、本能的に行っていることである。

 ただヒトは、思考能力がある。
 ケモノの行動に、ひいてはそのケモノの存在自体に、必ず意味を求める。
 そして導き出した意味を、勝手にケモノに貼り付けては、一喜一憂している。

 これはケモノ目線からしたら、ちょっと迷惑なことではなかろうか。

 本作で題材とされたネコ。
 皆さんは、ネコといわれたときどんなことを思い浮かべるだろうか。
 自由?
 勝手気まま?
 別にネコは考えてそうしているわけではない。
 本能的にそういう風に生きているだけである。

 しかしその生態は、19世紀フランスの社会情勢下では「自由の象徴」として扱われた。
 少し前の時代では、悪魔の化身など「不吉なものの象徴」として扱われていたのに・・だ。
 そして今の時代、特に日本に見られる傾向として、ネコは商業には欠かせない存在であり、またペットブームという事も重なり、「癒し」や「安らぎ」を与える存在として扱われている。

 何度も言うが、ネコの行動は一つとして変わっていない。
 しかし変動する世界情勢、それによって変わるヒトの価値観によって、ネコが行動する「意味」というのは移ろっている。
 が、共通していることが一つあるとすれば、それは「”ヒト”にとって都合の良い意味」が付けられているということなのではないかと思った。

▼▼▼▼▼▼

 それが顕著なのが、商業的な一面が色濃く出ている現代の日本なのだ。
 服を着せたら、ネコが嬉しそうとか。これなんてホント、人間の勝手である。
 また、バウリンガルに対抗したミャウリンガル。
 これで表示される言葉も・・・いや、勿論販売するからにはある程度ネコの生態にあわせているのだろうけれど、この映画で指摘していた一言、

 「ミャウリンガルで表示される言葉に”助けて”はない」

 それはそうだ。
 保健所で泣き喚いているネコにミャウリンガルをつけたら、恐らく助けての連呼になるはず。
 このシークエンスは、保健所でこれから”処理”されてしまうネコたちの映像に重なり、かなり胸に突き刺さった。

▼▼▼▼▼▼

 また、ネコカフェの映像も映し出される。
 ネコカフェではまさに癒しの存在の象徴として、ネコが扱われている。
 やれ、あの子がカワイイだの。
 やれ、あの仕草がカワイイだの。
 (・・・・うん、カワイイのは確かなのだけど)

 ただ、ネコカフェでインタビューを受けていた一組のカップルの言葉は、インパクトが強かった。

 女性の方の、
 「ネコって、子供の時から大人まで、ずっとカワイイじゃないですか。人間はそういうことないので。それってすごいですよね」

 この言葉を受けて、男性が言う。
 「人間って、相手の嫌な面とか見てしまうと、飽きて離れるじゃないですか。そいういうの、ネコにはないですよね」

 心底癒されたその表情から発せられたこれらの言葉は、僕をゾっとさせた。

 それは何故といえば、「人間が今、ペットをどういう風に見ているか」ということを考えてみると分かる。

 ペットに服を着せたり。
 話しかけ方、対応の仕方(健康管理とか)などが、まるでヒトに対して行っているのと同等(もしくはそれ以上?)であったり。
 つまり擬人化というもので、今のヒトたちはネコを、ネコというものを超えヒトとして扱ってしまっている部分がある。

 そう考えた上で、先の言葉をもう一度読んで欲しい。
 これは極めて危ない発言ではないだろうか。
 ヒトとして扱われるネコも、嫌な面を見せられると、飽きられてポイ・・・ということに、なるのではないだろうか。

 いや、なるのではないだろうかなんて、言っていられないかもしれない。
 野良猫の多さ、保健所で”処理”されてしまうネコの多さを考えたら、それは既に始まっているのかもしれない。

▼▼▼▼▼▼

 さて、言いたいことは尽きないのだが、とりあえずここで纏め。

 この作品は数多くのことを考えさせてくれる。何か取っ掛かりを与えてくれる。
 それはネコ単体での話しでなく、ヒトを含めた生き物全体へと、話を昇華できる。

 その中でも僕は、本記事中でも散々言ってきたのでもう飽きたかもしれないが、

・「人間にとって都合の良い意味づけ」
・時代と共に移ろい行く”意味”(ネコは何一つ変わらないのに。。)

 という2点を、とても強く感じたし、考えるキッカケともなった。


 「こういう作品だと思わなかった」

 劇場を出る際、チラと聞こえた一言。
 今のヒトたちがネコに対して求めているもの、そしてこの映画で監督が描きたかったことのズレを感じさせる、ズバリな一言でありました。

 この一言を素直に観客に引き出させただけでも、この作品は成功なのではないでしょうか。

------------------------

 ・・・久々にまともにブログ記事書いた気がする。
 いつもどういう風に書いていたか、感覚を若干忘れてしまった僕。
 あと、言葉に落とし込む手法も、なんだか取り戻せてないな。
 やはり定期的に書かねば。

2010年8月8日日曜日

梅太@ 劇場:『劇場版仮面ライダーW Forever AtoZ運命のガイアメモリ』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

●Uの憂鬱/ウソから醒める瞬間:『劇場版仮面ライダーW Forever AtoZ運命のガイアメモリ

 昨年のこと。

 口にするのも若干おぞましい平成仮面ライダーの10作目『ディケイド』の、TV版~劇場版に対する一連の騒動(?)について、僕はかなりキツい批判をした。
 そのとき、言われたことがある。

 「別に子供向けのものなんだし、そこまで突っ込まなくてよくないか?」

 ちなみに誰に言われたかは全く覚えていないのだけれど、言葉だけが引っかかった。

 僕は近年、映画、もしくはサブカルチャー全体に対する思いが強くなれば成る程、仮面ライダーへの不満が募っていく傾向にある。

 映画作りとはつまり、「一つの作品の中に、自分の考えを表現”しきる”」という行為である。

 2時間なら2時間。
 その中で、如何に自分の表現したいことを収めるか。
 そこまで崇高なものでないにしろ、自分のやりたいことをいかにやり切るか。

 「子供向けだから、その辺のバランスを無視してもいい。」
 「どうせそんな部分には気にしないし、大丈夫だろう。」

 そんな妥協を、許せない自分が居る。最近。


▼▼▼▼▼▼

 さて、今日は『仮面ライダーW』の劇場版を観てきました。
 本シリーズは、この10年の歴史を通してみてもズバ抜けた出来の良さを誇っていると思います。
 だからこそ、『ディケイド』で離れた僕の心を繋ぎとめたわけです。
 
