さて、2011年も残りわずかとなってきたところ。
久々にこのブログを確認してみると(管理人がそれでいいのかというのは置いておいて)、作成した記事数が15件という、過去最低数の現状に、反省の色を隠せない私梅太でございます。
これはいかんと思いつつ、でもこれから何十件も書けるほど余裕があるわけでもないので、先ほど頑張って、二ヶ月程考えあぐねていて一つの区切りを付けた「life in a day」という作品の感想を書きました。そして余りにもこのブログから離れすぎていたため、開設3周年(2008年9月1日に開設)をとっくに過ぎていることに気づいてしまいました。
例年であれば記念のトップ画像を作成するところなのですが、ちょっと余裕がないため、今は置いておきます。
では管理人がお互い、映画を見ていないのかと言われると決してそうではありません。ゲンさんは相変わらず沢山の作品を見ていますし、律儀にtwitterで感想を残している...はずです。(すいません、最近twitter覗いてないので想像でお送りしました)。
また私梅太に関して言えば、びっくりする程劇場へ通っておりません。でも映画を見ていないかと言われるとそうではなく、チャップリン作品に触れるという今年掲げていた宿題をしたり、「super8」上映にあたり、スピルバーグの長編作品を全て見返してみたりなどしていました。映画に対する愛は変わりを見せず、むしろ他に様々な体験をして(外部ブログにて、文章に真剣に向き合ってみたりとか)、”作品”というものに対する取り組み方が良い方向に変わってきたように思います。
そして二人でたまに会うと、やはり映画の話をしてしまうのです。大丈夫です、お互いまだ映画は好きです。(いや、だれも心配していないかな)
これからこのブログをどう更新していくか、それはその内、話しておかなければいけないなと思いつつも、とりあえず今は、無事に3周年を迎えられたことに対し、読者の皆様へは本当に感謝しております。
よければこれからも、少しだけでも覗いていただけるとありがたく思います。
簡易的で間に合わせ的な文章で申し訳ありませんが、来週はゲンさんも僕も記念日(誕生日!)を迎えてしまいますから、その前に一つ、区切りを付けたかったのです。
では皆様、素敵な映画ライフを。
2011年11月20日日曜日
2011年5月28日土曜日
梅太@ コラボでシネマ:運命と恋
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
朝、目覚ましがなった時、その瞬間に起きるか、もう5分寝るか。朝ご飯は和食と洋食どちらにしようか。
家を出ると空は曇りで、傘を持っていくかいかないか。
この会議の決断でyesと答えるか否か。
夜、本を読んでいて、キリの良いところまで読むか、明日のことを考えて早めに寝るか。
人一人の人生は幾つもの選択の上に成り立っている。
そして生きている以上、人との関わり合いは必ず発生していて、相手の人生の中にも幾つもの選択があって、つまりは自分の選択に相手の選択が複雑に絡み合いながら、人生は続いていく。
ふと振り返り、自分が歩んできた道を眺めると、その道には沢山の分岐点があり、それを見てしまうと「あの時こうしていれば」と、人間はどうしても”if”を考えてしまう。あの時別の道を選んでいれば、確かに別の人生があったはずで、それを想像せずにはいられない。
そして前を見ると、そこに道はなく、これからも沢山の”if”が待ち受けていることだろう。
しかし、その”if”が既に、誰かに決められていたのなら。自分の気付かぬ内に既に、決められたレールの上を歩んでいたとしたら・・・
それが、「アジャストメント」という作品。
この作品の面白いところは「調整局」という存在で、そこに所属する人達は、決められた道から人間がはずれないよう軌道修正をする役割を担っている。先に書いたように、これから歩んでいく道には大小様々な”if”があって、ちょっとしたきっかけで別の道に迷い込んでしまうことだってある。迷い込む前に「こっちだよ」と呼びかけたり、迷い込んでしまった場合は何とかして元の道へ戻る選択肢を構築する。つまり人生というのはそれだけ可能性に満ちているという事で、それを管理しなければいけない調整局の人達には、本当にご苦労様と言ってあげたい。いや、そこではないか。
主人公はある出来事によって、「既に書かれた筋書き」と、「調整局」の存在を知ってしまう。もちろん回りはそんなことはお構いなしに悠々と生きている。ここがミソだと思いました。気付いてしまって、その人に野心というかそういうものがあったとしたら、抗いたくなるのが人間の性である。心の底から愛する人を見つけ、その人と白紙の人生(unwritten life)を求める主人公と、その出会いは起こってはいけない出来事だったと、調整し修正しようとようとする局。その駆け引きはとてもスリリングであった。
調整局は日々、人間の道を観察しているが、雨が降るとその能力(?)が使えないという設定は、考えを巡らすと面白い要素だと思った。
雨が一滴、ポツンと地面に落ちる。それは偶然その場所に落ちたかとそう思うけれど、実は雨はその滴の質量、その日の風向き、その他色々の因子が混ざり合った結果、ある場所に落ちる。一滴が集まり、水流を作る。水の流れも、地面の起伏など沢山の要因でその方向性を決める。つまり雨にまつわる一連の出来事も沢山の”if”があって、恐らくそれが、人間の観察を阻害するのだろう。
人の人生と、水の流れ。この二つにはどこか共通する物があるのだなと気付かされた。
そして人生と水の関連性というところで、僕にはもう一つ、思い浮かぶ作品があった。それが「君がぼくを見つけた日」である。
「君がぼくを見つけた日」は、遺伝子異常でタイムトラベルをしてしまう男と、そんな人に恋をしてしまったある女性のお話。とてもロマンチックな作品だけれど、僕はこの作品については、恋愛的な要素よりも、この作品独自のタイムトラベルの設定に、より惹かれた。(僕はSFが大好きでなのです)
男はいつでも好きな時代へいけるというわけではない。また自分が関わっていない時代には飛んでいけない。自分の人生の、重要な出来事に惹かれ、その時間へ飛んでいく。しかしその時間に干渉してみると、確かに少しは変化があるかもしれないが、大きな意味で、人生の流れが変わるわけではない。例えば幼少のころ母親を交通事故で亡くした男は、その時間に飛んだとき、何とか阻止しようといつも試みるが、どうあっても防ぐことはできない。愛する人を見つけ、結婚し、いつまでも幸せに暮らしたいと願うが、いつの時間かに起こってしまう自分の事故死を防ぐことはできない。
例えば川に小石を投げ入れる。大きな大きな川に。その石はポチャンと、小さな波紋を起こすだろう。しかしそれによって川の流れが変わるわけでは決してない。海の入り口、川の終わりへ向かってただただ流れていく。川はその人の歩む道、小石はタイムトラベルをする男。小石程度では流れは、運命は変わることなく、ひたすら終わりへ向かって突き進む。
オープニングシークエンスの水の表現があるが故に、この作品を見たときも、時間と人生とそして水の関連性を考えずにはいられなくて、この度「アジャストメント」を見たとき、再びその思考が巡った。
そしてこの二作品で描かれる恋は、対照的であるように感じた。「アジャストメント」は運命に抗う恋、「君がぼくをみつけた日」はどうあっても運命に抗えなかった恋。なるほど、対照的。ただ救いとしては、どちらの恋も、それぞれの形で成就しているということだ。「ブルー・バレンタイン」を見た後だと、救いのある物語というのは心が明るくなるものだと切に感じる。
●この記事で紹介したもの
・「ベンジャミンバトン 数奇な人生」
・「アジャストメント」
・「君がぼくを見つけた日」
・「ブルー・バレンタイン」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
朝、目覚ましがなった時、その瞬間に起きるか、もう5分寝るか。朝ご飯は和食と洋食どちらにしようか。
家を出ると空は曇りで、傘を持っていくかいかないか。
この会議の決断でyesと答えるか否か。
夜、本を読んでいて、キリの良いところまで読むか、明日のことを考えて早めに寝るか。
人一人の人生は幾つもの選択の上に成り立っている。
そして生きている以上、人との関わり合いは必ず発生していて、相手の人生の中にも幾つもの選択があって、つまりは自分の選択に相手の選択が複雑に絡み合いながら、人生は続いていく。
ふと振り返り、自分が歩んできた道を眺めると、その道には沢山の分岐点があり、それを見てしまうと「あの時こうしていれば」と、人間はどうしても”if”を考えてしまう。あの時別の道を選んでいれば、確かに別の人生があったはずで、それを想像せずにはいられない。
そして前を見ると、そこに道はなく、これからも沢山の”if”が待ち受けていることだろう。
しかし、その”if”が既に、誰かに決められていたのなら。自分の気付かぬ内に既に、決められたレールの上を歩んでいたとしたら・・・
それが、「アジャストメント」という作品。
この作品の面白いところは「調整局」という存在で、そこに所属する人達は、決められた道から人間がはずれないよう軌道修正をする役割を担っている。先に書いたように、これから歩んでいく道には大小様々な”if”があって、ちょっとしたきっかけで別の道に迷い込んでしまうことだってある。迷い込む前に「こっちだよ」と呼びかけたり、迷い込んでしまった場合は何とかして元の道へ戻る選択肢を構築する。つまり人生というのはそれだけ可能性に満ちているという事で、それを管理しなければいけない調整局の人達には、本当にご苦労様と言ってあげたい。いや、そこではないか。
主人公はある出来事によって、「既に書かれた筋書き」と、「調整局」の存在を知ってしまう。もちろん回りはそんなことはお構いなしに悠々と生きている。ここがミソだと思いました。気付いてしまって、その人に野心というかそういうものがあったとしたら、抗いたくなるのが人間の性である。心の底から愛する人を見つけ、その人と白紙の人生(unwritten life)を求める主人公と、その出会いは起こってはいけない出来事だったと、調整し修正しようとようとする局。その駆け引きはとてもスリリングであった。
調整局は日々、人間の道を観察しているが、雨が降るとその能力(?)が使えないという設定は、考えを巡らすと面白い要素だと思った。
雨が一滴、ポツンと地面に落ちる。それは偶然その場所に落ちたかとそう思うけれど、実は雨はその滴の質量、その日の風向き、その他色々の因子が混ざり合った結果、ある場所に落ちる。一滴が集まり、水流を作る。水の流れも、地面の起伏など沢山の要因でその方向性を決める。つまり雨にまつわる一連の出来事も沢山の”if”があって、恐らくそれが、人間の観察を阻害するのだろう。
人の人生と、水の流れ。この二つにはどこか共通する物があるのだなと気付かされた。
そして人生と水の関連性というところで、僕にはもう一つ、思い浮かぶ作品があった。それが「君がぼくを見つけた日」である。
「君がぼくを見つけた日」は、遺伝子異常でタイムトラベルをしてしまう男と、そんな人に恋をしてしまったある女性のお話。とてもロマンチックな作品だけれど、僕はこの作品については、恋愛的な要素よりも、この作品独自のタイムトラベルの設定に、より惹かれた。(僕はSFが大好きでなのです)
男はいつでも好きな時代へいけるというわけではない。また自分が関わっていない時代には飛んでいけない。自分の人生の、重要な出来事に惹かれ、その時間へ飛んでいく。しかしその時間に干渉してみると、確かに少しは変化があるかもしれないが、大きな意味で、人生の流れが変わるわけではない。例えば幼少のころ母親を交通事故で亡くした男は、その時間に飛んだとき、何とか阻止しようといつも試みるが、どうあっても防ぐことはできない。愛する人を見つけ、結婚し、いつまでも幸せに暮らしたいと願うが、いつの時間かに起こってしまう自分の事故死を防ぐことはできない。
例えば川に小石を投げ入れる。大きな大きな川に。その石はポチャンと、小さな波紋を起こすだろう。しかしそれによって川の流れが変わるわけでは決してない。海の入り口、川の終わりへ向かってただただ流れていく。川はその人の歩む道、小石はタイムトラベルをする男。小石程度では流れは、運命は変わることなく、ひたすら終わりへ向かって突き進む。
オープニングシークエンスの水の表現があるが故に、この作品を見たときも、時間と人生とそして水の関連性を考えずにはいられなくて、この度「アジャストメント」を見たとき、再びその思考が巡った。
そしてこの二作品で描かれる恋は、対照的であるように感じた。「アジャストメント」は運命に抗う恋、「君がぼくをみつけた日」はどうあっても運命に抗えなかった恋。なるほど、対照的。ただ救いとしては、どちらの恋も、それぞれの形で成就しているということだ。「ブルー・バレンタイン」を見た後だと、救いのある物語というのは心が明るくなるものだと切に感じる。
●この記事で紹介したもの
・「ベンジャミンバトン 数奇な人生」
・「アジャストメント」
・「君がぼくを見つけた日」
・「ブルー・バレンタイン」
2011年4月24日日曜日
梅太@ コラボでシネマ:How do you mesure a year?
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
昨年『ラブリー・ボーン』や『オー・マイ・ゴースト』(日本未公開の超大傑作オススメ映画)を観て、生者と死者の関係というものを、見つめる機会が多くなった。
勿論現実問題として、死を迎えれば、当人はその時点でこの世と決別するから、その関係がどうこうなんてものはないのだけれど、フィクションとして置き換えたとき、それを考えることが出来るし、それは今後の生き方すら変えるかもしれない、それが物語というものの力だと思うわけで。
考え方は人それぞれでいいと思うけれど、考えることは大事だと思う。
さて、今回鑑賞した『THE GREATEST』という映画。
この作品のストーリーは、ローズ(今世界でもっともGREATESTな女優:キャリー・マリガン)とベネット(今もっともKICK-ASSな俳優:アーロン・ジョンソン)は、ドライブ中に交通事故に遭う。ベネットは死に、ローズは幸い軽傷で済んだ。
ベネットの死に嘆く父:アレン(元スパイ、ピアース・ブロスナン)と、母:グレイス(王座を奪われたくないスーザン・サランドン)の元を訪ねたローズは、二人にある事実を伝えるのだが・・・
さて。
『ラブリー・ボーン』では、死者の存在を忘れてもらうこと、それが残された者の呪縛を解き放つことになる。
『オー・マイ・ゴースト』では、死者をこの世に縛っているのは、死者の未練でなく、生者の死者に対する未練である。
その点を、個人的には読みとっている。作品自体に似通った点があったのか、僕が繋ぎ合わせただけなのか。何にせよ、この二作品は僕に死生観というものを考えさせるきっかけになった。
さて。
ここまで言っておいてなんだが、別にアーロン・ジョンソンがゴーストになってNYで恋をするわけでもない。彼は死んだままだ。が、突然の死というのは、生きている者をその事実に縛り付ける。
事故に遭い、病院に運ばれたベネットは死ぬ前に17分間だけ意識を取り戻していた。特に両親を縛り付けているものは、「その17分の間、側にいてやれなかった」こと。きっと助けを求めていたに違いない、不安だったに違いない、そんな場面に、親なのに立ち会ってやれなかった・・・ある種の責任感のような者が、アレンとグレイスを縛り付け、ストレスを与えていた。
ここに、先に挙げた2作と共通する部分があるように感じた。
Dead man tell no tail.死人に口無しというけれど、何も語ってくれない故、生者の思いは肥大化していき、まるで呪いのようにふりかかる。
本作のキーパーソンは、ベネットの最後に立ち会った人物だ。彼の車とベネットの車が衝突したことが事故の発端で、彼もまた、怪我の治療の為病院に運ばれたが、ベネットの最後を看取った時から昏睡状態となっていた。
グレイスは何とか、ベネットの死の全貌について聞き出そうと足蹴く病院へ運び、やっと、意識が戻った彼から聞き出した、ある事実。
その男が言った言葉は、大したことではない。
「確かに彼は痛がっていたかもしれない」
「不安を感じてたかもしれない」
そして、
「最後に、少女の名前を呼んでいた、彼女の安否を確認したがっていた」
それを聞いた瞬間、グレイスを縛っていたものは静かに崩れていった。また、家族を纏めなければいけないと常に気を張っていたアレンも、それを聞いた瞬間に糸が緩み、泣き崩れた。
ベネットが死の間際、必死に求めたのは親の救いではなかった。
親としては、救いを求める子の元へ飛んで”いかねば”ならない・・・その観念が両親を縛っていたが、実際ベネットが求めていたのは我々ではなかったんだ。
その結論に至った二人は、ローズと、そしてベネットの子を、優しく迎える決意をする。
生者と死者の関係。
本作を含め、僕が昨年から観てきた作品群には、何か共通する部分があった。
その考えを通じて、僕がこれからどう生きていくかというのは、また別の話。
▼▼▼▼▼▼
と、こんな風に書くとなんだか重い作品の様に響いてしまうが、そうではない。
この作品はとてもニクく、ウマい演出で幕を閉じ、爽やかな印象の残る素晴らしい作品であった。
昨年観賞したものでいうと、『ナイト・ビフォア・ウェディング』を観たときと似たような、「やられた!」という快感、そして嬉しくなる涙。
たまらなかった。
ここで効いてくるのが、劇中に出てくるアレンのparty trick:宴会芸だ。
アレンは数字に強く、ある物事が積み重ねてきた時間を、様々な単位で一瞬で計算できるという技を持っている。
たとえば君が18歳で、~年~月~日に生まれたとしたら、それから今日まで~日、~時間、~分過ごしたことになる・・・。
僕はこの手の言い換えが好きだ。
こんな歌がどこかであったなと振り返ると、ミュージカル映画『RENT』の『SEASONS OF LOVE』だ。
How do you mesure a year?
Daylights? Sunset? Midnight's cup of coffee?
(夜明け、日没、深夜のコーヒーの数、どういう風に、一年を数えますか?)
一年、と言われると、始まったときは長そうで、でも終わってみると短くて、そんな感じで年をとっていく。
あっという間に過ぎる年月を、積み重ねてきた年月を、例えば分単位で数えてみると、~万という単位になる。同じ意味なのだけれど、とても長い時間を過ごしてきたのだなと思える。そう思えると、自分が生きてきた時間の重みが感じられる。
アレンのこの宴会芸は、確かに物語のオマケ、それこそグリコのおまけ並に、さりげなく登場するだけなのだが、ラストシーンと、それを観たあとでの劇中の数シーンを繋ぎ会わせていくと、この芸はものすごく重要であることに気づかされた。
ラストシーンの爽やかさと、映画的演出の素晴らしさ、劇場で観ていたら泣いていたと思う。
--------------------
輸入版ということで、ツイッターでは調子に乗って英語で感想をつぶやいてみたが、結局のところキャリー・マリガンのことにしか触れていなかったので、ここではある程度真面目に書いてみましたが、言ってしまえば極論キャリー・マリガンということで、本作でも魅力抜群でした。
特に面白かった事実としては、彼女は出演作品では必ずどこかで泣いているということ。それがまた似合うこと。
永遠の、涙のヒロインです。
とてもオススメしたいですが、日本未公開・未販売で、現状輸入版しか手に入りません。
それでも観たい方へは、是非ともオススメしたいです。
↓『THE GREATEST』予告編↓
●この記事で紹介したもの
・映画:『THE GREATEST』
・映画:『ラブリー・ボーン』
・映画:『オー・マイ・ゴースト!』(オススメ!)
・映画:『キック・アス』
・映画:『007』シリーズ
・映画:『魔法にかけられて』
・映画:『RENT』
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昨年『ラブリー・ボーン』や『オー・マイ・ゴースト』(日本未公開の超大傑作オススメ映画)を観て、生者と死者の関係というものを、見つめる機会が多くなった。
勿論現実問題として、死を迎えれば、当人はその時点でこの世と決別するから、その関係がどうこうなんてものはないのだけれど、フィクションとして置き換えたとき、それを考えることが出来るし、それは今後の生き方すら変えるかもしれない、それが物語というものの力だと思うわけで。
考え方は人それぞれでいいと思うけれど、考えることは大事だと思う。
さて、今回鑑賞した『THE GREATEST』という映画。
この作品のストーリーは、ローズ(今世界でもっともGREATESTな女優:キャリー・マリガン)とベネット(今もっともKICK-ASSな俳優:アーロン・ジョンソン)は、ドライブ中に交通事故に遭う。ベネットは死に、ローズは幸い軽傷で済んだ。
ベネットの死に嘆く父:アレン(元スパイ、ピアース・ブロスナン)と、母:グレイス(王座を奪われたくないスーザン・サランドン)の元を訪ねたローズは、二人にある事実を伝えるのだが・・・
さて。
『ラブリー・ボーン』では、死者の存在を忘れてもらうこと、それが残された者の呪縛を解き放つことになる。
『オー・マイ・ゴースト』では、死者をこの世に縛っているのは、死者の未練でなく、生者の死者に対する未練である。
その点を、個人的には読みとっている。作品自体に似通った点があったのか、僕が繋ぎ合わせただけなのか。何にせよ、この二作品は僕に死生観というものを考えさせるきっかけになった。
さて。
ここまで言っておいてなんだが、別にアーロン・ジョンソンがゴーストになってNYで恋をするわけでもない。彼は死んだままだ。が、突然の死というのは、生きている者をその事実に縛り付ける。
事故に遭い、病院に運ばれたベネットは死ぬ前に17分間だけ意識を取り戻していた。特に両親を縛り付けているものは、「その17分の間、側にいてやれなかった」こと。きっと助けを求めていたに違いない、不安だったに違いない、そんな場面に、親なのに立ち会ってやれなかった・・・ある種の責任感のような者が、アレンとグレイスを縛り付け、ストレスを与えていた。
ここに、先に挙げた2作と共通する部分があるように感じた。
Dead man tell no tail.死人に口無しというけれど、何も語ってくれない故、生者の思いは肥大化していき、まるで呪いのようにふりかかる。
本作のキーパーソンは、ベネットの最後に立ち会った人物だ。彼の車とベネットの車が衝突したことが事故の発端で、彼もまた、怪我の治療の為病院に運ばれたが、ベネットの最後を看取った時から昏睡状態となっていた。
グレイスは何とか、ベネットの死の全貌について聞き出そうと足蹴く病院へ運び、やっと、意識が戻った彼から聞き出した、ある事実。
その男が言った言葉は、大したことではない。
「確かに彼は痛がっていたかもしれない」
「不安を感じてたかもしれない」
そして、
「最後に、少女の名前を呼んでいた、彼女の安否を確認したがっていた」
それを聞いた瞬間、グレイスを縛っていたものは静かに崩れていった。また、家族を纏めなければいけないと常に気を張っていたアレンも、それを聞いた瞬間に糸が緩み、泣き崩れた。
ベネットが死の間際、必死に求めたのは親の救いではなかった。
親としては、救いを求める子の元へ飛んで”いかねば”ならない・・・その観念が両親を縛っていたが、実際ベネットが求めていたのは我々ではなかったんだ。
その結論に至った二人は、ローズと、そしてベネットの子を、優しく迎える決意をする。
生者と死者の関係。
本作を含め、僕が昨年から観てきた作品群には、何か共通する部分があった。
その考えを通じて、僕がこれからどう生きていくかというのは、また別の話。
▼▼▼▼▼▼
と、こんな風に書くとなんだか重い作品の様に響いてしまうが、そうではない。
この作品はとてもニクく、ウマい演出で幕を閉じ、爽やかな印象の残る素晴らしい作品であった。
昨年観賞したものでいうと、『ナイト・ビフォア・ウェディング』を観たときと似たような、「やられた!」という快感、そして嬉しくなる涙。
たまらなかった。
ここで効いてくるのが、劇中に出てくるアレンのparty trick:宴会芸だ。
アレンは数字に強く、ある物事が積み重ねてきた時間を、様々な単位で一瞬で計算できるという技を持っている。
たとえば君が18歳で、~年~月~日に生まれたとしたら、それから今日まで~日、~時間、~分過ごしたことになる・・・。
僕はこの手の言い換えが好きだ。
こんな歌がどこかであったなと振り返ると、ミュージカル映画『RENT』の『SEASONS OF LOVE』だ。
How do you mesure a year?
