この記事は マイケル・セラを語らせたらちょっとうるさい 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
本日ご紹介する予告編は、英国発コメディ『Scott Pilgrim vs the World』です。
誰もが認める傑作だが日本未公開という扱いを受けた『ショーン・オブ・ザ・デッド』や、大傑作以外の何者でもないポリスコメディ『ホット・ファズ』を作り上げたエドガー・ライト監督最新作です。
観たい!これは観たい!観なきゃいけない!
ストーリーとしては。
主人公:スコットがパーティー会場で、ラモーナという赤毛の女性を目にする。
「この人こそ運命の人だ!」と言って声をかけるが・・・
彼女を手にするには、彼女の元カレ7人をコテンパンに伸さなければいけないのであった!
・・・・というもの。
エドガー・ライトがまたバカっぽい・・・けれど熱くなれそうなコメディを作ってくれたようです!
バトルシーンはコテッコテの特殊撮影だけれど、決して嫌味にならず、こちらが大爆笑できるものに仕上げられている様子です。
いつもながら、巧い線を突いてきますね。
俳優起用も巧すぎる!
主人公は数々の秀作コメディに主演するも、「日本では何故か報われない若手俳優No.1」のマイケル・セラ。
僕は、マイケル・セラを語らせたらちょっとうるさいですよ。
ヒロインには、最近、「ホントは俺も髪の毛が欲しいんだ!」という願望が露呈してしまったブルース・ウィリスA.K.A.ジョン・マクレーンの娘役を務め(『ダイハード4.0』)、『デス・プルーフ』の本編で素晴らしきチア服姿を披露し、あまりにも自然すぎて、それ私服か?と突っ込みたくなる(いや、僕は至福だけれど・・・というのは冗談)、僕の大好きメアリー・エリザベス・ウィンステット。
冒頭の、「Hey, what's up?(どうしたの)」だけで、ご飯三杯いけます。
マイケル・セラの魅力爆発です。
そして、予告編後半、戦うことを決意した表情へ切り替わる様で、パン一斤はいけます。
マイケル・セラの魅力暴走です。
マイケル・セラ主演のコメディを見るといつも思うのだけれど、監督さんたちは、セラの使いどころをよく理解してますよね。ホント。
本国イギリスでは、2010年8月に公開予定。
日本公開に関しては、また危ない橋を渡っている気がするなぁ。
2010年3月25日木曜日
梅太@ 劇場:『NINE』
この記事は この映画、本当に気持ちいい!と思う 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
●ミュージカル映画の醍醐味:『NINE』
監督はロブ・マーシャル。
出演はダニエル・デイ=ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ケイト・ハドソン、ファーギー、ニコール・キッドマン、ジュディ・デンチ、ソフィア・ローレン。
「映画史上最もゴージャス&ファッショナブル」
これは日本のキャッチコピーであるが、肝心なことを一つ忘れている。
ミュージカル映画史上、最もエロティック。
変態と呼ばれようが構わない。
僕はこの作品が大好きだ。
------------------------------
ストーリーは。
数々の名作の中で、イタリア人の生活スタイルを作り出したと言っても過言では無い名監督:グイド(ダニエル・デイ=ルイス)。
しかし彼は悩んでいた。
巨額の制作費が費やされる次回作のインスピレーションが、一つも沸いてこない。
焦るグイドの思いもむなしく、何一つ形に出来ないまま、クランク・インは刻一刻と迫っていき・・・
▼▼▼▼▼▼
”ミュージカル映画における”ミュージカル作りにあたって、このロブ・マーシャルに勝てる人は、現在いないのではないかと思う。
そう思う僕は、まず本作のミュージカルシーンについて語っていこうかと思う。
●『Overture Delle Donne』
まずこの作品は、オープニングで絶頂を迎える。
悩むグイドの前にクラウディア(ニコール・キッドマン)が現れキスをする。それを始まりとし、本作に登場する女達が一堂に揃っていくこの豪華絢爛な数分間は、恐らく二度と観られないだろうと思う。
ここで絶頂を迎えていいかはわからないが、とにかく迎えてしまう。
感極まって、いきなり泣いてしまった。
これはどう転んでも傑作だと確信した。
ここで「釣りはいらねぇ」と、2000円置いて帰っても良かった。
サラギーナの元へ向かうグイド(幼少)一向の画の撮り方は、本家『8 1/2』を意識したであろう撮り方で、それだけで嬉しかった。
サラギーナのセクシーダンスに徐々にミュージカルシーンを被せていき、こちらの興奮を高めていく。
そして画面は白黒から、攻撃的で情熱的な赤へと一転する。
最初はスローテンポで、カメラもゆっくり動いていき、セットの素晴らしさに陶酔させられる。
また、これでもかと配置された大人数が一糸乱れず同じ動きをする様は、この人たちシンクロにでたら金メダル取れるだろうなとバカな考えを起こす余地を与えず、ただただ美事というしかない。
タンバリンを取り出し、曲調がテンポアップしたところから、更にテンションは上がる。
このままいくと高血圧で死ぬのではないかと思わせる。
最高潮を迎えるのが、横一列に並ぶ一同を引きで捉えるダイナミックな画。
このときばかりは流石に、叫ぶかと思った。
圧巻だ。
そして曲締め。
我を忘れ拍手しそうになったが、ちょっとこらえた。雰囲気がそうさせない。
ここが日本の映画館の良くないところだ。
ロブ・マーシャル、あなた一体何者だ。
もしかして生活の半分は、スクリーンでいかにミュージカルを魅せるかを考えているのではないのか?
ここでも「釣りはいらねぇ」と、2000円置いて帰っても良かった。
そういわれると、そうなんだ。
(見方を変えると、こんなPVがあったら最高レベルだと思うが)
しかし、僕は大好きだった。
確かに『Be Italian』の迫力に比べれば数段落ちてしまうが、ケイト・ハドソンがその表情・動きに一点の曇りも見せずノリノリで踊る様は、観ていてとても気持ちが良い。
それだけでいいではないか。
ゾクゾクした。
そのエロティック加減に・・・ではない。
先のケイト・ハドソンと言う事は被るのだが、マリオンがこれを、物怖じせず真剣にやっている・・・ということにである。
エロさを通り越して、もはやかっこいい。
マリオンが観客を足蹴にするその様。素晴らしかった。
▼▼▼▼▼▼
さて、映画としてみた時。
この作品は、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』を原作としている。
正確に言うとその舞台版『NINE』の映画化である。
『8 1/2』は、映画製作に対する監督の苦悩を静寂と共に描いていく。
こちらは「あれが難しい、これが難しい」と言葉にするでなく、フワフワとした抽象的なイメージを観客に見せていく。
対して本作は、その苦悩をはっきりと言葉にし、歌という叫びにして提供する。
なので、原作よりもかなり”分かり易い”作品になっていると思った。
はっきりしすぎている感じも受けるが、映画と言うものに対してグイドの発する一言一言は、こちらをハッとさせるものがあった。
(特にクラウディアとの会話のくだり。日本映画に言えることが多かったなぁ)
弱点が無いわけでもない。
冒頭で紹介したとおり、本作はメイン・キャストが多い。
各人のミュージカルシーンは素晴らしいのだが、使い捨てっぷりが目立つ。
出てきて歌って、出てきて歌って。ある意味贅沢だけれど。
思い返せば、ミュージカルシーンを除いて考えるとしっかりと筋の通った物語なのだけれど、『シカゴ』の時に魅せた、ミュージカルシーンと本編との絶妙な絡ませ方というのが発揮されず、散漫になってしまった感は否めない。
また、ラストが弱かった。
あのオールキャストは、オープニングで観てしまった為、どうしてもインパクトにかける。
原作が原作だけに、ド派手に終わらせるということは無理なのかもしれないが、『シカゴ』でロブ・マーシャルのポテンシャルを見ているだけに、そういうことが出来そうな気がしてならないのだ。
▼▼▼▼▼▼
が。
やはり総じて、大好きな作品だ。
確かに弱点はあるが、僕は、ある一つのことに特化した・・・というより、ある一つのことに全力を注いだ作品が大好きだ。
そういう作品はやはり、印象に残るし、後々見返したくなる。
先にも書いたように、”ミュージカル映画における”ミュージカル作りにあたって、このロブ・マーシャルに勝てる人は、現在いないのではないかと思う。
もちろんこれは、僕の勝手な思い込みである。
彼のミュージカルパートの作り方として好きなところは、あくまでも”ステージ”に拘ること。
昨年公開された『マンマミーア!』がいまいちノリきれなかったとき、ミュージカルの何が人々を興奮させるか・・・ということを考えた。
今のところ落ち着いている結論として。
ミュージカルは、あの小さなステージ、制限された空間の中に、今にも爆発しそうな、抑え切れない出演者達のエネルギーが滾っていいる。
そして逃げ場を失ったエネルギーは、客席へと伝わっていく。
それが観客の拍手を誘う。
これが屋外だと、そうは行かないと思う。エネルギーの逃げ場があるからだ。
『マンマミーア』は綺麗な島国の風景と共に楽曲を提供するが、終盤のメリル・ストリープのバラードで若干注意散漫になったのは、そういう理由があるからではないかと思う。
やはり屋内の、限られた空間と言うものが、ミュージカルには不可欠なのだと。
その点、例え本編との繋ぎ方が無理やりであろうがどうだろうが、、ロブ・マーシャルは舞台に拘る。
その結果、本物のミュージカルに劣らないエネルギッシュなパートが生まれているように感じる。
『Be Italian』の、一同が横一列にズラっと並ぶ画の、視界に”収まりきらない”感じは、「これぞミュージカルだ!」と言える。
そこに、映画の特権であるカメラワークを加え、これでもか!と魅せる。
ボブ・フォッシーを永遠の師匠に持つロブ・マーシャルにしかできない芸当だと思う。
また、繰り返すようだが、この作品は観ていてとても気持ちがいい。
ロブ・マーシャルの「俺はこういうミュージカルシーンが撮りたいんだ!」という要求に対し、女優が恥ずかしげもなく物怖じもせず全力投球する。
これらが混ざり合い、極上のシーンが生まれる。
確かに、ペネロペのパートを始め、本作のミュージカルシーンはかなりエロティックではある。
これを大絶賛するようなら、一部の女子から反感を買うこと請け合いである。
しかし僕は、エロさを感じる前にまずカッコイイと思った。
監督、スタッフ、キャストが全力で打ち込んでる様は、やはりカッコイイ。
▼▼▼▼▼▼
ペネロペ・クルスがエロくて。
ジュディ・デンチのノリノリ具合が楽しくて。
ケイト・ハドソンの踊りが潔くて。
ファーギーの歌声に圧倒され。
ニコール・キッドマンの美しさを再認識し。
年をとってもまだまだ元気そうなソフィア・ローレンを拝むことができ。
マリオン・コティヤールの演技にゾクゾクして。
やさぐれたダニエル・デイ=ルイスは最高にシブくてカッコよかった。
そしてそれらを引き出したロブ・マーシャル。
これ以上何を望みますか?
