この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
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●ハウルの動く心
「美しくなければ、生きてる意味なんて無い」
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『ハウル』と言っておきながら、まず別の話をするけれど・・・
やはり僕の中で、『ポニョ』というのは特別な作品であったように感じる。
あの作品があったおかげで、宮崎駿が彼の全作品を通じてやりたかったこと、表現したかったもの、伝えたかった思い・・・というのが、僕の中でかなりクリアになった。
それはこれまでのジブリ映画の見方を変えさせたし、少なからず、私生活においても影響を与えた。
今日は、『ハウルの動く城』がテレビでやっていた。
僕はこの作品を劇場では観ていないし、『ポニョ』を観る前にテレビ放映していたのを見たのが初めてだった。
あのころ・・・といってもたったの2,3年前だけれど、あのころ見えなかったものが、『ポニョ』があったおかげで見えるようになってきた。
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しわくちゃになったソフィー。
醜い姿と化すハウル。
しかし二人は互いに心を惹かれあう。
外見なんて、問題じゃない。
大切なのはその人の本質。
主要人物二人に焦点を当てると、これはこれはとてもストレートな作品であるように感じる。
しかし注目したいのは、タイトルにもなっている『城』である。
まるでガラクタをかき集めて、何も考えずにゴチャゴチャとくっつけ、とりあえず『城』としての体裁を整えている様子は、まるで現代人の姿、そのものではないだろうか。
あれが大切。これも大切。
あれを持っておいたほうがいい。 これは捨てられない。
まぁとりあえず、持っとけば損はしないだろう。
そうやって色々なものを心にくっつけて。
そうやって色々な価値観を、あたかも自分のもののように見せかけて。
”本当に集めたかったものは何か”
”本当に大切なものは何だったのか”
そして、
”何が何でも譲れない、守りたい、と思えるものは何だったのだろうか”
というのを、次第に忘れてしまう。
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クライマックスのシークエンス。
カルシファーを『城』の外へ連れ出すことで、城は崩壊してしまう。
カルシファーはどういう存在か。
それは劇中で明かされる。
ここでも明かしてしまうが、カルシファーはハウルの心だ。
”心”を一度、外へ運び出す。
”別の視点”で、その”瓦礫の山”を見つめなおす。
自分は何て沢山のものを、背負い込んでしまっていたのだろうか。
そう思うのではないだろうか。
「オイラを外へ連れ出すと、どうなるかわからないぞ」
カルシファーの吐いた、さり気なく、何も違和感の無いこの台詞。
一歩外へ踏み出すことの難しさ。
踏み出すことで変わってしまう色々なもの。
それらを考えて、前へ踏み出せない現代人の気持ちを象徴する言葉に聞こえてしまったのは、僕だけだろうか。
カルシファー(=城)は、もう一度動き出す。
こんどはもっと、シンプルな形で・・・だ。
そしてまだまだ崩壊を続けていく。
最後に残ったのは、板切れと足。
中のものがむき出しのこの状態は、色々なものを剥ぎ取った、その人の本質を表現していると思う。
その本質は、その心は、小鳥の様に温かい。
そして剥き出しの状況下で、彼らは”素直な”気持ちをぶつけ合う。
あなたを愛しています・・・と。
もし、自分の大切なものが見えなくなったら、自分の心を、色々な方向からグルグルと見つめ直してみるといい。
グルグルグルグル、メリーゴーランドに乗って。
そうすると、人生の本質が見えてくるかもしれない。
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ハウルの心=カルシファー=城
それらを”動かす”ことで見えてくる、自分と言う存在。
タイトルだけで10杯くらいは軽くご飯が食べられる、素晴らしい作品です。
こういうものを比喩的に表現できる宮崎駿の手腕に、最近本気で嫉妬する。
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