Daylights? Sunset? Midnight's cup of coffee?
(夜明け、日没、深夜のコーヒーの数、どういう風に、一年を数えますか?)
一年、と言われると、始まったときは長そうで、でも終わってみると短くて、そんな感じで年をとっていく。
あっという間に過ぎる年月を、積み重ねてきた年月を、例えば分単位で数えてみると、~万という単位になる。同じ意味なのだけれど、とても長い時間を過ごしてきたのだなと思える。そう思えると、自分が生きてきた時間の重みが感じられる。
アレンのこの宴会芸は、確かに物語のオマケ、それこそグリコのおまけ並に、さりげなく登場するだけなのだが、ラストシーンと、それを観たあとでの劇中の数シーンを繋ぎ会わせていくと、この芸はものすごく重要であることに気づかされた。
ラストシーンの爽やかさと、映画的演出の素晴らしさ、劇場で観ていたら泣いていたと思う。
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輸入版ということで、ツイッターでは調子に乗って英語で感想をつぶやいてみたが、結局のところキャリー・マリガンのことにしか触れていなかったので、ここではある程度真面目に書いてみましたが、言ってしまえば極論キャリー・マリガンということで、本作でも魅力抜群でした。
特に面白かった事実としては、彼女は出演作品では必ずどこかで泣いているということ。それがまた似合うこと。
永遠の、涙のヒロインです。
とてもオススメしたいですが、日本未公開・未販売で、現状輸入版しか手に入りません。
それでも観たい方へは、是非ともオススメしたいです。
↓『THE GREATEST』予告編↓
●この記事で紹介したもの
・映画:『THE GREATEST』
・映画:『ラブリー・ボーン』
・映画:『オー・マイ・ゴースト!』(オススメ!)
・映画:『キック・アス』
・映画:『007』シリーズ
・映画:『魔法にかけられて』
・映画:『RENT』
2011年4月18日月曜日
梅太@ 雑記:応援リンク
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
我々のブログの右の欄に、ひっそりと存在している外部HPのリンクですが、本日一つ、増えました。
私、梅太が少し前に知り合いました、ゆきリンダさんという方のHPです。
リンダさんは介護の現場で働きつつ、絵本作家も目指しているパワフルマンです。
それは自然と、心身共のケアへと繋がっていて。
それはきっと、リンダさんの根本の部分なのではないかなと、ちょっと思っています。
まだ一度しか、直接お会いしたことはありませんし、
まだ一度しか、リンダさんの本を手に取ったことはありません。
でもツイッター(@yuki_rinda)などで、ご活躍はいつも拝見させております。
そしてこの度、応援リンクとして、右の欄にこれまたひっそりと付け加えさせて頂きました。
これからも応援しています。
僕が作った短歌に、リンダさんが絵をつけてくれました。
『桃色の絨毯の上を軽快に走る七色のランドセル』
僕の素敵な思い出の一つになりました。
どうもありがとうございます!
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
我々のブログの右の欄に、ひっそりと存在している外部HPのリンクですが、本日一つ、増えました。
私、梅太が少し前に知り合いました、ゆきリンダさんという方のHPです。
リンダさんは介護の現場で働きつつ、絵本作家も目指しているパワフルマンです。
それは自然と、心身共のケアへと繋がっていて。
それはきっと、リンダさんの根本の部分なのではないかなと、ちょっと思っています。
まだ一度しか、直接お会いしたことはありませんし、
まだ一度しか、リンダさんの本を手に取ったことはありません。
でもツイッター(@yuki_rinda)などで、ご活躍はいつも拝見させております。
そしてこの度、応援リンクとして、右の欄にこれまたひっそりと付け加えさせて頂きました。
これからも応援しています。
僕が作った短歌に、リンダさんが絵をつけてくれました。
『桃色の絨毯の上を軽快に走る七色のランドセル』
僕の素敵な思い出の一つになりました。
どうもありがとうございます!
2011年3月31日木曜日
梅太@ 雑記:年度の終わりとハードボイルドワンダーランド
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
今日は何も気にせず伸び伸び書きます。
さて、2011年も早3ヶ月が過ぎたところ、。
ここのところプライベートで、映画以外の色々なことに手を出しすぎて、はて一体全体何をやってきたのかと、細かい部分がぬけ落ちてしまっているので、備忘録としてここに残しておこうかと、思ってみたりみなかったり。
ちなみにこの文章の中で、ピンクのスーツの女性や、胃拡張の司書さんが出てきたりはしないし、また<私>の世界と<僕>の世界による2部構成にもなっていたりはしないので、期待していた方には申し訳ない。
が、『ダニーボーイ』くらいは出てくるかもしれない。
----------------------
▼▼▼映画▼▼▼
近年希にみる、劇場鑑賞数の少なさです。
題名だけ列挙。
・ノルウェイの森
・スプライス
・ソーシャルネットワーク
・キックアス
・ボッカチオ'70
・ウォールストリート
・平成ガメラ3部作(オールナイト)
・ファンタスティックMr.FOX
・わたしを離さないで
『キックアス』は2度目の鑑賞なので、新作だけでいったら6本ですね。むぅ。
でも代わりに、DVD生活は充実。
といっても、殆どチャップリンしか観ていないですけどね。年内中に有名どころはしっかり制覇しておきたいです。
チャップリンが終わったら、ヒッチコックかな。
『SUPER 8』がやる前に、何となくスピルバーグの作品を改めて観ておきたい気もするんだが。
でも何やかんやで、極論キャリー・マリガンに落ち着くこの3ヶ月。
↓『SUPER 8』予告編↓
↓『わたしを離さないで』予告編↓
▼▼▼読書▼▼▼
手帳を観ると、劇場で 『ノルウェイの森』を観た後から、村上春樹しか読んでいないみたい。
昨日『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読み終わり、ここらで一つ区切りをつけたいと思っている。
一番のお気に入りは『スプートニクの恋人』かな。
題名に恋して、中身の言葉に恋して。
人工衛星に乗ったあのライカ犬の運命を思えば、どんな事だってたいしたことはないのでないかと思う今日この頃。
あ、これは『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』か。
一人の作家の作品を集中的に読んでいると、その人の考え方の軸が見えてきます。
あの手この手で物語を綴っているけれど、村上春樹の軸は、言いたいことは多分そこなんだろうな・・・というのが、何となく見えてきた。
また、比喩表現の多用というのも、一つの特徴かもしれない。
これは昨年『ブライトスター』を観て、詩というものを少し真剣に考えた時期に、自分の中で見いだしたものと重なる部分がある。
いつかこの辺は、ちゃんと形にしたい気もする、でも、したくない気もする。とにかく『スプートニクの恋人』を読んでいる時の高揚感と、読み終わった後の余韻は、宝物のような気がしている。
↓『ノルウェイの森』予告編↓
↓『ブライトスター』予告編↓
次。
▼▼▼音楽▼▼▼
昨年末に第九を聞いて以来、すっかりクラシックを聞くようになった今日この頃です。もっと第九を・・・と思ってお店を回っている間に、増えていったのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でした。
また、ある日、これは後でも登場しますが『ムーンリバー』というカクテルを作ったときに、ふと『ティファニーで朝食を』を思いだし、でもそれは風と共に去り、月、月・・・・あ!ということでドビュッシーの『月の光』を流しながら、お酒を飲んでいたのです。
ちなみにこの時聞いていたのは、偶然持っていた『つぐない』という映画のサントラに収録されていたものでした。
↓『つぐない』終盤のこのシーンで流れるのです↓
↓『ティファニーで朝食を』オープニング↓
お酒の力も、ままあるにせよ、世界にこんな美しい音があるなんて知らなかったということで、目から鱗、棚からぼた餅、もう涙々の大団円で、一気にドビュッシーの世界にハマる。いやドビュッシーの・・・というよりは、もう「月の光」に限定してもいいかもしれない。
というわけで、第九探しはチャイコフスキー探しになり、流れで『月の光』探しになったわけだ。
CDいっぱいあるよ。
また2月末には生で聞きにいったりもした。5月末にも行く予定。聞けるだけ聞く。
オーケストラに関しては、10月にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聞きに行くことが決まっている。できれば4大を制覇・・・と行きたいところだけど、みずほ銀行と相談する。
そうそう、演奏する立場にも立ってみようかと思って、ちとピアノを始めた。といってもキーボードだけど。
年内に一曲くらい・・という目標でいる。
次。
▼▼▼落語▼▼▼
1月末に、桂三枝の落語を聞きに行く。一瞬で惚れて、先日新宿末廣亭で、今度は友人を連れて寄席を観る。
僕は言葉が好きだし、ジョークやユーモアは大好きだし、落語っていうのはそんな僕のために用意された伝統芸能のような気がしてならない。
耳から入る物語・・・というのは本等、そこに留まっている言葉を解釈するでなく、常に流れる音を捉え、大胆に、時には匂わせるくらい細やかな、ユーモアの意味を理解する。
話し手としては、それを理解させる。
瞬時の相互理解。笑いの共有。あ~楽しい。
言うなれば幼少の頃の読み聞かせにも似ているのかもしれない。落語のエッセンスを掴めば、子供が出来たとき役に立つかもね。
寄席はこれからも通い続けます。
とりあえず、都内の寄席は、今年中に制覇したいところ。
▼▼▼他、細々と▼▼▼
●バレエ
クラシックバレエ初体験。
これまでスクリーン、紙、キャンパスなど、ある媒体を通しての表現というのはいくつか観てきたけれど、自分の体こそ表現の道具・・・というのは、バレエならではかもしれない。
演劇にも似るところはあるかもだけれど、言葉というものがなく、体しか頼るものがないのは、そこに一本、線を引く感じがある。
●オペラ
震災により中止。残念。
●シンポジウム巡り
『Life shippo project』
『未来を拓く脳科学研究』
の二つに参加しました。逃したものは数知れず。
めげずに頑張る。
どちらも、表現というものへの理解の手助け、という、直接には関係ない部分で非常に役に立っています。
●写真関連
動画は一本制作。ネタ動画だけど、でも時間を共にした人たちに楽しんでもらえたのは嬉しかった。
写真はちょいちょい撮ってます。そろそろサクラですなぁ。
●美術館・展示
友人が芸大を卒業すると言うことで、その卒展。
ネイチャーセンス展で得た考え、それに似通う部分があり、あ~こんなところで世界が繋がるもんだなぁと、作品の素晴らしさにそんな気持ちも上乗せして、酔い時間でした。
写美にてAPAアワード2011。
ガーデンプレイスの景観も相まって、写美に行くと写真撮りたくなります。恵比寿の写真が多いのは、そのせいかもしれません。
ツイッターでフォローさせて頂いている絵本作家志望のyukiリンダさんの絵本展示にも行った。
絵本については昨年『かいじゅうたちのいるところ』から色々と考えることもあり、また上野はこども図書館にて『絵本の黄金時代』という展示を観て、この分野に益々のご健勝・・・間違えたますます興味を持ち始めていたところ、こんな展示があったので無条件に飛び込んだ。yukiリンダさんの本は勿論、他の作家さんたちの本も素敵な物ばかりでした。自分の思っていることを表現できるっていうのは、ホント、すごいことなんですよね。
文化服装学院の卒展。
これは本当に偶然見つけて、ふらっと立ち寄っただけなのだけれど、非常によかった。
特に、靴の展示が良くて、歩くこと、それ即ち物語を紡ぐこと・・ということに気づかせてくれた作品があり、ありがとうと言いたい。ありがとうさぎ。
まほうのことばでポポ・・・はい、次。
●短歌
休業中
●散歩
そろそろ再会
●マジック
昨年後半から方々でやってる。主に飲みの場が多い。
先日部活時代の相方につれられ、久々にマジックショップへ行った。楽しかった。
相手が飲んでる(僕も飲んでる)ということで、ネタは限られるけど、その分口がウマくなってる気がする。そのうちネタをやらず、口だけになるかもしれない。そうなったらもう、ただのトークだ。きみまろ状態だ。
▼▼▼料理▼▼▼
上記したように、週末は大体外にいたので、ゆっくり料理をした記憶がない。
けど、節目節目でしっかりお菓子は作っていたようだ。
生チョコをうまく作りたい。
加えて、年末からカクテル作りにも手を出し始めた。特にジンベースのものが、僕には合ってるみたい。ギムレットとかね。ギムレットにはまだ早いってね。
フィリップ・マーロウだね。
double boiled extream.
今のところ一番好きなのは『ムーンリバー』といって、ジンとアプリコット、クアントロー、ガリアーノ、レモンジュースで作るカクテルです。
↓カクテル『ムーンリバー』↓
そう、『ムーンリバー』と言えばオードリー・ヘップバーンです。ティファニーです。水木しげるの描く一般人みたいなマンションの管理人が出てくるあの映画です。いいですねぇ。
----------------------
プライベートはざっとこんな所でしょうか。
いざ書いてみると、結構な濃縮還元っぷりで、自分でもちょっと驚いている。
実に落ち着きの無い3ヶ月をダラダラ書いてみたけど、ダラダラしすぎてオチがつかないという悩み。
でも頭の整理は大分出来た。おかげで。
さて、次は物品整理、つまりお部屋の大掃除をしなくてはいけない。ずいぶんと物がふえたから。
さ、年度明けは、社会人3年目。
石の上にも三年と良く言うけれど、この言葉は真理だと思う。
テンションとモチベーションは右肩上がり。家の消費電力は右肩下がり。
小さなことでもコツコツと。小さじいっぱいの勇気を・・・これなんのフレーズだっけ。
来年度もがんばっていきやしょう。
↓『ダニーボーイ』↓
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
今日は何も気にせず伸び伸び書きます。
さて、2011年も早3ヶ月が過ぎたところ、。
ここのところプライベートで、映画以外の色々なことに手を出しすぎて、はて一体全体何をやってきたのかと、細かい部分がぬけ落ちてしまっているので、備忘録としてここに残しておこうかと、思ってみたりみなかったり。
ちなみにこの文章の中で、ピンクのスーツの女性や、胃拡張の司書さんが出てきたりはしないし、また<私>の世界と<僕>の世界による2部構成にもなっていたりはしないので、期待していた方には申し訳ない。
が、『ダニーボーイ』くらいは出てくるかもしれない。
----------------------
▼▼▼映画▼▼▼
近年希にみる、劇場鑑賞数の少なさです。
題名だけ列挙。
・ノルウェイの森
・スプライス
・ソーシャルネットワーク
・キックアス
・ボッカチオ'70
・ウォールストリート
・平成ガメラ3部作(オールナイト)
・ファンタスティックMr.FOX
・わたしを離さないで
『キックアス』は2度目の鑑賞なので、新作だけでいったら6本ですね。むぅ。
でも代わりに、DVD生活は充実。
といっても、殆どチャップリンしか観ていないですけどね。年内中に有名どころはしっかり制覇しておきたいです。
チャップリンが終わったら、ヒッチコックかな。
『SUPER 8』がやる前に、何となくスピルバーグの作品を改めて観ておきたい気もするんだが。
でも何やかんやで、極論キャリー・マリガンに落ち着くこの3ヶ月。
↓『SUPER 8』予告編↓
↓『わたしを離さないで』予告編↓
▼▼▼読書▼▼▼
手帳を観ると、劇場で 『ノルウェイの森』を観た後から、村上春樹しか読んでいないみたい。
昨日『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読み終わり、ここらで一つ区切りをつけたいと思っている。
一番のお気に入りは『スプートニクの恋人』かな。
題名に恋して、中身の言葉に恋して。
人工衛星に乗ったあのライカ犬の運命を思えば、どんな事だってたいしたことはないのでないかと思う今日この頃。
あ、これは『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』か。
一人の作家の作品を集中的に読んでいると、その人の考え方の軸が見えてきます。
あの手この手で物語を綴っているけれど、村上春樹の軸は、言いたいことは多分そこなんだろうな・・・というのが、何となく見えてきた。
また、比喩表現の多用というのも、一つの特徴かもしれない。
これは昨年『ブライトスター』を観て、詩というものを少し真剣に考えた時期に、自分の中で見いだしたものと重なる部分がある。
いつかこの辺は、ちゃんと形にしたい気もする、でも、したくない気もする。とにかく『スプートニクの恋人』を読んでいる時の高揚感と、読み終わった後の余韻は、宝物のような気がしている。
↓『ノルウェイの森』予告編↓
↓『ブライトスター』予告編↓
次。
▼▼▼音楽▼▼▼
昨年末に第九を聞いて以来、すっかりクラシックを聞くようになった今日この頃です。もっと第九を・・・と思ってお店を回っている間に、増えていったのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でした。
また、ある日、これは後でも登場しますが『ムーンリバー』というカクテルを作ったときに、ふと『ティファニーで朝食を』を思いだし、でもそれは風と共に去り、月、月・・・・あ!ということでドビュッシーの『月の光』を流しながら、お酒を飲んでいたのです。
ちなみにこの時聞いていたのは、偶然持っていた『つぐない』という映画のサントラに収録されていたものでした。
↓『つぐない』終盤のこのシーンで流れるのです↓
↓『ティファニーで朝食を』オープニング↓
お酒の力も、ままあるにせよ、世界にこんな美しい音があるなんて知らなかったということで、目から鱗、棚からぼた餅、もう涙々の大団円で、一気にドビュッシーの世界にハマる。いやドビュッシーの・・・というよりは、もう「月の光」に限定してもいいかもしれない。
というわけで、第九探しはチャイコフスキー探しになり、流れで『月の光』探しになったわけだ。
CDいっぱいあるよ。
また2月末には生で聞きにいったりもした。5月末にも行く予定。聞けるだけ聞く。
オーケストラに関しては、10月にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聞きに行くことが決まっている。できれば4大を制覇・・・と行きたいところだけど、みずほ銀行と相談する。
そうそう、演奏する立場にも立ってみようかと思って、ちとピアノを始めた。といってもキーボードだけど。
年内に一曲くらい・・という目標でいる。
次。
▼▼▼落語▼▼▼
1月末に、桂三枝の落語を聞きに行く。一瞬で惚れて、先日新宿末廣亭で、今度は友人を連れて寄席を観る。
僕は言葉が好きだし、ジョークやユーモアは大好きだし、落語っていうのはそんな僕のために用意された伝統芸能のような気がしてならない。
耳から入る物語・・・というのは本等、そこに留まっている言葉を解釈するでなく、常に流れる音を捉え、大胆に、時には匂わせるくらい細やかな、ユーモアの意味を理解する。
話し手としては、それを理解させる。
瞬時の相互理解。笑いの共有。あ~楽しい。
言うなれば幼少の頃の読み聞かせにも似ているのかもしれない。落語のエッセンスを掴めば、子供が出来たとき役に立つかもね。
寄席はこれからも通い続けます。
とりあえず、都内の寄席は、今年中に制覇したいところ。
▼▼▼他、細々と▼▼▼
●バレエ
クラシックバレエ初体験。
これまでスクリーン、紙、キャンパスなど、ある媒体を通しての表現というのはいくつか観てきたけれど、自分の体こそ表現の道具・・・というのは、バレエならではかもしれない。
演劇にも似るところはあるかもだけれど、言葉というものがなく、体しか頼るものがないのは、そこに一本、線を引く感じがある。
●オペラ
震災により中止。残念。
●シンポジウム巡り
『Life shippo project』
『未来を拓く脳科学研究』
の二つに参加しました。逃したものは数知れず。
めげずに頑張る。
どちらも、表現というものへの理解の手助け、という、直接には関係ない部分で非常に役に立っています。
●写真関連
動画は一本制作。ネタ動画だけど、でも時間を共にした人たちに楽しんでもらえたのは嬉しかった。
写真はちょいちょい撮ってます。そろそろサクラですなぁ。
●美術館・展示
友人が芸大を卒業すると言うことで、その卒展。
ネイチャーセンス展で得た考え、それに似通う部分があり、あ~こんなところで世界が繋がるもんだなぁと、作品の素晴らしさにそんな気持ちも上乗せして、酔い時間でした。
写美にてAPAアワード2011。
ガーデンプレイスの景観も相まって、写美に行くと写真撮りたくなります。恵比寿の写真が多いのは、そのせいかもしれません。
ツイッターでフォローさせて頂いている絵本作家志望のyukiリンダさんの絵本展示にも行った。
絵本については昨年『かいじゅうたちのいるところ』から色々と考えることもあり、また上野はこども図書館にて『絵本の黄金時代』という展示を観て、この分野に益々のご健勝・・・間違えたますます興味を持ち始めていたところ、こんな展示があったので無条件に飛び込んだ。yukiリンダさんの本は勿論、他の作家さんたちの本も素敵な物ばかりでした。自分の思っていることを表現できるっていうのは、ホント、すごいことなんですよね。
文化服装学院の卒展。
これは本当に偶然見つけて、ふらっと立ち寄っただけなのだけれど、非常によかった。
特に、靴の展示が良くて、歩くこと、それ即ち物語を紡ぐこと・・ということに気づかせてくれた作品があり、ありがとうと言いたい。ありがとうさぎ。
まほうのことばでポポ・・・はい、次。
●短歌
休業中
●散歩
そろそろ再会
●マジック
昨年後半から方々でやってる。主に飲みの場が多い。
先日部活時代の相方につれられ、久々にマジックショップへ行った。楽しかった。
相手が飲んでる(僕も飲んでる)ということで、ネタは限られるけど、その分口がウマくなってる気がする。そのうちネタをやらず、口だけになるかもしれない。そうなったらもう、ただのトークだ。きみまろ状態だ。
▼▼▼料理▼▼▼
上記したように、週末は大体外にいたので、ゆっくり料理をした記憶がない。
けど、節目節目でしっかりお菓子は作っていたようだ。
生チョコをうまく作りたい。
加えて、年末からカクテル作りにも手を出し始めた。特にジンベースのものが、僕には合ってるみたい。ギムレットとかね。ギムレットにはまだ早いってね。
フィリップ・マーロウだね。
double boiled extream.