 また、よくわからないディケイドとのコラボもようやく終わりを告げたので、単品で巣立つ今回の劇場版を、僕はかなり期待をしておりました。
 

 感想としては・・・・「振り切れなかった!」である。

 いや、正直に言うと。
 途中までの出来は、本当に素晴らしかったと思う。
 100点です。コチラとしては。
 『電王』以来、久々にそう思った。

 TVシリーズからの系譜(つまり、「予備知識的なものが必要」)・・・というマイナス要素を入れ込んでも、それを打ち消すだけの力はある。

 ”特撮”というものが満足すべきたった一つの最低(にして絶対的な)条件をキッチリとクリアしていたし、柄にもなく(いや、いつもどおり?)、燃えてしまった。

 というより泣いた。ちょっと。

 だが、たった一つの異分子により、全てが醒めてしまった。
 他の部分が素晴らしかったが故に、そのシーンの異質さがより際立ってしまっていた。
 醒めた。冷めた。

 全体の流れを完璧にするため、全体のプロポーションを整えるため、そのシーンを削除しようとは、考えないものなのだろうか。

 ・・・・いや、わかる。
 仮にも10年、全てのシリーズを観てきたし、全ての劇場版を観てきているから、そういう展開があることは予想できたし、鑑賞前も「どうせそういうことあるんだろうなぁ」と、薄々感じていた。

 ・・・・うん、わかる。
 確かにファンサービスというものも必要だとは思う。
 ある程度は。

 ・・・・ただ、待ったをかけたい。
 それは、なんというか、”ファン”という存在に頼りすぎてはいないだろうか?
 それで、いいのだろうか。


 仮面ライダー、という枠を超え。
 特撮、という枠を超え。
 一つの”作品”として、形に残そうとは、思わないものなのだろうか。

 最後10分、ずっとそれだけが頭に残っていて、どんなに良いシーンが展開されようとも、その考えが頭から振り切れず、苦虫を齧りながら、劇場を後にした。
 なんだか本当に、絶望が僕のゴールだったかもしれないなぁ。今回は。


▼▼▼▼▼▼

 なんだか最近は、拘りが強すぎて。
 劇場内で、心地よい”ウソ”から醒める瞬間が、ものすごく嫌。

 「気にしなきゃいいじゃん」
 「そこまで考える必要あるの?」

 うん、そうなんだけどね。
 
 でも世の中には、その”ウソ”に終始浸らせてくれる素晴らしい作品も、確かに存在していて。
 そういう作品に数多く出会っていると、こういう粗が、ちょっと嫌。

▼▼▼▼▼▼

 さて、今月でTVシリーズも終わりです。
 どういう結末を迎えるのでしょうか。

 ちなみにTV版で唯一登場しなかったWのマキシマムドライブは、本劇場版で初お目見えいたします。


--------------------------

 仮面ライダーを本気で考える。
 なんだこの23歳。



 

2010年7月18日日曜日

梅太@ 劇場:『借りぐらしのアリエッティ』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

●あの夏に置いてきた、小さな”わすれもの”:『借りぐらしのアリエッティ
監督:米村宏昌
出演:志田未来、神木隆之介


 青春、という言葉から思い出される季節は、圧倒的に夏が多い様な気がする。
 それはなぜだろうか。
 着ている服が薄くなるように、心もどこか、開放的になるからだろうか。

 何にせよ、「夏」というのは、その言葉だけでドキドキしてしまう。
 「夏の出逢い」というものに、憧れてしまう。

 そしてできることなら、この作品の様な出逢いがあったなら、いいな、と思う。
 いやもしくは自分が忘れているだけで、もしかしたら子供時代は、こんな出逢いをしていたのかも・・・


---------------------

 ストーリーは。
 心臓の手術を控えた少年:翔は、母が出張中に、親戚の家で一週間を過ごす。
 親戚の家を訪れた初日、翔は庭で、小さな小さな女の子を見かける。

 彼女の名はアリエッティ。”借りぐらし”をする、小人族の一人であった。

 翔は、小人の世界を知る。
 アリエッティは、人間の世界を知る。

 二人の出逢いは、互いの”世界”の見方を変えていく。

▼▼▼▼▼▼

 『借りぐらし』のアリエッティは、小人のお話である。
 人間の住む家のちょっとした隙間から入り込み、必要最低限のものを”借り”て、生活している。
 彼らの住まいは、僕達の家の下。
 普段は気にもしない、暗闇の中。

 さて。

 ファンタジーとは、非現実的な物事を描く。
 しかしそれを紡ぐ作者は、現実に生きる人たちである。

 だから、彼らが紡いでいる物語には、現実世界の中に着想があるはずで・・・

 最近、そういう事を考える。
 素晴らしいファンタジーを観るとなお一層考えてしまう。
 「この人たちはいったいどこからヒントを得ているのだろう・・・」

 そう考える時間、思いを馳せる一時が楽しい。
 この作品の着想の一つとして、僕が考えるのはこれだ。

 家の中で、モノをなくす。
 探しても探しても見つからない。
 しかし、しばらく時間がたったころ、それはあっさりと見つかってしまう。

 「なんでこんな目立つところにあったのに、見つからなかったのだろう」

 作者は考えたのだと思う。

 「きっと誰かがそれを、一時的に”借り”ていたのではないだろうか。」

 誰が?
 それは例えば、小さな小さな人間が。
 でもそこは自分の狭い部屋。
 いくら小人だからって、いつもいる場所だし、一目くらいは見ていてもおかしくない。
 彼らは一体、何処に住んでいるのだろう。

 「そうか、きっと彼らは、家具や床下の狭い狭い隙間に住んでいるんだ、そうに違いない。」

 そうやって人間は、不可思議な出来事に遭遇すると、想像で埋めようとする。
 特に、”ハッキリ”としないものは、想像の宝庫である。
 ”ハッキリ”と見渡せない暗闇の中に、何かいるのではないか。
 ”ハッキリ”と分からない事象には、何が絡んでいるのだろうか。

 そうやって想像することで、人生を楽しくしている。
 そしてその想像を言葉で表すと、本になる。

 作者が想像した創造物が、人の手に渡り、また新たな想像を生み。
 そしてまた、何かが創造される。

 人が想像することをやめない限り、魅力的なファンタジーは、止まることなく生み出される。
 それは僕にとって、とても嬉しい連鎖であると思う。

▼▼▼▼▼▼

 以上のようなことを考えながら、翔とアリエッティの出逢いを見つめる。

 翔にとって当たり前だと思っていた世界の中に、突如としてイレギュラーが入り込む。
 自分の知らない世界があったことを知る。
 現実と、ファンタジーが出会う瞬間だ。

 涙しか出てこなかった。
 想像力の勝利である。

 二人の出逢い以降、僕の想像力は様々な方向へ飛翔していく。

 ただ、風が吹くだけで。
 ただ、草木が揺れるだけで。
 ただ、窓に小石がぶつかるだけで。
 ただ、床が軋むだけで。
 そして。
 ただ、そこに自然と言うものがあるだけで。

 そこには”何か”が潜んでいるのではないか、と思ってしまう。
 そうやって”想像する”だけで楽しくなってしまう。

 それは「夏」という言葉を聞くだけで、”何故か”それだけでドキドキしてしまう感覚に良く似ている。
 この夏、これから起こるであろう出来事を”想像”するだけでワクワクしてしまう。