------------------------------
長いですね、今回の記事も。
本編見るより疲れました。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
●ミュージカル映画の醍醐味:『NINE』
監督はロブ・マーシャル。
出演はダニエル・デイ=ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ケイト・ハドソン、ファーギー、ニコール・キッドマン、ジュディ・デンチ、ソフィア・ローレン。
「映画史上最もゴージャス&ファッショナブル」
これは日本のキャッチコピーであるが、肝心なことを一つ忘れている。
ミュージカル映画史上、最もエロティック。
変態と呼ばれようが構わない。
僕はこの作品が大好きだ。
------------------------------
ストーリーは。
数々の名作の中で、イタリア人の生活スタイルを作り出したと言っても過言では無い名監督:グイド(ダニエル・デイ=ルイス)。
しかし彼は悩んでいた。
巨額の制作費が費やされる次回作のインスピレーションが、一つも沸いてこない。
焦るグイドの思いもむなしく、何一つ形に出来ないまま、クランク・インは刻一刻と迫っていき・・・
▼▼▼▼▼▼
”ミュージカル映画における”ミュージカル作りにあたって、このロブ・マーシャルに勝てる人は、現在いないのではないかと思う。
そう思う僕は、まず本作のミュージカルシーンについて語っていこうかと思う。
●『Overture Delle Donne』
まずこの作品は、オープニングで絶頂を迎える。
悩むグイドの前にクラウディア(ニコール・キッドマン)が現れキスをする。それを始まりとし、本作に登場する女達が一堂に揃っていくこの豪華絢爛な数分間は、恐らく二度と観られないだろうと思う。
ここで絶頂を迎えていいかはわからないが、とにかく迎えてしまう。
感極まって、いきなり泣いてしまった。
これはどう転んでも傑作だと確信した。
ここで「釣りはいらねぇ」と、2000円置いて帰っても良かった。
●『Be Italian』 - サラギーナ(ファーギー)
オープニングを抜かしたとして、本作で一番見ごたえのあるミュージカルシーンは、ファーギー扮するサラギーナの歌うこの『Be Italian』であると思う。サラギーナの元へ向かうグイド(幼少)一向の画の撮り方は、本家『8 1/2』を意識したであろう撮り方で、それだけで嬉しかった。
サラギーナのセクシーダンスに徐々にミュージカルシーンを被せていき、こちらの興奮を高めていく。
そして画面は白黒から、攻撃的で情熱的な赤へと一転する。
最初はスローテンポで、カメラもゆっくり動いていき、セットの素晴らしさに陶酔させられる。
また、これでもかと配置された大人数が一糸乱れず同じ動きをする様は、この人たちシンクロにでたら金メダル取れるだろうなとバカな考えを起こす余地を与えず、ただただ美事というしかない。
タンバリンを取り出し、曲調がテンポアップしたところから、更にテンションは上がる。
このままいくと高血圧で死ぬのではないかと思わせる。
最高潮を迎えるのが、横一列に並ぶ一同を引きで捉えるダイナミックな画。
このときばかりは流石に、叫ぶかと思った。
圧巻だ。
そして曲締め。
我を忘れ拍手しそうになったが、ちょっとこらえた。雰囲気がそうさせない。
ここが日本の映画館の良くないところだ。
ロブ・マーシャル、あなた一体何者だ。
もしかして生活の半分は、スクリーンでいかにミュージカルを魅せるかを考えているのではないのか?
ここでも「釣りはいらねぇ」と、2000円置いて帰っても良かった。
●『Cinema Italiano』 - ステファニー(ケイト・ハドソン)
海外評価の一部では、「PVじゃん」と一蹴されてしまった本パート。そういわれると、そうなんだ。
(見方を変えると、こんなPVがあったら最高レベルだと思うが)
しかし、僕は大好きだった。
確かに『Be Italian』の迫力に比べれば数段落ちてしまうが、ケイト・ハドソンがその表情・動きに一点の曇りも見せずノリノリで踊る様は、観ていてとても気持ちが良い。
それだけでいいではないか。
●『Take It All』 - ルイザ(マリオン・コティヤール)
このパートは、マリオン・コティヤールがひたすら脱いでいくというパートだ。ゾクゾクした。
そのエロティック加減に・・・ではない。
先のケイト・ハドソンと言う事は被るのだが、マリオンがこれを、物怖じせず真剣にやっている・・・ということにである。
エロさを通り越して、もはやかっこいい。
マリオンが観客を足蹴にするその様。素晴らしかった。
▼▼▼▼▼▼
さて、映画としてみた時。
この作品は、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』を原作としている。
正確に言うとその舞台版『NINE』の映画化である。
『8 1/2』は、映画製作に対する監督の苦悩を静寂と共に描いていく。
こちらは「あれが難しい、これが難しい」と言葉にするでなく、フワフワとした抽象的なイメージを観客に見せていく。
対して本作は、その苦悩をはっきりと言葉にし、歌という叫びにして提供する。
なので、原作よりもかなり”分かり易い”作品になっていると思った。
はっきりしすぎている感じも受けるが、映画と言うものに対してグイドの発する一言一言は、こちらをハッとさせるものがあった。
(特にクラウディアとの会話のくだり。日本映画に言えることが多かったなぁ)
弱点が無いわけでもない。
冒頭で紹介したとおり、本作はメイン・キャストが多い。
各人のミュージカルシーンは素晴らしいのだが、使い捨てっぷりが目立つ。
出てきて歌って、出てきて歌って。ある意味贅沢だけれど。
思い返せば、ミュージカルシーンを除いて考えるとしっかりと筋の通った物語なのだけれど、『シカゴ』の時に魅せた、ミュージカルシーンと本編との絶妙な絡ませ方というのが発揮されず、散漫になってしまった感は否めない。
また、ラストが弱かった。
あのオールキャストは、オープニングで観てしまった為、どうしてもインパクトにかける。
原作が原作だけに、ド派手に終わらせるということは無理なのかもしれないが、『シカゴ』でロブ・マーシャルのポテンシャルを見ているだけに、そういうことが出来そうな気がしてならないのだ。
▼▼▼▼▼▼
が。
やはり総じて、大好きな作品だ。
確かに弱点はあるが、僕は、ある一つのことに特化した・・・というより、ある一つのことに全力を注いだ作品が大好きだ。
そういう作品はやはり、印象に残るし、後々見返したくなる。
先にも書いたように、”ミュージカル映画における”ミュージカル作りにあたって、このロブ・マーシャルに勝てる人は、現在いないのではないかと思う。
もちろんこれは、僕の勝手な思い込みである。
彼のミュージカルパートの作り方として好きなところは、あくまでも”ステージ”に拘ること。
昨年公開された『マンマミーア!』がいまいちノリきれなかったとき、ミュージカルの何が人々を興奮させるか・・・ということを考えた。
今のところ落ち着いている結論として。
ミュージカルは、あの小さなステージ、制限された空間の中に、今にも爆発しそうな、抑え切れない出演者達のエネルギーが滾っていいる。