今のところ一番好きなのは『ムーンリバー』といって、ジンとアプリコット、クアントロー、ガリアーノ、レモンジュースで作るカクテルです。
↓カクテル『ムーンリバー』↓
そう、『ムーンリバー』と言えばオードリー・ヘップバーンです。ティファニーです。水木しげるの描く一般人みたいなマンションの管理人が出てくるあの映画です。いいですねぇ。
----------------------
プライベートはざっとこんな所でしょうか。
いざ書いてみると、結構な濃縮還元っぷりで、自分でもちょっと驚いている。
実に落ち着きの無い3ヶ月をダラダラ書いてみたけど、ダラダラしすぎてオチがつかないという悩み。
でも頭の整理は大分出来た。おかげで。
さて、次は物品整理、つまりお部屋の大掃除をしなくてはいけない。ずいぶんと物がふえたから。
さ、年度明けは、社会人3年目。
石の上にも三年と良く言うけれど、この言葉は真理だと思う。
テンションとモチベーションは右肩上がり。家の消費電力は右肩下がり。
小さなことでもコツコツと。小さじいっぱいの勇気を・・・これなんのフレーズだっけ。
来年度もがんばっていきやしょう。
↓『ダニーボーイ』↓
2011年3月15日火曜日
梅太@ コラボでシネマ:ブルースと言う名前の贈り物
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
なんだろう、何となくこんな時って、ヴォネガットが読みたくなるのですよね。
『国のない男』- カート・ヴォネガット
二次大戦を経験し、ヴォネガットは人間の愚かさを知る。
それは彼の数々の物語の中で色濃く描かれるが、同時に彼は、人間が見出した色々の芸術を愛した。
そして芸術を通じて、色々あるけどそれでもやっぱり、人間への愛情を捨てきれない人だった、と僕は思っている。
ヴォネガットがこの本の中で語る二次大戦、それは人が相手のものである。
一方、今回の東北大地震、それは自然が相手である。
しかし相手は違えど、人に与えた、特に精神的なダメージというものは、どこか共通する部分があるように感じた。
この本で描かれた一つ一つの台詞、ユーモア。
それは大地震でダメージを受けた人、そして実被害から免れても、連日のニュースで精神的に参ってしまっている人、そんな人へ、ちょっとした薬になるのでは無いかと、思ったのです。
▼▼▼▼▼▼▼
・・・といって、全ての言葉を書き出すことは、いわゆる著作権法なり何なりに引っかかり、この状況下で警察の方々のお手間を増やすわけにはいかない。
なので中でも、音楽とユーモアについて、幾つかを抜粋することにする。
背景はこうだ。
アメリカの奴隷時代、つまり黒人に対する差別が酷かった時代。
白人の奴隷所有者達の自殺率は、奴隷であった黒人のそれよりも高かったらしい。
その理由は、奴隷たちが絶望の対処法を知っていたからということみたいだ。
今置かれてる現状が、そしてこの後に残る傷跡が、キレイさっぱり消えるわけでは無いけれど、それを外へ外へと追いやろうとする。
そんな術を具現化したもの、それこそがブルースという音楽・・・らしい。
負の状況下で、ポジティブに生きようとする力。
確かにブルースを聴いていると、底から持ち上げてくれるような感覚がある。
この言葉を読んだとき、色々と繋がったものがある。
なぜヴォネガットは、数多くある音楽のジャンルの中で、このブルースを取り上げたのか。
それは”ユーモア”に対する、ヴォネガットの考え方;ユーモアというのは、いってみれば恐怖に対する生理的な反応なんだと思う - に寄るのだと思う。
そういう逆境的な局面で、生まれるものがあるという事だ。
(おっと、セミコロンを使ってしまった)
▼▼▼▼▼▼
さて、普段あまり真面目に見られない僕ですが、ユーモアってなんだろうというのは、意外に真面目に考えていて、いやそもそもユーモアを眉間に皺寄せて根つめて考えたら、それって自分は面白く無いだろう、その状況、むしろ笑える・・・という、これもまた一つの小噺なのだけど、そこは置いておいて。
・・・話が逸れたけど。
こういう状況下で、笑いの力って凄く威力を発揮すると思うのだけど、いざ災害とご対面してみると、それって難しいと、心から思いました。
この状況で、お前何を言ってんだ?と言われる可能性だってあるし、ヴォネガットも「どうやってもジョークにならない素材というものがある」と言っている。
(彼の場合、大災害はジョークに出来る分類に入るみたいだけど)
今回改めてこの本を読んだとき、確かに、僕が求めるユーモアってここにある・・・と思った。
少し皮肉っぽいけど、決して攻撃的でなくやわらかい、聞くと安心するユーモア。
でも自分でやるとなると、境目というものが、わからない。
この線は超えていいのかいけないのか、わからない。
いやはや笑えるジョークは、むつかしい。
そしてジョークって、すごく勇気がいるものなのだと、思いました。
でも、週が明けて、人に会って、笑っていると、かなり救われますよね。
笑いっていうのはいいものです。
怯むなんて、僕らしくない。
だから自分としても、ここでめげないで、ユーモアについてもっと勉強したいと思いました。
いや、勿論その前に、被災者の方に、実のある支援をするのが先決ですけどね。
▼▼▼▼▼▼
さて、なにも本の紹介をしようと思って、このブログを立ち上げたわけでなく。
いやそれでも、ほんのちょっと位は、本の紹介をしたっていいじゃないかよ、とも思いつつ。
このブログは何のため?と言われれば、そうだ映画の紹介の為だと思い。
こんな時、ブルースのように、皆を元気にしてくれる映画ってなんだろう。
お察しの方もいるかと思いますが、ここでは『ブルース・ブラザース』を紹介させて頂きます。
いやはや、実に安直。
主人公兄弟が織り成すドタバタ劇は、否応なしに見るものを笑わせてくれますし、劇中歌われるブルースの数々は、吊られて自然と体が動いてしまいます。
一曲だけ、紹介。
その名も『監獄ロック』。
上に書いたブルースの歴史を聞くと、題名が皮肉っててね、いいでしょ?
『Jailhouse Rock』
↓↓↓劇中シーンはコチラで観れます↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=g22b9mjzQKg
ジョークと、音楽に満ちた、こんな時、抜群にオススメしたい作品。
余裕のある方は是非どうぞ。
そういえば、先日Bar NOIに行った時、外人さんとこの作品の話になりましてね。
そしてヴォネガットの本、ブルースの話。
何だか色々と、繋がってる気がする。
--------------------------
最後に。 またヴォネガットの言葉で。
僕は4年ほど前にこの言葉を読み、以後、物事の考え方の軸になっている。
●この記事で紹介したもの
・本:『国のない男』 - カート・ヴォネガット
・映画:『ブルース・ブラザーズ』
被災者の方、そうで無い方も、みんながんばろう。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
なんだろう、何となくこんな時って、ヴォネガットが読みたくなるのですよね。
『国のない男』- カート・ヴォネガット
二次大戦を経験し、ヴォネガットは人間の愚かさを知る。
それは彼の数々の物語の中で色濃く描かれるが、同時に彼は、人間が見出した色々の芸術を愛した。
そして芸術を通じて、色々あるけどそれでもやっぱり、人間への愛情を捨てきれない人だった、と僕は思っている。
ヴォネガットがこの本の中で語る二次大戦、それは人が相手のものである。
一方、今回の東北大地震、それは自然が相手である。
しかし相手は違えど、人に与えた、特に精神的なダメージというものは、どこか共通する部分があるように感じた。
この本で描かれた一つ一つの台詞、ユーモア。
それは大地震でダメージを受けた人、そして実被害から免れても、連日のニュースで精神的に参ってしまっている人、そんな人へ、ちょっとした薬になるのでは無いかと、思ったのです。
▼▼▼▼▼▼▼
・・・といって、全ての言葉を書き出すことは、いわゆる著作権法なり何なりに引っかかり、この状況下で警察の方々のお手間を増やすわけにはいかない。
なので中でも、音楽とユーモアについて、幾つかを抜粋することにする。
============================
ブルースは絶望を家の外に追い出すことは出来ないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることは出来る。
============================
背景はこうだ。
アメリカの奴隷時代、つまり黒人に対する差別が酷かった時代。
白人の奴隷所有者達の自殺率は、奴隷であった黒人のそれよりも高かったらしい。
その理由は、奴隷たちが絶望の対処法を知っていたからということみたいだ。
今置かれてる現状が、そしてこの後に残る傷跡が、キレイさっぱり消えるわけでは無いけれど、それを外へ外へと追いやろうとする。
そんな術を具現化したもの、それこそがブルースという音楽・・・らしい。
負の状況下で、ポジティブに生きようとする力。
確かにブルースを聴いていると、底から持ち上げてくれるような感覚がある。
この言葉を読んだとき、色々と繋がったものがある。
なぜヴォネガットは、数多くある音楽のジャンルの中で、このブルースを取り上げたのか。
それは”ユーモア”に対する、ヴォネガットの考え方;ユーモアというのは、いってみれば恐怖に対する生理的な反応なんだと思う - に寄るのだと思う。
そういう逆境的な局面で、生まれるものがあるという事だ。
(おっと、セミコロンを使ってしまった)
▼▼▼▼▼▼
さて、普段あまり真面目に見られない僕ですが、ユーモアってなんだろうというのは、意外に真面目に考えていて、いやそもそもユーモアを眉間に皺寄せて根つめて考えたら、それって自分は面白く無いだろう、その状況、むしろ笑える・・・という、これもまた一つの小噺なのだけど、そこは置いておいて。
・・・話が逸れたけど。
こういう状況下で、笑いの力って凄く威力を発揮すると思うのだけど、いざ災害とご対面してみると、それって難しいと、心から思いました。
この状況で、お前何を言ってんだ?と言われる可能性だってあるし、ヴォネガットも「どうやってもジョークにならない素材というものがある」と言っている。
(彼の場合、大災害はジョークに出来る分類に入るみたいだけど)
今回改めてこの本を読んだとき、確かに、僕が求めるユーモアってここにある・・・と思った。
少し皮肉っぽいけど、決して攻撃的でなくやわらかい、聞くと安心するユーモア。
でも自分でやるとなると、境目というものが、わからない。
この線は超えていいのかいけないのか、わからない。
いやはや笑えるジョークは、むつかしい。
そしてジョークって、すごく勇気がいるものなのだと、思いました。
でも、週が明けて、人に会って、笑っていると、かなり救われますよね。
笑いっていうのはいいものです。
怯むなんて、僕らしくない。
だから自分としても、ここでめげないで、ユーモアについてもっと勉強したいと思いました。
いや、勿論その前に、被災者の方に、実のある支援をするのが先決ですけどね。
▼▼▼▼▼▼
さて、なにも本の紹介をしようと思って、このブログを立ち上げたわけでなく。
いやそれでも、ほんのちょっと位は、本の紹介をしたっていいじゃないかよ、とも思いつつ。
このブログは何のため?と言われれば、そうだ映画の紹介の為だと思い。
こんな時、ブルースのように、皆を元気にしてくれる映画ってなんだろう。
お察しの方もいるかと思いますが、ここでは『ブルース・ブラザース』を紹介させて頂きます。
いやはや、実に安直。
主人公兄弟が織り成すドタバタ劇は、否応なしに見るものを笑わせてくれますし、劇中歌われるブルースの数々は、吊られて自然と体が動いてしまいます。
一曲だけ、紹介。
その名も『監獄ロック』。
上に書いたブルースの歴史を聞くと、題名が皮肉っててね、いいでしょ?
『Jailhouse Rock』
↓↓↓劇中シーンはコチラで観れます↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=g22b9mjzQKg
ジョークと、音楽に満ちた、こんな時、抜群にオススメしたい作品。
余裕のある方は是非どうぞ。
そういえば、先日Bar NOIに行った時、外人さんとこの作品の話になりましてね。
そしてヴォネガットの本、ブルースの話。
何だか色々と、繋がってる気がする。
--------------------------
最後に。 またヴォネガットの言葉で。
===============
唯一わたしがやりたかったのは、人々に笑いという救いを与えることだ。
ユーモアは人の心を楽にする力がある。アスピリンのようなものだ。
百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっと嬉しいと思う。
===============
僕は4年ほど前にこの言葉を読み、以後、物事の考え方の軸になっている。
●この記事で紹介したもの
・本:『国のない男』 - カート・ヴォネガット
・映画:『ブルース・ブラザーズ』
被災者の方、そうで無い方も、みんながんばろう。
2011年3月1日火曜日
梅太@ 雑記:わたしにならできる1つのこと
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
募金というのは素晴らしい制度だと、24年生きてきて・・・いや物心のつく数年間をさっ引いても、10何年生きてきて、初めて思った。
今日はそんなお話。
▼▼▼▼▼▼
といって、いきなり話が少し変わる。
僕の2大趣味として映画鑑賞と読書がある。
最近は爆発的な勢いで興味の幅が増えてきて、過去を振り返ると時に「よくあのころは趣味が絞れてたなぁ」と思うばかりであるけれど、幅は増えてもこの二つがトップなのは変わりない。
映画と読書、この二つには、そこに展開されている物語に身を沈めること、登場人物たちが生きている人生を疑似体験すること、そんな共通点があると思う。
この世界ではないどこかで、自分ではない誰かの考えていることに思いを馳せる、昔から、その行為が好きであった。
僕は物語を咀嚼するのに、かなり時間をかかかってしまう。それは一つ一つの場面を想像し、台詞の一つ一つの意味を考えると、自然とそうなってしまうのである。
ご飯を食べるときも、それくら時間をかければきっと健康的なのだけれど、そこは置いておこう。
登場人物たちが置かれている現況を想像し始めると、僕は精神的に結構キツくなる時がある。
例えば「つぐない」という映画の原作となった、イアン・マキューアンの「贖罪」で、戦地に赴いた青年が喉の渇きを必死に耐え、集合場所へ向かうシーンがある。僕はこの場面を読んでいるとき、本気で喉が渇いてしまったし、蛇口をひねれば水が出る・・・という環境に、えらく感謝したことを覚えている。
勿論ハッピーな描写であれば、そこに身を浸して自分も幸せになれたりもする。
しかし身を浸すという行為は、場合によってはとても危険な行為だと感じることもある。
が、それに対する策も、実は持っていたりする。それは「これはフィクションです」と割り切ってしまうこと。僕は意外とバイオレンスな描写に強いのは、実はそんなフィルターをうまく利用しているからである。
しかし、フィクションでない事例に遭遇すると、このフィルタは機能しなくなる。
▼▼▼▼▼▼
先日発生した、ニュージーランドでの大地震。災害の詳細を把握したのは夜のニュースであったけれど、救出された人のコメント、まだ救出されてない人の安否を気にする人の姿をカメラは捉えていく。
その人たちの立場になって、その人たちの気持ちを想像し始めると、僕は今、夜ご飯を悠々と食べていていいのだろうかという気がしてくる。
気にしすぎだと、言う人もいるかもしれないけれど、映画や読書を通じて培ってきた「誰かの立場になって」という行為は、もう息をするのと同じくらい自然な行為となってしまっている。
だから、結構つらい。こういうニュースを観ると。
▼▼▼▼▼▼
また映画の話に少し戻る。
僕は「キック・アス」を観たとき、ものすごく感銘を受けた。
根底に流れるテーマとして、「すごいことは出来ないけれど、そんな自分でも出来る小さなことを見つけよう」というのが、あると思う。勝手な想像ではある。
主人公:デイブはマンガやアニメに出てくるヒーローに憧れる青年。ある日、「現実世界にヒーローがいないなら、俺がなってやる」と意気込み、全身タイツを買い、”キック・アス”と名乗って町へ繰り出す。
ヒーローとしての最初の仕事は、車上荒らしのチンピラを退治することであったが、彼は返り討ちにあい、瀕死の重傷を負う。
回復して、もうヒーローは諦める・・・とはならず、彼はヒーローとしての活動を再開することを決める。
復帰後の最初の仕事は、なんと、迷子の猫を探すこと。
チンピラ撃退からしたら、偉くスケールが下がってしまったが、それが彼なりの、”今の自分に”出来る精一杯なのだと思った。
自分には凄いこと出来ないし・・・として退くでなく、それでも自分に出来る小さなことを探す。その気持ちこそヒーローの第一歩。
僕はこの一連の流れに偉く感動した。
▼▼▼▼▼▼
さて、話を戻す。
今、地震の被害で苦しんでいる人に僕が出来ることってなんだろう、と考えてみる。
現地に飛ぶなんて出来ない、直接助けることはできない。
それでも何か出来ないか。
として、浮かんだものが募金だった。
募金なんて、今まで真剣に考えたことはなかったが、浮かんだことはそれだった。
そして、募金についてちょっと考えてみると、募金は、渡す相手の顔が見えるわけではない。ついつい「僕には関係ないから」とスルーしてしまう。
僕もそうだった。
でも現に苦しんでいる人がいる、というのを、テレビでも新聞でもいいから観て、その人たちはいまどうしているだろうと考え、いてもたってもいられなくなる人が、おそらく世界中にいて、それでも何かしてあげられること・・・として考え出されたのが、きっと募金という行動の始まりだったのだろうと、今は思う。
だから、ニュースを観た翌朝、僕は募金をした。
僕でも出来る小さなこと、であった。
相手の立場になる・・・という行為は、多分これまでも出来ていたはずだが、それに対して何かアクションを・・・という心持ちは、恐らく「キック・アス」の物語を咀嚼しなければ至らなかった考えだ。
災害と、映画と、平行して考えることは不謹慎になるのかもしれないけれど、でもそのおかげで気付いたというのは事実である。
結び、が思いつかないけれど、ちょっとここに、思ったことをつらつら書いてみた。
募金という物に対し、考え方が変わった週であった。
セブンイレブンでは3/6まで募金を行っている様ですので、気付いたら少し、入れてみて下さい。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
募金というのは素晴らしい制度だと、24年生きてきて・・・いや物心のつく数年間をさっ引いても、10何年生きてきて、初めて思った。
今日はそんなお話。
▼▼▼▼▼▼
といって、いきなり話が少し変わる。
僕の2大趣味として映画鑑賞と読書がある。
最近は爆発的な勢いで興味の幅が増えてきて、過去を振り返ると時に「よくあのころは趣味が絞れてたなぁ」と思うばかりであるけれど、幅は増えてもこの二つがトップなのは変わりない。
映画と読書、この二つには、そこに展開されている物語に身を沈めること、登場人物たちが生きている人生を疑似体験すること、そんな共通点があると思う。
この世界ではないどこかで、自分ではない誰かの考えていることに思いを馳せる、昔から、その行為が好きであった。
僕は物語を咀嚼するのに、かなり時間をかかかってしまう。それは一つ一つの場面を想像し、台詞の一つ一つの意味を考えると、自然とそうなってしまうのである。
ご飯を食べるときも、それくら時間をかければきっと健康的なのだけれど、そこは置いておこう。
登場人物たちが置かれている現況を想像し始めると、僕は精神的に結構キツくなる時がある。
例えば「つぐない」という映画の原作となった、イアン・マキューアンの「贖罪」で、戦地に赴いた青年が喉の渇きを必死に耐え、集合場所へ向かうシーンがある。僕はこの場面を読んでいるとき、本気で喉が渇いてしまったし、蛇口をひねれば水が出る・・・という環境に、えらく感謝したことを覚えている。
勿論ハッピーな描写であれば、そこに身を浸して自分も幸せになれたりもする。
しかし身を浸すという行為は、場合によってはとても危険な行為だと感じることもある。
が、それに対する策も、実は持っていたりする。それは「これはフィクションです」と割り切ってしまうこと。僕は意外とバイオレンスな描写に強いのは、実はそんなフィルターをうまく利用しているからである。
しかし、フィクションでない事例に遭遇すると、このフィルタは機能しなくなる。
▼▼▼▼▼▼
先日発生した、ニュージーランドでの大地震。災害の詳細を把握したのは夜のニュースであったけれど、救出された人のコメント、まだ救出されてない人の安否を気にする人の姿をカメラは捉えていく。
その人たちの立場になって、その人たちの気持ちを想像し始めると、僕は今、夜ご飯を悠々と食べていていいのだろうかという気がしてくる。
気にしすぎだと、言う人もいるかもしれないけれど、映画や読書を通じて培ってきた「誰かの立場になって」という行為は、もう息をするのと同じくらい自然な行為となってしまっている。
だから、結構つらい。こういうニュースを観ると。
▼▼▼▼▼▼
また映画の話に少し戻る。
僕は「キック・アス」を観たとき、ものすごく感銘を受けた。
根底に流れるテーマとして、「すごいことは出来ないけれど、そんな自分でも出来る小さなことを見つけよう」というのが、あると思う。勝手な想像ではある。
主人公:デイブはマンガやアニメに出てくるヒーローに憧れる青年。ある日、「現実世界にヒーローがいないなら、俺がなってやる」と意気込み、全身タイツを買い、”キック・アス”と名乗って町へ繰り出す。
ヒーローとしての最初の仕事は、車上荒らしのチンピラを退治することであったが、彼は返り討ちにあい、瀕死の重傷を負う。
回復して、もうヒーローは諦める・・・とはならず、彼はヒーローとしての活動を再開することを決める。
復帰後の最初の仕事は、なんと、迷子の猫を探すこと。
チンピラ撃退からしたら、偉くスケールが下がってしまったが、それが彼なりの、”今の自分に”出来る精一杯なのだと思った。
自分には凄いこと出来ないし・・・として退くでなく、それでも自分に出来る小さなことを探す。その気持ちこそヒーローの第一歩。
僕はこの一連の流れに偉く感動した。
▼▼▼▼▼▼
さて、話を戻す。
今、地震の被害で苦しんでいる人に僕が出来ることってなんだろう、と考えてみる。
現地に飛ぶなんて出来ない、直接助けることはできない。
それでも何か出来ないか。
として、浮かんだものが募金だった。
募金なんて、今まで真剣に考えたことはなかったが、浮かんだことはそれだった。
そして、募金についてちょっと考えてみると、募金は、渡す相手の顔が見えるわけではない。ついつい「僕には関係ないから」とスルーしてしまう。
僕もそうだった。
でも現に苦しんでいる人がいる、というのを、テレビでも新聞でもいいから観て、その人たちはいまどうしているだろうと考え、いてもたってもいられなくなる人が、おそらく世界中にいて、それでも何かしてあげられること・・・として考え出されたのが、きっと募金という行動の始まりだったのだろうと、今は思う。
だから、ニュースを観た翌朝、僕は募金をした。
僕でも出来る小さなこと、であった。
相手の立場になる・・・という行為は、多分これまでも出来ていたはずだが、それに対して何かアクションを・・・という心持ちは、恐らく「キック・アス」の物語を咀嚼しなければ至らなかった考えだ。
災害と、映画と、平行して考えることは不謹慎になるのかもしれないけれど、でもそのおかげで気付いたというのは事実である。
結び、が思いつかないけれど、ちょっとここに、思ったことをつらつら書いてみた。
募金という物に対し、考え方が変わった週であった。
セブンイレブンでは3/6まで募金を行っている様ですので、気付いたら少し、入れてみて下さい。
2011年2月13日日曜日
梅太@ コラボでシネマ:株のレートとチョコレート
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
世間はバレンタイン一色です。
そこで今日は、チョコレートと映画のコラボ。
チョコレートの出てくる映画?と思いきや、そこはまったく関係ございません。
世の中には、バレンタインが近づくと女の子の動向をチェックし、チョコレートをもらえるかどうかヤキモキする・・・でなく、株のレートを常にチェックし、投資した金で利益を上げられるか否か、それしか気にしていない、そんな男共が存在するのです。
▼▼▼▼▼▼
今回コラボに選んだ映画は、現在公開中の『ウォール・ストリートmoney never sleeps』。
キャリー・マリガンが見れさえすればそれで良い・・・くらいの気持ちで、でも100%楽しみたいから、未だ観ていなかった前作を見、ごめんなさいと言わざるを得ないくらい素晴らしい作品であったため、続編も心して見ようと意気込んで映画館へ行って参りました。
が、本題に入る前に、キャリー・マリガン熱にもうちょっと付き合ってね。
ただ書きたいだけなのだけど。
『パブリック・エネミーズ』でファンを獲得したとは考えづらいけれど(一瞬しか出てないし)、『マイ・ブラザー』や、何より『17歳の肖像』という拍手を送らずにはいられない作品のおかげで、恐らく徐々に人気を獲得・・・というか、人々に恋の嵐を巻き起こしているであろうキャリー・マリガンですが、本作でもその魅力は抜群であり、ショートヘアになったことで顔の輪郭がハッキリして、横顔が一層愛らしく、たまらなく美しくなった気がします。全ては横顔ですよ、もう。フェチがどうとか言う話をするのであれば、僕は横顔フェチなのだよ、多分。
あとオープニングのYシャツ姿で、「オリバー・ストーン、よくやった」と唸りましたが、それは冗談として。
今回は涙を流すシーンが多かったですが、彼女の恋は一筋縄ではいかないらしく(『17歳の肖像』参照)、観ていて「お~い、頼むから誰か、というか脚本さん!彼女を幸せにしておくれよ!」と願うばかりでしたが、涙を流すその顔もまたいいのですよね。
今年は『わたしを離さないで』という本命も残っておりますし、いやキャリー・マリガンに義理も本命もないのだけれど、輸入版で購入した作品もまだ観てないですし、今年もまた、キャリー・マリガンにどっぷり浸かろうと思っております。
そんなわけで、バレンタインにちなんで作った「ガトーショコラ」を、キャリー・マリガンに捧ぐ。
あ、あとついでに会社の人にも捧げるつもり。
さて以下、多分上記文よりも短いけれど、至って真面目な作品の感想。
▼▼▼▼▼▼
金は眠らない。
情報も眠らない。
時が止まることはない。
しかし流れる時の中で、人は変わる。
お金や時間の持つ意味・捉え方も変わっていく。
株価が日々一定では無いように・・・・
金は天下の廻りもの。金がなければ何もできない、という現実に、僕たちは生きている。
失われた時間を取り戻そうとするかつての金の怪物が、時間を意識し始め、決断を下す場面を観たとき、ある言葉が頭に浮かんだ。
お金が主役であった1作目に対し、続編であるこの2作目は、時間が主役なのだ。
僕の頭に浮かんだ言葉は、time is money.