▼▼▼▼▼▼

 物語は大きなスペクタクルがあるわけでもなく。
 ポニョのような、ド派手な水走りがあるわけでもない。
 ラピュタのようなバルスもない。

 ただ夏が来て。
 ただ二人が出会った。

 それだけの話だ。

 しかし、自然の中でゆっくりと過ぎていく中で、小さな楽しみを見つけ出す。
 その小さな楽しみを、想像力によって、大きな楽しみへと昇華させる。

 そんな夏を、久しく過ごしていなかった様な気がする。

 小さな紙切れに、翔が書いた「わすれもの」の一言。
 僕はあの頃の夏に、ただ想像するだけの楽しさを、忘れてしまったかもしれない。

 それは今からでも、とりにいけるだろうか。


----------------------------

 この夏は、ワクワクする日々を過ごしたい。

 そんなあなたにオススメの一本。
 いや、必見の一本。

 是非是非、劇場で。

 大好きな作品です。

2010年6月14日月曜日

ゲン@ 劇場:『NINE』

ゲンです。
ジメーッとした陽気になってきましたね・・・嫌な季節です・・・

~~~~~~~~~~~~~~~

『NINE』
@TOHOシネマズ 西新井(3/21鑑賞)

※先に観た梅太くんの感想はコチラ


『シカゴ』のロブ・マーシャル監督がメガホンを取り、『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラ監督が脚本を手掛け、トニー賞受賞の同名ブロードウェイ・ミュージカルをオールスター・キャストで映画化。
主人公に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・デイ=ルイス、彼を取り巻く女たちにマリオン・コティヤールやニコール・キッドマンらアカデミー賞受賞者がきらびやかに華を添える。

企画の話を聞いた一昨年から、ずっと公開を楽しみにしてた作品が遂に公開!
ここ数年はミュージカル外れナシ伝説なので、とても期待してました♪

ゴージャス!!! 映画は男と女と愛と歌で出来ている!!!

あーもー素晴らしかったー!
これほどまでに「ゴージャス」という言葉がハマる作品は他にないでしょうw

もうOPの数分だけで、1800円置いて帰ってきてもいいくらいに震えました!


ストーリーはというと、新作の撮影を控えたかつての巨匠、今はスランプ中の映画監督が、妻やら愛人やら女優やらスタッフやら、撮影に臨むまでに出会う様々な女性と繰り広げる妄想劇って感じですかね?

スランプ中の監督が新作のストーリーを悩み続けるのが「ストーリー」なので、映画としての脚本と考えるとちょっと苦しいお話w
ただその分、女性に対する想いをすべて妄想の中に入れ込んでしまってるってのは、潔くて個人的には好きですが。

そのおかげで、ミュージカルシーンが現実世界とは離れているので、ゴージャスでより際立って演出されてるのは素晴らしい!
それにより会話の途中から急に歌い出すっていうミュージカル特有の演出が少なく、そこが苦手な人でも入りやすい作品なのかも。

別に僕は、急に歌い出すのがダメな人じゃないですが、ミュージカルパートをガッチリ囲ってしまう戦法も、これはこれでありなのかもと納得できましたね。


ただこの作品の魅力は、やはり豪華な顔ぶれでしょう!

まず主人公の映画監督:グイドを演じるダニエル・デイ=ルイス!
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の渋ーいでオスカーを獲得しておりますが、今回はその渋さに加えて中年男のありえない色気が存分に放たれ、ホントに惚れ惚れしました!
巨匠のクセに自分一人じゃ何も決められない、大勢の女に目移りしてて愛想を尽かされる、とダメダメ男なんだけどドコか憎めないキャラクタのおかげで人脈には恵まれまくってるのが羨ましいw
つーか、美女にモテまくりだわよーなんだよー! キーッ!



そして、これでもかと集めに集めた美女達!

彼の妻を演じるマリオン・コティヤール!
『エディット・ピアフ』でアカデミー主演女優賞を獲得した彼女ですが、ダラしない夫をひたむきに支える姿が、奥ゆかしくて清楚なイメージが今回の役にピッタリ!
彼の愛人を演じるペネロペ・クルス!
もーペネロペ姐さん、フェロモン出過ぎ!
ドコまでサービスしてくれるのさ、あーた!
ご立派なお身体もですが、スペインなまりの彼女の口調は、いつ聞いても気持ち良いですね♪
ホント、ご馳走様でしたーw
彼を取材する記者を演じるケイト・ハドソン!
出演シーンは少ないながら、存在感は一番あったんじゃないでしょうか?
予告編でも使われてる「Cinema Italiano」の盛り上がりは異常ですよ!
あのパートはエンドレスで観てられるわー♪


彼の映画に出演する女優を演じるニコール・キッドマン!
いつ出て来るんだろうと思ったら、出演シーンが結構後半でヤキモキしてたけど、スポットが当たった瞬間のオーラが違いますねw
もーあっという間に掻っ攫ってくよー♪

彼が幼い頃に出会った娼婦を演じるファーギー!
「Be Italian」で魅せるあのギッツギツで露骨にエロい感じは何だろ、拷問に近いよw
砂とタンバリンであんなに興奮したのは初めてだしw

ダメダメな彼を優しい眼差しで支える衣装係を演じるジュディ・デンチ!
007シリーズのM役でも感じるけど、この人の恰幅のいいシャレた母性はホントに救われますね。
ただ印象には残っても華やかな役をあんまり観てこなかったので、今回のミュージカルの鮮やかさには涙モノでした!



ストーリー的には弱め、というかありそうで無い感じなので、そこまで評価できないけど、ありえない豪華な顔ぶれとゴージャスなミュージカルパートのおかげで、早くも今年4本目の満点作品になりました!

劇場で観れたことと、男に生まれたことを感謝せざるをえない素晴らしい作品!

極上エロ満足♪

2010年6月12日土曜日

梅太@ 劇場:『告白』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

●映画に全てを否定された絶望と喜び:『告白
監督は、中島哲也。
出演に、松たか子と32人の生徒達、他。


 本作は、間違うことなきエンターテインメトである。
 「笑っていいのかわからない」
 劇場を出ようとした女性客がポロっと言った感想は、以下に記す僕の感想の何倍もこの作品をよくよく表している。

---------------------------

ストーリーは。

 舞台は中学。1年生の終業式の日に幕を開ける。
 春休み突入へあと一歩と浮かれた生徒達に、先生が”告白”する。

 「わたしの娘は、このクラスの生徒に殺されたんです」

 その一言は、彼らの胸に刻まれる。
 そして先生は辞職し、学校を去る。

 春休みが明ける。
 学校が始まる。
 生徒達の、生徒の母の、告白が始まる・・・

▼▼▼▼▼▼

 「告白」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
 愛の告白?
 罪の告白?

 「告白」とはなんだろうか。
 それは、他者の視点をスッパ抜いて、自分の思いを、価値観をぶつけることだと思う。
 これを知ってほしい、あれを知ってほしい・・・・と言うように。
 愛の告白であれば、あなたをどれだけ愛しているか。
 罪の懺悔であれば、わたしがどれだけ悔いているか。

 しかし自分の価値観と言うものは、他の視点で観ると、穴だらけであったりする。
 その穴を否定するか肯定するかは、人それぞれであったりする。

 僕は映画が大好きだ。
 本ブログで、僕は鑑賞した一つ一つの作品に「告白」をしているのだと思う。
 勿論ながら僕の勝手な、主観的な作品評であるから、穴だらけであることは自覚している。
 一度感想を書き上げ、その後様々な価値観に触れ、後日落ち着いて読み返してみると、「ばかばかしい」と感じてしまうこともあったりする。
 なぜ、書いているときにその「ばかばかしさ」に気付かなかったのだろうか。

 では、ある一つの「告白」をするときに、色々な視点を考慮する必要があるのだろうか。
 または、冷静に考慮することが出来るのだろうか。

 恐らくは、否であろう。
 出来たとしても、それには限界があるし、”様々な”視点を吸収したとしても、練り上げられた答えはやはり”一つ”になってしまう。
 何よりそんなことを考え始めたら、何も言えなくなる。
 やはり何かを語ろうとするとき、捨てなければいけない価値観がある事に気付く。

 全”知”全能という言葉が、人間にとって程遠いことを思い知る。

▼▼▼▼▼▼
 
 本作の主人公:悠子は、先生である。
 先生は、自分の受け持った生徒達を導いていかねばならない。
 生徒は複数人。価値観も複数ある。
 その価値観全てを、先生は、把握しなければいけないのだろうか。
 また、その価値観全てを、受け入れ、客観的に見つめ、良いことは褒め、悪いことは罰しなければいけないのだろうか。

 先生といっても、一人の人間である。
 やはり限界はある。

 本作で題材とされる”事件”は、命の重みを生徒達に考えさせるには絶好の機会であった。
 しかしその事件で被害にあった人物が、自分の身内であったなら?
 それでも冷静に、「命の重さを考えなさい?」と言えるのだろうか。

 「あなたたちの中に、犯人がいます」

 この一言をきっかけに、様々な人の価値観、様々な人の告白が交差する。
 僕達はその、一つ一つの告白を観て、考えさせられる。

・この事件は、許せないほど悲惨である。
・しかしこの犯人にも、犯行に至るまでの過去がある。理由がある。
・でも他の人から見れば、どんな過去を持っていようが、犯罪はいけないことである、と認識する。

 はてさて、観客は、このうやむやを何処へぶつければいいのだろうか。
 いくら探しても、僕には見つけられなかった。
 ぶつけるべき対象が見つからないのだ。

 恐らくは、娘を殺された先生も、同じであったのだと思う。

 いくら自分の身内を殺されたとて、「あなたは完璧に悪人です」と、言い切れなかったのではないだろうか。
 ”先生”が持つべき”多面的な”視点、”人間”としてどうしても手放せない”一つ”の視点。
 その間で、 悠子も揺れ動いていたのではないだろうか。

 黒板にわざわざ大きく書いた「命」の文字を、黒板消しで消してしまうその姿に、僕は戦慄を覚えた。

▼▼▼▼▼▼
 
 作品を隅から隅まで知っている人、それは作り手である。
 いわば作品の神である。

 映画の場合は監督である。
 本作は、人の数だけ物の見方があることを把握し、様々な人の告白を並べ立てる。
 そんな多面的な視点を操りつつも、監督の出した答えは”一つ”で、やはり本作も、一人の人間の主観的な「告白」なのだと思う。

 だから、穴もある。
 この作品を観た多くの人の中に、「ばかばかしい」と感じる人もいると思う。
 だけれど、肯定否定何でもいいから、僕はこの作品を観た人に考えて欲しい。

 登場人物が「告白」したこと、その思いを。
 監督が「告白」したこと、その思いを。
 「告白」することで、何をどうしたかったのかを。

 「笑っていいかわからなかった」
 観客の一人が口にしたこの言葉。
 なるほど、と思った。

 泣くとか、笑うとか、そういう安易な感動を押し売りし、エンターテインメント面している作品が如何に多いかを改めて認識した。

 色々な意味で、今、最も観るべき映画である。

▼▼▼▼▼▼

 スタッフロールが終わる。
 劇場が明るくなる。

 今見ている全ての世界。
 積み上げてきた全ての現実。
 今関わっている全ての責任。
 そして映画感。 

 「ばかばかしい・・・・」と思った。

 全てを否定されたような気がした。
 全てを投げ出したくなった。
 全てを一度リセットしたくなった。

 全てを、「どっか~ん!」と壊された。
 別に直接的に否定されたわけではないから、正確には”そんな様な気がした”。

 立つのがやっと。

 フラフラ歩いて喫茶店に入り、アイスコーヒーを頼む。

 コーヒーの黒い色を目で見て。
 氷がぶつかる音を耳で聞き。
 冷たいグラスを手で触り。
 香りを鼻で嗅ぎ。
 苦味を舌で味わう。

 五感全てを刺激して、今僕が、”現実”の中にあることを認識した。

 が、やはりまだまだ引きずっている。
 立ち直るまで、少々時間が必要かもしれない。

 しかし壊されたのなら、構成し直せば良い。
 自分の映画感が間違っていたと思うなら、正せば良い。

 それを認識すること、そこから「更正」の第一歩が始まるのです。






・・・・・・・・・なぁんてね。

ゲン@ 劇場:『運命のボタン』

ゲンです。
W杯の中継を見ようと思ったのですが、「ブーン」って音が不快で見ていられず・・・
南アフリカ特有の応援だそうですが、他の試合でもある様なら全部見れないなぁ・・・