そして逃げ場を失ったエネルギーは、客席へと伝わっていく。
それが観客の拍手を誘う。
これが屋外だと、そうは行かないと思う。エネルギーの逃げ場があるからだ。
『マンマミーア』は綺麗な島国の風景と共に楽曲を提供するが、終盤のメリル・ストリープのバラードで若干注意散漫になったのは、そういう理由があるからではないかと思う。
やはり屋内の、限られた空間と言うものが、ミュージカルには不可欠なのだと。
その点、例え本編との繋ぎ方が無理やりであろうがどうだろうが、、ロブ・マーシャルは舞台に拘る。
その結果、本物のミュージカルに劣らないエネルギッシュなパートが生まれているように感じる。
『Be Italian』の、一同が横一列にズラっと並ぶ画の、視界に”収まりきらない”感じは、「これぞミュージカルだ!」と言える。
そこに、映画の特権であるカメラワークを加え、これでもか!と魅せる。
ボブ・フォッシーを永遠の師匠に持つロブ・マーシャルにしかできない芸当だと思う。
また、繰り返すようだが、この作品は観ていてとても気持ちがいい。
ロブ・マーシャルの「俺はこういうミュージカルシーンが撮りたいんだ!」という要求に対し、女優が恥ずかしげもなく物怖じもせず全力投球する。
これらが混ざり合い、極上のシーンが生まれる。
確かに、ペネロペのパートを始め、本作のミュージカルシーンはかなりエロティックではある。
これを大絶賛するようなら、一部の女子から反感を買うこと請け合いである。
しかし僕は、エロさを感じる前にまずカッコイイと思った。
監督、スタッフ、キャストが全力で打ち込んでる様は、やはりカッコイイ。
▼▼▼▼▼▼
ペネロペ・クルスがエロくて。
ジュディ・デンチのノリノリ具合が楽しくて。
ケイト・ハドソンの踊りが潔くて。
ファーギーの歌声に圧倒され。
ニコール・キッドマンの美しさを再認識し。
年をとってもまだまだ元気そうなソフィア・ローレンを拝むことができ。
マリオン・コティヤールの演技にゾクゾクして。
やさぐれたダニエル・デイ=ルイスは最高にシブくてカッコよかった。
そしてそれらを引き出したロブ・マーシャル。
これ以上何を望みますか?
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長いですね、今回の記事も。
本編見るより疲れました。
2010年3月22日月曜日
梅太@ 劇場:映画祭『桃まつり presents うそ』 - 弐のうそ の感想
この記事は 勉強させていただきました!・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
3/18に、現在渋谷ユーロスペースにて開催中の『桃まつり』(弐のうそ)にいってきました。
桃まつりといっても、どこぞの国の祭みたいに、街中でトマトをぶつけ合うようなものではありません。
コチラの記事で紹介していますが、再度簡単に説明をしますと、「女性監督にもっと活躍の場を!」をコンセプトに、若手女性監督が自身の短編を持ち寄り、数週間にわたって上映するというものです。
このお祭りは、個々の作品の毛色は全然違いますが、作品のコンセプトは受け手にしっかり伝わってきます。
そして一見バラバラな11作品を、お祭りの表題「うそ」の2文字が、巧く繋げているようにも感じました。
それに基づき、以下、僕が鑑賞した3作品を、僕なりのコンセプトに沿って纏めたいと思います。
-----------------------------
幕開けから、今日は来てよかったなと思いました。
本作のヒロインと不倫相手のちょっとしたラブシーン(?)からこの作品は始まりますが、その艶かしさに惚れてしまった。
皮膚がこすれあう音、舌使いの音等、音の録り方が素晴らしかった。
舞台挨拶で監督は「しっとりとしたものを撮りたかった」と言っていましたが、その有言実行具合に拍手を送りたかった。
ヒロインと不倫相手の男、どちらがどのような嘘をついているのか、物語が進むにつれて徐々に明かされていく運び方も良かったですが、”はっきりと言葉にしない”のも、良かったと思います。
「目は口ほどにモノを言う」ではないですが、ヒロインの表情、男の表情、そして作品全体を包むしっとりとした雰囲気が、二人の関係性、それぞれが持つ葛藤を「台詞」というもの以上に雄弁に語っていたと思います。
そのあたり、ソフィア・コッポラの作品に似ているようにも感じました。
言えばいい・・・というものでもない。
「映画」というものならではの語り方であったと思います。
また、第三の登場人物である言語障害の青年の存在も素晴らしかったと思います。
彼は、時に男から、時にヒロインから、それぞれの胸の内を聞かされます。
しかし言葉を発せないので、助言するわけでなく、非難するわけで無く、唯聞くだけ。
彼の存在は、スクリーンの中で起こっていることに一切介入できない、映画を観に来ている”観客”に似ていると思います。
それでもやはり、彼はスクリーンの中の存在。
彼は、主人公達に「何か」をすることができる。
「あなたは私たち観客の代わりに、彼らに何をしてあげるの?」
カップルの行く末と、青年の行動。
最後までドキドキできた作品でした。
多分、『僕らのミライへ逆回転』の劇中で、主人公達が撮影していた自主制作映画は、こういう作品であっただろうなぁと思います。
監督のやりたい事が伝わってくる作品は、僕は大好きです。
あとヴァンパイアとか好きですので。
ヴァンパイアっぽい要素である月、血、十字架は勿論、細かいところで犬の鳴き声をしっかり登場させたり、本屋でオカルトブックを漁るシーンは笑いを誘いました。
(しかしあの本で、どんな知識を得たのか、ぜひとも知りたいところではありますね)
中でも一番良かったのは、ベッドの上を鎖が這うシーン。
「あぁ、こういうのやりたかったのだろうなぁ」というのが、わかりすぎるくらい伝わってきました。
ラスト、「子供は死なないだろう」という最近のジンクスを破ってきたあたりもいいです。
ボリス・カーロフの『フランケンシュタイン』みたいで。
「いいです」とは、若干人間性を疑われる発言かもしれませんが。
でも”怪物”の前では、子供も大人も関係ない。
当たり前かもしれませんが、そんなことに気付かされました。
この作品で一番拍手を送りたくなったシーンは、ヴァンパイア化したアベコが、歩道橋から飛び降りるシーンでした。
歩道橋から飛び降りようとするモーションを捉え、
落下中のポーズを捉え、
着地した足を捉える。
実際に飛び降りているわけではありませんが、これらの3カットをうまくつなげると、本当に飛び降りているように見えてしまう。
映画が編集の芸術と言われるのはそういうところで、”工夫”次第で、監督の意図する映像をいくらでも撮ることができる。CGに頼らなくても。
『弐のうそ』で上映された三作品の中では、ヴァンパイアを題材としているだけにかなり異色な作品であったとは思いますが、限られた条件の中で、自分のやりたい事をやるにはどうしたらいいのか・・・という監督の工夫が随所に見られ、とても好感が持てました。
映画作りとは、全てはそこから始まるのだと思います。
多分。
自分で作ったことは無いけれど。多分そう。
1,2世代くらい前の作品を観ているようで、それも楽しめました。
意図したのかしていないのか・・・?