それはウォールストリートを舞台に描かれた毛色の違うこの2作を結ぶ言葉であると思ったし、また変わらず根底に流れているのは、”GREED(欲望)”という言葉であるのだ。
経済には波がある。それは他ならぬ、人の欲望が作り出す波である。
それはまた、新たなバブルを生み出す可能性がある。
そしてまた、弾けることがあるかもしれない。
”今は”未だ弾けていないだけで・・・
人の欲望がある限り、それは起こりうる未来として、考えておいた方が良いのかもしれない。
青空へ高く高く上っていくシャボン玉が、弾けるのか弾けないのか。
そんなグっと惹きこまれるラストシーンがとても印象的。
素晴らしい作品でした。
------------------
新作が手薄だ。
でもその分、旧作層が厚くなっていっている。
今年くらいはそれで良いと、思っている。
そんなつぶやきと、キャリー・マリガンの横顔でお別れです。
●この記事で紹介したもの
・記念日:バレンタインデー
・料理:ガトー・ショコラ
・映画:『ウォール・ストリート money never sleeps』
・映画:『ウォール街』
・映画:『パブリック・エネミーズ』
・映画:『マイ・ブラザー』
・映画:『17歳の肖像』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
世間はバレンタイン一色です。
そこで今日は、チョコレートと映画のコラボ。
チョコレートの出てくる映画?と思いきや、そこはまったく関係ございません。
世の中には、バレンタインが近づくと女の子の動向をチェックし、チョコレートをもらえるかどうかヤキモキする・・・でなく、株のレートを常にチェックし、投資した金で利益を上げられるか否か、それしか気にしていない、そんな男共が存在するのです。
▼▼▼▼▼▼
今回コラボに選んだ映画は、現在公開中の『ウォール・ストリートmoney never sleeps』。
キャリー・マリガンが見れさえすればそれで良い・・・くらいの気持ちで、でも100%楽しみたいから、未だ観ていなかった前作を見、ごめんなさいと言わざるを得ないくらい素晴らしい作品であったため、続編も心して見ようと意気込んで映画館へ行って参りました。
が、本題に入る前に、キャリー・マリガン熱にもうちょっと付き合ってね。
ただ書きたいだけなのだけど。
『パブリック・エネミーズ』でファンを獲得したとは考えづらいけれど(一瞬しか出てないし)、『マイ・ブラザー』や、何より『17歳の肖像』という拍手を送らずにはいられない作品のおかげで、恐らく徐々に人気を獲得・・・というか、人々に恋の嵐を巻き起こしているであろうキャリー・マリガンですが、本作でもその魅力は抜群であり、ショートヘアになったことで顔の輪郭がハッキリして、横顔が一層愛らしく、たまらなく美しくなった気がします。全ては横顔ですよ、もう。フェチがどうとか言う話をするのであれば、僕は横顔フェチなのだよ、多分。
あとオープニングのYシャツ姿で、「オリバー・ストーン、よくやった」と唸りましたが、それは冗談として。
今回は涙を流すシーンが多かったですが、彼女の恋は一筋縄ではいかないらしく(『17歳の肖像』参照)、観ていて「お~い、頼むから誰か、というか脚本さん!彼女を幸せにしておくれよ!」と願うばかりでしたが、涙を流すその顔もまたいいのですよね。
今年は『わたしを離さないで』という本命も残っておりますし、いやキャリー・マリガンに義理も本命もないのだけれど、輸入版で購入した作品もまだ観てないですし、今年もまた、キャリー・マリガンにどっぷり浸かろうと思っております。
そんなわけで、バレンタインにちなんで作った「ガトーショコラ」を、キャリー・マリガンに捧ぐ。
あ、あとついでに会社の人にも捧げるつもり。
さて以下、多分上記文よりも短いけれど、至って真面目な作品の感想。
▼▼▼▼▼▼
金は眠らない。
情報も眠らない。
時が止まることはない。
しかし流れる時の中で、人は変わる。
お金や時間の持つ意味・捉え方も変わっていく。
株価が日々一定では無いように・・・・
金は天下の廻りもの。金がなければ何もできない、という現実に、僕たちは生きている。
失われた時間を取り戻そうとするかつての金の怪物が、時間を意識し始め、決断を下す場面を観たとき、ある言葉が頭に浮かんだ。
お金が主役であった1作目に対し、続編であるこの2作目は、時間が主役なのだ。
僕の頭に浮かんだ言葉は、time is money.
それはウォールストリートを舞台に描かれた毛色の違うこの2作を結ぶ言葉であると思ったし、また変わらず根底に流れているのは、”GREED(欲望)”という言葉であるのだ。
経済には波がある。それは他ならぬ、人の欲望が作り出す波である。
それはまた、新たなバブルを生み出す可能性がある。
そしてまた、弾けることがあるかもしれない。
”今は”未だ弾けていないだけで・・・
人の欲望がある限り、それは起こりうる未来として、考えておいた方が良いのかもしれない。
青空へ高く高く上っていくシャボン玉が、弾けるのか弾けないのか。
そんなグっと惹きこまれるラストシーンがとても印象的。
素晴らしい作品でした。
------------------
新作が手薄だ。
でもその分、旧作層が厚くなっていっている。
今年くらいはそれで良いと、思っている。
そんなつぶやきと、キャリー・マリガンの横顔でお別れです。
●この記事で紹介したもの
・記念日:バレンタインデー
・料理:ガトー・ショコラ
・映画:『ウォール・ストリート money never sleeps』
・映画:『ウォール街』
・映画:『パブリック・エネミーズ』
・映画:『マイ・ブラザー』
・映画:『17歳の肖像』
2011年2月10日木曜日
梅太@ コラボでシネマ:文化の差は砂糖の差に表れる?
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
以前mixiに挙げた記事なのです。
本日の英会話教室にてsweetsの話になりました。
目下話題はバウムクーヘンで、アメリカではそんなにメジャーな食べ物ではないとか、アメリカではケーキはホームメイドが基本だ!とか、アメリカではもう砂糖をメッチャメチャに入れるんだ!とか、そんな感じの話題になり、「あ、そういえばアメリカ発のパイを作ったことあったよねぇ」と思い出したので、文章を少し改変して、ここに挙げておくことにした。
作ったのはいつだったか。
昨年の初夏でしたか。
今日は雪が降りました。暖かさが懐かしくなる今日この頃です・・・
▼▼▼▼▼▼
『ピーカンパイ』。
ピーカン(orペカン)とは何ぞや?
あの緑色の野菜とか、下手したら腐った卵に間違えられそうな名前だけれど、全然違います。
要はクルミの一種で、アメリカで採れるものらしい。
殻剥きはリスにやらせているらしい。それは中身を傷つけずに取り出せるからである。
と言う冗談はさておき、『ピーカンパイ』は、アメリカの名物パイであるとのこと。
ポイントは勿論ピーカンと、そしてコーンシロップなのだそうだ。
僕の愛してやまない輸入食品店『KALDI』で、ピーカンは売っていたのだが、コーンシロップは残念ながら売ってなかった。Oh, dear.
と言うわけで、ピーカンパイ(仮)という事にしておこうと思う。
作り方は意外と簡単なので、シロップを手に入れたらまた作ろうと思う。
”簡単”とか言ってみたけれど、強がっているのは見え見えで、生地は加減が難しい。
もうちょっと経験値が必要であることは確か。
しかし焼きあがりは上出来。
材料を眺めた感じとしては「甘すぎやしないか?」と思ったのですが、今日の英会話教室での話を聞くとちょっと納得。
ホントに大量に砂糖を入れるそうだ。
でも「コーヒーはブラックだからいいんだよ!」というところを先生が強調していて、そこが面白かった。
確かにアメリカ映画で、パイとブラックコーヒーという絵はよく観るので、しっくりくる。
・・・先生の話は大袈裟だったにせよ、甘い甘いシロップを、ピーカンの苦味がうま~く中和してくれていて、すごくバランスの取れた味になっているのですよ。
あ、また食べたくなってきました。
▼▼▼▼▼▼
さて、『アップルパイ』でも、
『チョコレート・クリーム・パイ』でも、
『ジュリー&ジュリア』より
『主人なんて大嫌いよ!パイ』でもなく、
『ウェイトレス』より
何故『ピーカンパイ』という聞いたことも無いパイを作ったかといえば、『サンシャイン・クリーニング』の一場面にインスパイアされたからだ。
こんなシーン。
主人公姉妹の母は、若かりし頃にエキストラ出演したTV映画で、製作人にその魅力を買われ、急遽台詞ありの役に抜擢された。
その台詞は、
「I'd recommend the pican pie(ピーカンパイがオススメです)」
である。
姉妹は、その映画を観たことがなかったが、母がいつもその話をしていたので、台詞はすっかり覚えていた。
劇中、姉妹が偶然この映画を目にすることになるのだが、そのタイミングが絶妙で、ちょっとホロっとくる。
そして、
「よし、ピーカンパイを作ろう!」
と、なったわけである。
映画の力は偉大だ。
『サンシャインクリーニング』はとてもオススメしたい作品です。
生きていく上で失敗や嫌な思い出というのはどこかで必ず着いてくるものだけれど、それをずっとずっと抱えて生きていくことは、恐らく出来ない。
そういうものを一度、綺麗に洗い流すこと。
また完全に忘れることはできないものもあるけれど、そういうものを自己の中で、一度整理してみること。
そうやって次の刺激を受け入れる心のスキマを、うまく作って生きていこう。
そう思わせてくれる作品です。
●この記事で紹介したもの
・料理:ピーカンパイ
・映画:『サンシャインクリーニング』
・映画:『ジュリー&ジュリア』
・映画:『ウェイトレス』
・映画:『チャーリーとチョコレート工場』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
以前mixiに挙げた記事なのです。
本日の英会話教室にてsweetsの話になりました。
目下話題はバウムクーヘンで、アメリカではそんなにメジャーな食べ物ではないとか、アメリカではケーキはホームメイドが基本だ!とか、アメリカではもう砂糖をメッチャメチャに入れるんだ!とか、そんな感じの話題になり、「あ、そういえばアメリカ発のパイを作ったことあったよねぇ」と思い出したので、文章を少し改変して、ここに挙げておくことにした。
作ったのはいつだったか。
昨年の初夏でしたか。
今日は雪が降りました。暖かさが懐かしくなる今日この頃です・・・
▼▼▼▼▼▼
『ピーカンパイ』。
ピーカン(orペカン)とは何ぞや?
あの緑色の野菜とか、下手したら腐った卵に間違えられそうな名前だけれど、全然違います。
要はクルミの一種で、アメリカで採れるものらしい。
殻剥きはリスにやらせているらしい。それは中身を傷つけずに取り出せるからである。
と言う冗談はさておき、『ピーカンパイ』は、アメリカの名物パイであるとのこと。
ポイントは勿論ピーカンと、そしてコーンシロップなのだそうだ。
僕の愛してやまない輸入食品店『KALDI』で、ピーカンは売っていたのだが、コーンシロップは残念ながら売ってなかった。Oh, dear.
と言うわけで、ピーカンパイ(仮)という事にしておこうと思う。
作り方は意外と簡単なので、シロップを手に入れたらまた作ろうと思う。
”簡単”とか言ってみたけれど、強がっているのは見え見えで、生地は加減が難しい。
もうちょっと経験値が必要であることは確か。
しかし焼きあがりは上出来。
材料を眺めた感じとしては「甘すぎやしないか?」と思ったのですが、今日の英会話教室での話を聞くとちょっと納得。
ホントに大量に砂糖を入れるそうだ。
でも「コーヒーはブラックだからいいんだよ!」というところを先生が強調していて、そこが面白かった。
確かにアメリカ映画で、パイとブラックコーヒーという絵はよく観るので、しっくりくる。
・・・先生の話は大袈裟だったにせよ、甘い甘いシロップを、ピーカンの苦味がうま~く中和してくれていて、すごくバランスの取れた味になっているのですよ。
あ、また食べたくなってきました。
▼▼▼▼▼▼
さて、『アップルパイ』でも、
『チョコレート・クリーム・パイ』でも、
『ジュリー&ジュリア』より
『主人なんて大嫌いよ!パイ』でもなく、
『ウェイトレス』より
何故『ピーカンパイ』という聞いたことも無いパイを作ったかといえば、『サンシャイン・クリーニング』の一場面にインスパイアされたからだ。
こんなシーン。
主人公姉妹の母は、若かりし頃にエキストラ出演したTV映画で、製作人にその魅力を買われ、急遽台詞ありの役に抜擢された。
その台詞は、
「I'd recommend the pican pie(ピーカンパイがオススメです)」
である。
姉妹は、その映画を観たことがなかったが、母がいつもその話をしていたので、台詞はすっかり覚えていた。
劇中、姉妹が偶然この映画を目にすることになるのだが、そのタイミングが絶妙で、ちょっとホロっとくる。
そして、
「よし、ピーカンパイを作ろう!」
と、なったわけである。
映画の力は偉大だ。
『サンシャインクリーニング』はとてもオススメしたい作品です。
生きていく上で失敗や嫌な思い出というのはどこかで必ず着いてくるものだけれど、それをずっとずっと抱えて生きていくことは、恐らく出来ない。
そういうものを一度、綺麗に洗い流すこと。
また完全に忘れることはできないものもあるけれど、そういうものを自己の中で、一度整理してみること。
そうやって次の刺激を受け入れる心のスキマを、うまく作って生きていこう。
そう思わせてくれる作品です。
●この記事で紹介したもの
・料理:ピーカンパイ
・映画:『サンシャインクリーニング』
・映画:『ジュリー&ジュリア』
・映画:『ウェイトレス』
・映画:『チャーリーとチョコレート工場』
2011年2月8日火曜日
梅太@ コラボでシネマ:福の巻き方、招き方
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
2月3日:節分、といえば、豆まきと恵方巻きが思い浮かぶと思います。
今年は恵方巻きを自分で作ってみようと思い、巻きすを買って挑戦してみました。
先週の話。
結果がこちら。
・・・見た目はあまり良く無いですね。
次の日会社に持っていったら、庶務の方が端まで綺麗に作る方法を教えて下さいました。
そう、僕は四角い部屋を丸く掃く性質ですので、こういうの苦手なのですよね。
先に聞いておくべきでした。来年はもっと頑張ってみよう。
切り目は結構綺麗ですね。
今年の方角(誰が決めてるのか知りませんが)を向いて、目をつむり、一言も話さず、願いを込めながら食べる。それが恵方巻きを食すときの一連の流れでありますが、まだ若い僕としては、この恵方巻きを関東では最近やり始めたものらしいということを、今年初めて知りました。
うちは結構前からやってたのですけどね。
でも目をつむるというのはやっていなかったですね。
一言も話さずというのは、込めた願いを飲み込む前に外に出さないように、ということなのでしょう。
そもそもこの恵方巻きというものは、関西で始まったものだそう。全国的に行われ始めたのはだいたい10年前で、商業会の販売促進運動が普及のキッカケだそう。
また起源としては、商人が福を願って行っていた・・・という説もあるみたい。
さて、話を少し戻しまして。
今年の方角を向き、福を食す。これは知っていたのですが、いざ作る立場になって調べてみると、恵方巻きはその調理課程から、わんさか福を盛り込むように仕組まれていることに気づきました。
巻く行程には、福を巻き込むという意味があるらしく、なるほどこれを聞くと、商人が福を願って行ったというのも頷けますね。
具は、基本的には恐らく何でも良いのでしょうが、7つの食材を入れて巻くものもあるみたいで、それは7福神に例えているらしく、これまた縁起がいい代物となっております。
つまり上に挙げた7つの食材を使い、福を意識しながら巻き込みつつ、今年の方角を向いて目をつむり、願いを思い浮かべながら、一言も話さず食べるというのが、最強のパターンとなるのでしょうね。
7つの食材は流石に使わなかったですが、ちゃんと作ってみました。
でも7本作ったので、七福神!というわけにはいかないでしょうか。
▼▼▼▼▼▼
そろそろ映画の話をしようか。
さて福を呼ぶものとして他になにかあるだろう・・・とぱっと思いつくのは、これまた商人の話になりますが、招き猫というのは有名どころですよね。
猫はとてもありがた~い生き物な気がしてきますが、まったくもって福を呼びそうにない猫がいます。
それが、キャットウーマンですね。
シリーズ最高傑作『バットマン・リターンズ』より
つぎはぎの黒い布に身を包み、愛人への復讐に燃える猫ですから、それはもう福を呼び込むはずもなく。
また黒猫ということで、アラン・ポーが作り出したイメージと、魔女の側近なんてイメージは恐らく永遠に消えることはなく、不吉の象徴として扱われてしまっています。
イタリアでは未だにその迷信が根強く残っているみたいで、猫が前を横切ると、その線を越えるのを躊躇うそうです。『イタリア的恋愛マニュアル』という映画で、そんな描写がありました。調べてみても、やはりそうらしい。
『ネコを探して』でも猫に対して人間が植え付けた勝手なイメージ・・・というものを指摘していて、何度も目を覚まさせられた記憶がまだ新しいです。
あれ、暗い話になっていますか。
しかし調べてみると日本では、実は真っ黒な猫は魔除けとして扱われていることもあり、あながち負の念だけを持っているわけでは無さそう。
また某宅急便会社は黒猫をトレードマークとして掲げ、人々に荷物と思いやりを届けるために日夜走り回っております。また不在で受け取れない場合は店頭受け取りやコンビニ受け取りといったサービスも提供しておりますし、面倒な電話手続きが嫌だという方は、メールでえいや!っと申し込み出来て、かなり便利です。
いえ、宣伝ではありませんよ。
▼▼▼▼▼▼
何の話でしたか。
そう、福の話。
福、というものをどう捉えるか、結局それは人それぞれです。ただ、しっかり思いを込めて作った恵方巻きは、なんだか福を呼び込みそうで。そう、心持ち次第なのですね。
今年は、現在就活中の後輩君に福が舞い込むよう願って食しました。
あとは写真をご覧になってわかると思いますが、一人で食べる量ではありませんので、幸せを細切・・・失礼小さく分けて、会社の人にお裾分け致しました。
良い節分だったかな。
●この記事で紹介したもの
・記念日:節分
・料理:恵方巻き
・映画:『バットマンリターンズ』
・映画:『イタリア的恋愛マニュアル』
・映画:『ネコを探して』
・某宅急便会社
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
2月3日:節分、といえば、豆まきと恵方巻きが思い浮かぶと思います。
今年は恵方巻きを自分で作ってみようと思い、巻きすを買って挑戦してみました。
先週の話。
結果がこちら。
・・・見た目はあまり良く無いですね。
次の日会社に持っていったら、庶務の方が端まで綺麗に作る方法を教えて下さいました。
そう、僕は四角い部屋を丸く掃く性質ですので、こういうの苦手なのですよね。
先に聞いておくべきでした。来年はもっと頑張ってみよう。
切り目は結構綺麗ですね。
今年の方角(誰が決めてるのか知りませんが)を向いて、目をつむり、一言も話さず、願いを込めながら食べる。それが恵方巻きを食すときの一連の流れでありますが、まだ若い僕としては、この恵方巻きを関東では最近やり始めたものらしいということを、今年初めて知りました。
うちは結構前からやってたのですけどね。
でも目をつむるというのはやっていなかったですね。
一言も話さずというのは、込めた願いを飲み込む前に外に出さないように、ということなのでしょう。
そもそもこの恵方巻きというものは、関西で始まったものだそう。全国的に行われ始めたのはだいたい10年前で、商業会の販売促進運動が普及のキッカケだそう。
また起源としては、商人が福を願って行っていた・・・という説もあるみたい。
さて、話を少し戻しまして。
今年の方角を向き、福を食す。これは知っていたのですが、いざ作る立場になって調べてみると、恵方巻きはその調理課程から、わんさか福を盛り込むように仕組まれていることに気づきました。
巻く行程には、福を巻き込むという意味があるらしく、なるほどこれを聞くと、商人が福を願って行ったというのも頷けますね。
具は、基本的には恐らく何でも良いのでしょうが、7つの食材を入れて巻くものもあるみたいで、それは7福神に例えているらしく、これまた縁起がいい代物となっております。
つまり上に挙げた7つの食材を使い、福を意識しながら巻き込みつつ、今年の方角を向いて目をつむり、願いを思い浮かべながら、一言も話さず食べるというのが、最強のパターンとなるのでしょうね。
7つの食材は流石に使わなかったですが、ちゃんと作ってみました。
でも7本作ったので、七福神!というわけにはいかないでしょうか。
▼▼▼▼▼▼
そろそろ映画の話をしようか。
さて福を呼ぶものとして他になにかあるだろう・・・とぱっと思いつくのは、これまた商人の話になりますが、招き猫というのは有名どころですよね。
猫はとてもありがた~い生き物な気がしてきますが、まったくもって福を呼びそうにない猫がいます。
それが、キャットウーマンですね。
シリーズ最高傑作『バットマン・リターンズ』より
つぎはぎの黒い布に身を包み、愛人への復讐に燃える猫ですから、それはもう福を呼び込むはずもなく。
また黒猫ということで、アラン・ポーが作り出したイメージと、魔女の側近なんてイメージは恐らく永遠に消えることはなく、不吉の象徴として扱われてしまっています。
イタリアでは未だにその迷信が根強く残っているみたいで、猫が前を横切ると、その線を越えるのを躊躇うそうです。『イタリア的恋愛マニュアル』という映画で、そんな描写がありました。調べてみても、やはりそうらしい。
『ネコを探して』でも猫に対して人間が植え付けた勝手なイメージ・・・というものを指摘していて、何度も目を覚まさせられた記憶がまだ新しいです。
あれ、暗い話になっていますか。
しかし調べてみると日本では、実は真っ黒な猫は魔除けとして扱われていることもあり、あながち負の念だけを持っているわけでは無さそう。
また某宅急便会社は黒猫をトレードマークとして掲げ、人々に荷物と思いやりを届けるために日夜走り回っております。また不在で受け取れない場合は店頭受け取りやコンビニ受け取りといったサービスも提供しておりますし、面倒な電話手続きが嫌だという方は、メールでえいや!っと申し込み出来て、かなり便利です。
いえ、宣伝ではありませんよ。
▼▼▼▼▼▼
何の話でしたか。
そう、福の話。
福、というものをどう捉えるか、結局それは人それぞれです。ただ、しっかり思いを込めて作った恵方巻きは、なんだか福を呼び込みそうで。そう、心持ち次第なのですね。
今年は、現在就活中の後輩君に福が舞い込むよう願って食しました。
あとは写真をご覧になってわかると思いますが、一人で食べる量ではありませんので、幸せを細切・・・失礼小さく分けて、会社の人にお裾分け致しました。
良い節分だったかな。
●この記事で紹介したもの
・記念日:節分
・料理:恵方巻き
・映画:『バットマンリターンズ』
・映画:『イタリア的恋愛マニュアル』
・映画:『ネコを探して』
・某宅急便会社
2011年1月16日日曜日
梅太@ コラボでシネマ:サッポロ一番カサブランカ ~不朽の名作~
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
僕の勤めている会社は、定時終了後から、いわゆる残業時間開始の間に少し休憩時間がある。
定時後は、やはりみんな小腹がすく時間であり、そんなとき、カップラーメンの臭いなんて漂わされたからには、ちょっと敵わないところもある。
そんなときに上司と話した話題:
インスタントラーメンで何が好きか。
僕は食べるとしたら日清のカップヌードルが多い。ほかと比べ安いし、スープを吸って量が増えてお得感があるし、またそうなってもおいしさを保っていられる。過去、僕の周りでは圧倒的にシーフード人気だったけれど、僕は断然カレー派だ。次点は醤油。
上司は、サッポロ一番が大好きらしい。
不朽の名作!とすら言っていた。やっぱ味噌がいいんだよ、という部分は、かなり共感する。なんせ僕も味噌ラーメンが大好きだからだ。
九州に住んでいたとき、味噌ラーメンが置いてある店がないというのは、かなりのカルチャーショックであったことを記憶している。そういえば改めてカップめんのラインナップを観てみると、最近豚骨系が異様に多い気がする。
・・・この会話の何が面白かったかと言えば、ことインスタントラーメンというジャンルにおいても、”不朽の名作”という言葉が使われるものなのかということだった。
だから今晩は、インスタントラーメンの不朽の名作と、映画界における不朽の名作を、コラボさせてみようと思った。
というわけで、「カサブランカ」を観ながら「サッポロ一番」を食べるという、およそ日本でしかできないことをやってみたわけである。
▼▼▼▼▼▼
「カサブランカ」については、記憶にある限り、全編をしっかり観るのは初めてだと思う。
「君の瞳に乾杯」など、多くの粋な台詞で彩られる男女の恋愛模様。なんて素晴らしい映画なんだろう。
なのでラーメンの味はあまり覚えていない。おいしかったとは思う。
年末にサイレント映画を初めて観たとき、以前文献で読んだ一文「トーキーに入る前に映画の表現形態は完成していた」というのを思いだし、確かにそうなのかもしれないと思ってしまった。つまりそこに、声があるのかないのかという差しかなく、逆に台詞という物がないからこそ、サイレント映画は雄弁に物を語れる(観客に想像させる)ことに長けているのかもしれないと。