~~~~~~~~~~~~~~~

『運命のボタン』
@TOHOシネマズ 錦糸町(5/13鑑賞)

ボタンを押せば大金が手に入るが、代わりに見知らぬ誰かが死ぬという究極の選択を迫られた夫婦の運命を描くスリラー。
監督は『ドニー・ダーコ』のリチャード・ケリー。
出演はキャメロン・ディアス、ジェームス・マースデン。

不条理スリラーであんまり評判良くなかったですが、『ドニー・ダーコ』の監督なのと、好きな主演二人が共演ってことで劇場まで観に行って来ました。

古典スリラー+古典SF要素で映像的にもなかなか!

ホントに評判が良くなかったのでハードルを限界まで下げていきましたが、なかなか面白かったです。

ストーリーはというと、ある日突然自宅に「押すと100万ドルが手に入るが、見知らぬ誰かが死ぬ」という謎のボタンが届けられた夫婦が、段々と追いつめられていく様子を描いているのですが、スリラーとSFを融合して描く破滅的な閉塞感がタマらなかったです。

決して軽い気持ちで押したワケじゃないけど、その結果が段々と重く圧し掛かっていく様子は、米国中流家庭の悪循環ドラマのようなイヤーな空気が漂ってて、個人的には好きな展開。
最終的に迫られる「究極の決断」も、道徳的な流れで納得。


キャストですが、キャメロン・ディアス『私の中のあなた』に続いて今回も母親役。
『メリーに首ったけ』とか『チャーリーズ・エンジェル』とかキャピキャピしてた頃からファンですが、一時期は低迷してたので、また最近盛り返してきたので嬉しいですね。
元々表現力は素晴らしい女優だったけど、それが存分に活かせる役がこれからも続くといいなぁー

その夫を演じるジェームス・マースデンは、『X-MEN』のサイクロプスや『ヘアスプレー』のコーニー・コリンズ、『魔法にかけられて』のエドワード王子など、妙に印象に残る役が多い彼ですが、今回は作品が作品なだけに素敵な笑顔があまり観れなかったのはちょっと残念だったかも・・・
ですが、父親役という新しいジャンルを観れたのは良かったです。