●『愚か者は誰だ』 - 要素と構成の美事さ
野村宏伸の呆けた表情の後に『愚か者は誰だ』と、バーンと登場させるラストは、昨年公開された『スペル』を彷彿とさせました。
これまで語ってきた約30分が、この一瞬で全て繋がる様は快感でした。
この作品で描きたいことは何か。
どうやってオトせば、絶大なインパクトをもって、それを観客に伝えられるか。
そしてそれを、”映画として”どうやって表現するか。
きっと試行錯誤したのだろうと思います。
またそのオチを裏付ける役者さんも美事でした。
「出演各人に様々な人間の性質を浮き彫りにする」
と舞台挨拶で言っておられましたが、ズバリなキャスティングで、特にヒロインが絶妙でした。
特別美人というわけではないですが(かなり失礼)、男を虜にしてしまう女性、いますよね。
あんな状況に立たされたら、抗えるかなぁ、僕。
動くと魅力的に見える、これぞ女優。という感じで、良かったです。
▼▼▼▼▼▼
以下、映画祭の総括。
といっても全作品を観たわけではありませんが、そこはご了承ください。
男の作品と女性の作品は、ストーリー云々より前に、人物像の描き方がやはり違うと思いました。
ロマンス映画なんてその最たるもので、男性が描くロマンスは”ロマンティック”という言葉がよく似合います。ある意味女性を神聖化している面もあるかもしれません。
しかし女性監督のロマンスに登場するヒロインは、等身大な人物に見えてきます。
また、『愚か者は誰だ』で出てくる「一人の男に一人の女って、誰が決めたのよ?」という台詞は、女性監督でないと出てこないと思います。
男と言うのは、独占欲が強い生き物ですからね。
さて、この映画祭に顔を出すのは初めてとなるわけですが、若手”女性”監督の作品を集めるというのは面白い試みだと思います。
最近は、僕の大好きなソフィア・コッポラ、素敵な時間を提供してくれるナンシー・マイヤーズ、そしてアカデミー賞で史上初の女性監督賞受賞を果たした『ハート・ロッカー』のキャスリン・ビグロー等、女性監督の活躍も目が離せないものとなってきましたしね。
この映画祭に作品を寄せた監督(もちろんスタッフも)の、今後の活躍には目が離せません!
-----------------------------
終わりに。
『Bar NOI』で加藤監督に誘われるまで存在を知らなかったこの映画祭ですが、誘われるまま恐る恐る行って見ると、他の映画祭では味わえないであろう体験をさせてもらえました。
感謝感謝です。
加藤監督、ありがとうございます。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
3/18に、現在渋谷ユーロスペースにて開催中の『桃まつり』(弐のうそ)にいってきました。
桃まつりといっても、どこぞの国の祭みたいに、街中でトマトをぶつけ合うようなものではありません。
コチラの記事で紹介していますが、再度簡単に説明をしますと、「女性監督にもっと活躍の場を!」をコンセプトに、若手女性監督が自身の短編を持ち寄り、数週間にわたって上映するというものです。
このお祭りは、個々の作品の毛色は全然違いますが、作品のコンセプトは受け手にしっかり伝わってきます。
そして一見バラバラな11作品を、お祭りの表題「うそ」の2文字が、巧く繋げているようにも感じました。
それに基づき、以下、僕が鑑賞した3作品を、僕なりのコンセプトに沿って纏めたいと思います。
-----------------------------
●『きみをよんでるよ』 - 映像に詩を乗せる
幕開けから、今日は来てよかったなと思いました。
本作のヒロインと不倫相手のちょっとしたラブシーン(?)からこの作品は始まりますが、その艶かしさに惚れてしまった。
皮膚がこすれあう音、舌使いの音等、音の録り方が素晴らしかった。
舞台挨拶で監督は「しっとりとしたものを撮りたかった」と言っていましたが、その有言実行具合に拍手を送りたかった。
ヒロインと不倫相手の男、どちらがどのような嘘をついているのか、物語が進むにつれて徐々に明かされていく運び方も良かったですが、”はっきりと言葉にしない”のも、良かったと思います。
「目は口ほどにモノを言う」ではないですが、ヒロインの表情、男の表情、そして作品全体を包むしっとりとした雰囲気が、二人の関係性、それぞれが持つ葛藤を「台詞」というもの以上に雄弁に語っていたと思います。
そのあたり、ソフィア・コッポラの作品に似ているようにも感じました。
言えばいい・・・というものでもない。
「映画」というものならではの語り方であったと思います。
また、第三の登場人物である言語障害の青年の存在も素晴らしかったと思います。
彼は、時に男から、時にヒロインから、それぞれの胸の内を聞かされます。
しかし言葉を発せないので、助言するわけでなく、非難するわけで無く、唯聞くだけ。
彼の存在は、スクリーンの中で起こっていることに一切介入できない、映画を観に来ている”観客”に似ていると思います。
それでもやはり、彼はスクリーンの中の存在。
彼は、主人公達に「何か」をすることができる。
「あなたは私たち観客の代わりに、彼らに何をしてあげるの?」
カップルの行く末と、青年の行動。
最後までドキドキできた作品でした。
●『FALLING』 - 映画は”編集”の芸術
多分、『僕らのミライへ逆回転』の劇中で、主人公達が撮影していた自主制作映画は、こういう作品であっただろうなぁと思います。
監督のやりたい事が伝わってくる作品は、僕は大好きです。
あとヴァンパイアとか好きですので。
ヴァンパイアっぽい要素である月、血、十字架は勿論、細かいところで犬の鳴き声をしっかり登場させたり、本屋でオカルトブックを漁るシーンは笑いを誘いました。
(しかしあの本で、どんな知識を得たのか、ぜひとも知りたいところではありますね)
中でも一番良かったのは、ベッドの上を鎖が這うシーン。
「あぁ、こういうのやりたかったのだろうなぁ」というのが、わかりすぎるくらい伝わってきました。
ラスト、「子供は死なないだろう」という最近のジンクスを破ってきたあたりもいいです。
ボリス・カーロフの『フランケンシュタイン』みたいで。
「いいです」とは、若干人間性を疑われる発言かもしれませんが。
でも”怪物”の前では、子供も大人も関係ない。
当たり前かもしれませんが、そんなことに気付かされました。
この作品で一番拍手を送りたくなったシーンは、ヴァンパイア化したアベコが、歩道橋から飛び降りるシーンでした。
歩道橋から飛び降りようとするモーションを捉え、
落下中のポーズを捉え、
着地した足を捉える。
実際に飛び降りているわけではありませんが、これらの3カットをうまくつなげると、本当に飛び降りているように見えてしまう。
映画が編集の芸術と言われるのはそういうところで、”工夫”次第で、監督の意図する映像をいくらでも撮ることができる。CGに頼らなくても。
『弐のうそ』で上映された三作品の中では、ヴァンパイアを題材としているだけにかなり異色な作品であったとは思いますが、限られた条件の中で、自分のやりたい事をやるにはどうしたらいいのか・・・という監督の工夫が随所に見られ、とても好感が持てました。
映画作りとは、全てはそこから始まるのだと思います。
多分。
自分で作ったことは無いけれど。多分そう。
1,2世代くらい前の作品を観ているようで、それも楽しめました。
意図したのかしていないのか・・・?
●『愚か者は誰だ』 - 要素と構成の美事さ
野村宏伸の呆けた表情の後に『愚か者は誰だ』と、バーンと登場させるラストは、昨年公開された『スペル』を彷彿とさせました。
これまで語ってきた約30分が、この一瞬で全て繋がる様は快感でした。
この作品で描きたいことは何か。
どうやってオトせば、絶大なインパクトをもって、それを観客に伝えられるか。
そしてそれを、”映画として”どうやって表現するか。
きっと試行錯誤したのだろうと思います。
またそのオチを裏付ける役者さんも美事でした。
「出演各人に様々な人間の性質を浮き彫りにする」
と舞台挨拶で言っておられましたが、ズバリなキャスティングで、特にヒロインが絶妙でした。
特別美人というわけではないですが(かなり失礼)、男を虜にしてしまう女性、いますよね。
あんな状況に立たされたら、抗えるかなぁ、僕。
動くと魅力的に見える、これぞ女優。という感じで、良かったです。
▼▼▼▼▼▼
以下、映画祭の総括。
といっても全作品を観たわけではありませんが、そこはご了承ください。
男の作品と女性の作品は、ストーリー云々より前に、人物像の描き方がやはり違うと思いました。
ロマンス映画なんてその最たるもので、男性が描くロマンスは”ロマンティック”という言葉がよく似合います。ある意味女性を神聖化している面もあるかもしれません。
しかし女性監督のロマンスに登場するヒロインは、等身大な人物に見えてきます。
また、『愚か者は誰だ』で出てくる「一人の男に一人の女って、誰が決めたのよ?」という台詞は、女性監督でないと出てこないと思います。
男と言うのは、独占欲が強い生き物ですからね。
さて、この映画祭に顔を出すのは初めてとなるわけですが、若手”女性”監督の作品を集めるというのは面白い試みだと思います。
最近は、僕の大好きなソフィア・コッポラ、素敵な時間を提供してくれるナンシー・マイヤーズ、そしてアカデミー賞で史上初の女性監督賞受賞を果たした『ハート・ロッカー』のキャスリン・ビグロー等、女性監督の活躍も目が離せないものとなってきましたしね。
この映画祭に作品を寄せた監督(もちろんスタッフも)の、今後の活躍には目が離せません!