もちろん言葉は、物語を補足する役目もあるだろうけれど、サイレント映画でも物語はしっかり伝わってくるということを知った今、それはやはり”補足”でしかないのではないかと思えてくる。
そんなことを思っていた矢先、この映画に出会う。
声が出るようになった最大の利点は何だろう。
それは人々が憧れるような、口にしてみたいと夢見るような、その台詞にあるのではなかろうか。そんなことを思わせてくれた。
もちろん、言い方もある。
主人公を演じるハンフリー・ボガードの、クールな言い回しがまた良いのだね。あぁ僕も言ってみたいよ。あんなこと。
▼▼▼▼▼▼
最近、昔の映画をよくよく観るようになって気付いたことと言えば、今なんかよりもっと、出演者:スターが主体であって、この人たちをいかに美しく・カッコ良く演出するかというのを、おそらく全力で考えていた時代だったのだと思う。
だからこそただの言葉が素敵な言葉に響くわけで。
ただの俯きが、素敵な動作に見えるわけで。
ヒロインを演じるイングリッド・バーグマンが、バーで「time goes by」を聞きながら、昔へ思いを馳せ、顔を俯かせる。そのときキラと光イヤリング。
このシーンのなんと素晴らしいことだろう。
現実でもありそうな場面ではあるけれど、カメラというものの力というか、ある一点をクロースアップすることで、現実世界での脇役(物、人、動作)を、一気に主役に昇華させてしまう。
もうドキドキする程好きなシーンで、思わず悶えた。
▼▼▼▼▼▼
恐らくこの時代の映画は、もうゴールデンタイムのTVプログラムには登場しないだろうし、いや登場したら番組スタッフを尊敬するけれど、そんなこんなで見れる機会はなかなかないだろうし、TSUTAYAに行っても余程興味がなければ借りないだろう。
でも、たとえば僕がサッポロ一番とカサブランカを無理矢理関連づけたみたいに、何かの機会に、ちょっとお手にとってはいかがでしょうか。
・・・当時、この作品を作ったスタッフたち、そして君の瞳に乾杯をしたボガードは、よもやこんな使われ方をされるとは思っていなかったろう。
ちょっとごめんなさい。
本当はシャンパンカクテルを作って、「Here's looking at you, kid(君の瞳に乾杯)」という台詞で締めたかったのですが、流石にシャンパンには手が出なかったです。
---------------
まともな映画紹介と言うより、少し視点を変えて。
書いてて楽しいし、何より無意味で無理矢理な関連付けは得意なほうなので、今後もコラボ記事は続けていく予定です。
●この記事で紹介したもの
・日清カップヌードル
・サッポロ一番
・映画『カサブランカ』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
僕の勤めている会社は、定時終了後から、いわゆる残業時間開始の間に少し休憩時間がある。
定時後は、やはりみんな小腹がすく時間であり、そんなとき、カップラーメンの臭いなんて漂わされたからには、ちょっと敵わないところもある。
そんなときに上司と話した話題:
インスタントラーメンで何が好きか。
僕は食べるとしたら日清のカップヌードルが多い。ほかと比べ安いし、スープを吸って量が増えてお得感があるし、またそうなってもおいしさを保っていられる。過去、僕の周りでは圧倒的にシーフード人気だったけれど、僕は断然カレー派だ。次点は醤油。
上司は、サッポロ一番が大好きらしい。
不朽の名作!とすら言っていた。やっぱ味噌がいいんだよ、という部分は、かなり共感する。なんせ僕も味噌ラーメンが大好きだからだ。
九州に住んでいたとき、味噌ラーメンが置いてある店がないというのは、かなりのカルチャーショックであったことを記憶している。そういえば改めてカップめんのラインナップを観てみると、最近豚骨系が異様に多い気がする。
・・・この会話の何が面白かったかと言えば、ことインスタントラーメンというジャンルにおいても、”不朽の名作”という言葉が使われるものなのかということだった。
だから今晩は、インスタントラーメンの不朽の名作と、映画界における不朽の名作を、コラボさせてみようと思った。
というわけで、「カサブランカ」を観ながら「サッポロ一番」を食べるという、およそ日本でしかできないことをやってみたわけである。
▼▼▼▼▼▼
「カサブランカ」については、記憶にある限り、全編をしっかり観るのは初めてだと思う。
「君の瞳に乾杯」など、多くの粋な台詞で彩られる男女の恋愛模様。なんて素晴らしい映画なんだろう。
なのでラーメンの味はあまり覚えていない。おいしかったとは思う。
年末にサイレント映画を初めて観たとき、以前文献で読んだ一文「トーキーに入る前に映画の表現形態は完成していた」というのを思いだし、確かにそうなのかもしれないと思ってしまった。つまりそこに、声があるのかないのかという差しかなく、逆に台詞という物がないからこそ、サイレント映画は雄弁に物を語れる(観客に想像させる)ことに長けているのかもしれないと。
もちろん言葉は、物語を補足する役目もあるだろうけれど、サイレント映画でも物語はしっかり伝わってくるということを知った今、それはやはり”補足”でしかないのではないかと思えてくる。
そんなことを思っていた矢先、この映画に出会う。
声が出るようになった最大の利点は何だろう。
それは人々が憧れるような、口にしてみたいと夢見るような、その台詞にあるのではなかろうか。そんなことを思わせてくれた。
もちろん、言い方もある。
主人公を演じるハンフリー・ボガードの、クールな言い回しがまた良いのだね。あぁ僕も言ってみたいよ。あんなこと。
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最近、昔の映画をよくよく観るようになって気付いたことと言えば、今なんかよりもっと、出演者:スターが主体であって、この人たちをいかに美しく・カッコ良く演出するかというのを、おそらく全力で考えていた時代だったのだと思う。
だからこそただの言葉が素敵な言葉に響くわけで。
ただの俯きが、素敵な動作に見えるわけで。
ヒロインを演じるイングリッド・バーグマンが、バーで「time goes by」を聞きながら、昔へ思いを馳せ、顔を俯かせる。そのときキラと光イヤリング。
このシーンのなんと素晴らしいことだろう。
現実でもありそうな場面ではあるけれど、カメラというものの力というか、ある一点をクロースアップすることで、現実世界での脇役(物、人、動作)を、一気に主役に昇華させてしまう。
もうドキドキする程好きなシーンで、思わず悶えた。
▼▼▼▼▼▼
恐らくこの時代の映画は、もうゴールデンタイムのTVプログラムには登場しないだろうし、いや登場したら番組スタッフを尊敬するけれど、そんなこんなで見れる機会はなかなかないだろうし、TSUTAYAに行っても余程興味がなければ借りないだろう。
でも、たとえば僕がサッポロ一番とカサブランカを無理矢理関連づけたみたいに、何かの機会に、ちょっとお手にとってはいかがでしょうか。
・・・当時、この作品を作ったスタッフたち、そして君の瞳に乾杯をしたボガードは、よもやこんな使われ方をされるとは思っていなかったろう。
ちょっとごめんなさい。
本当はシャンパンカクテルを作って、「Here's looking at you, kid(君の瞳に乾杯)」という台詞で締めたかったのですが、流石にシャンパンには手が出なかったです。
---------------
まともな映画紹介と言うより、少し視点を変えて。
書いてて楽しいし、何より無意味で無理矢理な関連付けは得意なほうなので、今後もコラボ記事は続けていく予定です。
●この記事で紹介したもの
・日清カップヌードル
・サッポロ一番
・映画『カサブランカ』
2010年11月1日月曜日
梅太@ 雑記:あのレンタルショップは今
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
この週末は、母校の文化祭に行ったついでに実家へ帰りました。
いつもの商店街を通りましたら、やはりいつも通っていた道でしたから、たとえ周辺視野であったとしても、違和感には気付くものです。
僕が足げく通っていたレンタルショップ「CBA小岩店」が、閉店しておりました・・・
今日はそんな寂しさと共にお伝えいたします。
-------------
今でこそ小岩にはTSUTAYAという名前の大手レンタルチェーン店が存在いたしますが、その遙か昔から存在する2大レンタルショップがありました。一つはパノラマというお店で、こちらは数年前に閉店してしまいました。そしてもう一つがCBA。
もの心ついた時から既にそのお店はありましたが、僕がよく通うようになったのは18歳ごろから。
といっても卑猥な話でなく、2004年、映画にドッブリ浸かり始めた時期でした。
2004~2006年辺りは、ジャンルや年代問わず、またはその映画についての情報も何もなく、とにかく何でも借りてきては観て、返却しては借りて・・・の連続でした。
学生でしたので、隔週くらいのサービスデー(安く借りれる日)が主でしたが、それでも結構、売り上げには貢献したのではなかろうか。すごい上から目線。
いつからかTSUTAYAが出来ましたが、古い作品、文芸作品、はたまたものすごいコアなジャンルものなど、断然CBAの方が僕の趣味に合っていたので、相変わらずCBAに通っていた。
たとえば「BIG FISH」に感化され、「シザーハンズ」や「ビートルジュース」など、初期のバートン作品を漁ったのもこのお店であるし、「マレーナ」等英語圏以外の作品に触れたのもこのお店である。
また、見逃していた00年代の作品を漁ったのもこのお店。
映画とは関係ないが、「聖龍伝説」のVHSを置いてあるお店は、近隣ではここくらいであったろう。
僕の今の映画観の土台形成において、まず間違いなく大きな影響を与えてくれたお店である。
▼▼▼▼▼▼
先日、現住居昭島のTSUTAYAにおいて、レンタル品エリアの拡大が行われた。セル品エリアが縮小したのは、DVDが買えるお店が少ない昭島では痛いところであった。
最近は未公開映画のDVDも、販売する数ヶ月前にレンタルを開始し、様子見でセル版を出す・・・という傾向がある。
余計なディスクを消費せずに済むので、コスト面で威力を発揮する方法である。
なるほど、レンタル業界も色々工夫しているなと感じたし、なにより、まだレンタルを利用する人がそこそこいるのだな・・・という証明にもなった出来事であった。
しかし、ご存じの用に、今は電子データの時代である。携帯サイトやiTunesなどで、一曲数百円で買える。映画だって買える。
物理的なコストを削減できるので安く済むし、家にいても、聞きたいとき(観たいとき)ワンクリックで・・・というのも売りでしょう。
先日、大傑作と言わざるを得ないアクションコメディ「キック・アス」の輸入版を買ったが、これはなんと3枚構成になっており、内一枚が、電子データDL用ディスクとなっていた。
これはコストがどうこうというよりは、どこへでも持ち出せますよ!というアピールなのだろうが、何にせよ電子データの普及は進んでいるということだ。
▼▼▼▼▼▼
さて、いま米国では、もう採用が決定したのか定かでないが、とあるシステムが考案されているらしい。
それは、全国ロードショーと同タイミングで、自宅のTVでその映画を楽しめる・・・というシステム。
つまり、映画館に行くことなく、最新の映画がお家で観れる環境が生まれつつあるということなのです。
勿論、専用のチャンネルなんかに登録する必要はあるだろうけど。
いずれ映画館すら、この世に必要なくなってしまうのでは?という一抹の不安すら覚えてしまう、”やはり映画は映画館で!”と思っている僕としては、何ともおぞましき制度のように感じてしまった。
・・・が、別の視点で考えてみて、そして佐賀で暮らしていた経験と重ね合わせると、これは”最新作をいち早く観たいのに、観れない環境にある”という人にとっては、かなり助かる制度であるとも言える。
佐賀の場合、一県越える根性さえあれば、福岡へ行き、例えば「つぐない」という傑作と表現する以外に何があるんだ?という作品や、人と関わる上での一歩踏み出す勇気、その難しさと踏み出した者の強さを感じさせてくれる傑作『ラースとその彼女』なんていう作品も、観に行くことも可能であった。
しかしアメリカという広い広い土地では、映画館へ行くにも長距離旅行という地域にいる人達だっているはずである。
そういう人たちの欲求不満を解消する・・・という意味では、先に挙げた電子データ、そして映画のTV配信という制度は、一概に否定をすることは出来ない気がしてくる。
上記した中で、僕は”映画は映画館で!”派の人間なので・・ということを書いている。
しかし「ニューシネマパラダイス」で、建物の壁に映像が投影され、それを楽しむ人がいたり、「僕らのミライへ逆回転」で、窓に写った映像を、外から見て楽しんでいる人がいたり。
恵比寿ガーデンシネマで開催される野外上映、日本であるかわからないがドライブインの上映。
一概に、映画館が最上に楽しむ最適な環境とも言えないし、家で誰かと一緒に観た作品が、人生において最高の思い出になる場合もある。
ちょっと移動すれば好きなだけ映画館で映画が見れる恵まれた都市:東京という環境において、はたまた映画というものを最高の趣味としている人間にとって、その立場の視点だけで観てしまうことは、やはり危険なことである。そんな気がした。
------------
思ったことをつらつらと。
実を言うと張り紙を見てないので、もしかしたら改装してるだけかも・・・という事態も有り得る。今度しっかり確認しよう。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
この週末は、母校の文化祭に行ったついでに実家へ帰りました。
いつもの商店街を通りましたら、やはりいつも通っていた道でしたから、たとえ周辺視野であったとしても、違和感には気付くものです。
僕が足げく通っていたレンタルショップ「CBA小岩店」が、閉店しておりました・・・
今日はそんな寂しさと共にお伝えいたします。
-------------
今でこそ小岩にはTSUTAYAという名前の大手レンタルチェーン店が存在いたしますが、その遙か昔から存在する2大レンタルショップがありました。一つはパノラマというお店で、こちらは数年前に閉店してしまいました。そしてもう一つがCBA。
もの心ついた時から既にそのお店はありましたが、僕がよく通うようになったのは18歳ごろから。
といっても卑猥な話でなく、2004年、映画にドッブリ浸かり始めた時期でした。
2004~2006年辺りは、ジャンルや年代問わず、またはその映画についての情報も何もなく、とにかく何でも借りてきては観て、返却しては借りて・・・の連続でした。
学生でしたので、隔週くらいのサービスデー(安く借りれる日)が主でしたが、それでも結構、売り上げには貢献したのではなかろうか。すごい上から目線。
いつからかTSUTAYAが出来ましたが、古い作品、文芸作品、はたまたものすごいコアなジャンルものなど、断然CBAの方が僕の趣味に合っていたので、相変わらずCBAに通っていた。
たとえば「BIG FISH」に感化され、「シザーハンズ」や「ビートルジュース」など、初期のバートン作品を漁ったのもこのお店であるし、「マレーナ」等英語圏以外の作品に触れたのもこのお店である。
また、見逃していた00年代の作品を漁ったのもこのお店。
映画とは関係ないが、「聖龍伝説」のVHSを置いてあるお店は、近隣ではここくらいであったろう。
僕の今の映画観の土台形成において、まず間違いなく大きな影響を与えてくれたお店である。
▼▼▼▼▼▼
先日、現住居昭島のTSUTAYAにおいて、レンタル品エリアの拡大が行われた。セル品エリアが縮小したのは、DVDが買えるお店が少ない昭島では痛いところであった。
最近は未公開映画のDVDも、販売する数ヶ月前にレンタルを開始し、様子見でセル版を出す・・・という傾向がある。
余計なディスクを消費せずに済むので、コスト面で威力を発揮する方法である。
なるほど、レンタル業界も色々工夫しているなと感じたし、なにより、まだレンタルを利用する人がそこそこいるのだな・・・という証明にもなった出来事であった。
しかし、ご存じの用に、今は電子データの時代である。携帯サイトやiTunesなどで、一曲数百円で買える。映画だって買える。
物理的なコストを削減できるので安く済むし、家にいても、聞きたいとき(観たいとき)ワンクリックで・・・というのも売りでしょう。
先日、大傑作と言わざるを得ないアクションコメディ「キック・アス」の輸入版を買ったが、これはなんと3枚構成になっており、内一枚が、電子データDL用ディスクとなっていた。
これはコストがどうこうというよりは、どこへでも持ち出せますよ!というアピールなのだろうが、何にせよ電子データの普及は進んでいるということだ。
▼▼▼▼▼▼
さて、いま米国では、もう採用が決定したのか定かでないが、とあるシステムが考案されているらしい。
それは、全国ロードショーと同タイミングで、自宅のTVでその映画を楽しめる・・・というシステム。
つまり、映画館に行くことなく、最新の映画がお家で観れる環境が生まれつつあるということなのです。
勿論、専用のチャンネルなんかに登録する必要はあるだろうけど。
いずれ映画館すら、この世に必要なくなってしまうのでは?という一抹の不安すら覚えてしまう、”やはり映画は映画館で!”と思っている僕としては、何ともおぞましき制度のように感じてしまった。
・・・が、別の視点で考えてみて、そして佐賀で暮らしていた経験と重ね合わせると、これは”最新作をいち早く観たいのに、観れない環境にある”という人にとっては、かなり助かる制度であるとも言える。
佐賀の場合、一県越える根性さえあれば、福岡へ行き、例えば「つぐない」という傑作と表現する以外に何があるんだ?という作品や、人と関わる上での一歩踏み出す勇気、その難しさと踏み出した者の強さを感じさせてくれる傑作『ラースとその彼女』なんていう作品も、観に行くことも可能であった。
しかしアメリカという広い広い土地では、映画館へ行くにも長距離旅行という地域にいる人達だっているはずである。
そういう人たちの欲求不満を解消する・・・という意味では、先に挙げた電子データ、そして映画のTV配信という制度は、一概に否定をすることは出来ない気がしてくる。
上記した中で、僕は”映画は映画館で!”派の人間なので・・ということを書いている。
しかし「ニューシネマパラダイス」で、建物の壁に映像が投影され、それを楽しむ人がいたり、「僕らのミライへ逆回転」で、窓に写った映像を、外から見て楽しんでいる人がいたり。
恵比寿ガーデンシネマで開催される野外上映、日本であるかわからないがドライブインの上映。
一概に、映画館が最上に楽しむ最適な環境とも言えないし、家で誰かと一緒に観た作品が、人生において最高の思い出になる場合もある。
ちょっと移動すれば好きなだけ映画館で映画が見れる恵まれた都市:東京という環境において、はたまた映画というものを最高の趣味としている人間にとって、その立場の視点だけで観てしまうことは、やはり危険なことである。そんな気がした。
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思ったことをつらつらと。
実を言うと張り紙を見てないので、もしかしたら改装してるだけかも・・・という事態も有り得る。今度しっかり確認しよう。
2010年9月22日水曜日
梅太@ 雑記:肖像と想像。騒々しい中での発見。 ~『ポーランドの至宝』 in 東京富士美術館~
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
以下、映画の内容とは直接的には関係ありません。
が、映画についてちょっと触れている部分もありますので、掲載します。
法に触れるわけでもないので、ご勘弁を。
ただ、映画もやはり”表現媒体”の一つであるので、他の分野の媒体を見るのも、良い刺激になります。
==============
『ポーランドの至宝』
東京富士美術館にて。
祝日に行ったのですが、すごい混みよう。
大人はともかくとして、子供が多いのにちょっと驚いた。
特別展示と常設展示が一括料金で観れるのは良心的でした。
-----------------------
まずは常設展示から・・・
▼▼▼▼▼
『西洋絵画コレクション』
最初の部屋で、肖像画に囲まれる。
顔を正面から捉えたもの、横顔、俯き顔。
一口に肖像画といっても、描き方は様々であることに気付く。
当たり前といえば当たり前だけれど、これだけ一度に見せられると、嫌が応にも、「なぜ違うの?」ということを考えてしまう。
ここから僕の思考タイムが始まる。
ある人を、キャンパスに描こうとする。
恐らく画家は、その被写体の一番魅力的な姿勢を捉えようとする。
俗な言い方をすれば、画家の「あ~、その姿勢”ツボ”だわ~」という思いのもとに描かれる。
この”一番”は勿論主観で、他の人が描こうとすると、きっと別の姿勢で描かれるのだと思う。
正面、横、という姿勢の他に、「何かをしている時」を捉える絵もある。
例えば本を読む女性を美しいと思ったとき。
恐らくその女性は、普段から本を読んでいる人だと思う。
最近、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』という本を読んでいて、「美しいとは、合理的だということと同義である」という記述があった。
この著書で例に挙げているのは、スポーツ選手のフォームである。
毎日の努力の結果、選手のフォームは完成するのだが、そこには無駄な力は一切無く、ただ良い球を繰り出そうという一つの目的の為に体が合理的な動き方をする・・・とある。それを人は、美しいという。
これは成る程と思った。
例えば映画でも、今回は野球選手の役をやります!となったとして。
訓練を重ね、それっぽいところまでは辿りついても、やはりどこかプロとの差異を感じてしまうときもある。
(これを感じさせないのがプロの役者であり、プロの編集技術だと思うけれど)
やはり合理的な美しさというのは、日々の”慣れ”から生まれてくるものなのだと思う。
だから、他者が見て「あ、あの人の本を読んでいる姿、素敵だな」と感じたときは、恐らく普段から、その人は本を読んでいるはずだ。
その人は、本を読むのに合理的な姿勢、所作をしているからこそ、素敵だと思わせるのだ。
表現者という所に話を戻すと。
画家が「あ、これはいい」と思った被写体を絵として形にしようとしたときに、その表現の方法は沢山ある。
それがいわゆる、絵の「タッチ」の違いというものなのだと思う。
よく、絵を評価するときに「タッチがどうこう」というワードを聞く。
特に絵画に精通していない僕としては、双子の兄弟が南とどうこうという話しか浮かばなかったが、今日、その認識を改めた。
画家がそれを見たときの印象を”どう”表現しようかと考えたとき、絵のタッチが決まってくるのだと思う。
手法の如何に意味を求めるのではなく、「何故この画家はこのように描いたのか」というところに思考を持っていくと、かなり面白く見えてくる。
字もそうらしい。
何を表現しようか、その文字にどんな願いを込めるかで、書体が変わる。
歌舞伎の看板などに使われる勘亭流という書体は、線と線の隙間が極端に少ない。
これは客席が埋まりますように・・・という願いを表現するために生まれた書体だという。
絵画でいうところの、タッチに繋がる。
肖像画に話を戻して。
顔を描く際、シワや肌の質感・色合いを細かに描いているのもあれば、のっぺりした描き方もある。
のっぺりした人は、多分、その生活が非常に緩慢な人なのだと思う。
それをどう、キャンパスに描こうか・・・となったとき、シワなどの細部は捨て、ただのっぺりと描く。
細かに描くことこそが、その人を完全に再現することではないのだなと。
そんな絵は、見る側に「あ~、きっとこの人はこういう人だったんだろうなぁ」と思わせる。
ここまでの総括として。
被写体の魅力を引き出そうとするために、絵を描くための手法がある。
先に例に挙げた本を読む女性は、この二つが美事に掛け合わされていたように感じる。
元々、本を読む女性を見ているのは好きな僕ですが、普段そうは思わない人でも、この絵を見たときはきっと「素敵」と思うのだと思う。
それこそが画家の力であり、その魅力を伝えたいとする、画家の情熱なのだと、思いました。
▼▼▼▼▼▼
箸休め。
完全に余談だけれど、僕は横顔が好きです。
いや、aikoの話ではなくね。
せっかくだから、顔繋がりの話でひとつ。
最近、自分で撮った人物写真を見返したのだけれど、正面を向いてる写真は少なかったですね。
意識してるつもりはないのだけれど。
これが好みというものなのでしょうか。
何の影響かと言えば、映画の観過ぎなのかなぁ。
映画の登場人物って、例えカメラ目線であったとしても”僕”を観てるわけではないですからね。
でも、その姿にグっと来ることが多かったこの7年間が、写真に現れてるのかな。
▼▼▼▼▼▼
話は戻しますが、まだ常設展示の話。
冒頭で書きましたが、今日はかなり混んでいて、小部屋では遠くから眺めるしかないというところもあったりしました。
しかし、それが功を奏すことになるとは。
小部屋に入り、遠めに観たとき綺麗と思った絵が、苦労して眼の前に出てみると、線も色の境界もぼけ、なんだかわからないものになっている絵があった。
成る程。
美術館となると、ある程度近接して絵が見れる機会とあって、喰い入るように見つめてしまうのが常だけれど、絵を見るのも、適切な距離というのがあるのだなと思った。
勿論美しいと思うその距離は人それぞれだし、画家もそれを想定しているのかわからないけれど、僕はそう思った。
僕は最近、映画を観るとグっと考え込んでしまう時がある。
あの台詞の意味は?
