2010年6月12日土曜日

梅太@ 劇場:『告白』

この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

●映画に全てを否定された絶望と喜び:『告白
監督は、中島哲也。
出演に、松たか子と32人の生徒達、他。


 本作は、間違うことなきエンターテインメトである。
 「笑っていいのかわからない」
 劇場を出ようとした女性客がポロっと言った感想は、以下に記す僕の感想の何倍もこの作品をよくよく表している。

---------------------------

ストーリーは。

 舞台は中学。1年生の終業式の日に幕を開ける。
 春休み突入へあと一歩と浮かれた生徒達に、先生が”告白”する。

 「わたしの娘は、このクラスの生徒に殺されたんです」

 その一言は、彼らの胸に刻まれる。
 そして先生は辞職し、学校を去る。

 春休みが明ける。
 学校が始まる。
 生徒達の、生徒の母の、告白が始まる・・・

▼▼▼▼▼▼

 「告白」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
 愛の告白?
 罪の告白?

 「告白」とはなんだろうか。
 それは、他者の視点をスッパ抜いて、自分の思いを、価値観をぶつけることだと思う。
 これを知ってほしい、あれを知ってほしい・・・・と言うように。
 愛の告白であれば、あなたをどれだけ愛しているか。
 罪の懺悔であれば、わたしがどれだけ悔いているか。

 しかし自分の価値観と言うものは、他の視点で観ると、穴だらけであったりする。
 その穴を否定するか肯定するかは、人それぞれであったりする。

 僕は映画が大好きだ。
 本ブログで、僕は鑑賞した一つ一つの作品に「告白」をしているのだと思う。
 勿論ながら僕の勝手な、主観的な作品評であるから、穴だらけであることは自覚している。
 一度感想を書き上げ、その後様々な価値観に触れ、後日落ち着いて読み返してみると、「ばかばかしい」と感じてしまうこともあったりする。
 なぜ、書いているときにその「ばかばかしさ」に気付かなかったのだろうか。

 では、ある一つの「告白」をするときに、色々な視点を考慮する必要があるのだろうか。
 または、冷静に考慮することが出来るのだろうか。

 恐らくは、否であろう。
 出来たとしても、それには限界があるし、”様々な”視点を吸収したとしても、練り上げられた答えはやはり”一つ”になってしまう。
 何よりそんなことを考え始めたら、何も言えなくなる。
 やはり何かを語ろうとするとき、捨てなければいけない価値観がある事に気付く。

 全”知”全能という言葉が、人間にとって程遠いことを思い知る。

▼▼▼▼▼▼
 
 本作の主人公:悠子は、先生である。
 先生は、自分の受け持った生徒達を導いていかねばならない。
 生徒は複数人。価値観も複数ある。
 その価値観全てを、先生は、把握しなければいけないのだろうか。
 また、その価値観全てを、受け入れ、客観的に見つめ、良いことは褒め、悪いことは罰しなければいけないのだろうか。

 先生といっても、一人の人間である。
 やはり限界はある。

 本作で題材とされる”事件”は、命の重みを生徒達に考えさせるには絶好の機会であった。
 しかしその事件で被害にあった人物が、自分の身内であったなら?
 それでも冷静に、「命の重さを考えなさい?」と言えるのだろうか。

 「あなたたちの中に、犯人がいます」

 この一言をきっかけに、様々な人の価値観、様々な人の告白が交差する。
 僕達はその、一つ一つの告白を観て、考えさせられる。

・この事件は、許せないほど悲惨である。
・しかしこの犯人にも、犯行に至るまでの過去がある。理由がある。
・でも他の人から見れば、どんな過去を持っていようが、犯罪はいけないことである、と認識する。

 はてさて、観客は、このうやむやを何処へぶつければいいのだろうか。
 いくら探しても、僕には見つけられなかった。
 ぶつけるべき対象が見つからないのだ。

 恐らくは、娘を殺された先生も、同じであったのだと思う。

 いくら自分の身内を殺されたとて、「あなたは完璧に悪人です」と、言い切れなかったのではないだろうか。
 ”先生”が持つべき”多面的な”視点、”人間”としてどうしても手放せない”一つ”の視点。
 その間で、 悠子も揺れ動いていたのではないだろうか。

 黒板にわざわざ大きく書いた「命」の文字を、黒板消しで消してしまうその姿に、僕は戦慄を覚えた。

▼▼▼▼▼▼
 
 作品を隅から隅まで知っている人、それは作り手である。
 いわば作品の神である。

 映画の場合は監督である。
 本作は、人の数だけ物の見方があることを把握し、様々な人の告白を並べ立てる。
 そんな多面的な視点を操りつつも、監督の出した答えは”一つ”で、やはり本作も、一人の人間の主観的な「告白」なのだと思う。

 だから、穴もある。
 この作品を観た多くの人の中に、「ばかばかしい」と感じる人もいると思う。
 だけれど、肯定否定何でもいいから、僕はこの作品を観た人に考えて欲しい。

 登場人物が「告白」したこと、その思いを。
 監督が「告白」したこと、その思いを。
 「告白」することで、何をどうしたかったのかを。

 「笑っていいかわからなかった」
 観客の一人が口にしたこの言葉。
 なるほど、と思った。

 泣くとか、笑うとか、そういう安易な感動を押し売りし、エンターテインメント面している作品が如何に多いかを改めて認識した。

 色々な意味で、今、最も観るべき映画である。

▼▼▼▼▼▼

 スタッフロールが終わる。
 劇場が明るくなる。

 今見ている全ての世界。
 積み上げてきた全ての現実。
 今関わっている全ての責任。
 そして映画感。 

 「ばかばかしい・・・・」と思った。

 全てを否定されたような気がした。
 全てを投げ出したくなった。
 全てを一度リセットしたくなった。

 全てを、「どっか~ん!」と壊された。
 別に直接的に否定されたわけではないから、正確には”そんな様な気がした”。

 立つのがやっと。

 フラフラ歩いて喫茶店に入り、アイスコーヒーを頼む。

 コーヒーの黒い色を目で見て。
 氷がぶつかる音を耳で聞き。
 冷たいグラスを手で触り。
 香りを鼻で嗅ぎ。
 苦味を舌で味わう。

 五感全てを刺激して、今僕が、”現実”の中にあることを認識した。

 が、やはりまだまだ引きずっている。
 立ち直るまで、少々時間が必要かもしれない。

 しかし壊されたのなら、構成し直せば良い。
 自分の映画感が間違っていたと思うなら、正せば良い。

 それを認識すること、そこから「更正」の第一歩が始まるのです。






・・・・・・・・・なぁんてね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

梅太さん、こんばんは。
『告白』――未見ながら、個人的に興味があり、この作品のレビューを数多く読んで回りました。結果、梅太さんの書かれた事が、一番スッと心に入ってきたように思います。
さて私はどう感じるか。
来週確かめてくるつもりです。

これからも楽しみに伺いますね。
更新、頑張って下さい。

ゲンと梅太 さんのコメント...

> 匿名 さん

 そう言っていただけると、飛び上がるくらい嬉しいです。

 僕の映画感を否定し、壊してくれた作品のレビューを、肯定してくれる人がいる・・・なんとも皮肉で、面白い話です(笑

 是非とも、この作品を観て匿名さん自身が感じたことを、大切にして頂きたいと思います。
 そのとき、僕の意見が少しでもお役に立てたなら、幸いです。


 では、またのご来訪お待ちしております。

------------

from.管理人片割れ:梅太