『ドニー・ダーコ』の監督なので、映像的にも独特な雰囲気があって面白かったです。
古典スリラー特有の冷たく物静かな映像は、どこか恐怖感と不安感を煽られてドキドキしました。


大人版『ドニー・ダーコ』と言ってしまってもいいくらい、不思議な魅力を持った作品でした。

が、『運命のボタン』という邦題はちょっと的外れ・・・

原題の『THE BOX』の方が、色んな意味を含められて的確だと感じました。

2010年6月10日木曜日

ゲン@ 劇場:『フィリップ、きみを愛してる!』

ゲンです。
いよいよ『アイアンマン2』の公開ですが、仕事で観に行けず・・・
でも、来週の水曜に川崎IMAXまで行って来ます!

~~~~~~~~~~~~~~~

『フィリップ、きみを愛してる!』
@新宿ピカデリー(3/15鑑賞)

刑務所内で出会った運命の相手に「愛してる」と伝えるため、詐欺と脱獄を繰り返した男の実話を基にしたドラマチックなラブストーリー。
出演はジム・キャリー、ユアン・マクレガー。

実話を元にしたゲイ映画ですが、主演のジムとユアンが恋人を演じるって事でかなり楽しみにしておりました!

それでも恋するゲイ詐欺師!

あー濃ゆい濃ゆいw
よく考えると素直に笑っていいのか分からないストーリーなんだけどw


ストーリーはというと・・・
ゲイであることを隠し続けてきたスティーブン(ジム・キャリー)がある事件をきっかけにカミングアウト!
ゲイとしてゴージャスに生活する為に詐欺師になるが、合えなく御用!
収容先の刑務所で出会ったフィリップ(ユアン・マクレガー)に一目惚れ!
彼と甘い生活のためなら、脱獄でも詐欺でもやってやる!
ありとあらゆる嘘で塗り固め、ついに二人はゴージャスな生活をはじめるが・・・


とにかく主演二人のキャスティング勝ちですね!
主人公:スティーブンを演じるジム・キャリー!
一目惚れしたフィリップのため、学歴や保険金など様々な詐欺を働くのですが、マシンガントークではったりをかます様子はジムにピッタリ!
相変わらず顔が良く動いてましたw

そんな彼がゾッコンなフィリップを演じるユアン・マクレガー!
もうユアンがゲイを演じるって聞いたときから、似合いすぎると思ってましたが完璧でしたw
あの透き通った一途な眼差しは、ゲイ以外の何者でもないよ!
ジム・キャリーもカメレオン俳優ですが、勿論ユアンの演技力も確かなものがありますから、文字通り、身体を張った演技合戦はかなりの見物でした!


映像としては所謂、BL的な腐女子さんが興奮するような美しい描かれ方はされておらず、笑える程度にナマナマしい感じw
(別にBLよく知らないので分からないけども・・・)

かと言って、ゲイをバカにしてるようなワケでもなく、むしろヒューマンドラマに近いような展開なので、脚本的にもなかなか面白い作品であると思いました。

まぁ、僕は一人で観て安心しましたけどもw

2010年6月9日水曜日

ゲン@ 劇場:『書道ガールズ!!わたしたちの甲子園』

ゲンです。
今日は劇場で2本連続鑑賞しましたが、どちらも精神的に辛い作品で、余計に疲れが・・・
でも両作とも面白かったので、満足は出来ました♪
その作品のレポも追々で・・・

~~~~~~~~~~~~~~~

『書道ガールズ!!わたしたちの甲子園』
@MOVIX亀有(5/21鑑賞)

縦横10メートル以上もある紙の上で、音楽に合わせ書をしたためるパフォーマンスがテレビ番組で放送され、大反響を呼んだイベント「書道パフォーマンス甲子園」を映画化した青春ドラマ。
紙の生産高日本一を誇りながら不況で停滞した町の活気を取り戻そうと、「書道パフォーマンス甲子園」を開催すべく奮闘する女子高生たちの姿を描く。
主演は成海璃子。

『武士道シックスティーン』に続いて『○○道』で主演の成海璃子。
『武士道~』がちょっと弱かっただけに期待してました。

あー・・・いい話だけど、やっぱりあざとい・・・

「青春×部活」モノって結構ツボのような気がしてたんだけど、どうしても狙っていい話にしようとし過ぎて、あざとさが目立っちゃうんだよなぁ・・・
変にコミカルにして笑かそうっていう空気も好きじゃないし・・・

狙ってるにも拘らず、見せ場の書道シーンは前半はかなり地味目。
どんなに動き回ろうと半紙と筆だから、ビジュアル的には弱い。
こんなんで大会シーンはどうなるのかと思ってましたが、クライマックスではやっぱり見せ場にあるもんですね。
急にカラフルな墨汁をつかって色鮮やかな作品を書かれると、ダイナミックさが増し、若さも相まって非常に力強い空気をスクリーンから感じられました。

が、肝心な場所で寒気がするような演出。
今どき、あんな演出つけようて思うセンスが信じられない・・・
アレは流石にないだろう・・・一瞬で冷めた・・・


キャストですが、主演の成海璃子はやっぱり今が旬な女優ですね。
剣道に続いて書道ですが、「和」なオーラを持ってるので、どう転んでもハマり役になると思ってましたが、今回も良かったです。
ただ、実力的にはまだまだこんなもんじゃないだろうから、これからの活躍にさらに期待したいです。
二十歳超える前に、青春モノにトコトン出まくって欲しいw