あの描写の意味は?
ミクロな視点に惑わされ、わからなくなってしまう場合もある。
しかし、そんなときは一歩二歩、引いて見て、全体像を眺めてみると、そのミクロは全体を構成する要素の一つに過ぎないことに気付く。ただしそのミクロを抜いてしまうと、全体像が崩れてしまう。
全が個を成し、個が全を成す。
常に意識すべきところだなと感じました。
混んでいるからこそ気付けた点。
怪我の功名、不幸中の幸い。
▼▼▼▼▼▼
さて、特別展示『ポーランドの至宝』
実をいいますと、僕は常設展示で結構疲れてしまったのです。
メインはこちらなのに。
おいしいものを後に残しておく性格が仇になりました。
そして流石に企画ものとあって、混んでる混んでる。
しかし今日は何の日?といえば、お年寄りを大切にしなければいけない日であり、前のおじい様おばあ様を急かす訳には行かない。でも並ぶ体力が・・・
そんなわけで、広告にも載せられていたレンブランドのモナリザだけはしっかりと観て、あとはスルスルと行くことにしました。
レンブランドのモナリザは、『額縁の中の少女』というタイトルの絵で。
キャンパスの枠の部分に、すでに額縁が描かれているのですよね。
でもその絵は額縁の中に入っているわけです。
2重の額縁。
これは、笑いを誘っているのでしょうか?
そういう不謹慎な考えを持つのは、僕だけですかね。
-----------------
結局のところ、展示会も感想も、前菜で満足してしまいました。
メインのこの扱い、ご勘弁を。
『銀座鉄道』はスペースも小さく、それでも多少疲れましたが、本格的な美術館ともなると敷地が比較にならず、披露も倍増。
でも、精神的にはとても充足した感じで、良い疲労感です。
次は国立新美術館で『陰影礼讃』を観る予定。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
以下、映画の内容とは直接的には関係ありません。
が、映画についてちょっと触れている部分もありますので、掲載します。
法に触れるわけでもないので、ご勘弁を。
ただ、映画もやはり”表現媒体”の一つであるので、他の分野の媒体を見るのも、良い刺激になります。
==============
『ポーランドの至宝』
東京富士美術館にて。
祝日に行ったのですが、すごい混みよう。
大人はともかくとして、子供が多いのにちょっと驚いた。
特別展示と常設展示が一括料金で観れるのは良心的でした。
-----------------------
まずは常設展示から・・・
▼▼▼▼▼
『西洋絵画コレクション』
最初の部屋で、肖像画に囲まれる。
顔を正面から捉えたもの、横顔、俯き顔。
一口に肖像画といっても、描き方は様々であることに気付く。
当たり前といえば当たり前だけれど、これだけ一度に見せられると、嫌が応にも、「なぜ違うの?」ということを考えてしまう。
ここから僕の思考タイムが始まる。
ある人を、キャンパスに描こうとする。
恐らく画家は、その被写体の一番魅力的な姿勢を捉えようとする。
俗な言い方をすれば、画家の「あ~、その姿勢”ツボ”だわ~」という思いのもとに描かれる。
この”一番”は勿論主観で、他の人が描こうとすると、きっと別の姿勢で描かれるのだと思う。
正面、横、という姿勢の他に、「何かをしている時」を捉える絵もある。
例えば本を読む女性を美しいと思ったとき。
恐らくその女性は、普段から本を読んでいる人だと思う。
最近、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』という本を読んでいて、「美しいとは、合理的だということと同義である」という記述があった。
この著書で例に挙げているのは、スポーツ選手のフォームである。
毎日の努力の結果、選手のフォームは完成するのだが、そこには無駄な力は一切無く、ただ良い球を繰り出そうという一つの目的の為に体が合理的な動き方をする・・・とある。それを人は、美しいという。
これは成る程と思った。
例えば映画でも、今回は野球選手の役をやります!となったとして。
訓練を重ね、それっぽいところまでは辿りついても、やはりどこかプロとの差異を感じてしまうときもある。
(これを感じさせないのがプロの役者であり、プロの編集技術だと思うけれど)
やはり合理的な美しさというのは、日々の”慣れ”から生まれてくるものなのだと思う。
だから、他者が見て「あ、あの人の本を読んでいる姿、素敵だな」と感じたときは、恐らく普段から、その人は本を読んでいるはずだ。
その人は、本を読むのに合理的な姿勢、所作をしているからこそ、素敵だと思わせるのだ。
表現者という所に話を戻すと。
画家が「あ、これはいい」と思った被写体を絵として形にしようとしたときに、その表現の方法は沢山ある。
それがいわゆる、絵の「タッチ」の違いというものなのだと思う。
よく、絵を評価するときに「タッチがどうこう」というワードを聞く。
特に絵画に精通していない僕としては、双子の兄弟が南とどうこうという話しか浮かばなかったが、今日、その認識を改めた。
画家がそれを見たときの印象を”どう”表現しようかと考えたとき、絵のタッチが決まってくるのだと思う。
手法の如何に意味を求めるのではなく、「何故この画家はこのように描いたのか」というところに思考を持っていくと、かなり面白く見えてくる。
字もそうらしい。
何を表現しようか、その文字にどんな願いを込めるかで、書体が変わる。
歌舞伎の看板などに使われる勘亭流という書体は、線と線の隙間が極端に少ない。
これは客席が埋まりますように・・・という願いを表現するために生まれた書体だという。
絵画でいうところの、タッチに繋がる。
肖像画に話を戻して。
顔を描く際、シワや肌の質感・色合いを細かに描いているのもあれば、のっぺりした描き方もある。
のっぺりした人は、多分、その生活が非常に緩慢な人なのだと思う。
それをどう、キャンパスに描こうか・・・となったとき、シワなどの細部は捨て、ただのっぺりと描く。
細かに描くことこそが、その人を完全に再現することではないのだなと。
そんな絵は、見る側に「あ~、きっとこの人はこういう人だったんだろうなぁ」と思わせる。
ここまでの総括として。
被写体の魅力を引き出そうとするために、絵を描くための手法がある。
先に例に挙げた本を読む女性は、この二つが美事に掛け合わされていたように感じる。
元々、本を読む女性を見ているのは好きな僕ですが、普段そうは思わない人でも、この絵を見たときはきっと「素敵」と思うのだと思う。
それこそが画家の力であり、その魅力を伝えたいとする、画家の情熱なのだと、思いました。
▼▼▼▼▼▼
Carey Mulligan in 『An Education』(17歳の肖像)
箸休め。
完全に余談だけれど、僕は横顔が好きです。
いや、aikoの話ではなくね。
せっかくだから、顔繋がりの話でひとつ。
最近、自分で撮った人物写真を見返したのだけれど、正面を向いてる写真は少なかったですね。
意識してるつもりはないのだけれど。
これが好みというものなのでしょうか。
何の影響かと言えば、映画の観過ぎなのかなぁ。
映画の登場人物って、例えカメラ目線であったとしても”僕”を観てるわけではないですからね。
でも、その姿にグっと来ることが多かったこの7年間が、写真に現れてるのかな。
▼▼▼▼▼▼
話は戻しますが、まだ常設展示の話。
冒頭で書きましたが、今日はかなり混んでいて、小部屋では遠くから眺めるしかないというところもあったりしました。
しかし、それが功を奏すことになるとは。
小部屋に入り、遠めに観たとき綺麗と思った絵が、苦労して眼の前に出てみると、線も色の境界もぼけ、なんだかわからないものになっている絵があった。
成る程。
美術館となると、ある程度近接して絵が見れる機会とあって、喰い入るように見つめてしまうのが常だけれど、絵を見るのも、適切な距離というのがあるのだなと思った。
勿論美しいと思うその距離は人それぞれだし、画家もそれを想定しているのかわからないけれど、僕はそう思った。
僕は最近、映画を観るとグっと考え込んでしまう時がある。
あの台詞の意味は?
あの描写の意味は?
ミクロな視点に惑わされ、わからなくなってしまう場合もある。
しかし、そんなときは一歩二歩、引いて見て、全体像を眺めてみると、そのミクロは全体を構成する要素の一つに過ぎないことに気付く。ただしそのミクロを抜いてしまうと、全体像が崩れてしまう。
全が個を成し、個が全を成す。
常に意識すべきところだなと感じました。
混んでいるからこそ気付けた点。
怪我の功名、不幸中の幸い。
▼▼▼▼▼▼
さて、特別展示『ポーランドの至宝』
実をいいますと、僕は常設展示で結構疲れてしまったのです。
メインはこちらなのに。
おいしいものを後に残しておく性格が仇になりました。
そして流石に企画ものとあって、混んでる混んでる。
しかし今日は何の日?といえば、お年寄りを大切にしなければいけない日であり、前のおじい様おばあ様を急かす訳には行かない。でも並ぶ体力が・・・
そんなわけで、広告にも載せられていたレンブランドのモナリザだけはしっかりと観て、あとはスルスルと行くことにしました。
レンブランドのモナリザは、『額縁の中の少女』というタイトルの絵で。
キャンパスの枠の部分に、すでに額縁が描かれているのですよね。
でもその絵は額縁の中に入っているわけです。
2重の額縁。
これは、笑いを誘っているのでしょうか?
そういう不謹慎な考えを持つのは、僕だけですかね。
-----------------
結局のところ、展示会も感想も、前菜で満足してしまいました。
メインのこの扱い、ご勘弁を。
『銀座鉄道』はスペースも小さく、それでも多少疲れましたが、本格的な美術館ともなると敷地が比較にならず、披露も倍増。
でも、精神的にはとても充足した感じで、良い疲労感です。
次は国立新美術館で『陰影礼讃』を観る予定。
2010年8月1日日曜日
梅太@ 雑記:『銀座鉄道』の昼
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
以下、某SNSに書き込んだ写真の展示会の感想なのですが、恐らく「”何か”を表現する」という意味で、映画にも精通する(というか、精通させるべき)部分が含まれていますので、コチラにも書いておきます。
--------------------
「写真には物語がある」
---------------------------------
今日は先輩のご紹介で、銀座はリコーフォトギャラリー:RING CUBEにて開催中の写真展示会『銀座鉄道』に行ってきました。
(HP ⇒ http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/ginzatetsudo.html)
感想を書く前に、まず話があらぬ方向に飛びます。
僕の最上の趣味は映画鑑賞。
最近は鑑賞後、”観客としての視点”より、”作り手の視点”を意識するようになった。
(いや、僕は作ってないけれど)
これは大学での映画の授業の影響や、”芸術”というものはいかなるものか・・というのを、以前友人と話したことも関係している。
友人曰く、
「芸術とは、自分が発信したいと欲する”ある思い”を、何かしらの媒体を通して表現したもの」
らしい。
この言葉は、今でも僕の”芸術”の考え方の主軸になっている。
これを意識し始めたことが、先に述べた”作り手の視点”を考え始めたことに繋がる。
そして”作り手の視点”を意識すると、自分がこれまで精通していない分野のものに対しても、初見でもかなり楽しめるようになった。
例えば。
昨年初めて観た歌舞伎。
何の予備知識もなく観にいったわけだけれど、そこから得られるインスピレーションは沢山あった。
大衆娯楽とはなんぞや?、ということ。
歌舞伎って、も~~~ったり台詞を言ったりするけれど、それは何故や?ということ。
見得とは何の意味があるのか?、ということ。
そして、何故歌舞伎というものは、「このような表現方法」を選んだのか?、ということ。
いくつか挙げてみて、劇の内容に一切触れてないという部分にお気づきの方もいるかと思いますが、うん、それは御尤もな話で、恐らく僕の今後の課題になるとは思う。
ただ僕としては、映し出された”そのもの”よりは、その裏にある作者の思いに、思いを馳せるのが好きなのだ。
それを考えることで、その人と成りが見えてきたり。
文化が見えてきたり、歴史が見えてきたり。
そういう楽しみ方が、”今の”僕のトレンドなわけである。
今後、どうなるかは分からないけれど。
「作り手は何故、こういう表現をしたのだろう」
それを考えることが、今の僕の何よりの楽しみなわけだ。
▼▼▼▼▼▼
ここからやっと、展示会の感想。
写真”だけ”を長時間眺める機会はなかなかなく、しかも展示会なんて初めてだったので、なにをどうしたらいいのか。
しかし受付らしい受付もなく(係りの人とかもいなかったし)、気張らずに観れました。
また外の熱気・喧騒を、室内の冷気・静寂から窓を通して眺めるというのも、楽しかったです。
六本木に、こんなカフェがあったんだよなぁ・・・話が逸れた。
入り口には、この展示会のコンセプトが書いてありました。
恐らく何をするにもコンセプトというのは考えられるだろうけれど、僕はそこを意識するのも好きなのです。
今回の展示会のように、沢山の写真を飾る場合、見る側の意識をどこへ持っていくかという手助けにもなりますしね。
特に僕みたいに、普段写真を眺めない人の場合、どこをどう見ればいいかという、一つの指標になります。
この展示会は、タイトル『銀座鉄道』にあるように、鉄道に関する様々な場面を切り取っていました。
都会の電車、田舎の電車。
それらを観ていると、旅をしているように感じられたり。
新旧モデルの電車をみて、鉄道の歴史を感じられたり。
また電車そのものではなく、レール、そこで働く人、駅を使用する人の日常風景などを切り取っていたり。
およそ「鉄道」と聞くと、素人考えでは電車を撮ればいいやと思ってしまいがちです。
しかしなるほど、周辺を写すことで、電車は孤立しているものでなく生活に密着しているものなのだな・・・と、改めて感じました。
そしてこの展示会で面白かったのは、やはり複数人の写真が一度に見れる・・・というところでしょうか。
コンセプトに基づき、「鉄道を撮る」・・・といっても人によって見方は違います。
周辺の景色を入れ込んで、自分が見たその全体的な雰囲気を切り取る人。
マクロな視点でモノを見る人。
レールを写すにしても、晴れの日雨の日で違ったり。
春夏秋冬があったり。
撮影者側でも、ツボに入る風景と言うのは違ってきます。
でも「表現したい何か」が込められていれば、それはやはり素晴らしい芸術作品です。
以前先輩が、
「写真は指先一つで作れる芸術作品」
と言っていましたが、まさにそうだなと。
ある一つのコンセプトに沿って写真をとっても、その視点や価値観は枝葉のように広がっている。
なんだか一本の木を見ているみたいで。
なるほどそれが展示会と言うものか・・と。
言い過ぎた?
▼▼▼▼▼▼
さて、ここからは僕のディープな世界に入っていきます。
以前観た映画で、こんな台詞がありました。
「写真には物語がある」
ここでまた話を少し逸らしますが、僕は散歩が好きである。
といっても何を見よう!というわけではなく、唯、その街の雰囲気、その街の”今”の雰囲気を、歩きながらゆっくり感じ取るのが好きなのだ。
で、長らく散歩してきて思ったことは、
「”今”を観るということは、同時に”過去”を観ることではないか」
ということ。
例えば僕が「いいなぁ」と思った、一軒の家。
それは僕が観る前から、そこにあったわけだ。
僕が散歩し、その建物を見た瞬間、急にそこに登場したわけではない。
僕が今観ているこの建物は”今”の様子だけれど、その”今”にいたるまでの”過去”が、当然のごとく存在するわけで。
そこを感じ取るのが、僕は好き。
さて、話を戻そう。
写真は”今”を切り取るもの。
例えば一輪の美しい花を、「8月1日 11:30:12」に撮影したとする。
しかしその花には「8月1日 11:30:11」の姿があったわけで。
もっと言えば昨日の姿、一週間前の姿(もしかしたら種かもしれないけれど)も、あったはずだ。
種を植えられ、水を与えられ。
頑張って芽を出して、光合成して、成長して。
そしてある日、ある人にその美しさを見出され、撮影された。
ある瞬間を切り取るのが写真だけれど、その「ある瞬間」に至るまでには沢山の物語があり、その「次の瞬間」から、その花はまた新しい物語を紡いでいく。
また、その写真を撮った人にも、その花を撮影するまでに様々な物語があったはずだ。
そしてその物語の途中、ふと眼を奪われ、その花を撮影する。
よく、
「同じ写真は二度と撮れない」
と聞く。
それは表面的に言えば、光の加減、天候などのことを指すと思うのだけれど、内面的に観ると、僕は、上記したようなことが関係してくるのではないかと思う。
ある花の物語。
それを撮影した人の物語。
それが「8月1日 11:30:12」に、偶然交差し、一つの作品が生み出される。
それはもう、絶対に撮れない一枚で。
そして誰かがその写真を見たとき、その写真を観て、その誰かが心打たれたなら。
きっとその「物語」は、他の人へ伝わり、派生していく。
そう考えると、写真って何て素敵なものなのだろうと、思えてくる。
ロマンチックすぎた?
