この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
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●Uの憂鬱/ウソから醒める瞬間:『劇場版仮面ライダーW Forever AtoZ運命のガイアメモリ』
昨年のこと。
口にするのも若干おぞましい平成仮面ライダーの10作目『ディケイド』の、TV版~劇場版に対する一連の騒動(?)について、僕はかなりキツい批判をした。
そのとき、言われたことがある。
「別に子供向けのものなんだし、そこまで突っ込まなくてよくないか?」
ちなみに誰に言われたかは全く覚えていないのだけれど、言葉だけが引っかかった。
僕は近年、映画、もしくはサブカルチャー全体に対する思いが強くなれば成る程、仮面ライダーへの不満が募っていく傾向にある。
映画作りとはつまり、「一つの作品の中に、自分の考えを表現”しきる”」という行為である。
2時間なら2時間。
その中で、如何に自分の表現したいことを収めるか。
そこまで崇高なものでないにしろ、自分のやりたいことをいかにやり切るか。
「子供向けだから、その辺のバランスを無視してもいい。」
「どうせそんな部分には気にしないし、大丈夫だろう。」
そんな妥協を、許せない自分が居る。最近。
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さて、今日は『仮面ライダーW』の劇場版を観てきました。
本シリーズは、この10年の歴史を通してみてもズバ抜けた出来の良さを誇っていると思います。
だからこそ、『ディケイド』で離れた僕の心を繋ぎとめたわけです。
また、よくわからないディケイドとのコラボもようやく終わりを告げたので、単品で巣立つ今回の劇場版を、僕はかなり期待をしておりました。
感想としては・・・・「振り切れなかった!」である。
いや、正直に言うと。
途中までの出来は、本当に素晴らしかったと思う。
100点です。コチラとしては。
『電王』以来、久々にそう思った。
TVシリーズからの系譜(つまり、「予備知識的なものが必要」)・・・というマイナス要素を入れ込んでも、それを打ち消すだけの力はある。
”特撮”というものが満足すべきたった一つの最低(にして絶対的な)条件をキッチリとクリアしていたし、柄にもなく(いや、いつもどおり?)、燃えてしまった。
というより泣いた。ちょっと。
だが、たった一つの異分子により、全てが醒めてしまった。
他の部分が素晴らしかったが故に、そのシーンの異質さがより際立ってしまっていた。
醒めた。冷めた。
全体の流れを完璧にするため、全体のプロポーションを整えるため、そのシーンを削除しようとは、考えないものなのだろうか。
・・・・いや、わかる。
仮にも10年、全てのシリーズを観てきたし、全ての劇場版を観てきているから、そういう展開があることは予想できたし、鑑賞前も「どうせそういうことあるんだろうなぁ」と、薄々感じていた。
・・・・うん、わかる。
確かにファンサービスというものも必要だとは思う。
ある程度は。
・・・・ただ、待ったをかけたい。
それは、なんというか、”ファン”という存在に頼りすぎてはいないだろうか?
それで、いいのだろうか。
仮面ライダー、という枠を超え。
特撮、という枠を超え。
一つの”作品”として、形に残そうとは、思わないものなのだろうか。
最後10分、ずっとそれだけが頭に残っていて、どんなに良いシーンが展開されようとも、その考えが頭から振り切れず、苦虫を齧りながら、劇場を後にした。
なんだか本当に、絶望が僕のゴールだったかもしれないなぁ。今回は。
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なんだか最近は、拘りが強すぎて。
劇場内で、心地よい”ウソ”から醒める瞬間が、ものすごく嫌。
「気にしなきゃいいじゃん」
「そこまで考える必要あるの?」
うん、そうなんだけどね。
でも世の中には、その”ウソ”に終始浸らせてくれる素晴らしい作品も、確かに存在していて。
そういう作品に数多く出会っていると、こういう粗が、ちょっと嫌。
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さて、今月でTVシリーズも終わりです。
どういう結末を迎えるのでしょうか。
ちなみにTV版で唯一登場しなかったWのマキシマムドライブは、本劇場版で初お目見えいたします。
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仮面ライダーを本気で考える。
なんだこの23歳。
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