-----------------------------
終わりに。
『Bar NOI』で加藤監督に誘われるまで存在を知らなかったこの映画祭ですが、誘われるまま恐る恐る行って見ると、他の映画祭では味わえないであろう体験をさせてもらえました。
感謝感謝です。
加藤監督、ありがとうございます。
2010年3月14日日曜日
Blogtitle更新:『coraline』
タイトル部画像、更新しました。
今回のネタ元は、2010年2月に公開されたストップモーションアニメの傑作『コララインとボタンの魔女』です。
この作品は、プロモーションで、アルファベッドA~Zにあわせ、劇中の登場人物を紹介するというポスターが作成されました。
そのアルファベッドを繋ぎ、『WE LOVE CINEMA』にしてみました。
”E”が3回登場するのですが、そこはちょっと勘弁してください。
見終わった瞬間、「狂ってる・・・」と誰もが思える作品です。
まだ公開しているので、是非とも観にいってください。
できれば字幕版でどうぞ。
劇場は少ないですけれど・・・
2010年3月13日土曜日
梅太@ 劇場:『プリンセスと魔法のキス』
この記事は 幸せをありがとう・・・と言いたい 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
●星に願う時代は終わった:『プリンセスと魔法のキス』
監督はジョン・マスカー、ロン・クレメンツ。
声の出演でアニカ・ノニ・ローズ、ブルーノ・カンボス他。
ディズニーが久々に、手描きアニメで観客に夢を与えた。
僕はといえば、もう、号泣でした。
ディズニー・プリンセスを観て号泣するなんて、いよいよ変態じみてきたけれど、とってもとっても素敵な作品でしたので、もう泣くしかなかった。
-----------------------------
ストーリーは。
父と一緒にレストランを開く夢を持つティアナ。
幼い頃、母からは、グリム童話『カエルと王女』をよく読み聞かされていた。
時は流れ、父は他界。
それでも彼女は諦めず、いつかお店を開くために、いくつかの仕事を掛け持ちしながら地道にお金を溜める。
ある日、幼馴染のパーティーで給仕役を頼まれる。
依頼料で受け取ったお金と、これまでの貯金を足せば、いよいよお店が持てる。
意気揚々とパーティーへ出席したティアナだが、目をつけていた土地の管理人から「他に買い手がいるから・・・」と告げられ、意気消沈。
空を見上げると、子供の頃によく願い事をした、キラキラ輝く星が浮かんでいた。
「お願い、お願い、お願い・・・・」、バカけているとは思っても、願わずにはいられない。
そこに、一匹のカエルが現れた。
「こんな、御伽噺みたいな展開が?」
そして、カエルとティアナはキスをする。
それが騒動の全ての始まりで・・・・
▼▼▼▼▼▼
恐らく、子供の頃と今と、アニメに対しての楽しみ方は違うと思う。
でも変わらずワクワクしてしまう。
アニメとは、何故にこんなに人を楽しませるのか。
ディズニーとは、何故にこんなに人を幸せに出来るのか。
子供の気持ちに帰って感想を書きたいところではあるけれど、悲しいかなそれはもう無理なので、変態になった大人の視線で書きたいと思う。
▼▼▼▼▼▼
僕は開始数分で、これはすごい、と思った。
この作品はディズニーにとっては久しぶりの手描きアニメ映画となったわけで、宣伝でも勿論そこを売りにしていた。
でも、”ただ”の手描きなら、時間をかければどこでも作れる。
そこは他とは一線を引いた”ディズニー”の手描きでなければ、ディズニー2Dアニメの完全復古とは言えない筈だ。
どうなんだろうな、その辺。
・・・・という気持ちで望んだが、美事にノックアウトされた。
4年ほど前だろうか、東京現代美術館にて『ディズニー・アート展』なるものが開催された。
原画が見れたり等、ファンにとっては涎ものの展示がずらりとあったわけであるが、僕がことさら興味を惹かれたのは、「アニメーションの製作過程」であった。
アニメは、現実の法則を一切無視しても構わないツールだと、僕は思う。
特にディズニーが描いていたフェアリーテイルというジャンルは、魔法あり、妖精あり、涙あり(これは違うか)、なんでもござれである。
ストーリーラインという面で非現実的なものを描きつつも、ディズニーが拘ったのは、人物の動き(骨格から研究)、服の動き、風景の遠近という、とても現実的な要素であったとか。
その真意はわからないが、僕は「アニメでこんなこともできるんだよ」と、言いたかったのではないかなと思う。
ディズニーのアニメをつぶさに観察すると確かに、驚きがあり、感動を生む。
誰かが手で描いた絵が動くというだけで、こんなにも感動できる。
アニメとはすごいものである。
閑話休題。
オープニングは、夜空にきらめく星から、ティアナと幼馴染が、ティアナの母から『カエルと王女』を読んでもらっている部屋へと移っていく。
この時、驚いた。
画面手前においてある椅子(?)と、カメラワークの関係。
これは、ディズニーのクラシックアニメそのままではないか。
本作の製作人たちは、本当に、”原点に立ち戻ろう”としたのだな。
そう確信した。
それは何も、技術的な面だけではない。
”手で描いた絵が動く”という、ただそれだけの感動。
アニメーションと言うものがまだ普及していない時代、ウォルトが人々に与えた驚き。
それはいったいなんだったのだろう・・・ということを再認識して、あえてCG全盛期のこの時代に、こういう作品に挑んだのだと思う。
「すげぇ」と、多分呟いていたと思う。
このシーンだけでも、スタッフ達の熱意が十分に伝わってきて、拍手を送りたくなってしまった。
以後、ウォルト・ディズニーが作り上げた技術を受け継ぎつつ、新しい挑戦も沢山しているが、”ディズニー”の世界観はまったく持って壊さない。
往年のファンから新しいファンまで、誰もが楽しめる映像となっていた。
これこそまさに、温故知新。
▼▼▼▼▼▼
物語面。
面白いのが、御伽噺に憧れているのは、主人公ティアナではなく、その幼馴染であるという点。
勿論ティアナも、「星にお願いをすると夢が叶う」というのを幼少の頃は信じていた。
しかし父の「星に願うのもいいけれど、君の努力が大切なんだ」という教え・・・の特に後半は、ティアナの成長過程で、彼女の考え方の核をなしていた。
「願ったってしょうがないでしょ、働いて働いて、お金を溜めないと、私の夢は実現しないの」
という、とっても現実的な考え方をもった大人に、ティアナは成長していた。
アンチ・フェアリーテイル。
これまでの、”王子様との出会いをひたすら待つ”プリンセスとはかなり違う主人公だ。
これは『魔法にかけられて』以降に見られる描き方である。(と、思う)
もしかしたらディズニーは、今は、
「昔々あるところに(once upon a time)」から始まり、
夢見る少女を描きつつ、
「めでたしめでたし(happily ever after)」で終わる。
そんな”純粋”な御伽噺を語る時代ではない・・・と、思っているのかもしれない。
それでも、『魔法にかけられて』も本作も、昔と変わらない楽しさがあった。
「昔々あるところに(once upon a time)」では始まらない。
主人公は夢見るだけの少女ではない。
それでもやはり、「めでたしめでたし(happilyever after)」で終わらせる。
描き方を変えたとしても、「人々を童心に帰し、夢を与える」というディズニーの根源は変わってないのだな。
そう思うと、何だかそれだけで嬉しくなった。
▼▼▼▼▼▼
さて、「クラシック」とか「往年の技術」とか散々騒ぎ立てましたが、僕は別に、懐古主義というわけではない。
新しい事はどんどん取り入れていけばいいと思うし、何より、新しい事をしないと生き残れない時代でもある。
でも、変化と進化は違う。
ウォルトが打ち立てた思想をしっかりと受け継ぎ、”今”にあわせて”進化”しつつ、人々に、いつも変わらず驚きと感動と、何より夢を与え続ける。
ディズニーが今なお世界中の人に愛されるのは、こういう姿勢があるからだと僕は思う。
上映が終わり、幕が閉じた瞬間、僕は、控えめではあるけれど拍手をした。
作品自体の素晴らしさ、スタッフの熱意と労力に対して。
本当にどうもありがとう。
-----------------------------
心の底から楽しめた作品。
是非とも多くの人に観てほしい。