あと高畑充希って娘の赤メガネ&髪止めが激ツボだった。
同じく、今後の活躍に期待しときます。


余計な演出はいらないから、極力地味に撮ってもらいたかった作品。

前半は抑えに抑えて、クライマックスの大会シーンで派手になったら、感動して泣いちゃったかも。

それくらいの要素はもってるだけに、あざとく狙ってくるのは残念でした。

2010年6月8日火曜日

ゲン@ 劇場:『シャーロック・ホームズ』

ゲンです。
明日・明後日とお休みですが、また映画館に入りびたりますw

~~~~~~~~~~~~~~~

『シャーロック・ホームズ』
@TOHOシネマズ 錦糸町(3/14鑑賞)


世界一有名な探偵:シャーロック・ホームズがついにハリウッドで映画化。
監督は『ファイトクラブ』のガイ・リッチー。
出演は『アイアンマン』のロバート・ダウニーJr.、『A.I.』のジュード・ロウってことで期待しておりました。

スタイリッシュな映像としっかりとした世界観!

いやいや、期待通りの面白さでした。
相変わらず原作をよく知らない人間なので、どの程度ピッタリだとかは分かりませんが、いい意味で探偵っぽくない感じが魅力的でした。

ホームズってあんなにコミカルな人間だったですね。
ワトソンはあくまで「助手」ってイメージでしたが、もう「相棒」とか通り越してそれ以上になくてはならない存在。
一応、原作者側の意向として、ホームズとワトソンの関係が「探偵と助手」以上の描かれ方をした場合(早い話、ゲイっぽい場合)、即刻製作を中止するとキツく命令をされてたようですが、アレはギリギリセーフなのかな?w


映画的な話をすると、探偵を主人公にしてるクセにかなりのアクション映画風な感じ。
監督がガイ・リッチーなだけあってか、早いカット割りとスローを多用した編集でスピード感と緊張感を同時に描き、さらに爆破で迫力もプラスされてて、エンタメ性としては100点に近いと思う。
クラシカルで暗めの世界観のおかげで、変に行き過ぎた演出にならず、どんなに派手になってもどこか落ち着いた雰囲気を残す映像は素晴らしいです。

それでいて推理パートは推理パートで、順を追ってキチンと描いているので、アクションで盛り上がりすぎてちょっと離れてしまったストーリーにも、良いタイミングで冷静に引き戻される。

アクションシーンがスタイリッシュな上に、推理パートも見事。
この完璧な緩急を味わえる作品はなかなかないだろうと思います。


キャストですが、何と言っても主人公:ホームズを演じるロバート・ダウニーJr.!
彼の存在ってのはハリウッド映画で唯一無二だと思いますね。
基本的にオジさんなんだけど、ダンディでコミカルな2.5枚目。
肉的的な強さと知性を兼ね備えた素晴らしい演技でした!

そのホームズの相棒:ワトソンを演じるジュード・ロウ!
ホームズに振り回されながらも、決して彼を裏切らない優秀な彼氏w
謎の女性:アイリーンを演じるレイチェル・マクアダムスの大きな瞳も魅力的でした♪


製作当初からシリーズ化を前提として作られてきただけあって、そのしっかりとしたクラシカルな世界観とアクション性と謎解きを兼ね備えたスタイリッシュな映像は、ほぼ完璧!

早く続編の製作が待ち望まれる作品でした!

2010年6月7日月曜日

ゲン@ 劇場:『武士道シックスティーン』

ゲンです。
青春モノが楽しめるようになるのは、三十路超えてからだ!と知人から言われましたw

~~~~~~~~~~~~~~~

『武士道シックスティーン』
@テアトル新宿(5/8鑑賞)

照的な二人の女子高生が、剣道を通して成長していく姿を描く。
かたや剣道一筋、かたや剣道をエンジョイする女子高生をそれぞれ演じるのは、『罪とか罰とか』の成海璃子と『ハルフウェイ』の北乃きい。

主演の二人がそれぞれ好きなので、共演ってことでそこそこ楽しみに劇場に観に行って来ました。

キラキラして爽やかだけど、もう一押し欲しかった!

シンプルなスポーツ青春モノらしくて良い作品ではあったけど、いまいちパンチに欠けてたのが残念だなぁ・・・

ストーリーはというと・・・
幼いころより剣道に打ち込み、ある無名選手に負けたことを根にもっている香織(成海璃子)は、入学した高校で再会したライバル・早苗(北乃きい)に再会するも、彼女はとても練習熱心とは言えない選手だった。
最初は香織の気迫に押され気味の早苗だったが、次第に真剣勝負の醍醐味にハマっていく・・・というお話。


見所は主演二人のギャップ。
武士道一直線の成海璃子に対し、楽しむことに一生懸命な北乃きい。
お互いのキャラクタが上手く表現されていて、絡んだ時に発せられる空気が可笑しくって思わず笑ってしまうのと同時に、爽やかにスポーツしちゃってる二人がとても輝いてました。

成海璃子はストイックさの中に、どこかヌケっぽいトコがあるのが良いですね。
キリッとした眉もカッコイイし。
いや、『罪とか罰とか』のヌケきってる感じも好きだけど!
腕と足のたくましさも、今回は役に活かされてて良かったんじゃないかとw

で、それに対する北乃きいの爽やかさたるや、そりゃもーお腹いっぱい♪
『ラブファイト』で彼女にハマったけど、がむしゃらに頑張ってる姿が似合いますなー♪
変な意味じゃなく、出来る限り彼女には制服を着ててもらいたいです。
変な意味じゃなく。


そんな感じでキャスト的には文句無いんですが、脚本的にはちょっと残念。
前半はコミカルに、後半でスポーツモノとしての展開を出してくるんですが、クライマックス前で話を深くするために脚本を落としこむんだけど、前フリが全然効いてなくて浅い所でしか話が進んでないのがガッカリ・・・

前半でキャラ設定にこだわり過ぎて、二人の関係を単なるキャラだけで面白おかしく説明しちゃってるんで、後半にどんなにいい話をしようとしても、感情移入が全く出来ない。

多分、あの二人だったら余計な演出とかしないでも、地のキャラで関係を表現できるはずだから、変にコミカルなトコまで持ってかないでもいいのになぁ・・・


キャストも素晴らしいし、題材も面白いだけに、変にドラマを付けようとして脚本で失敗してるのが勿体無い。

この二人の共演は、また違った形で観てみたいですね。

2010年6月6日日曜日

ゲン@ 劇場:『プリンセスと魔法のキス』

ゲンです。
やっぱりディズニーの手描きアニメは最高ですね!

~~~~~~~~~~~~~~~

『プリンセスと魔法のキス』
@丸の内ピカデリー(3/8鑑賞)

アメリカ・ニューオーリンズを舞台に、ひたむきに夢を追う女性とカエルの姿に変えられた王子とのラブ・ストーリーを描くロマンチックなミュージカル・アニメ。

久々の本格ディズニー・プリンセス!ってのに加えて、6年ぶりの手描きアニメ!ってことで、すんごく期待しておりました!

これぞ王道ディズニー・プリンセス! 本家本元の実力復活!

いやーホントに良かった! スゲー楽しかった!
ディズニーの2Dアニメで心の底から楽しい!って思ったのって何年振りだろう?

最近ではピクサーに押され、3DCGアニメの波にも飲まれ、実写作品の『パイレーツ~』『魔法にかけられて』では評価を残してきましたが、完全に衰退していたディズニーの2Dアニメ。
一時は完全撤退してしまいましたが、この作品でいよいよその力を取り戻しましたね!

今回はファンタジックなディズニー・プリンセスでいて、かなりのミュージカル作品。
舞台になってるのがアメリカのニューオリンズってことで、ジャズを基調としたノリの良い黒人音楽がベースになってて、聞いていてとっても気持ちが良かったです。
ちなみに音楽を手がけたのは『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』でも作曲のアカデミー賞常連のランディ・ニューマン、流石です♪


そしてそれ以上に圧倒されるのが、やはり手描きディズニーの底力!
ニューオリンズが港町ってこともあり、水や船、夕日と言ったモノまでロケーションも完璧で美しかったです。

人間の表情や動き、背景の美しさ、光と魔法の表現力・・・
CGでは決して描けない、温かさと緻密さが感じられます!

その中でも今回注目したいのは、「影」の表現力!
ディズニーではおなじみの「悪い魔法使い」が今作でも登場するのですが、そのキャラクタが操る「影」がホントに凄い!
映像的にも演出的にも、もうマジでヤバ過ぎ!
あまりに素晴らしくて、ちょっと寒気がしました!


また映像だけでなく、脚本的にもかなり優れていると思いました。
製作総指揮にピクサーを立ち上げ『トイ・ストーリー』を作り上げた大天才:ジョン・ラセターを迎えていますが、彼の素晴らしいのはストーリーの落とし込み。
去年公開されたディズニーのCGアニメ『ボルト』でも製作総指揮を務め、その手腕を発揮していましたが、今回もまた大活躍。
「夢と魔法」で終わってしまいがちなファンタジーに、少し寂しくなるような現実的なエッセンスを加えることで、ストーリーが一気に深みを増してより素晴らしい作品になっています!

元々はディズニーのアニメーターで、ディズニーから除け者にされて会社を飛び出したラセターですが、今ではディズニーの手がける2D・3Dアニメ全ての企画に携わり、なくてはならない存在になりました。
彼が製作賞指揮を執り続ける限り、ディズニーのアニメは安泰でしょう♪
夏の『トイ・ストーリー3』にも激しく期待しております!


CG?・・・3D?・・・笑わせるな!

21世紀も「手描きディズニー」は健在じゃい!!!!