-----------------------------
結局のところ、写真展の感想は少ししか書いていないですね。
宣伝にもなりゃしない。まったく。失礼致しました。
僕みたいに普段写真をじっくりと眺めない、楽しみ方が分からないという方でも、肩の力をフっと抜いて観れる空間ですし(あと冷房効いてますから)、休日を少し使って、訪れてみてはいかがでしょうか。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
以下、某SNSに書き込んだ写真の展示会の感想なのですが、恐らく「”何か”を表現する」という意味で、映画にも精通する(というか、精通させるべき)部分が含まれていますので、コチラにも書いておきます。
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「写真には物語がある」
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今日は先輩のご紹介で、銀座はリコーフォトギャラリー:RING CUBEにて開催中の写真展示会『銀座鉄道』に行ってきました。
(HP ⇒ http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/ginzatetsudo.html)
感想を書く前に、まず話があらぬ方向に飛びます。
僕の最上の趣味は映画鑑賞。
最近は鑑賞後、”観客としての視点”より、”作り手の視点”を意識するようになった。
(いや、僕は作ってないけれど)
これは大学での映画の授業の影響や、”芸術”というものはいかなるものか・・というのを、以前友人と話したことも関係している。
友人曰く、
「芸術とは、自分が発信したいと欲する”ある思い”を、何かしらの媒体を通して表現したもの」
らしい。
この言葉は、今でも僕の”芸術”の考え方の主軸になっている。
これを意識し始めたことが、先に述べた”作り手の視点”を考え始めたことに繋がる。
そして”作り手の視点”を意識すると、自分がこれまで精通していない分野のものに対しても、初見でもかなり楽しめるようになった。
例えば。
昨年初めて観た歌舞伎。
何の予備知識もなく観にいったわけだけれど、そこから得られるインスピレーションは沢山あった。
大衆娯楽とはなんぞや?、ということ。
歌舞伎って、も~~~ったり台詞を言ったりするけれど、それは何故や?ということ。
見得とは何の意味があるのか?、ということ。
そして、何故歌舞伎というものは、「このような表現方法」を選んだのか?、ということ。
いくつか挙げてみて、劇の内容に一切触れてないという部分にお気づきの方もいるかと思いますが、うん、それは御尤もな話で、恐らく僕の今後の課題になるとは思う。
ただ僕としては、映し出された”そのもの”よりは、その裏にある作者の思いに、思いを馳せるのが好きなのだ。
それを考えることで、その人と成りが見えてきたり。
文化が見えてきたり、歴史が見えてきたり。
そういう楽しみ方が、”今の”僕のトレンドなわけである。
今後、どうなるかは分からないけれど。
「作り手は何故、こういう表現をしたのだろう」
それを考えることが、今の僕の何よりの楽しみなわけだ。
▼▼▼▼▼▼
ここからやっと、展示会の感想。
写真”だけ”を長時間眺める機会はなかなかなく、しかも展示会なんて初めてだったので、なにをどうしたらいいのか。
しかし受付らしい受付もなく(係りの人とかもいなかったし)、気張らずに観れました。
また外の熱気・喧騒を、室内の冷気・静寂から窓を通して眺めるというのも、楽しかったです。
六本木に、こんなカフェがあったんだよなぁ・・・話が逸れた。
入り口には、この展示会のコンセプトが書いてありました。
恐らく何をするにもコンセプトというのは考えられるだろうけれど、僕はそこを意識するのも好きなのです。
今回の展示会のように、沢山の写真を飾る場合、見る側の意識をどこへ持っていくかという手助けにもなりますしね。
特に僕みたいに、普段写真を眺めない人の場合、どこをどう見ればいいかという、一つの指標になります。
この展示会は、タイトル『銀座鉄道』にあるように、鉄道に関する様々な場面を切り取っていました。
都会の電車、田舎の電車。
それらを観ていると、旅をしているように感じられたり。
新旧モデルの電車をみて、鉄道の歴史を感じられたり。
また電車そのものではなく、レール、そこで働く人、駅を使用する人の日常風景などを切り取っていたり。
およそ「鉄道」と聞くと、素人考えでは電車を撮ればいいやと思ってしまいがちです。
しかしなるほど、周辺を写すことで、電車は孤立しているものでなく生活に密着しているものなのだな・・・と、改めて感じました。
そしてこの展示会で面白かったのは、やはり複数人の写真が一度に見れる・・・というところでしょうか。
コンセプトに基づき、「鉄道を撮る」・・・といっても人によって見方は違います。
周辺の景色を入れ込んで、自分が見たその全体的な雰囲気を切り取る人。
マクロな視点でモノを見る人。
レールを写すにしても、晴れの日雨の日で違ったり。
春夏秋冬があったり。
撮影者側でも、ツボに入る風景と言うのは違ってきます。
でも「表現したい何か」が込められていれば、それはやはり素晴らしい芸術作品です。
以前先輩が、
「写真は指先一つで作れる芸術作品」
と言っていましたが、まさにそうだなと。
ある一つのコンセプトに沿って写真をとっても、その視点や価値観は枝葉のように広がっている。
なんだか一本の木を見ているみたいで。
なるほどそれが展示会と言うものか・・と。
言い過ぎた?
▼▼▼▼▼▼
さて、ここからは僕のディープな世界に入っていきます。
以前観た映画で、こんな台詞がありました。
「写真には物語がある」
ここでまた話を少し逸らしますが、僕は散歩が好きである。
といっても何を見よう!というわけではなく、唯、その街の雰囲気、その街の”今”の雰囲気を、歩きながらゆっくり感じ取るのが好きなのだ。
で、長らく散歩してきて思ったことは、
「”今”を観るということは、同時に”過去”を観ることではないか」
ということ。
例えば僕が「いいなぁ」と思った、一軒の家。
それは僕が観る前から、そこにあったわけだ。
僕が散歩し、その建物を見た瞬間、急にそこに登場したわけではない。
僕が今観ているこの建物は”今”の様子だけれど、その”今”にいたるまでの”過去”が、当然のごとく存在するわけで。
そこを感じ取るのが、僕は好き。
さて、話を戻そう。
写真は”今”を切り取るもの。
例えば一輪の美しい花を、「8月1日 11:30:12」に撮影したとする。
しかしその花には「8月1日 11:30:11」の姿があったわけで。
もっと言えば昨日の姿、一週間前の姿(もしかしたら種かもしれないけれど)も、あったはずだ。
種を植えられ、水を与えられ。
頑張って芽を出して、光合成して、成長して。
そしてある日、ある人にその美しさを見出され、撮影された。
ある瞬間を切り取るのが写真だけれど、その「ある瞬間」に至るまでには沢山の物語があり、その「次の瞬間」から、その花はまた新しい物語を紡いでいく。
また、その写真を撮った人にも、その花を撮影するまでに様々な物語があったはずだ。
そしてその物語の途中、ふと眼を奪われ、その花を撮影する。
よく、
「同じ写真は二度と撮れない」
と聞く。
それは表面的に言えば、光の加減、天候などのことを指すと思うのだけれど、内面的に観ると、僕は、上記したようなことが関係してくるのではないかと思う。
ある花の物語。
それを撮影した人の物語。
それが「8月1日 11:30:12」に、偶然交差し、一つの作品が生み出される。
それはもう、絶対に撮れない一枚で。
そして誰かがその写真を見たとき、その写真を観て、その誰かが心打たれたなら。
きっとその「物語」は、他の人へ伝わり、派生していく。
そう考えると、写真って何て素敵なものなのだろうと、思えてくる。
ロマンチックすぎた?
-----------------------------
結局のところ、写真展の感想は少ししか書いていないですね。
宣伝にもなりゃしない。まったく。失礼致しました。
僕みたいに普段写真をじっくりと眺めない、楽しみ方が分からないという方でも、肩の力をフっと抜いて観れる空間ですし(あと冷房効いてますから)、休日を少し使って、訪れてみてはいかがでしょうか。
2010年6月11日金曜日
梅太@ 雑記:走る
この記事は 公開初日にアイアンマン2が見れなかった 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
幸いにも、僕はこれまでの人生で、コンスタントに”子供”と付き合っている。
最近は行ってないけれど、卒園した保育園の夏のイベントに参加させてもらったり。
実家に帰れば、13、18歳離れたチビっ子たちがいる。
彼らと付き合っていると、気付くことがある。
彼らは無意味に、走る。
とにかく走る。そしてハシャぐ。
僕達大人みたいに、「体力の温存」というものは一切考えない。
ただひたすらに暴れ、力尽きる。グッスリ寝る。
お父さんに背負われ、家路に着く。
静かになったと思いきや、次の日はまたテンションMAX。
この回復力は欲しい、と、最近思う。
確か斉藤孝氏の本であったと記憶しているが、次への意欲は”完全燃焼”あってこそのようだ。
無尽蔵かと思われる体力は、日々走り、無意味に走り、完全燃焼してこそ・・・
理論的でなく、体でそのことを知っているのかもしれない。
さて、自分の小さい頃を思い返してみると、やはり走っていた。
これでもか!とエネルギーを使う。
なんで?と考えてみるが、答えはみつからなそうだ。
なんだか凄く高揚していて。
内包しているエネルギーをとにかく爆発させたくて。
無性に、走らなくても良い局面なのに、走っていた。
▼▼▼▼▼▼
宮崎駿は、常に、「”今の”子供の為に」映画を作っているようだ。
ようだ、というか、ヨーダ、というかそうなんだと思う。
僕は、ポニョを観たときに、そのことを認識した。
話が長くなるから、それはまた別の機会にする。
ジブリの作品は、大抵子供が主人公である。
そしてその主人公達は、気持ちいいくらいに良く走る。
恐らく宮崎駿は、「子供の為」の映画を作るために、「子供」というものをよく観察しているのだと思う。
面白いところは、”今の”子供ということを念頭に見てみると、トトロだろうがポニョだろうが、いつの時代の子供も走っていることだ。
時代は移ろっていくけれど、子供の内に潜むエネルギー、そしてそれを発散しようとする衝動は、変わらないみたいだ。
▼▼▼▼▼▼
さて、何故こんな話をしたかというと、理由はこれから3行ほどに及ぶ。
仕事を終えて帰路に着き、TSUTAYAに寄り、『かいじゅうたちのいるところ』のBlu-rayを買ったのだけれど、店を出た時「これから見ると日を越すなぁ」・・・と思い立ち、予告編だけ改めて見返してみたら、これがとんでもなく素晴らしい予告編と言うことに気付いたからである。
予告編では、主人公:マックス君を始めとして、かいじゅうたちが兎に角走り回る。
この、無駄に走り回る姿を見ていると、なんだかそれだけで涙が出てしまうのだ。
「子供」というものを良く表現した美事さ、というのもあるし、作品をよくよく理解し、”そういう風”に予告編を構成したスタッフの腕前に感銘した、というのもある。
あとやはり使用曲、Arcade Fireの『Funeral』も素晴らしい。
(特に1:27あたり、走る後姿をポンポンポンと繋いでいく編集は圧巻)
ただやはり一番の理由は、この無意味なエネルギーの爆発が、僕の眼に、何故だか異様に煌いて映ってしまったからだ。
今はもう、無駄に走る、ということをしなくなったなぁ。
▼▼▼▼▼▼
はてさて、以上のような観点からすると、子供はとても素敵な存在と思えてくるが、彼らは時に、”かいじゅう”と化す。
こちらが気にしていること、言葉にはしたくないことを、ズケズケとハッキリ言ってくる。
彼らは抑えるということを知らない。
なぜなら子供は、エネルギーを爆発させる存在であるから。
しかし彼らは、それがもたらす破壊力を知らない。
自分ではイイコトを言っているかと思いきや、知らぬうちに他人を傷つけてしまう場合もある。
いつの間にか恨みを買ってしまう場合だってあるかもしれない。
子供の、いや、”かいじゅう”の破壊力と言うのは凄まじいものだ。
それが意識してやっていることでないから、なおさら始末が悪い。
このことを素晴らしく描いているのが平成ガメラ3部作の終章:『イリス覚醒』であるが、これもまた別の機会にしよう。
では僕達大人は、いつ、”抑える”ということを覚えたのだろう。
「これが相手を傷つける」と、いつ、自覚したのだろう。
その、”いつ”、”どうやって”は、恐らくは一瞬のものであったと思う。
自分で「認識した!」と思えないほど、一瞬のものであったと思う。
その一瞬を、ゆっくり、そして優しく教えてくれるのが、『かいじゅうたちのいるところ』である。
”いつ”は、人によって違うと思う。
”どうやって”もそうだけれど、僕がこの作品を観て出した一つの答えとしては、「相手の立場になる」と言うことだと思う。
「これを言われて、これをされて、相手はどう思うのだろう」
自分を相手に置き換える。
それを意識し始めたとき、それこそ、大人へのスタートなのだと、この映画は教えてくれたように感じる。
勿論、意識し始めたからと言って、全てうまくいくわけではない。
大好きだから、ケンカしたりもする。
近くに居るのに、見えなくなったりもする。
相手のことをよく知っているはずなのに、時々わからなくなったりもする。
さて、そういう時どうしたらいいだろう。
と、考え始める。
そうやって少しずつ、”相手”を意識して、僕達は大人になっていくのだと思う。
坂本真綾:『走る』
やはり菅野時代のマアヤはいいなぁ。
-------------------------
予告編の約2分間を、思いっきり引き伸ばしてみた。
ということは本編100分を見たとき、僕はどうなってしまうのだろう。
『かいじゅうたちのいるところ』感想↓
ゲンさんのはコチラ
梅太のはコチラ
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
幸いにも、僕はこれまでの人生で、コンスタントに”子供”と付き合っている。
最近は行ってないけれど、卒園した保育園の夏のイベントに参加させてもらったり。
実家に帰れば、13、18歳離れたチビっ子たちがいる。
彼らと付き合っていると、気付くことがある。
彼らは無意味に、走る。
とにかく走る。そしてハシャぐ。
僕達大人みたいに、「体力の温存」というものは一切考えない。
ただひたすらに暴れ、力尽きる。グッスリ寝る。
お父さんに背負われ、家路に着く。
静かになったと思いきや、次の日はまたテンションMAX。
この回復力は欲しい、と、最近思う。
確か斉藤孝氏の本であったと記憶しているが、次への意欲は”完全燃焼”あってこそのようだ。
無尽蔵かと思われる体力は、日々走り、無意味に走り、完全燃焼してこそ・・・
理論的でなく、体でそのことを知っているのかもしれない。
さて、自分の小さい頃を思い返してみると、やはり走っていた。
これでもか!とエネルギーを使う。
なんで?と考えてみるが、答えはみつからなそうだ。
なんだか凄く高揚していて。
内包しているエネルギーをとにかく爆発させたくて。
無性に、走らなくても良い局面なのに、走っていた。
▼▼▼▼▼▼
宮崎駿は、常に、「”今の”子供の為に」映画を作っているようだ。
ようだ、というか、ヨーダ、というかそうなんだと思う。
僕は、ポニョを観たときに、そのことを認識した。
話が長くなるから、それはまた別の機会にする。
ジブリの作品は、大抵子供が主人公である。
そしてその主人公達は、気持ちいいくらいに良く走る。
恐らく宮崎駿は、「子供の為」の映画を作るために、「子供」というものをよく観察しているのだと思う。
面白いところは、”今の”子供ということを念頭に見てみると、トトロだろうがポニョだろうが、いつの時代の子供も走っていることだ。
時代は移ろっていくけれど、子供の内に潜むエネルギー、そしてそれを発散しようとする衝動は、変わらないみたいだ。
▼▼▼▼▼▼
さて、何故こんな話をしたかというと、理由はこれから3行ほどに及ぶ。
仕事を終えて帰路に着き、TSUTAYAに寄り、『かいじゅうたちのいるところ』のBlu-rayを買ったのだけれど、店を出た時「これから見ると日を越すなぁ」・・・と思い立ち、予告編だけ改めて見返してみたら、これがとんでもなく素晴らしい予告編と言うことに気付いたからである。
予告編では、主人公:マックス君を始めとして、かいじゅうたちが兎に角走り回る。
この、無駄に走り回る姿を見ていると、なんだかそれだけで涙が出てしまうのだ。
「子供」というものを良く表現した美事さ、というのもあるし、作品をよくよく理解し、”そういう風”に予告編を構成したスタッフの腕前に感銘した、というのもある。
あとやはり使用曲、Arcade Fireの『Funeral』も素晴らしい。
(特に1:27あたり、走る後姿をポンポンポンと繋いでいく編集は圧巻)
ただやはり一番の理由は、この無意味なエネルギーの爆発が、僕の眼に、何故だか異様に煌いて映ってしまったからだ。
今はもう、無駄に走る、ということをしなくなったなぁ。
▼▼▼▼▼▼
はてさて、以上のような観点からすると、子供はとても素敵な存在と思えてくるが、彼らは時に、”かいじゅう”と化す。
こちらが気にしていること、言葉にはしたくないことを、ズケズケとハッキリ言ってくる。
彼らは抑えるということを知らない。
なぜなら子供は、エネルギーを爆発させる存在であるから。
しかし彼らは、それがもたらす破壊力を知らない。
自分ではイイコトを言っているかと思いきや、知らぬうちに他人を傷つけてしまう場合もある。
いつの間にか恨みを買ってしまう場合だってあるかもしれない。
子供の、いや、”かいじゅう”の破壊力と言うのは凄まじいものだ。
それが意識してやっていることでないから、なおさら始末が悪い。
このことを素晴らしく描いているのが平成ガメラ3部作の終章:『イリス覚醒』であるが、これもまた別の機会にしよう。
では僕達大人は、いつ、”抑える”ということを覚えたのだろう。
「これが相手を傷つける」と、いつ、自覚したのだろう。
その、”いつ”、”どうやって”は、恐らくは一瞬のものであったと思う。
自分で「認識した!」と思えないほど、一瞬のものであったと思う。
その一瞬を、ゆっくり、そして優しく教えてくれるのが、『かいじゅうたちのいるところ』である。
”いつ”は、人によって違うと思う。
”どうやって”もそうだけれど、僕がこの作品を観て出した一つの答えとしては、「相手の立場になる」と言うことだと思う。
「これを言われて、これをされて、相手はどう思うのだろう」
自分を相手に置き換える。
それを意識し始めたとき、それこそ、大人へのスタートなのだと、この映画は教えてくれたように感じる。
勿論、意識し始めたからと言って、全てうまくいくわけではない。
大好きだから、ケンカしたりもする。
近くに居るのに、見えなくなったりもする。
相手のことをよく知っているはずなのに、時々わからなくなったりもする。
さて、そういう時どうしたらいいだろう。
と、考え始める。
そうやって少しずつ、”相手”を意識して、僕達は大人になっていくのだと思う。
坂本真綾:『走る』
やはり菅野時代のマアヤはいいなぁ。
-------------------------
予告編の約2分間を、思いっきり引き伸ばしてみた。
ということは本編100分を見たとき、僕はどうなってしまうのだろう。
『かいじゅうたちのいるところ』感想↓
ゲンさんのはコチラ
梅太のはコチラ
2010年3月7日日曜日
梅太@ 宣伝:『桃まつりpresentsうそ』・・・の一作品『FALLING』を観に行こう!
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
昨日、本ブログの管理人一同が・・・一同といってもたったの二人ですが、いつもいつもお世話になっております「Bar NOI」へ行った時の話。
2010/3/13~3/26の期間に、渋谷のユーロスペースにて開催される『桃まつり』に作品を出展している加藤麻矢さんにお会い致しました。
まず、『桃まつり』とはなんぞやというところから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「若手女性監督たちにもっと上映の場を」と立ち上がった女性監督による製作・上映集団”桃まつり”。 昨年3月にユーロスペースで上映し、2週間で1500人以上の動員を記録。新たな才能の発見の場として、日本全国のみならず海外の映画祭からも注目を集めている。
そして今年のテーマは”うそ”。
あなたを思うあまりのうそ。したたかに仕組まれたうそなど、さまざまな人間関係を描き出した新作短編11作品を上映決定。
とびきり甘くて切ない”うそ”のまつりがいよいよ開催決定。
●スケジュール
・壱のうそ(3/13~17):『迷い家』『バーブの点滅と』『shoelace』『テクニカラー』
・弐のうそ(3/18~21):『きみをよんでるよ』『FALLING』『愚か者は誰だ』
・参のうそ(3/22~26):『1-2-3-4』『代理人会議』『カノジョは大丈夫』『話さないで』
連日21:00~
と、僕らしくなく宣伝文句をまとめ切れていますが、それもそのはず、こちらはチラシから拝借した文章です。
つまりは、新人女性監督を応援しましょう!という映画祭でございます。
そして昨日、この映画祭に『FALLING』という作品を出展しておられる加藤麻矢監督に偶然お会いしまして、チケットを買うと共に、僭越ながら、こちらで宣伝させて頂いた次第でございます。
『FALLING』は、会社に勤める普通のOLが刺されて死んでしまい、ヴァンパイアとして復活するというお話だそうです。
かくいう僕も、ブラム・ストーカーから始まる”吸血鬼”という存在はとても好きですので、期待しております。
↓↓↓予告編↓↓↓
▼▼▼▼▼▼
NYタイムズは、『FALLING』をこう宣伝しています。
『トワイライト』より、
『ダレンシャン』より、
まずは『FALLING』を!!
(・・・これは、壱、弐、参のうそに続く、四のウソです)
私、梅太は、『弐のうそ』初日の18日に顔を出す予定です。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
昨日、本ブログの管理人一同が・・・一同といってもたったの二人ですが、いつもいつもお世話になっております「Bar NOI」へ行った時の話。
2010/3/13~3/26の期間に、渋谷のユーロスペースにて開催される『桃まつり』に作品を出展している加藤麻矢さんにお会い致しました。
まず、『桃まつり』とはなんぞやというところから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「若手女性監督たちにもっと上映の場を」と立ち上がった女性監督による製作・上映集団”桃まつり”。 昨年3月にユーロスペースで上映し、2週間で1500人以上の動員を記録。新たな才能の発見の場として、日本全国のみならず海外の映画祭からも注目を集めている。
そして今年のテーマは”うそ”。
あなたを思うあまりのうそ。したたかに仕組まれたうそなど、さまざまな人間関係を描き出した新作短編11作品を上映決定。
とびきり甘くて切ない”うそ”のまつりがいよいよ開催決定。
●スケジュール
・壱のうそ(3/13~17):『迷い家』『バーブの点滅と』『shoelace』『テクニカラー』
・弐のうそ(3/18~21):『きみをよんでるよ』『FALLING』『愚か者は誰だ』
・参のうそ(3/22~26):『1-2-3-4』『代理人会議』『カノジョは大丈夫』『話さないで』
連日21:00~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と、僕らしくなく宣伝文句をまとめ切れていますが、それもそのはず、こちらはチラシから拝借した文章です。
つまりは、新人女性監督を応援しましょう!という映画祭でございます。
そして昨日、この映画祭に『FALLING』という作品を出展しておられる加藤麻矢監督に偶然お会いしまして、チケットを買うと共に、僭越ながら、こちらで宣伝させて頂いた次第でございます。
『FALLING』は、会社に勤める普通のOLが刺されて死んでしまい、ヴァンパイアとして復活するというお話だそうです。
かくいう僕も、ブラム・ストーカーから始まる”吸血鬼”という存在はとても好きですので、期待しております。
↓↓↓予告編↓↓↓
▼▼▼▼▼▼
NYタイムズは、『FALLING』をこう宣伝しています。
『トワイライト』より、
『ダレンシャン』より、
まずは『FALLING』を!!