2010年になり3ヶ月経ちましたが、一番人にオススメしたい作品はこれです。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
●星に願う時代は終わった:『プリンセスと魔法のキス』
監督はジョン・マスカー、ロン・クレメンツ。
声の出演でアニカ・ノニ・ローズ、ブルーノ・カンボス他。
ディズニーが久々に、手描きアニメで観客に夢を与えた。
僕はといえば、もう、号泣でした。
ディズニー・プリンセスを観て号泣するなんて、いよいよ変態じみてきたけれど、とってもとっても素敵な作品でしたので、もう泣くしかなかった。
-----------------------------
ストーリーは。
父と一緒にレストランを開く夢を持つティアナ。
幼い頃、母からは、グリム童話『カエルと王女』をよく読み聞かされていた。
時は流れ、父は他界。
それでも彼女は諦めず、いつかお店を開くために、いくつかの仕事を掛け持ちしながら地道にお金を溜める。
ある日、幼馴染のパーティーで給仕役を頼まれる。
依頼料で受け取ったお金と、これまでの貯金を足せば、いよいよお店が持てる。
意気揚々とパーティーへ出席したティアナだが、目をつけていた土地の管理人から「他に買い手がいるから・・・」と告げられ、意気消沈。
空を見上げると、子供の頃によく願い事をした、キラキラ輝く星が浮かんでいた。
「お願い、お願い、お願い・・・・」、バカけているとは思っても、願わずにはいられない。
そこに、一匹のカエルが現れた。
「こんな、御伽噺みたいな展開が?」
そして、カエルとティアナはキスをする。
それが騒動の全ての始まりで・・・・
▼▼▼▼▼▼
恐らく、子供の頃と今と、アニメに対しての楽しみ方は違うと思う。
でも変わらずワクワクしてしまう。
アニメとは、何故にこんなに人を楽しませるのか。
ディズニーとは、何故にこんなに人を幸せに出来るのか。
子供の気持ちに帰って感想を書きたいところではあるけれど、悲しいかなそれはもう無理なので、変態になった大人の視線で書きたいと思う。
▼▼▼▼▼▼
僕は開始数分で、これはすごい、と思った。
この作品はディズニーにとっては久しぶりの手描きアニメ映画となったわけで、宣伝でも勿論そこを売りにしていた。
でも、”ただ”の手描きなら、時間をかければどこでも作れる。
そこは他とは一線を引いた”ディズニー”の手描きでなければ、ディズニー2Dアニメの完全復古とは言えない筈だ。
どうなんだろうな、その辺。
・・・・という気持ちで望んだが、美事にノックアウトされた。
4年ほど前だろうか、東京現代美術館にて『ディズニー・アート展』なるものが開催された。
原画が見れたり等、ファンにとっては涎ものの展示がずらりとあったわけであるが、僕がことさら興味を惹かれたのは、「アニメーションの製作過程」であった。
アニメは、現実の法則を一切無視しても構わないツールだと、僕は思う。
特にディズニーが描いていたフェアリーテイルというジャンルは、魔法あり、妖精あり、涙あり(これは違うか)、なんでもござれである。
ストーリーラインという面で非現実的なものを描きつつも、ディズニーが拘ったのは、人物の動き(骨格から研究)、服の動き、風景の遠近という、とても現実的な要素であったとか。
その真意はわからないが、僕は「アニメでこんなこともできるんだよ」と、言いたかったのではないかなと思う。
ディズニーのアニメをつぶさに観察すると確かに、驚きがあり、感動を生む。
誰かが手で描いた絵が動くというだけで、こんなにも感動できる。
アニメとはすごいものである。
閑話休題。
オープニングは、夜空にきらめく星から、ティアナと幼馴染が、ティアナの母から『カエルと王女』を読んでもらっている部屋へと移っていく。
この時、驚いた。
画面手前においてある椅子(?)と、カメラワークの関係。
これは、ディズニーのクラシックアニメそのままではないか。
本作の製作人たちは、本当に、”原点に立ち戻ろう”としたのだな。
そう確信した。
それは何も、技術的な面だけではない。
”手で描いた絵が動く”という、ただそれだけの感動。
アニメーションと言うものがまだ普及していない時代、ウォルトが人々に与えた驚き。
それはいったいなんだったのだろう・・・ということを再認識して、あえてCG全盛期のこの時代に、こういう作品に挑んだのだと思う。
「すげぇ」と、多分呟いていたと思う。
このシーンだけでも、スタッフ達の熱意が十分に伝わってきて、拍手を送りたくなってしまった。
以後、ウォルト・ディズニーが作り上げた技術を受け継ぎつつ、新しい挑戦も沢山しているが、”ディズニー”の世界観はまったく持って壊さない。
往年のファンから新しいファンまで、誰もが楽しめる映像となっていた。
これこそまさに、温故知新。
▼▼▼▼▼▼
物語面。
面白いのが、御伽噺に憧れているのは、主人公ティアナではなく、その幼馴染であるという点。
勿論ティアナも、「星にお願いをすると夢が叶う」というのを幼少の頃は信じていた。
しかし父の「星に願うのもいいけれど、君の努力が大切なんだ」という教え・・・の特に後半は、ティアナの成長過程で、彼女の考え方の核をなしていた。
「願ったってしょうがないでしょ、働いて働いて、お金を溜めないと、私の夢は実現しないの」
という、とっても現実的な考え方をもった大人に、ティアナは成長していた。
アンチ・フェアリーテイル。
これまでの、”王子様との出会いをひたすら待つ”プリンセスとはかなり違う主人公だ。
これは『魔法にかけられて』以降に見られる描き方である。(と、思う)
もしかしたらディズニーは、今は、
「昔々あるところに(once upon a time)」から始まり、
夢見る少女を描きつつ、
「めでたしめでたし(happily ever after)」で終わる。
そんな”純粋”な御伽噺を語る時代ではない・・・と、思っているのかもしれない。
それでも、『魔法にかけられて』も本作も、昔と変わらない楽しさがあった。
「昔々あるところに(once upon a time)」では始まらない。
主人公は夢見るだけの少女ではない。
それでもやはり、「めでたしめでたし(happily
描き方を変えたとしても、「人々を童心に帰し、夢を与える」というディズニーの根源は変わってないのだな。
そう思うと、何だかそれだけで嬉しくなった。
▼▼▼▼▼▼
さて、「クラシック」とか「往年の技術」とか散々騒ぎ立てましたが、僕は別に、懐古主義というわけではない。
新しい事はどんどん取り入れていけばいいと思うし、何より、新しい事をしないと生き残れない時代でもある。
でも、変化と進化は違う。
ウォルトが打ち立てた思想をしっかりと受け継ぎ、”今”にあわせて”進化”しつつ、人々に、いつも変わらず驚きと感動と、何より夢を与え続ける。
ディズニーが今なお世界中の人に愛されるのは、こういう姿勢があるからだと僕は思う。
上映が終わり、幕が閉じた瞬間、僕は、控えめではあるけれど拍手をした。
作品自体の素晴らしさ、スタッフの熱意と労力に対して。
本当にどうもありがとう。
-----------------------------
心の底から楽しめた作品。
是非とも多くの人に観てほしい。
2010年になり3ヶ月経ちましたが、一番人にオススメしたい作品はこれです。
2010年3月9日火曜日
梅太@ 予告編:『IRON MAN 2』その2
この記事は もうお腹一杯・・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
昨日はアカデミー賞授賞式でした。
しかしその裏で、授賞式よりも遥かに激しく熱く燃え上がる出来事がありました。
先日コチラでご紹介した、男なら確実に泣く映画:『IRON-MAN2』の、第二弾予告編が公開されました!
早速ご覧ください。
↓↓↓予告編↓↓↓
燃える!!
これはもう既に大傑作の予感ですよ。
何なんですかね、このかっこよさ。
ガチャガチャとメカが動くだけで、男の子はなぜにこんなに震え上がるのか。
そう、それは男だからさ!
ちょっとケチつけるなら、編集の仕方が『トランスフォーマー:リベンジ』の予告編に一部似てる気もしますがそんなことはどうでもいいのです。
ラジー賞を美事に受賞した作品は置いておきましょう。
いや、あの作品も大好きですけどね。
敵その1:スカヨハ。赤毛がよく似合います。
こんな素晴らしい画も観れるみたいだ!
さて、今回の予告編の一番の見所は、ラストです。
この箱は何でしょう。
そう、これは男が燃えるための道具さ!