~~~~~~~~~~~~~~~

やっぱり手描きディズニーは最強だよ・・・うんうん・・・
『魔法にかけられて』の冒頭で、ディズニーの手描きアニメを十数年ぶりに観たけど、あの数分でちょっと泣きそうだったもの・・・
今回の本格的に描き込まれた作品は、本当に嬉しいです♪

2010年6月5日土曜日

ゲン@ 劇場:『月に囚われた男』

ゲンです。

昨年の「勝手に映画コラボCOCKTAIL」フェアでもお世話になりました、
お友達のみぃさんがやっている「東京カフェブログ」で、ウチのブログを紹介して頂きました!

自分もお店に行く時に参考にさせてもらっておりますので、
良かったらのぞいて見て下さい♪
(掲載記事)

~~~~~~~~~~~~~~~
『月に囚われた男』
@恵比寿ガーデンシネマ(5/14鑑賞)


地球に必要不可欠なエネルギー源を採掘するため月の基地に滞在中の男が奇妙な出来事の数々に遭遇するSFスリラー。
デヴィッド・ボウイの息子ダンカン・ジョーンズが初監督に挑み、男の悲しく恐ろしい運命を描く。
主演は『フロスト×ニクソン』のサム・ロックウェル。

予告編が気になっていた所、低予算ながらかなりの高評価だったので、劇場まで観に行って来ました。

秀逸なSFスリラー! サム・ロックウェルの演技の幅に圧倒される!

半分はサム・ロックウェル目当てで観に行ったようなものだったので、正直ここまで面白い作品だとは予想外でした。

ストーリーはというと・・・
月の裏側で新たなエネルギー資源の採掘する任務を就く男:サム(サム・ロックウェル)は、3年の勤務期間の終わりを2週間後に控え、たった一人で働き続けていた。
そんなある日、故障した採掘機の中で「ありえないモノ」を発見する。
それは自分と全く同じ姿形をした男だった・・・

イキナリですが、以下ネタバレでレポを書きます。

知りたくない人はスルーをお願いします。

~~~~~~以下、ネタバレ~~~~~~

予告編を観た段階で大体の展開は予想できてましたが、まさにその通りでした。
たった一人で月で働くを男を派遣した会社は、そんな辺鄙な場所に何度も人員を送るのは勿体無いと、最初からその男のクローンを大量に作って月に保管しておき、3年の任期毎に「地球に帰す」と偽って男を消去。
新たにクローンを目覚めさせ、偽りの記憶を書き込んで3年の任務に就かせる・・・というオチ。

で、この大まかな流れは初めから予想できていたのですが、それ以上に惹かれたのがクローンの人間性。
本人に自分がクローンであると感づかれてはいけないので、同時に2体以上の男が月に存在してはいけないはずが、ある手違いで二人が顔を会わせてしまう。
当然初めは戸惑いますが、徐々に任務に疑問を感じ始め、自分達がクローンであることを察します。
しかし、同じ姿形をしているのにも関わらず、素直だったり荒っぽかったり性格が全く違うのに、元は同じ人間だからなのか最終的には上手くまとまります。

クローンを扱った作品は今までいくつか観てきましたが、どれもがオリジナルに対する苦悩を描いた作品が多い中で、単純にその方向だけではな部分で脚本の落としこみをしてくる辺りに独創性を感じて、後半はかなり面白い展開でした。

また、主人公のサムを演じるサム・ロックウェルは、常に一人だけで画面に登場し、後半からは何役もこなしているのですが、キチンと人物によって全く違う性格を演じ分け、その演技の幅に圧倒されました。
サム・ロックウェルって「ノリの良い兄ちゃん」っていうイメージが強かったので、ここまで幅のある演技が出来るものかと驚かれてました。


低予算で取られたにも拘らず、秀逸な脚本と俳優の素晴らしい演技力によって覚醒した良作のSFスリラー♪

劇場で観て、損はなかったです!

2010年6月4日金曜日

ゲン@ 劇場:『ハート・ロッカー』

ゲンです。
ムシムシしますね。

~~~~~~~~~~~~~~~

『ハート・ロッカー』
@TOHOシネマズ みゆき座(3/8鑑賞)


イラクに駐留するアメリカ軍の中でも、最大の危険を伴う爆発物処理班の兵士を描き、2009年の賞レースを席巻した戦争アクション。
命知らずの兵士と仲間との確執と友情を軸に、緊張感あふれる爆発物処理の現場をリアルに映し出す。

昨年度アカデミー賞で多くの賞にノミネートされ、見事作品賞を獲得した作品ですが、念のため強調しておくと「発表当日の朝」に観に行きました!
お昼に観終わり、劇場出てしばらくしたら賞獲得のニュースが入ってきたので、ギリギリ間に合いました!
まぁ、前評判はなかなか良かったので期待はしてましたけど、タイミング良過ぎw

圧倒的な迫力とリアルな緊張感! ハラハラして胃が痛くなる!

まぁードッキドキでしたわー
戦争映画って言うと戦争自体の正当性だとか、非情さとかを訴えかける作品が多いですが、こういった切り口で描いた作品は初めてだったので非情に興味深くもありました。

ストーリーはというと、イラク駐在米軍に派遣された「爆弾処理班」のある軍曹の任務明けまでの38日間を追った作品ですが、まるでドキュメンタリーでも観ているかのような構成で、入口としては映画を観ている感覚では無かったように感じました。

真夏の中東、灼熱と砂の地獄のような環境で、ほんの少しのミスが「死」へと直結する任務。
テロの爆弾処理という仕事は、ミサイルでも打ち込んで無理やり爆破してるものだと思っていました。
実際そういった場面もあるようですが、周囲への被害も考えて、ほとんどの場合は兵士が自らの手で解体を行っているそうですね。

そんな過酷な任務にも拘らず、果敢に爆弾へと近づいて解体していく男達。
何なんだろか・・・あの迫力は・・・


それとは別に感じたのは、戦場の兵士の心理描写が生々しいなぁと。
最近でもよく誤爆のニュースが報道されますが、長く戦場にいる兵士の心理状態というのは、かなり滅入っていると聞きます。
まぁ、毎日リアルに生死の瀬戸際を感じているのですから、当然と言えば当然ですが、誤爆の報道ばかりが先走り、兵士の心理状態まではあまり注目されません。

街中の市民が全員敵に見えてくる・・・
ビデオカメラですら、ロケット砲に見えてくる・・・

そんな状況の中で行われる「爆弾の解体」というセンシティブの極みの様な作業。
何なんだろか・・・あの緊張感は・・・


さらに驚くのは、これだけガッツリした作品を女性監督が撮ったということですね。
勿論、戦争映画ですから血が出るシーンはありますが、印象としてはかなり控え目で、それ以上に映像的にも面白いカットが幾つかあって、リアルさを感じる作品でありながら、映画的な演出効果も面白いという、なかなか美味しい作品だと思いました。

2010年6月3日木曜日

ゲン@ 劇場:『タイタンの戦い(3D字幕版)』

ゲンです。
今週末からまた期待作の公開ラッシュ!
上半期最後の追い込みですねw