(・・・これは、壱、弐、参のうそに続く、四のウソです)
私、梅太は、『弐のうそ』初日の18日に顔を出す予定です。
2010年2月4日木曜日
梅太@ 雑記:The Curious Case of ”Region Free Player”
この記事は あぁ、これでやっと・・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
僕にとって、DVDソフトのリージョンの壁というものは、かつてのベルリンの壁並に強固なものであった。
・・・といったら過言である。
まったくね、時を遡れば、バベルの塔なんて建てようとするからダメなのですよ。
あそこでね、神様の逆鱗に触れなければ、今こんな問題は起こってないわけです。
・・・といったら過言である。
▼▼▼▼▼▼
さて本題。
念願の「リージョン・フリーBlu-ray/DVDプレイヤー」を購入した。
これに合わせて、通販で輸入盤のDVDを数枚買っておいた。
レパートリーは、最後にご紹介します。
で、早速再生してみた。
一応確認の為、今回買ったDVDを全て再生してみたのですが、途中、フリーズした。
再起動してもディスクトレーが開かないという状態が10分ほど続いた。
4回くらい再起動して、やっと正常になった。
むぅ・・・もしかして、リージョンを破るって、結構無理させてるのかなぁ。
問い合わせたところ、これは紛れも無い初期不良だそうです。
交換を要求しましたが、もうこの商品の換えが無いそうです。
返品しか道は無い・・・全額返してくれるそうなので、とりあえず一安心。
▼▼▼▼▼▼
と、いうのが先週の話。
やはり輸入盤DVDを買ってしまった以上、後には引けないので、今度は入念にチェックして新しいプレイヤーを購入した。
Pioneer製。
一応海外品ではあるのですが、レビュー等を見る限り良さそうなので購入した。
(そうか、前回は客評とかよく読まなかったからいけなかったのだなぁ)
前回同様、輸入盤DVDを再生してみましたが、順調順調♪
HDMIケーブルでつないでいます。
ディスクを入れて数回、度々映像調整が入るのが若干ストレスかと思いますが、他はいたって問題なし。
音に関しても、前回の機種と比べると力強さが違いました。
今回の機種はBlu-rayは観れませんので、PS3との併用になっていくかと思います。
----------------------------
さて、購入したレパートリーのご紹介。
輸入盤DVDは、基本的には日本語字幕は入っておりません。
最近は、日本語字幕が入っているタイプも増えてきているようですが。
しかし、この日の為に英語の勉強をしてきたといっても、過言ではない。
成果が発揮できるか否か・・・
・『Son of Rambow』
ずっと、ずっと観たかった作品。
07年にサンダンス映画祭で上映され、本国イギリスでは08年春に公開された『Son of Rambow』。
今最も旬な女優:ズーイー・デシャネルが出演している『銀河ヒッチハイクガイド』(05)の監督:ガース・ジェニングス最新作であります。
小学生のやんちゃな二人組みが映画を作るというのがコンセプト。
・『How to lose friends and alienate people』
僕の中での殿堂入り女優:キルスティン・ダンストの最新作は、日本ではDVDスルーすらされず。
もう輸入盤買ってしまえ!ということで買いました。
最近ヒット作の多いサイモン・ペッグ主演で、セクシーさもロボットには勝てなかったミーガン・フォックス等が共演しています。
・『Accepted』
実は以前、一度見たことがあるのですが、面白かったのでこの際購入。
『映画好きの二人』では度々話題に上るジャスティン・ロング主演のスクールコメディ。
・『Lars and the real girl』
僕が09度々話題にしていた・・・というより09年のNo.1作品。
実を言うと、聞き取りたいけれどあと一歩で聞き取れない台詞を、英語字幕で確認したかったという理由のみで購入しました。
日本版は英語字幕ついてないし・・・
----------------------------------------
よし、この週末はやっと、購入したDVDが観れる・・・
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
僕にとって、DVDソフトのリージョンの壁というものは、かつてのベルリンの壁並に強固なものであった。
・・・といったら過言である。
まったくね、時を遡れば、バベルの塔なんて建てようとするからダメなのですよ。
あそこでね、神様の逆鱗に触れなければ、今こんな問題は起こってないわけです。
・・・といったら過言である。
▼▼▼▼▼▼
さて本題。
念願の「リージョン・フリーBlu-ray/DVDプレイヤー」を購入した。
これに合わせて、通販で輸入盤のDVDを数枚買っておいた。
レパートリーは、最後にご紹介します。
で、早速再生してみた。
一応確認の為、今回買ったDVDを全て再生してみたのですが、途中、フリーズした。
再起動してもディスクトレーが開かないという状態が10分ほど続いた。
4回くらい再起動して、やっと正常になった。
むぅ・・・もしかして、リージョンを破るって、結構無理させてるのかなぁ。
問い合わせたところ、これは紛れも無い初期不良だそうです。
交換を要求しましたが、もうこの商品の換えが無いそうです。
返品しか道は無い・・・全額返してくれるそうなので、とりあえず一安心。
▼▼▼▼▼▼
と、いうのが先週の話。
やはり輸入盤DVDを買ってしまった以上、後には引けないので、今度は入念にチェックして新しいプレイヤーを購入した。
Pioneer製。
一応海外品ではあるのですが、レビュー等を見る限り良さそうなので購入した。
(そうか、前回は客評とかよく読まなかったからいけなかったのだなぁ)
前回同様、輸入盤DVDを再生してみましたが、順調順調♪
HDMIケーブルでつないでいます。
ディスクを入れて数回、度々映像調整が入るのが若干ストレスかと思いますが、他はいたって問題なし。
音に関しても、前回の機種と比べると力強さが違いました。
今回の機種はBlu-rayは観れませんので、PS3との併用になっていくかと思います。
----------------------------
さて、購入したレパートリーのご紹介。
輸入盤DVDは、基本的には日本語字幕は入っておりません。
最近は、日本語字幕が入っているタイプも増えてきているようですが。
しかし、この日の為に英語の勉強をしてきたといっても、過言ではない。
成果が発揮できるか否か・・・
・『Son of Rambow』
ずっと、ずっと観たかった作品。
07年にサンダンス映画祭で上映され、本国イギリスでは08年春に公開された『Son of Rambow』。
今最も旬な女優:ズーイー・デシャネルが出演している『銀河ヒッチハイクガイド』(05)の監督:ガース・ジェニングス最新作であります。
小学生のやんちゃな二人組みが映画を作るというのがコンセプト。
・『How to lose friends and alienate people』
僕の中での殿堂入り女優:キルスティン・ダンストの最新作は、日本ではDVDスルーすらされず。
もう輸入盤買ってしまえ!ということで買いました。
最近ヒット作の多いサイモン・ペッグ主演で、セクシーさもロボットには勝てなかったミーガン・フォックス等が共演しています。
・『Accepted』
実は以前、一度見たことがあるのですが、面白かったのでこの際購入。
『映画好きの二人』では度々話題に上るジャスティン・ロング主演のスクールコメディ。
・『Lars and the real girl』
僕が09度々話題にしていた・・・というより09年のNo.1作品。
実を言うと、聞き取りたいけれどあと一歩で聞き取れない台詞を、英語字幕で確認したかったという理由のみで購入しました。
日本版は英語字幕ついてないし・・・
----------------------------------------
よし、この週末はやっと、購入したDVDが観れる・・・
2010年1月21日木曜日
梅太@ 雑記:『ハングオーバー』日本公開決定です!
この記事は この調子で、日本にもっと良い洋画を・・・と切に願う 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
先日、コチラ で紹介させて頂いた「『ハングオーバー』公開を絶対に求める会」の署名運動の結果、見事、日本公開を勝ち取ることが出来たみたいです!!!
やりました!良かったです!
僕ら『映画好きの二人』と致しましては、署名に一票入れ、このように数あるうちの一つの記事で小さく紹介させてもらっただけなので、何かしたかといわれれば、何ともいえないですが。
ただ、もし僕らのブログを読んで署名運動に参加してくださった方がいたら、ありがとうと言いたいです。
いやはや非常に嬉しいです。
きっと、思いが通じたのでしょう。
配給会社側としては、先日発表された本年度ゴールデングローブ賞にて、『ハングオーバー』がコメディ部門の作品賞を受賞したことが決め手となった様子。
何かと「肩書き」や「話題」が好きな日本映画界にとって、海外でTOPとなった作品を輸入しないわけにはいかないですからね(勿論皮肉です)。
公開時期はまだ未定です。
待ち遠しいですが、何にせよ良かったです。
でも、3月に発売予定のDVDは、延期になるのだろうか・・・?
予告編をどうぞ。
-----------------------------
未公開作品繋がりで。
ティーンエイジコメディの大大大傑作『スーパーバッド/童貞ウォーズ』の監督:グレッグ・モットーラの最新作『ADVENTURELAND』が・・・・・やっぱり、DVDスルーになりました。
残念だ・・・・予想はしていたけれど。
この作品のヒロインは、ミス幸薄:クリステン・スチュワート。
『トワイライト』で、名が売れてきたので、その人気に乗じて公開を・・・と期待しましたが、ダメでしたね。
邦題は『アドベンチャーランドへようこそ』らしいです。
この邦題は、恐らくは主演のジェシー・アイゼンバーグ繋がりでしょう。
(アイゼンバーグ主演最新作は、3月公開の『ようこそゾンビランドへ』)
勿論、must buyです。
では、予告編を。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
先日、コチラ で紹介させて頂いた「『ハングオーバー』公開を絶対に求める会」の署名運動の結果、見事、日本公開を勝ち取ることが出来たみたいです!!!
やりました!良かったです!
僕ら『映画好きの二人』と致しましては、署名に一票入れ、このように数あるうちの一つの記事で小さく紹介させてもらっただけなので、何かしたかといわれれば、何ともいえないですが。
ただ、もし僕らのブログを読んで署名運動に参加してくださった方がいたら、ありがとうと言いたいです。
いやはや非常に嬉しいです。
きっと、思いが通じたのでしょう。
配給会社側としては、先日発表された本年度ゴールデングローブ賞にて、『ハングオーバー』がコメディ部門の作品賞を受賞したことが決め手となった様子。
何かと「肩書き」や「話題」が好きな日本映画界にとって、海外でTOPとなった作品を輸入しないわけにはいかないですからね(勿論皮肉です)。
公開時期はまだ未定です。
待ち遠しいですが、何にせよ良かったです。
でも、3月に発売予定のDVDは、延期になるのだろうか・・・?
予告編をどうぞ。
-----------------------------
未公開作品繋がりで。
ティーンエイジコメディの大大大傑作『スーパーバッド/童貞ウォーズ』の監督:グレッグ・モットーラの最新作『ADVENTURELAND』が・・・・・やっぱり、DVDスルーになりました。
残念だ・・・・予想はしていたけれど。
この作品のヒロインは、ミス幸薄:クリステン・スチュワート。
『トワイライト』で、名が売れてきたので、その人気に乗じて公開を・・・と期待しましたが、ダメでしたね。
邦題は『アドベンチャーランドへようこそ』らしいです。
この邦題は、恐らくは主演のジェシー・アイゼンバーグ繋がりでしょう。
(アイゼンバーグ主演最新作は、3月公開の『ようこそゾンビランドへ』)
勿論、must buyです。
では、予告編を。
2009年12月6日日曜日
梅太@ 雑記:『ハングオーバー』劇場公開を絶対に求める会
この記事は みんな、良い映画を観ようよ!と思う 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
現在、僕はある映画作品についての署名運動に参加しております。
(参加といっても、ただ一票入れただけで、他は特にしてないけれど)
それは、本年夏にアメリカで公開された『ハングオーバー』というコメディ映画。
↓↓↓予告編↓↓↓
ストーリーとしては。
結婚を控えた男衆3人組は、ベガスでパーティを開き、ワイワイすることにした。
独身生活もあとわずかだし・・・そんな気持ちで大はしゃぎなパーティーの翌日は、当然ながら二日酔い(=ハングオーバー)。
フラフラの頭でホテルの部屋を見回してみると、散らかっているし、トラはいるし、赤ちゃんが捨てられてるし・・・
昨夜、俺達にはいったい何があったんだ!?
少ないピースを必死に組み合わせ、昨夜の出来事を思い出そうとする3人であったが・・・
こちらは、米では大大大ヒットを記録しております。
”話題好き”、”肩書き好き”な日本の映画業界が見逃すはずはない!(・・・・とは、僕は実は思っていません)
しかし残念なことに(というより案の定)、この作品は、DVDスルーの臭いがプンプンと漂ってまいりました。
日本においての洋画コメディの扱われ方は、最近ひどいものになってきています。
そこで、『ホットファズ』を署名運動により劇場公開まで持ち込んだ発足人が、今度はこの作品を対象にして、署名運動を始めたようです!
(『ホットファズ』の署名運動に関しては、下の方を参考)
詳しくはコチラで。
⇒「映画『ハングオーバー』の劇場公開を絶対に求める会」のページ
僕も絶対に観たい作品であったので、一枚かませて頂きました。
作品内容を詳しく知りたい方は、先ほどの予告編や、コチラのIMDbの記事、またはgoogleか何かで、『ハングオーバー』と検索してみてください。
そして「劇場で観たい!」と思った方は、「映画『ハングオーバー』の劇場公開を絶対に求める会」のページへ行き、一票投じてみてください。
映画はやはり、劇場で観るのが一番面白い!
▼▼▼▼▼▼
ここで、先にチラっと述べた『ホットファズ』についてご紹介。
08年に公開された、英発のポリスコメディ大大大傑作の『ホット・ファズ/俺達スーパーポリスメン』。
これは、エドガー・ライト監督の作品。
ライト監督は、『ショーン・オブ・ザ・デッド』という、これまた大大傑作のゾンビムービーを作っていますが、こちらは日本未公開、DVDスルーとなってしまいました。
観た人からは絶大な支持を得た『ショーン・オブ・ザ・デッド』。その監督の最新作がまた未公開なんて・・・
それで、日本での劇場公開が危ぶまれる中、映画ファンたちの署名運動により、スクリーンでの上映が決定した作品であります。
ちなみに『ホットファズ』は、僕の08年3位の作品で、誰にでもオススメしたい作品の一つであります。
(参考⇒2008まとめ:『劇場鑑賞作品』編 TOP5)
ちなみに日本語版⇒コチラ
『ホットファズ』の魅力を、ここで1万文字以内で熱く語ってもいいのですが、今日はやめておきます。
▼▼▼▼▼▼
ついでなので雑談。
僕は『ホットファズ』を観た後、日本未公開作品を色々とチェックすることにしています。
最近DVDで発売された作品としては、
『ぼくたちの奉仕活動』(原題:Role Models)予告編(レンタルのみ?)
『ロック・ミー・ハムレット』(原題:Hamlet2)予告編
少し遡って、
『トラブル・カレッジ/大学をつくろう』(原題:Accepted)予告編※DVDすら販売されず
『スーパーバッド/童貞ウォーズ』(原題:Superbad)予告編
『スモーキングハイ』(原題:Pineapple Express)予告編
『バス男』(原題:Napoleon Dynamite)予告編
あと、忘れてはいけない(カット・デニングスの魅力満載の)こちら、
『キミに逢えたら』(原題:Nick & Nora's infinite playlist)予告編
感想⇒コチラ
他、傑作は沢山あるのに、非常に勿体無いですね。
タイトルも妙に変えられてますしね。
童貞ウォーズなんて・・・その題名だけで、何人の人が手に取るのを渋ったのか。
『40歳の童貞男』(こちらは公開されました)は、原題のままだから、それは仕方ないけれど。
『キューティーバニー』(原題:HOUSE BUNNY,予告編)の方が、題名的にはまだ手にとりやすいですね。
パッケージは、ちょっと恥ずかしいですが。
でも僕は普通に手にとってしまったところが、また何とも・・・、だってカット・デニングス出てるしさ。
傾向を見ると、やはりコメディ分野の未公開作品がかなり多いように感じました。
これらはTSUTAYAで借りられると思うので、みなさん是非とも観てほしい。
下ネタ満載なのは、ご愛嬌ということで。
▼▼▼▼▼▼
『ハングオーバー』に興味を持った方は署名運動への協力をお願いします!
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
現在、僕はある映画作品についての署名運動に参加しております。
(参加といっても、ただ一票入れただけで、他は特にしてないけれど)
それは、本年夏にアメリカで公開された『ハングオーバー』というコメディ映画。
↓↓↓予告編↓↓↓
ストーリーとしては。
結婚を控えた男衆3人組は、ベガスでパーティを開き、ワイワイすることにした。
独身生活もあとわずかだし・・・そんな気持ちで大はしゃぎなパーティーの翌日は、当然ながら二日酔い(=ハングオーバー)。
フラフラの頭でホテルの部屋を見回してみると、散らかっているし、トラはいるし、赤ちゃんが捨てられてるし・・・
昨夜、俺達にはいったい何があったんだ!?
少ないピースを必死に組み合わせ、昨夜の出来事を思い出そうとする3人であったが・・・
こちらは、米では大大大ヒットを記録しております。
”話題好き”、”肩書き好き”な日本の映画業界が見逃すはずはない!(・・・・とは、僕は実は思っていません)
しかし残念なことに(というより案の定)、この作品は、DVDスルーの臭いがプンプンと漂ってまいりました。
日本においての洋画コメディの扱われ方は、最近ひどいものになってきています。
そこで、『ホットファズ』を署名運動により劇場公開まで持ち込んだ発足人が、今度はこの作品を対象にして、署名運動を始めたようです!
(『ホットファズ』の署名運動に関しては、下の方を参考)
詳しくはコチラで。
⇒「映画『ハングオーバー』の劇場公開を絶対に求める会」のページ
僕も絶対に観たい作品であったので、一枚かませて頂きました。
作品内容を詳しく知りたい方は、先ほどの予告編や、コチラのIMDbの記事、またはgoogleか何かで、『ハングオーバー』と検索してみてください。
そして「劇場で観たい!」と思った方は、「映画『ハングオーバー』の劇場公開を絶対に求める会」のページへ行き、一票投じてみてください。
映画はやはり、劇場で観るのが一番面白い!
▼▼▼▼▼▼
ここで、先にチラっと述べた『ホットファズ』についてご紹介。
08年に公開された、英発のポリスコメディ大大大傑作の『ホット・ファズ/俺達スーパーポリスメン』。
これは、エドガー・ライト監督の作品。
ライト監督は、『ショーン・オブ・ザ・デッド』という、これまた大大傑作のゾンビムービーを作っていますが、こちらは日本未公開、DVDスルーとなってしまいました。
観た人からは絶大な支持を得た『ショーン・オブ・ザ・デッド』。その監督の最新作がまた未公開なんて・・・
それで、日本での劇場公開が危ぶまれる中、映画ファンたちの署名運動により、スクリーンでの上映が決定した作品であります。
ちなみに『ホットファズ』は、僕の08年3位の作品で、誰にでもオススメしたい作品の一つであります。
(参考⇒2008まとめ:『劇場鑑賞作品』編 TOP5)
『Hot Fuzz』予告編。 観たい人はTSUTAYAへGO!
ちなみに日本語版⇒コチラ
『ホットファズ』の魅力を、ここで1万文字以内で熱く語ってもいいのですが、今日はやめておきます。
▼▼▼▼▼▼
ついでなので雑談。
僕は『ホットファズ』を観た後、日本未公開作品を色々とチェックすることにしています。
最近DVDで発売された作品としては、
『ぼくたちの奉仕活動』(原題:Role Models)予告編(レンタルのみ?)
『ロック・ミー・ハムレット』(原題:Hamlet2)予告編
少し遡って、
『トラブル・カレッジ/大学をつくろう』(原題:Accepted)予告編※DVDすら販売されず
『スーパーバッド/童貞ウォーズ』(原題:Superbad)予告編
『スモーキングハイ』(原題:Pineapple Express)予告編
『バス男』(原題:Napoleon Dynamite)予告編
あと、忘れてはいけない(カット・デニングスの魅力満載の)こちら、
『キミに逢えたら』(原題:Nick & Nora's infinite playlist)予告編
感想⇒コチラ
他、傑作は沢山あるのに、非常に勿体無いですね。
タイトルも妙に変えられてますしね。
童貞ウォーズなんて・・・その題名だけで、何人の人が手に取るのを渋ったのか。
『40歳の童貞男』(こちらは公開されました)は、原題のままだから、それは仕方ないけれど。
『キューティーバニー』(原題:HOUSE BUNNY,予告編)の方が、題名的にはまだ手にとりやすいですね。
パッケージは、ちょっと恥ずかしいですが。
でも僕は普通に手にとってしまったところが、また何とも・・・、だってカット・デニングス出てるしさ。
傾向を見ると、やはりコメディ分野の未公開作品がかなり多いように感じました。
これらはTSUTAYAで借りられると思うので、みなさん是非とも観てほしい。
下ネタ満載なのは、ご愛嬌ということで。
▼▼▼▼▼▼
『ハングオーバー』に興味を持った方は署名運動への協力をお願いします!
2009年9月1日火曜日
梅太@ 雑記:ブログ開設1周年のご挨拶
昨年、2008/9/1に、本ブログ『映画好きの二人』は開設いたしました。
ということで、本日をもって、1周年!
まさに、映画への執念だけで、続けている次第でございます。
▼▼▼▼▼▼
開設以後、時々誰かが、「ブログ読んでるよ~」と言ってくれたりしてます。
とてもうれしいです。
直接コメントしてくださった方もいます。
とてもうれしいです。
外人からのコメントには、若干対応に困ったりもしましたが・・・(コチラの記事)
いやいやそれでも、大変うれしゅうございます。
▼▼▼▼▼▼
運営に関しては、お互い特に打ち合わせ無しでやっております。
僕がタイトルを勝手に変えようが文句はなく、ゲンさんがブログパーツをイジろうが文句は無く。
そしてお互い、どんなに変態的な記事を書こうが、文句はなく。
で、時々直接会ったときに、「あれよかったですね~」と話したりしています。
開設以降、最大のイベントは、昨年末に行った座談会。
お互い、言いたいこと言い過ぎて、疲れましたが、かなり楽しかったです。
さて、この一年の記事を、データにしてみると・・・
●記事数総計:199(この記事を入れて)
●劇場鑑賞記事:117
●DVD鑑賞記事:20
●予告編紹介記事:26
●雑記:14
●ニュース:1
●イベント:1
●Blog title:5
(”一覧”記事、”はじめに” は抜かして)
という結果となりました。
これが多いのか少ないのかは、もう1年やってみないと分かりませんね。
ただ記事を読み返してみると、最近になるにつれ、僕の記事の変態度が増していることが、容易に伺えます。
気になる方は、「カテゴリ:管理人 梅太」を選択し、パラパラと流し読みしてみるといいと思います。
・・・・いや、最初から変態だったか。
でも多分、本格的に壊れだしたのはコチラの記事からだと思います。
▼▼▼▼▼▼
さて、ゲンさんか僕か、どちらが書くにせよ、次の記事が記念すべき200記事目となります。
新しい1年の幕開けとして、かなりキリの良い数字です。
今後、ますます変態度はアップしていくと思いますが、常に全力で望んでいく所存でございますので、応援よろしくお願いします。
ということで、本日をもって、1周年!
まさに、映画への執念だけで、続けている次第でございます。
▼▼▼▼▼▼
開設以後、時々誰かが、「ブログ読んでるよ~」と言ってくれたりしてます。
とてもうれしいです。
直接コメントしてくださった方もいます。
とてもうれしいです。
外人からのコメントには、若干対応に困ったりもしましたが・・・(コチラの記事)
いやいやそれでも、大変うれしゅうございます。
▼▼▼▼▼▼
運営に関しては、お互い特に打ち合わせ無しでやっております。
僕がタイトルを勝手に変えようが文句はなく、ゲンさんがブログパーツをイジろうが文句は無く。
そしてお互い、どんなに変態的な記事を書こうが、文句はなく。
で、時々直接会ったときに、「あれよかったですね~」と話したりしています。
開設以降、最大のイベントは、昨年末に行った座談会。
お互い、言いたいこと言い過ぎて、疲れましたが、かなり楽しかったです。
さて、この一年の記事を、データにしてみると・・・
●記事数総計:199(この記事を入れて)
●劇場鑑賞記事:117
●DVD鑑賞記事:20
●予告編紹介記事:26
●雑記:14
●ニュース:1
●イベント:1
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(”一覧”記事、”はじめに” は抜かして)
という結果となりました。
これが多いのか少ないのかは、もう1年やってみないと分かりませんね。
ただ記事を読み返してみると、最近になるにつれ、僕の記事の変態度が増していることが、容易に伺えます。
気になる方は、「カテゴリ:管理人 梅太」を選択し、パラパラと流し読みしてみるといいと思います。
・・・・いや、最初から変態だったか。
でも多分、本格的に壊れだしたのはコチラの記事からだと思います。
▼▼▼▼▼▼
さて、ゲンさんか僕か、どちらが書くにせよ、次の記事が記念すべき200記事目となります。
新しい1年の幕開けとして、かなりキリの良い数字です。
今後、ますます変態度はアップしていくと思いますが、常に全力で望んでいく所存でございますので、応援よろしくお願いします。
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