発狂しそうになったよ、僕。
泣きたい人は是非とも予告編を。
アメリカで2010年5月。
日本では一ヶ月遅れて6月です。
上半期のトリを涙で飾ってくれるに違いない!
待ちきれない!
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
昨日はアカデミー賞授賞式でした。
しかしその裏で、授賞式よりも遥かに激しく熱く燃え上がる出来事がありました。
先日コチラでご紹介した、男なら確実に泣く映画:『IRON-MAN2』の、第二弾予告編が公開されました!
早速ご覧ください。
↓↓↓予告編↓↓↓
燃える!!
これはもう既に大傑作の予感ですよ。
何なんですかね、このかっこよさ。
ガチャガチャとメカが動くだけで、男の子はなぜにこんなに震え上がるのか。
そう、それは男だからさ!
ちょっとケチつけるなら、編集の仕方が『トランスフォーマー:リベンジ』の予告編に一部似てる気もしますがそんなことはどうでもいいのです。
ラジー賞を美事に受賞した作品は置いておきましょう。
いや、あの作品も大好きですけどね。
夕日に佇むトニースターク。
敵その1:スカヨハ。赤毛がよく似合います。
メインの敵は勿論この男、ミッキー・ローク演じるウィップラッシュ。
撮り方カッコよすぎる。
こんな素晴らしい画も観れるみたいだ!
さて、今回の予告編の一番の見所は、ラストです。
この箱は何でしょう。
そう、これは男が燃えるための道具さ!
発狂しそうになったよ、僕。
泣きたい人は是非とも予告編を。
アメリカで2010年5月。
日本では一ヶ月遅れて6月です。
上半期のトリを涙で飾ってくれるに違いない!
待ちきれない!
2010年3月8日月曜日
梅太@ 劇場:『ニンジャ・アサシン』
この記事は この潔さ、もはや尊敬・・・な 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
●殺るなら徹底的に:『ニンジャ・アサシン』
監督はジェイムズ・マクティーグ。
主演にRain(ピ)。
アカデミー賞もとりましたし、しばらく世間は『ハート・ロッカー』に揺れると思いますので(画面も揺れてるし!)、あえてこちらを書こうと思います。
ウォシャウスキーファミリー(?)がお贈りするニンジャアクション。
監督:ジェイムズ・マクティーグ×製作:ウォシャウスキーという取り合わせは、傑作『Vフォー・ベンデッタ』以来。
なので、結構期待していました。
08年の1位が二人揃って『スピードレーサー』というように、この『映画好きの二人』は、A.K.A.『ウォシャウスキー応援ブログ』でもあったりします・・・っけ?
-------------------------------
ストーリーは。
いまや伝説の存在となり、口にするだけで笑われてしまうような”ニンジャ”。
欧州警察組織につとめる科学捜査官:ミカは、裏で流通する金の動きから、今世間で起きている各国要人の暗殺と”ニンジャ”の間には関係があるのでは?と推察していた。
調査を進めるうち辿りついたのは、古より続く”九つの一族”。
その結論に辿り付いた時、ミカはニンジャに命を狙われる。
間一髪でミカを救ってくれたのは、同じくニンジャではあるが、一族を抜けた”抜け忍”:雷蔵であった。彼もまた命を狙われる身であった。
ミカは事件の真相を追うため、雷蔵は一族との決着をつけるため、二人は行動を共にするのだが・・・
▼▼▼▼▼▼
初日。
僕はニンジャではないが、劇場に足を踏み入れた瞬間、何かが違うと感じた。
この映画の、この劇場で、こんな雰囲気なわけがない。
罠だ。罠に違いない。
きっと『天誅』の洞窟みたいに、なんかわからないけれどイキナリ落ちる罠とかがあるに違いない。
抜き足差し足で列に近づく。
すると待っていたのは、R-18をとうに超えている(失礼しました)おば様方ばかりであった。
Rainってこんなに人気があったのですね・・・
▼▼▼▼▼▼
しかし、おば様方は、オープニングできっと、「あれ、これ違うな?」と思ったに違いありません。
(いや、もしかして結構楽しんでいたのか?)
僕はといえば、「お、これだ!」と膝をたたきましたけどね。
オープニング。
誰もそうとは思わない大阪のヤクザの元へ、一通の手紙が届く。
次の瞬間、血飛沫上等、解体ショーの始まり始まり。
何もそこまでしなくても・・・と思うなかれ。
B級スラッシャーを、堂々と大スクリーンでやる潔さというか、無謀さ?
これでいいのである。
そして、その拘り故、時に観客を置いていくことを全然意に問わない、相変わらずのウォシャウスキーファミリーっぷりが見れて嬉しかった。
噂によれば、残酷描写を突き詰めたが故にR指定になったそうで。
世間の反応なんて絶対に目に見えているはずなのに、相変わらずバカやってるよなぁと。
そんなバカっぷりが遺憾なく発揮されているアクションシーンは、やはり素晴らしかった。
オープニングは言うことなしですが、中盤、NINJA-ITEMをふんだんに盛り込んだアクションも美事で。
銃弾か!?と見間違える程の勢いを持った手裏剣に爆笑しました。
弾詰まりの心配も無いので、これからみんなはこれを持ったらいいと思います。どの道、銃刀法違反で捕まりますけれど。
中でも、主人公が主に扱うのが鎖鎌というのが、良いチョイス。
間合いを自由に変え、自分を回転の軸にして、グワングワンと。そして相手をズシュンジュシュンと。
残像の残し方とか、水飛沫・血飛沫の描写とか、最高でした。
CGを用いたアクションは、撮る人が撮ると散漫になるというか、単なるお遊びにしか見えないときもあるのですが、やはりこの人たちは違う。
うまい。ツボを突いてる。僕の。
お約束のラスボス、超必殺技も、忘れてはいけない要素です。
▼▼▼▼▼▼
アクションだけではありません。
『Vフォー・ベンデッタ』では、クライマックスで、一見バラバラであった出来事が一つの歴史として繋がっていく・・・という美事なシークエンスがありましたが、ジェイムズ・マクティーグ監督は、本作でも語り口の巧さを発揮します。
本作では、現在の出来事と雷蔵の過去を同時進行で語っていき、クライマックスのバトルへもっていく手口がお美事でした。
物語としては追求するほどのこともないベタベタなものなわけですが、調理の仕方が巧いです。
飽くことなく観れます。
▼▼▼▼▼▼
今回はニンジャとバイオレンスだ!と決めたら、ノンストップで、全速力で駆けていく。
そんな、どんなことがあっても絶対に妥協しない拘りというのが、ウォシャウスキーファミリーの作品の魅力であると思いますし、僕の大好きな部分であります。
たとえその拘りを誰も気付いてくれなくとも、僕はしっかり受け止めてますし、いつまでも応援しますよ。
----------------------------
「 『スピード・レーサー』の大損害?何ですかそれ?」
とでも言っているような、潔さが見えて、とても楽しかったです。
ある意味尊敬します。
あと、この監督×製作コンビなら、アクションシーンではあの名台詞は欠かせませんが、今回も出ますよ。
お楽しみに。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
●殺るなら徹底的に:『ニンジャ・アサシン』
監督はジェイムズ・マクティーグ。
主演にRain(ピ)。
アカデミー賞もとりましたし、しばらく世間は『ハート・ロッカー』に揺れると思いますので(画面も揺れてるし!)、あえてこちらを書こうと思います。
ウォシャウスキーファミリー(?)がお贈りするニンジャアクション。
監督:ジェイムズ・マクティーグ×製作:ウォシャウスキーという取り合わせは、傑作『Vフォー・ベンデッタ』以来。
なので、結構期待していました。
08年の1位が二人揃って『スピードレーサー』というように、この『映画好きの二人』は、A.K.A.『ウォシャウスキー応援ブログ』でもあったりします・・・っけ?
-------------------------------
ストーリーは。
いまや伝説の存在となり、口にするだけで笑われてしまうような”ニンジャ”。
欧州警察組織につとめる科学捜査官:ミカは、裏で流通する金の動きから、今世間で起きている各国要人の暗殺と”ニンジャ”の間には関係があるのでは?と推察していた。
調査を進めるうち辿りついたのは、古より続く”九つの一族”。
その結論に辿り付いた時、ミカはニンジャに命を狙われる。
間一髪でミカを救ってくれたのは、同じくニンジャではあるが、一族を抜けた”抜け忍”:雷蔵であった。彼もまた命を狙われる身であった。
ミカは事件の真相を追うため、雷蔵は一族との決着をつけるため、二人は行動を共にするのだが・・・
▼▼▼▼▼▼
初日。
僕はニンジャではないが、劇場に足を踏み入れた瞬間、何かが違うと感じた。
この映画の、この劇場で、こんな雰囲気なわけがない。
罠だ。罠に違いない。
きっと『天誅』の洞窟みたいに、なんかわからないけれどイキナリ落ちる罠とかがあるに違いない。
抜き足差し足で列に近づく。
すると待っていたのは、R-18をとうに超えている(失礼しました)おば様方ばかりであった。
Rainってこんなに人気があったのですね・・・
▼▼▼▼▼▼
しかし、おば様方は、オープニングできっと、「あれ、これ違うな?」と思ったに違いありません。
(いや、もしかして結構楽しんでいたのか?)