~~~~~~~~~~~~~~~

『タイタンの戦い(3D字幕版)』
@TOHOシネマズ 六本木(5/14鑑賞)


ギリシャ神話をベースに、神々の王ゼウスの息子として生まれながらも人間として育った青年ペルセウスが活躍するアクション・アドベンチャー超大作。
監督は『トランスポーター』のルイ・レテリエ、主演は『アバター』のサム・ワーシントン。

『トラポ』のルイ・レテリエが久々にガッツリしたアクションをやってくれるので、結構期待して観に行って来ました。

『トラポ』1作目以来の傑作アクション!

いやー、やっとこれで「ルイ・レテリエ復活!」って言えるわw
『インクレディブル・ハルク』はそこそこだったからなぁー

一応81年に公開された同タイトルのリメイク作品ですが、大元の元ネタは「特撮の父」と呼ばれるレイ・ハリーハウゼンの作品。
ストップモーションと実写の合成を多用した特撮映画のですが、今回は3D上映されているにも関わらず、実は撮影は通常のカメラで行われました。
で、それを編集の段階で立体的にする「アフターコンバート」と呼ばれる手法だったので、3Dで観ることを懸念していたので通常上映で観る予定だったのですが、スケジュールの関係で泣く泣く3Dで観ることに・・・
どんだけなんだろうかと不安でしたが、思ったよりも普通に立体的でした。

ほとんどのアクションシーンでCGを多用していて、実写のみのシーンがあんまり無いので、そこまで問題無かったのかもw
まぁ、無理やりぼやかしてるのが目立つ場面もいくつかありましたが、言われなければ気づかない程度だと思うので、気にならないかもです。


そんなことより、やはりルイ・レテリエはアクションの才能が素晴らしい監督だと改めて確認できました。
激しいカット割りと早いカメラワークで、今回もやたらと挑戦的な編集。
そしてカットを早くした分、犠牲になってしまいがちな迫力を、主演のサム・ワーシントンの力強い肉体で補強w
まさに理想的なタッグです!w


3Dでアクションなので目は疲れましたが、劇場で観れて良かったと思えた作品。

サム・ワーシントン以上に、ルイ・レテリエには今後も頑張って頂きたいです!


~~~~~~~~~~~~~~~

ホントに3Dが不安だったけど、そこまで違和感は感じませんでした。
モチロン、普通の3DやIMAX3Dと比べたら遥かに見劣りしますけど・・・

でも、まだまだアフターコンバートは不安だなぁ・・・
『バイオハザード4』も当初は通常上映の予定だったけど、3Dブームに乗るべく、同じくアフターコンバートで3D上映が決定されました。

確か予算ギリギリのはずなので、下手すりゃ大赤字になるんだろうが・・・

色々不安なんだが、1作目以来のポール・W・S・アンダーソンが監督に復帰するので、普通に観れれば楽しめるんだろうけど、やっぱり心配だなぁー

2010年6月2日水曜日

ゲン@ 劇場:『しあわせの隠れ場所』

ゲンです。
連日更新してますが、まだまだ貯めてたレポがいっぱいあるので、しばらくお付き合い下さい。

~~~~~~~~~~~~~~~

『しあわせの隠れ場所』
@渋谷東急(3/2鑑賞)

ホームレス同然の生活からアメリカン・フットボールのプロ選手になった少年の実話を映画化した感動的な人間ドラマ。
裕福な家族と黒人少年との、偶然の出会いと深いきずなを丁寧につづる。

実話を元にした作品ですが、主演のサンドラ・ブロックがアカデミー賞にノミネートされたというので注目しておりました。

「感動の実話」に偽りなし! 家族の強さを教えてくれるドラマ!

評判通り、非常に素晴らしい作品でした。
実話を元にしたスポーツモノっていうと、これを観る前に観たクリント・イーストウッド監督の『インビクタス』が思い浮かびますが、コチラの作品のほうが人物描写が遥かに丁寧で、完成度が高い作品のように思いました。

ストーリーはというと、スラムで育った少年:マイケルが、裕福な家庭:テューイ家に迎え入れられ、その才能を開花させてアメフトのプロ選手になるまでを描いた作品ですが、あらすじだけ追うとちょっと嫌味にも感じてしまうかも。

実際自分も、そんなの金持ちの偽善じゃん!と、観る前は若干引き気味だったのですが、実際に観てみたらそんなことは全く感じませんでした。

確かに「お金の余裕は心の余裕」ってのはあるかも知れないけど、この少年を受け入れた家族はホントに人間が出来ている。
スラムで育ち、金も学もない彼を差別せずに受け入れますが、金持ちセレブ仲間からも偏見の目で見られます。
しかしそんな事には気にも留めず、彼が立派な人間になるように心から愛し、遂には本当の家族とするべく養子として迎え入れます。

それもこれも、このマイケルが迎えてくれた家族に負けないくらいに素晴らしい人物だからだと。
貧しい家庭で生まれ、幼い頃からよその家庭を転々としていた彼ですが、とても優しい心を持ち、誰にも迷惑はかけたくないと思い続けています。
その結果、預かってくれた家庭を自ら飛び出してしまうのですが、偶然出会ったテューイ家で初めて本当の家族の温かさを知る。
彼を家族に迎えることを決めたテューイ家の母親:リー・アンが、「私が彼を変えてるんじゃない。彼が私を変えているの」と語るように、お互いがお互いを必要とした奇跡のめぐり合わせだったのではないかと感じました。


キャストですが、何と言っても主演のサンドラ・ブロック!
アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされておりますが、その前哨戦でもあるゴールデングローブ賞ではドラマ部門女優賞を早くも獲得しております。
とても気が強いイメージがありますが、今回の役はそれに加えて家族としての温かさ、特に母親としての子どもを見つめる愛情の深さが見事に表現されていたと思います。

またその家族に迎えられる少年:マイケルを演じたクイントン・アーロンも、大きな体格の中に繊細な心を持った優しい少年を熱演しておりました。


歯の浮きがちな感動実話ドラマですが、丁寧な人物描写とユニークなセリフのおかげで、非常に心に残る作品になっています!

多くの人に観てもらいたい作品です!