僕はといえば、「お、これだ!」と膝をたたきましたけどね。
オープニング。
誰もそうとは思わない大阪のヤクザの元へ、一通の手紙が届く。
次の瞬間、血飛沫上等、解体ショーの始まり始まり。
何もそこまでしなくても・・・と思うなかれ。
B級スラッシャーを、堂々と大スクリーンでやる潔さというか、無謀さ?
これでいいのである。
そして、その拘り故、時に観客を置いていくことを全然意に問わない、相変わらずのウォシャウスキーファミリーっぷりが見れて嬉しかった。
噂によれば、残酷描写を突き詰めたが故にR指定になったそうで。
世間の反応なんて絶対に目に見えているはずなのに、相変わらずバカやってるよなぁと。
そんなバカっぷりが遺憾なく発揮されているアクションシーンは、やはり素晴らしかった。
オープニングは言うことなしですが、中盤、NINJA-ITEMをふんだんに盛り込んだアクションも美事で。
銃弾か!?と見間違える程の勢いを持った手裏剣に爆笑しました。
弾詰まりの心配も無いので、これからみんなはこれを持ったらいいと思います。どの道、銃刀法違反で捕まりますけれど。
中でも、主人公が主に扱うのが鎖鎌というのが、良いチョイス。
間合いを自由に変え、自分を回転の軸にして、グワングワンと。そして相手をズシュンジュシュンと。
残像の残し方とか、水飛沫・血飛沫の描写とか、最高でした。
CGを用いたアクションは、撮る人が撮ると散漫になるというか、単なるお遊びにしか見えないときもあるのですが、やはりこの人たちは違う。
うまい。ツボを突いてる。僕の。
お約束のラスボス、超必殺技も、忘れてはいけない要素です。
▼▼▼▼▼▼
アクションだけではありません。
『Vフォー・ベンデッタ』では、クライマックスで、一見バラバラであった出来事が一つの歴史として繋がっていく・・・という美事なシークエンスがありましたが、ジェイムズ・マクティーグ監督は、本作でも語り口の巧さを発揮します。
本作では、現在の出来事と雷蔵の過去を同時進行で語っていき、クライマックスのバトルへもっていく手口がお美事でした。
物語としては追求するほどのこともないベタベタなものなわけですが、調理の仕方が巧いです。
飽くことなく観れます。
▼▼▼▼▼▼
今回はニンジャとバイオレンスだ!と決めたら、ノンストップで、全速力で駆けていく。
そんな、どんなことがあっても絶対に妥協しない拘りというのが、ウォシャウスキーファミリーの作品の魅力であると思いますし、僕の大好きな部分であります。
たとえその拘りを誰も気付いてくれなくとも、僕はしっかり受け止めてますし、いつまでも応援しますよ。
----------------------------
「 『スピード・レーサー』の大損害?何ですかそれ?」
とでも言っているような、潔さが見えて、とても楽しかったです。
ある意味尊敬します。
あと、この監督×製作コンビなら、アクションシーンではあの名台詞は欠かせませんが、今回も出ますよ。
お楽しみに。
といっても、相方しか分からないかな。
2010年3月7日日曜日
梅太@ 宣伝:『桃まつりpresentsうそ』・・・の一作品『FALLING』を観に行こう!
この記事は 梅太 の名の下にお送りいたします
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
昨日、本ブログの管理人一同が・・・一同といってもたったの二人ですが、いつもいつもお世話になっております「Bar NOI」へ行った時の話。
2010/3/13~3/26の期間に、渋谷のユーロスペースにて開催される『桃まつり』に作品を出展している加藤麻矢さんにお会い致しました。
まず、『桃まつり』とはなんぞやというところから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「若手女性監督たちにもっと上映の場を」と立ち上がった女性監督による製作・上映集団”桃まつり”。 昨年3月にユーロスペースで上映し、2週間で1500人以上の動員を記録。新たな才能の発見の場として、日本全国のみならず海外の映画祭からも注目を集めている。
そして今年のテーマは”うそ”。
あなたを思うあまりのうそ。したたかに仕組まれたうそなど、さまざまな人間関係を描き出した新作短編11作品を上映決定。
とびきり甘くて切ない”うそ”のまつりがいよいよ開催決定。
●スケジュール
・壱のうそ(3/13~17):『迷い家』『バーブの点滅と』『shoelace』『テクニカラー』
・弐のうそ(3/18~21):『きみをよんでるよ』『FALLING』『愚か者は誰だ』
・参のうそ(3/22~26):『1-2-3-4』『代理人会議』『カノジョは大丈夫』『話さないで』
連日21:00~
と、僕らしくなく宣伝文句をまとめ切れていますが、それもそのはず、こちらはチラシから拝借した文章です。
つまりは、新人女性監督を応援しましょう!という映画祭でございます。
そして昨日、この映画祭に『FALLING』という作品を出展しておられる加藤麻矢監督に偶然お会いしまして、チケットを買うと共に、僭越ながら、こちらで宣伝させて頂いた次第でございます。
『FALLING』は、会社に勤める普通のOLが刺されて死んでしまい、ヴァンパイアとして復活するというお話だそうです。
かくいう僕も、ブラム・ストーカーから始まる”吸血鬼”という存在はとても好きですので、期待しております。
↓↓↓予告編↓↓↓
▼▼▼▼▼▼
NYタイムズは、『FALLING』をこう宣伝しています。
『トワイライト』より、
『ダレンシャン』より、
まずは『FALLING』を!!
(・・・これは、壱、弐、参のうそに続く、四のウソです)
私、梅太は、『弐のうそ』初日の18日に顔を出す予定です。
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昨日、本ブログの管理人一同が・・・一同といってもたったの二人ですが、いつもいつもお世話になっております「Bar NOI」へ行った時の話。
2010/3/13~3/26の期間に、渋谷のユーロスペースにて開催される『桃まつり』に作品を出展している加藤麻矢さんにお会い致しました。
まず、『桃まつり』とはなんぞやというところから。
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「若手女性監督たちにもっと上映の場を」と立ち上がった女性監督による製作・上映集団”桃まつり”。 昨年3月にユーロスペースで上映し、2週間で1500人以上の動員を記録。新たな才能の発見の場として、日本全国のみならず海外の映画祭からも注目を集めている。
そして今年のテーマは”うそ”。
あなたを思うあまりのうそ。したたかに仕組まれたうそなど、さまざまな人間関係を描き出した新作短編11作品を上映決定。
とびきり甘くて切ない”うそ”のまつりがいよいよ開催決定。
●スケジュール
・壱のうそ(3/13~17):『迷い家』『バーブの点滅と』『shoelace』『テクニカラー』
・弐のうそ(3/18~21):『きみをよんでるよ』『FALLING』『愚か者は誰だ』
・参のうそ(3/22~26):『1-2-3-4』『代理人会議』『カノジョは大丈夫』『話さないで』
連日21:00~
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と、僕らしくなく宣伝文句をまとめ切れていますが、それもそのはず、こちらはチラシから拝借した文章です。
つまりは、新人女性監督を応援しましょう!という映画祭でございます。
そして昨日、この映画祭に『FALLING』という作品を出展しておられる加藤麻矢監督に偶然お会いしまして、チケットを買うと共に、僭越ながら、こちらで宣伝させて頂いた次第でございます。
『FALLING』は、会社に勤める普通のOLが刺されて死んでしまい、ヴァンパイアとして復活するというお話だそうです。
かくいう僕も、ブラム・ストーカーから始まる”吸血鬼”という存在はとても好きですので、期待しております。
↓↓↓予告編↓↓↓
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NYタイムズは、『FALLING』をこう宣伝しています。
『トワイライト』より、
『ダレンシャン』より、
まずは『FALLING』を!!
(・・・これは、壱、弐、参のうそに続く、四のウソです)
私、梅太は、『弐のうそ』初日の18日に顔を出す予定です。
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